12章-1:至福の時間は程々に
ここ、どこなんだろ……………?
もう自分がどこから来てどこに向かおうとしていたのかすら忘れてしまった。夜という名の闇で隈無く塗り潰された森の中を、ぼろぼろになった少女がふらふらとさまよっている。木の根が這い回る冷たい地面に足をつけて虚ろに歩くその姿は、その地に禍根を残す亡霊のようだった。
どれくらいあるいたっけ……………?
いまが何月の何日だったかなんてかぞえる気も起こらなかったけれど、たしかこれが森の中を歩き始めて4、5回目くらいの夜だった気がする。
まえにパパから買ってもらったひらひらの付いたお洋服も、どろどろに汚れてしまった。これ、おきにいりだったのに………………。
おなか、すいたなぁ……………。
起きたらおへやが森の中にかわっていて、わたしもふかふかベッドじゃなくて冷たい土の上でねてた。それからずっと、なにも食べてない。お水も、雨がふったときに水たまりの水を少しだけ。きゅぅ、って鳴っていたおなかも、いつの間にか何もいわなくなっている。
ずっと裸足で森の中を歩きつづけて、足のウラがひりひりする。ちょうど前におおきな木があったので、その幹を背に倒れ込むように腰を下ろした。
あたまが、くらくらする。
おなかが、いたくなってきた。
めも、ぽゃぁーってしてる。
もう、うごけない。
「パパぁ………………おねぇ、ちゃん……………」
森の中でずっと呼んでいるけど、誰も来てくれない。
わたし、これからどうなっちゃうんだろう……?
なんだか、ねむくなってきちゃった。
先が見えないほどに鬱蒼と茂った深夜の森の中で、女の子の目が静かに閉じようとしていた。
そこに、
そんな女の子をやさしく照らすきれいな光がみえた。それが太陽ではないという事は、年端もいかない少女でも容易に見当がついた。
(………………………?)
その中から、背中に羽がはえた女の人があらわれる。絵本で見たことがある。あれはたしか………………。
「……………『てんし、さん』………?」
なんでか、『てんしさん』を見てるだけで体が軽くなっていくような、今にもからだが空へと飛んでいってしまうような、そんな気がする。
『てんしさん』は私のすぐ前に足をついて、わたしをぎゅっとやわらかく抱きしめてくれた。太陽ではなかったけれど、お日様の光のようにあったかかった。そのあと、『てんしさん』はわたしのお耳の横でこんなことを言ってた。
『貴方の歩む運命は人の道としては剰りにも過酷すぎます。本来ならばこの行為は天界の規律に反するのですが、貴方に、神の御加護を授けましょう。貴方の未来が僅かでも輝かしい物とならんことを』
わたしには、『てんしさん』が言っていることがよくわからなかった。意味は分からなかったけれど、なぜか目からぽろぽろ涙があふれてくる。その涙がどんな感情の元に流れたものなのか、そこまでの考えは及ばなかった。
身体の力が抜けていく。
意識が上へ、上へと沈んでいく。
その流れに、少女は逆らわなかった。
『てんしさん』のぬくもりに包まれながら、少女は安らかなねむりにつく……………。
ー11年前ー
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ー2014.07.08ー
外の世界というものは、溢れかえるほどの神秘に満ちている。
太陽の光が燦々(さんさん)と降り注ぎ、人の生ける大地を照らしている。
