11章-3:望まざる覚醒
「君がなぜその事を知っている?」
マーデルの目つきが鋭いものに変わる。先ほどまで無かった疑念や敵意がそこに現れていた。
「洋斗…………くん…………?」
考えなければいけないことで頭がいっぱいのユリアは、あまりの疑問符に悩むことを放棄しそうだった。洋斗の名を呼ぶ口の動きすらもおぼつかない。そんなか細い声を添えてゆっくりと洋斗の顔を伺う。
「………………………」
その顔は、正に『鬼の形相』だった。
顔にめいっぱいの力を込めて何かを抑え込み、それでも鋭い瞳はきっ、と仇敵を睨みつけている。握りしめる拳にもかなりの力が入っているのだろう、その指の隙間から血が滴っていた。
フローゼル家の扉を突き破ってきた時とはまた違う恐さに、ユリアの背筋が少し凍った。
「………………………………………自己紹介してやる」
ユリアも声も耳に入らず、洋斗は燃える怒りを顔に乗せて、我を忘れてしまうのを全力で押し殺しながら、
「桐崎 洋斗。フォートレスの2年、それと………………『そこ』で行われた実験の生き残りだ」
「 」
とうとう、頭が限界をこえた。
音波?パラレル?山城?電子?ロイ・カー?概念?優勝者?広域観測?実験?科学?シュヴァルツシルト?基盤?洗脳?回路?
辞書にない単語を一気に詰め込まれ、頭の中が白に変わる。
そんな彼女一人に構わず、話は進む。
「……………………………………はっ」
かくして、Dr.マーデルにとってもその一言は少なからず驚きを生むものであった。
「何を言い出すのかと思えば、随分と大仰な嘘をつく。この短時間でそこまで辻褄を合わせたのは称賛に値するが、それを真実と言うわしめる為にはいくら何でも証拠が少な「電気」……………………………」
胸にわいた焦りを誤魔化すために連ねていた言葉の羅列は、洋斗の放ったたった一言の言葉によって歯止めがかけられ、そして一層眼を見張った。
「洋斗…………くん…………?」
追い打ちをかけるように言葉を重ねていく。
「テレビ、ラジカセ、パソコンエアコン。冷蔵庫洗濯機掃除機。電池、ゲーム。電球、蛍光灯、懐中電灯。電気電子電磁気。新幹線、バイク、モノレールに携帯電話…………………こんなの小学生でも分かる常識だ」
それを聞いたマーデルは、
「…………………………………………ふっ。ふふふふ、ふははははははははっ!あはははははははっははははははははははハハハハハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」
突然たがが外れたように声を高らかに笑い始めた。彼にはその単語群の共通点、つまり『こちらの世界には存在しない言葉』という共通項を把握したのである。
洋斗は、全く表情を変えずにその様子を見つめている。
「なんということだ!まさか自分以外の同類、しかもモルモット共の『優勝者』が目の前に現れるとは、運命以外の何と言えようか!!」
「も、モルモットって……………………」
言葉に詰まって硬直していたユリアも、人を虚仮にする発言にさすがに黙っていられなかった。それを気にせず、マーデルはピークに達した気分をもって饒舌に叫んだ。
「そうだろう!あんな山奥で周囲とも関係を絶って生活している?そんなの私の実験に使えって言ってるようなものだろうが!」
「……………………………」
「実験なんかで人の命を弄んで…………………そんなのが許されるわけないです!」
「実験一つの許しをどこで受けると言うんだ?第一…………………」
「……………………………」
何も言い返さず、ただじっと言い分を聞いていた洋斗。だが、次の一言でついに限界を迎える。
「あんなところにいる連中、いてもいなくても変わらんだろうが?どうせ周りに対した影響もないクズだ。せめて最後に私の役に立ったこと、むしろ光栄に思うべきだがね」
ばつんッ
何か切れてはいけないものがはちきれたような、そんな音が白い空間に響いた。
頬に小さな水滴がかかる感触があった。その感覚に従い恐る恐るそこを手でなぞると、その手には赤黒い液体がついている。
ユリアは音のした方に目を向ける。それに映ったのは、こめかみから血を流した洋斗が、一気に地を蹴る姿勢だった。
そして、それを認識した頃には彼はもうそこにいなかった。
再び現れた先はマーデルの真正面。洋斗は突進した勢いを止めず飛びかかり、跳び蹴りをくりだす。
しかし、やはり壁がそれを防ぐ。それでも彼は攻撃を止めない。
蹴りを防いだ壁を足場として、相手の顔を貫く形で逆薙の切っ先を突き出した。
ゴッッッ!!!