空はこの世のすべてを優雅に包み込み、雲の流れは同時に緩やかな時間の流れを体現してくれる。
涼しい風がそっと頬をなで、夏の到来を実感するとともに心が躍る。
木々草花も風や光を受けて、自分を歓迎してくれているようだ。
───さて。
なぜ、校門の前に立つ少年・桐崎 洋斗が長々と世界の神秘について語っているのか?というと……………。
「ついに、このときが………………………………………………………………来たッッ!!」
とうとう永い入院期間を終えたのである。
というのも、脇腹にぽっかり空けられた穴を塞ぐのと食事等のリハビリのために学校の保健室に入院していたおよそ3ヶ月という期間の間、洋斗は寝たきりだったのである。それも、いかなる理由があってもベッドからでることを許されず、排泄目的ですらその例外ではない、という徹底ぶりで。そんな手厚い介抱のおかげで、体は予定より早めに回復すると同時に、バッキバキに凝り固まっているのである。
「んっ……………………っ!!」
腕を空へと向け、全身全霊で身体を伸ばす。それだけでもこりが大分ほぐれた気がする。それだけ筋肉が固まっていた、という事だろうか。
うん、まぁそのあれだ……………………生きてるって、素晴らしい。
こうして天を仰ぐ姿を、冷めきった目線で見つめる4つの目があった。
「なんか悦に浸ってるとこ悪いけど……………いつまでいるつもりなの?」
「気持ちも分かるけど、ユリアさんも待ってると思うよ?」
自然の神秘に圧倒されてすっかり置いてけぼりをくらっていた芦屋と鈴麗の『友達の退院にソッコー駆けつけました』コンビ。しかし、
「…………………すまん、もうちょっとだけ」
そんな二人のせめてもの呼びかけ(自然への抵抗)を前にしても、『あれ、ここまでバッキバキだと歩くどころか一気に生まれたての子羊状態に…………?』なんていう最悪のパターンすら頭をよぎっていた洋斗を現世に引き戻すことは叶わなかった。
しかし、やはりこうしていられないのもまた事実。
ナギ、そしてユリアの二人にようやく会えるのだから。
基本手術の日以外は面会オッケーのウェルカムな状況だったのだが、その間の3ヶ月でその二人が来た日は一度もなかったのである。自分のことばかりで蔑ろにしていたが、ナギも精神不安定な時期があったそうだし、ユリアも完治にひと月かかるほどの怪我を負っていた。洋斗としては二人の顔が見たい事に加えて、二人の元気ぶりを見て安心したいのである。
「………………………うし、じゃ行くか」
初夏の風と日差しを受け、洋斗達はユリアの屋敷へと向かう。
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「洋斗様、お待ちしておりました」
玄関の扉を開くと、エントランスにはセントヘレナ邸の執事・ゴードンさんが整然とした立ち振舞いで出迎えてくれた。
「出来ることならフォートレスの方までお出迎えに向かいたいところでしたが、済ませておきたい雑務がたまりまして」
「相変わらず大変そうですね。それで、ユリアとナギは?」
「どちらもご自身の部屋におられます。そちらのお二方も上がられますか?」
「えっと、じゃあお言葉に甘えます」
「では後ほどお茶をお持ちします。お嬢様のお部屋でよろしいですか?」
「ありがとうございます」
ゴードンさんに会釈をして廊下を少し歩き、たどり着いた一つの扉。洋斗はドアノブに手をかける。
ガチャ
「ユリアー、体の具合はど
「わひゃッ!?ふぇ?ちょ
───バアァンッ!!
扉を開いたのはわずか2秒ほど。洋斗は全身全霊の反射神経を使って全力で扉を閉めていた。
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
「洋斗?」
「ちょっと、どうしたのよ?」
後ろから顔を覗く芦屋と鈴麗に、頬に冷や汗を伝わせながら洋斗が答えた。
「その……………………着替え中でした」
「「あぁ、なるほど」」
簡潔に言うならば『見てはいけない物を見てしまった』ということなんだろうなぁ、と随伴二名はすぐさま推し量る。そんな、水玉模様の入ったピンク色の花園に直面した洋斗がそれを華麗に消化できるはずもなく、『どうしよう………………』という雰囲気を全身にまとったまま硬直している。
「(あ、あら、ドアが開かな………………?)」
どうやら手もドアノブを握り締めた状態でギッチリと硬直していたらしい。ドアノブから回ろうとする力が伝わってくるとともに、向こう側から聞こえてきた小さな声にハッとする。
慌ててドアノブから手を離すと、扉がゆっくりと部屋側に開く。その隙間から赤面したユリアが恐る恐る顔をのぞかせた。
「その、すまん。3ヶ月ぶりでノックすら忘れてました」
部屋に入って早々の平謝りの末───。
「叔父様だけだったので、鍵を忘れてしまってました…………」
ということで何とか和解することができた。お互いに即刻忘れてしまいたいので、すぐにこの話を彼岸の彼方へ押し流す。
「改めまして、退院おめでとうございます!」
「身体に空いた穴が3ヶ月で塞がるのは驚いた。正直もっとかかると思ってたから」
「本当ですよね!わたしの肩の穴も1ヶ月で消えちゃいましたし、ヒトの身体ってスゴいです!」
「跡とか残らなかったか?」
「いえ、綺麗サッパリ消えてくれました」
「あー、ホントだ。俺ちょっと残った。穴だったところだけ赤くなってるんだよな」
「そうなんですか……………………」
突如始まったまさかの穴トーク。
((だーめだ、ついていけねーー))
無論そんな経験がない芦屋、鈴麗両名がそこに加われるはずもなく。
「(これは、お邪魔かも知れないね……………)」
「(特に心配もなさそうだし、とっととお暇した方がいいわね)」
今後の活動方針を固めるための耳打ち会議を手短に済ませる。
「それじゃ、僕たちはそろそろ帰るよ」
「ん?あぁ、思ったより時間経ってんな」
「そ、んじゃそーゆーわけだから」
鈴麗の言葉を皮切りに2人が立ち上がろうとしたところで───、
「あ、あの!もう少しだけ………!」
その流れを止めようとする声が一つだけ挙がった。
(……………?)
芦屋はそんなユリアを見てわずかな怪訝を感じる。
「いいっていいって、どうせ二人で積もる話もあるでしょ?フタリで!という訳で邪魔者は退散退散、っと!」
「あ…………………」
鈴麗はそんな事もなく、純粋な老婆心(悪戯心)を胸にそそくさと立ち上がる。そして立つか立たぬかの中途半端な体勢で止まっていた芦屋をグイグイと部屋の外へと押し出した。どこか物淋しげなユリアに軽いウインクを置き土産して、二人は退出した。
「………………」
「…………どうしたの芦屋?」
長い廊下を進みつつ、どことなく浮かない顔をしている芦屋の鈴麗が後ろから様子をうかがう。彼の肩にあごを乗せるように、後わずかで2人の頬が触れ合いそうな超至近距離で。
彼女の頭の重み、あごの出っ張り、そして彼女の体温を肩に感じながら、芦屋は少し思い返す。
ユリアの表情は『折角来てくれたんだからもっとお話ししたい』というメッセージにしては焦燥や動揺の成分が強すぎるような気がした。
「…………いいや、なんでもないよ」
もっとも、『気がする』程度の些末な引っ掛かりだったため、その違和感が後まで尾を引くことはなく、
「じゃあ、あたし達も久しぶりにデートしましょうよ!」
「………それはさすがに不謹慎なんじゃないかな?」
仲睦まじい彼氏彼女に相応しい会話で流されていった。
「な、なにか用事でもあったんですかね?あはは………」
「さぁ、どうせデートとかその辺だろ。不謹慎ったらないぜ全く」
そういって洋斗はユリアの方に目を向けた。
「っ…………そ、そうですよね!きっと……………」
「どうかしたか?」
「え…………………」
ユリアに思わず疑問を投げてしまったのには理由がある。
洋斗とユリアの眼が合った瞬間、ユリアの表情がやや強ばったのだ。
先程まで話していたときの彼女とは明らかに雰囲気が違い、「いえ、なんでもないですよ!」と言っているユリアの笑顔も心無しか堅い。
(…………………まだ気分が悪いのか?)