雷撃を帯びた刃と、それを防いだ壁とが衝突した。爆散した雷撃が余波となって周囲の床を弾き上げる。
が、届かない。
逆薙の突きは壁に弾かれて、洋斗の身体はその反動でユリアの横まで飛び退いた。
「ひろ……………………っ!!」
その時ユリアの眼に、洋斗の顔を見て取ることができた。
その瞳はフローゼル家で見たあの『穴のような眼』をしていた。
苦痛 悲哀 怒気。そういった負の感情を限界まで詰め込んで、光が喪失するほどに色を失った瞳。
ユリアの背中に冷たいものが流れるのを感じた。
───まずい。
心のどこかにくすぶる何かが警鐘を鳴らす。このままでは良くないことが起こる、そう言って止まない。
「待って…………!!」
彼を引き留めるための言葉は、洋斗の耳には届かなず、再び地を蹴ってマーデルに向かっていってしまう。力無く前に伸ばした手のひらは虚空しか掴んでくれない。洋斗の動きが速すぎて銃で目を覚まさせることも、マーデルへの攻撃における連携を取ることもできない。
ここで、洋斗とユリアの対話が完全に断たれてしまった。
戦場で完全に孤立してしまったユリア。
───ここで洋斗を引き留められなかったことを、彼女はのちに後悔することとなる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
何度も、何度も攻撃し続けている。
し続けているにも関わらず、それら全てが何事もなく防がれる。『打てば響く』ではないが、それが当たり前であるかのように、逆薙を振り下ろした先に、拳を突き出した先に、蹴りを放った先に壁が現れる。
それがなぜなのか?
そんなことを考える頭は、今の洋斗にはない。
今彼の頭にあるのは、『殺す』という言葉のみ。
ユリアが傷ついている事への怒り。
実験一つで故郷を無茶苦茶にされた苛立ち。
そして
父さん母さん含めた村の人たちを馬鹿にされた恨み。
あらゆる怨嗟が胸中でぶつかりあって真っ赤な火花を燃やす。
それでも、頭には感情一つ存在しない。
何も思わず、何も考えず、ただ目の前の敵を殺すために体を動かすことに従事している。
(いけません主様!動きが単調すぎるです!主様ァ!!)
彼の異変を感じ取ったナギが頭に直接叫ぶが、その声も彼には届かない。かといって戦闘の真っ只中で人型に戻るわけにもいかず、最早ただの殺戮の道具と化していた。
本能の赴くままに暴れる獣。
指令に忠実に従うだけの機会人形。
そんな生物と化して眼前の獲物に飛びかかり続ける。
「ふふふ、怒った君は思いの外滑稽だな。動物と戯れているようだが」
この部屋に落ちてきてから一度として動いていないDr.マーデル、その顔には戦場に似つかわしくない呆れの色が現れていた。
「だがもう飽き飽きした。さっさと終いにしよう」
それが自身の反応速度を、ほんの少しだけ遅らせた。それによって、下からせり出して『攻撃を防いでいた』壁の動きが『突き出された刀を上へ跳ね上げる』動きに変わる。
「!?」
先ほどまでとは異なる動作に対応できずバランスを崩した洋斗。そのがら空きになった脇腹に、鈍重な柱の一撃が叩き込まれた。
鈍い音に弾かれて、洋斗の身体は無抵抗にも向かいの壁にぶつけられた。
「ぉぐ……………………あ、ああああ!」
全ては仇敵をこの手で葬るため、洋斗は壁際に手をついて立とうとする。
どすん
「……………………………………ごふ、っ」
肉を貫く生々しい未知の感覚と、背後の壁に突き刺さり石をえぐる音。それを最後に周囲がしん、と静まり返る。
喧騒が静寂に変わる。
身体から熱とか力とかがどろどろと抜けていく。
「ひろとく 洋 ん 」
誰かが駆けてくるような音がわずかに聞こえる。
わずかな力を振り絞って目線を下、正確には自分の腹部に向ける。
脇腹への異物の貫通。
不幸にも、女の子に刃物を刺された父さんと同じ個所だった。
力強い優しさに溢れた父さんを含め、病弱でも暖かい母さんや村を活気づけていた村の人全員を死に追いやったヤツに、今度は自分が殺される。
復讐すら叶わず、父さんと同じところを刺されて………。
…………………………。
負けた。刺された。殺された。
そんな当たり前の事実に気付くことにすら時間を要してしまった。
自分の意識が奈落に沈んでいくのが分かる。
───死ぬ時ってこんな感じなのか
そんなことも考えた。
けど、それ以上に
(…………………………ふざけんな)
親の仇をとれなかったこと、それが何より悔しかった。今すぐにでもあいつに飛びかかってぶん殴ってやりたい。喉を引き裂いて、残酷なまでに叩き潰してやりたい。
あいつに関わる全てを、この手で壊し尽くしてやりたい。
それが、今の洋斗を埋め尽くす心境の全てだ。
だが、その思いとは裏腹に意識の沈降は止まらない。それどころか更に加速している、そんな気さえする。
沈む。
沈む。
ボクが壊す。
沈んでいく意識とすれ違いで、自分の身体に向かっていく陰があった。
ずっと、ずっと我慢してきたけど、もう我慢できない。
君を苦しませるような世界なんて、こんな腐りきった世界なんて
ボクがこの手で消してやる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
どすん
「…………………………………あ」
一番起こってはならないことが、目の前で起こってしまった。いやな予感が的中してしまった。
これは、たちの悪い夢だ。
予感が生み出した幻想だ。
「ああ…………………あああ…………………!」
眼前の光景を前に必死に否定を試みる。
だが、
「…………………………ひろとくん!!!」
そんな浅はかな考えは一瞬にして消し飛んだ。
騒がせていた音は収まり、駆ける靴音と叫ぶ声が鳴り響くのみ。その叫び声に応える声は無い。その事実がユリアを更に追いつめていく。
傍まで走り寄り、彼の身体を抱き抱える。
「洋斗くん!いや、いやァ!!」
彼女の願いとは裏腹に手に伝わってくる熱が小さくなっていく。肌の色も徐々に生気を失っていく。脇腹に空いた穴は感情だけでは埋まってくれない。
腕の中の彼の姿が、あふれる涙で滲んでいった。
自分がもっと戦えていたら
あの時彼を止められていたなら
色々な仮定が頭に浮かび、それらを何一つ実現できなかった自分を呪わずにいられない。
「死んだよ」
さも当然のように残酷な言葉を吐き捨てるDr.マーデル。
「それは最早死に行くだけのただの肉だが」
分かっていた、身体の中では。それでも信じたくはない。「はいそうですか」と認知できるわけがない。
それでも、どんなに拒絶しても真実は残酷にその身の奥まで染みてくる。
「さて、次は君だ。あまり手を煩わせないでくれたまえよ?」
それがユリアの頭に届いた瞬間、
彼女の中で大切な何かが、こわれた。
「……………………………」
奥底の何かが沸き上がってくる、そんな気がした。これは一体、なんなんだろう?
「そこの彼によろしく言っておいてくれ」
「……………………………うるさい」
「それでは、な」
先に洋斗を貫いた棘が、こちらに向かってくる。その先端が鮮血で紅に染まっているのが見えた。
「……………、………な……」
あれが洋斗君を………………
そう思うと、無機物であるあの棘さえも憎らしい。
許せない。
彼女から最も遠いはずの感情、溢れるほどの怒りがその心を埋め尽くす。
そんな忌まわしく思う心に呼応するように───。
「洋斗君に、近づくな…………ッ!!!」
ほんの一瞬だけ、彼女を取り巻く世界の法則が一変した。
まず雲の切れ間から光が射し込むように視界が黄金色に塗り変わる。
棘とユリアの間を遮るように、太陽みたいに眩しく輝く金色の陣が描かれる。
そして、
その陣の向こう側が、光の奔流に圧殺された。
「な…………………!?」
陣から射出された光線はキュ………………ン!と空気を裂く音を鳴らし、貫こうと向かってきていた棘はおろか、マーデルの右肩、佐久間の虚斬りで傷つかなかった外壁さえも一瞬で塵に変え、明かり一つない六甲山の夜空までも引き裂いた。
「はァ…………はァ…………………」
(い、今のって………………っ)
荒く呼吸を繰り返すユリア。だが、まるで陣に意識を吸い取られたような感覚に、体がふらりと横に傾いていく。
しかし、首に絡みついてきた棘のせいで、その身体が床に倒れることは叶わなかった。
「あ゛っ………………く……………………ぅぐ………………ァ!」
棘に身体を持ち上げられ、首から下が宙吊りになる。あの陣のせいか、足掻く力さえも残っていなかった。
「おい、今のは一体なんだ?黄金の生命力、空中に描かれた未知の陣式、そしてあの光線!あんなもの、私は見たことがない!!もう一度聞くぞ、今のは一体なんだ!!」