医師曰わく、ユリアは外傷以上に精神的疲労が大きかったらしい。なので、もしかしたらまだそちら側は回復しきれておらず、芦屋や鈴麗の前では無理をしていたのかも知れない。
「じゃ、俺はナギのところに行くから。とりあえずゆっくり休め」
「え………………はい。そうですね」
ユリアは硬い笑顔のままでそう返したので、洋斗は部屋から出ようとドアノブに手をかける。
「洋斗君」
不意にユリアが俺の名前を呼んだ。
「ん、なんだ?」
自然の流れで振り返り、次の言葉を待つ。ユリアはしばらく思い詰めた様子で沈黙していたが、一言
「…………いえ、やっぱりなんでもないです」
と小さく笑った。
「……………そっか」
洋斗はそれだけ言って、部屋の外へ出た。
(……………………さて。次はナギか)
普段から進んでナギのお世話係を担当してくれているメイド長セリカさんにこれまでの様子を聞いた限り、精神的に回復はしてきているようだが未だに部屋にこもりがちで、出てもじっと塞ぎ込んでいることが多くなったそうだ。
(むしろユリアより重症かもな)
そう考えながら別の扉の前に立つ。
これはナギが「ナギにも『まいほーむ』とやらを所望するのです!」と一丁前にプライベートを求めて駄々こねた結果、困り顔のセリカさんから勝ち取ったものだ。当時は「刀ごときに『マイルーム』なんて………」と思っていたのだが、一人の時間が必要な今回ばかりはそれが好転したらしい。
今回はしっかりとノックして、扉を開ける。
部屋の中にいるはずの幼い少女の姿はない。そのかわり、部屋の片隅には一本の日本刀が立て掛けてあった。
(いつも人型でいるあいつが………………)
具現のイメージによって人の形を手に入れた名刀・黒刀逆薙は人の姿である自分をとても気に入っているため、基本的に用のある時以外は常に人の姿でいる。寝ぼけたのか朝起こしに行ったら刀が毛布にくるまれていたことはあった。しかし、部屋に一人でいるときに刀の状態だったことはまず無い。そこからもナギの心の傷がうかがえるようだった。
「ナギ?」
洋斗は出来る限り穏やかな声を心がけて呼びかけた。
声が部屋に響いて、消える。
数秒経過して、刀を小さなフラッシュが包み、具現したナギが姿を現した。
「う、うぅ…………………」
服装はいつも通り、最初に具現した際に着付けた浴衣の上着に膝丈スカートの、いわゆる子ども用浴衣。その裾をぎゅっと握り締め、口は何かをこらえる時みたいにきつく結ばれている。
そしてその眼からは大粒の涙がポロポロとこぼれていた。
「ぁるじさまあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!!」
とても心配だったのだろう。
部屋の隅から駆けてきて、洋斗の腰に抱き付いてくる。洋斗の腹部に顔をこすりつけて泣きじゃくるその様子は、年相応の幼い女の子と相違なかった。
「ひぐ……………心配しました、心配しましたですよあるじさま…………………う゛、うええぇぇぇ………………」
「ナギ…………………」
自分の帰還に泣いて喜んでくれているという事実が洋斗の心をじんわりと暖めてくれる。我が子のようにそっと頭をなでて、ナギの涙が止まるのをしばらく待つことにする。
ナギの号泣がすすり泣きに変わるまでの数十分、洋斗はずっとナギの頭をなで続けていた。
「うぅ……………ひぐ…………」
「大分収まってきたみたいだな」
「ぐず、す、すみません、お見苦しいところを見せてしまったです…………………その、あるじさま」
頬を濡らす涙は収まったが、洋斗の服をつかみ顔を伏せたままでぽつりと言った。
「どうした?」
「あの時は、その、お力になれずすみませんでした。主様には合わせる顔がないのです」