片腕を消し飛ばされたにも関わらずマーデルはユリアを眼前に引き寄せ、その瞳を睨みつける。
「っふ………………あぁ゛………………」
ユリアには、その質問に答えることができなかった。単純に『首を絞められているから声が出せない』とかそういうことではない。むしろそれ以上にシンプル。
なぜならユリアも、今の陣については何も知らないからだ。
彼女自身地形を変えるほど超弩級の砲撃を練習していたわけではないし、そもそも黄金に塗り替えられた世界も、陣式に刻まれた異様な記号も、何もない空中に陣を描く技術も、彼女には心当たりがなかった。
そんな彼女の頭に浮かぶ疑問符など、マーデルには興味一つないことだ。
「……………………………まぁいい。後でその胸を引き裂けば何か分かるやも知れん。なに、恥辱を感じる必要はない。被験体の性別など、レポートの記入に用いる程度の些細なことだが」
そういってそっと胸部の中央に指を突き立てるが、進行形で首を絞められているユリアに逐一反応している余裕はない。
「ッッ!?……………づぁ゛ぁ゛……………か゛……ハ……!!」
巻きついた棘がさらに絞まる。呼吸の有無を通り越して首の後ろ、背骨の部分からギリギリと嫌な音が鳴り始めた。
(だ、ダメ………………いしき………が…………………!)
もがく手足も徐々に力を失っていく。視界も少しずつ彩度が消えていく。
体内の酸素が費えて死ぬか、血流停止で脳が壊れて死ぬか、背骨がへし折られて死ぬか。
探る選択肢の中に『生きる』という言葉はない。
洋斗君は先に逝ってしまった。
佐久間先生もここにはいない。
未来に光が見えないのだ。
(もう、ダメ…………………)
手放された希望のように、虚ろな眼から一粒の涙がこぼれ落ちる。
その時、
( ………………?)
薄れゆく意識の中で、ユリアは何か、気配のようなものを感じた。横の方から肌を焼くような熱を感じた。
ごうっ!と
大気の流れが変わる。視界にわずかに赤が差しているのが見えた。
(………………………………この方は……………………?)
マーデルは、熱と同じ方向を向いて驚愕を見せている。
首の絞まる力が弱まったのか、背骨の軋みが軽くなっていたことにユリアは気付いていない。そして、そのおかげで首を回せるだけの余裕ができていることも。
わずかに首を回し、横目でその方を見た。その先で
「な………………………」
洋斗君の身体が赤黒い雷撃を放っていた。
入り口に首を突っ込んで直接地獄を見ているかのようだった。
洋斗君の能力である雷は、確か空のような澄んだ青色だったはずだ。しかし、今の洋斗君はそれとは全く違う。まるで身体の周りを血が渦巻いているかのようにも見える。
ぞぞぞぞぞぞぞぞ!!と背筋に恐怖が走るのを感じた。
シマウマがライオンに対して感じているであろう、遺伝子に刻まれた本能的な恐怖だった。
だらりと垂れ下がっていた彼の腕が、動く。
動くはずのない腕を静かに動かし、自分の脇腹に空いた穴にゆっくりと差し込む。
そして、
バヂンッ!と穴の中で雷撃の炸裂音が打ち鳴らされた。
彼の体が大きく跳ねる。しかし体内を電流が走ったはずなのに彼の動作には一切の迷いがなかった。
それからゆらりと立ち上がる。穴の肉は焼け焦げ、流血が止まっていた。
その姿は、眠りから醒めた『破壊』。
だが覚醒に歓喜し咆哮をまき散らすでもなく狂気に身を任せて暴れ回るでもなく、ただ静かにゆったりと呆然としていた。
赤黒い雷撃に包まれた手のひらをこちらに、伸ばした。それから放たれたのもまた、どす黒い赤色の雷撃だった。
マーデルは後ろに飛んでそれをよけたが、雷撃はユリアの首を縛っていた棘を貫き、消し飛ばした。
ユリアの身体が荒々しく床に落とされる。
「ぐ、げほ!けほ!」
数分ぶりの新鮮な空気に歓喜するように咳き込む。
丁度その時、彼は傍に落ちていた逆薙を拾うところだった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
彼が逆薙を掴んでくれたおかげで、ナギもようやく洋斗に声をかけることが出来るようになった。
(主様!主様ぁ!!ご無事で何よ……………り……………………)
そして、身体だけでなく心でもリンクしているナギは、すぐに彼の異変に気付いた。
(あなた…………………一体何者です?)