あの時、とは間違い無くマーデルとかいう科学者との戦いの時だろう。ナギは生まれた時代故に変なところで律儀な一面がある。そんな気概もあり、どんな顔をして見舞いに行けばいいのか解らなかったのだろう。だから言葉通り顔を合わせようとしなかったのだ、と洋斗は見舞いに来なかった理由を推察した。
「ちゃんとあいつも倒すことができたし、俺としてはナギが折れてしまうことの方がよっぽど辛いからな。気にすること無いさ」
「………そう言っていただけるのはありがたい限りなのです」
ようやっと上げた顔が少しほころんでいたことに、心の内で小さく胸をなで下ろした。刀とはいえ、女の子を泣かせているのは見るに忍びない。
そうして存分に甘えさせていると、ナギが不意に顔を上げた。
「主様、一つお聞きしてもよろしいです?」
「あぁ、なんだ?」
「その、あの時に主様の身体を使っていたのは、いったいなにものなのです?なにかとんでもない妖気を持っていたのですが……………」
「………………そうか、ナギにも一から説明しておかないとな」
ナギが心配そうに聞いてきたところで、ナギには自分の過去を話していなかったことに気づく。洋斗は自分の生い立ちや村崩壊の出来事、そして自分にとり憑いた鬼の事も全てナギに話した。
話し終わる頃には日も大分傾いていた。燃えるような橙赤が深く、部屋の中へと射し込んでくる。
「なるほど、主様にそんなことが…………おかげでいろんな事が繋がったのです」
全てを聞き終えたナギは神妙な面持ちで話し始めた。
「主様があれほど人を助けたがる理由、年不相応に洗練された一挙一投足の特殊な動き、そしてあの妖気の正体。それも鬼の頂点とも言える朱点童子の妖気だったなんて、道理で天下五剣の私でもアてられてしまうわけです。体内に受け入れることなんて出来る訳がないのですよ」
「その、悪かった。恐い思いしたよな」
「それは………………否定はしません。体内を何かが這いずるようなあの感覚は今でも頭にこびりついて、思い出す度に身体が震え上がるです。ですが、今となってはその朱点童子さんがそれほど悪い存在であるとは思っていないのです」
「…………そうなのか?」
「です。私の中に入ってきたとき、声は聞こえませんでしたが確かに私に謝っていたのです」
それは、洋斗の身体を使って逆薙を掴んだ時。これは届かなかったものの、朱点童子の口の動きは確かに伝えていたのだ。
『 ご め ん ね 』と。
「きっと、私には耐えられないと分かっていたのです───天下五剣の一角としては癪な話ですがね。ですから私も怒るに怒れないのです。今、朱点童子さんはどうしてるです?」
「今も俺の中にいるよ。ずっと眠ってるのか声は聞こえないけど」
「そうですか……………主様に提案なのですが、その朱点童子さんの『器』を私に移して欲しいのです」
「は…………?いやでも、またナギが」
「これは私の推測なのですが、今朱点童子さんの膨大な妖気は主様に移っています。だから朱点童子さんの器だけならかなり妖気が減っていると思うです。それに、私の中に朱点童子さんを住まわせることが出来れば、主様の中にある鬼の妖気にも耐えられるようになるんじゃないかと思うのです。そうすれば能力のように私に妖気をまとわせることも出来るようになるかも………………」
「戦闘スタイルを変えずに能力と妖気を切り替えられる、ってことか。けど、そんな事できるのか?」
「それは分からないです。せめて朱点童子さんとお話でもできれば…………」
「やってみるか?」
「はいです!」
ナギが刀に具現したので、洋斗はその柄を握ってみる。
(むむむ……………………む!!あー、もしかしてあなたが朱点童子さんですか?)
(先日はどうも………………………いえいえそんな!もう済んだことですし、何より主様がこうしてピンピンしておられるのもあなたが命を繋いでくれたおかげなのです!)
(それで、お願いなのですが…………………え?……………はい…………………………本当ですか!ではすぐにでも………………はい………………はい……………はい!お待ちしているです!では後ほど……………)
フラッシュとともにナギが具現した。
「オッケーだそうです!決行は今夜になりました!」
「電話で話してるようにしか聞こえなかったんだけど。あと思いの外サラサラッと話が進んでびっくりした」
「良い人とはいえ鬼なので一体どんなお方かと思っていたのですが、話しやすい人で安心したのです!さすがは朱点童子、お酒の席をたくさん経験している方は社交性がケタ違いだったです!」
「あれか、確か『飲みニケーション』だっけ?鬼と言えど、邪気が抜ければ所詮酒好きの幽霊ってわけか」
「あと、私の予想はおおむね正しいそうです。これでより一層主様のお力になれるのです!もう足手まといにはならないのです!!」
そう言って、ふん!と鼻を鳴らして意気込むナギを見て洋斗はほっと一息つく。この様子なら大丈夫だろう。
そう考えて部屋を出ようとした洋斗に、ナギは「あ、ところで───」と言葉を継いだ。
「主様はユリア様に会いましたか?」
それは先程とは打って変わって神妙みを帯びた声色だった。
「おう、大分元気そうだったな」
「そうでしたか……………主様、どうかユリア様の事を気にかけておいて欲しいのです」
「え?まぁそれはもちろんだけど……………」
「私が何回かユリア様を見たとき、なんだかスゴく思い詰めてるような感じだったのです。もしかしたら、私よりも心に深い傷を負っているかも知れません。もしそうだった時、恐らく一番力になれるのは主様です。なのでどうか、この通りなのです」
そう言ってナギはぺこりと頭を下げた。
洋斗が入院している間、ナギはずっとユリアのことを見ていたはずだ。きっと洋斗がいない時のユリアを見ていたナギだからこそ思うところもあるのだろう。
そう感じた洋斗は「あぁ、分かった」と二つ返事で引き受けた。先程の反応からもユリアが何かしら腹に抱えていることは危惧していたから、ということも引き受けた理由の一つでもあった。
下げている頭をそっとなでてやると「にへへ……………」とはにかみながら笑っていた。
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カプセルを巡った洗脳騒動から3ヶ月が経過した今もフォートレス能力専門高等学校は休校となっている。
洗脳にかかっていた生徒のほとんどは生活に支障の残らないほどに快復しており、その他も完治したかどうかの確認を残すのみという状態だ。しかし、『洗脳の直接的な原因は何なのか』や『再発の可能性はあるのか』といった事件の収束から『生徒の快復の為に費やした膨大な授業日数をどう補うか』といった事務作業まで、学校側に残された課題は未だ山積み。そのため、中々学校再開に踏み切ることが出来ないのである。
そんなわけでフォートレスの生徒たちの間には「夏休みの期間を押し倒して補修の嵐が上陸するのではないか?」という噂が流れ始め、それに備えて『少し早めの夏休み』という形で英気を養っているわけだ。
無事退院を遂げた洋斗もその例外ではなく、この『夏休み』の期間を身体能力を戻すことに費やしていた。
大体予想は付いていたけれど、病床に伏していた3ヶ月による体力の衰えはかなりのものだった(それでも常人『程度』である)。それを鍛え直しつつ嵯鞍人拳の動作を復習するという、いかにも一流派の正当後継者らしい生活を謳歌している。
───そして
ナギと約束した通りユリアの様子は注意深く見ていたが、時が経つにつれ、退院直後に抱いていた違和感は確かな物になっていた。
屋敷の中などで出会ったとき、必ずと言っていいほど恐怖の混じった顔で洋斗を見る。そして洋斗の顔を見ると安堵したかのようにはなるものの、やはり不安げな感情は消えない。会話も探り探りで距離があり、ユリアの方から離れることがほとんどになった。
洋斗としてはなぜ自分が距離を置かれているのか、その理由がわからない。ゴードンさんとユリアの会話は平常であるから原因は自分にあるんだろうけれども、アテがないから打開策も見つからない。そんな状況を自覚すればするほど、それをどうにかしようとする洋斗の焦りは増していった。
そして、二人の置かれた状況やそれぞれの心境が変わらぬままある日を迎えようとしていた。
───2014年7月22日
ある事件とともに、世界中で『時空崩壊の前兆』とか『審判の日』とまで揶揄されたある超常現象が起こった日付である。