彼は間違いなく自分のご主人『桐崎 洋斗』ではない。手に伝わる感触は我が主として慣れ親しんだものであるはずなのに、そこから伝わってくる気迫が全くの異質なのだ。
そこにあるはずの命の息吹は無く、中を巡っていたのは妖気の類のものだった。それも過去九百年にわたって何度か感じてきた中で最も強く、今まで存在に気づけなかったのが不思議なほどだ。これほどの物は早々滅多に現れるようなものではないため、これなら歴史に名を残す程の妖怪であるはずだ、と読んでの先の質問である。
…………………………。
相手はしばらく無言だった。
話すことが出来ないのかと考え、ナギが二の句を継ごうとしたその時だった。
相手の口が、動く。
(…………?)
何かを喋っているのは確かだが、音が伝わってくることはなかった。
その代わりナギの体に流れてきたのは主が普段自分に流しているのと同じ、力。
(ひっ!?こ、これはまさか…………………う゛!?)
しかし、全てを飲み込むような黒が入り込んできた瞬間ナギを襲ったのは、強烈な『死』の奔流だった。
(うあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああ゛ああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああ゛ああ゛あ゛あ゛あ゛ああ゛あ゛ああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああ゛ああ゛あ゛ああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!??)
根は主の能力であるはずなのに、自身の身体が全くそれを受け付けない。拒絶すべき物を体内にねじ込まれてナギは身体の底から悲鳴を上げる。
例えるなら、全身を動き回る大量のゴキブリ。
例えるなら、体内を這い回る大量のナメクジ。
身体、思考、精神。それら全てを死で犯され、意識がトびかけるほどの恐怖で発狂寸前まで追いつめられる。
このままでは自分が崩壊してしまう。
心がそう警鐘を鳴らしたときには、ヒューズが焼き切れるように、すでに人型に『具現』していた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
「あっ…………………あぁぁ………………………っ!」
洋斗の手元から小さなフラッシュがたかれると、そこにいたのは身体を丸めてうずくまるナギだった。頭を抱え込んでガタガタと身を震わせている。
「………………………………」
それを一瞥した洋斗は一言声をかけることもせず、その瞳をユリアに向けた。
「……………!?」
自分の頭に何かが突き刺さる。
ユリアは一瞬そんな幻覚を見た。
深紅へとその色を変えた彼の瞳。それと目を合わせただけで、眉間を貫かれたと感じてしまうほどのプレッシャーが襲いかかる。眼を背けることも出来ずただその重圧を前に萎縮するほかなかった。
だがユリアの不安とは裏腹に何もされることはない。
攻撃されることも警戒されることもない。
そのかわり、駆け寄ることも声をかけることもない。
彼はその深紅の瞳で20m先にいるマーデルを見据える。その眼に込められた感情はない。
瞬時に地面を蹴った。
その距離をダッシュで詰める。
マーデルは対処すべきか迷ったが一度は様子を見ることに決めた。心配は無用だ、『身体が勝手に守ってくれるのだから』。
距離を2mまで詰め、流れるように右腕を引き、脇で拳を固める。腕には赤黒い雷撃がまとわりつき、彼の顔を不気味に照らす。
彼の接近に反応し、マーデルの能力が『指示通り』壁を作り出し、彼らの間を遮る。
その壁に洋斗はその拳を、躊躇なく放った。
その瞬間、空間から音が消えた。
さらにその一瞬後、叩きつけるような衝撃波と建物を爆破したような轟音がその場にいた人間の全身を打つ。
「…………………………」
(この破壊力、それにあの雷撃に眼の色…………………間違いない!!)
洋斗の一撃は間の壁を粉砕しマーデルの左半身も消し飛ばしていた。
先ほどまで傷を入らなかった壁を容易く壊して見せた。硬度の上がる分子配合を研究した時間は決して短くはないが、その研究も文字通り塵と化してしまった。
たった一発受けただけでマーデルの体は萎縮し、身を震わせる。そして、それをふまえた情報群の結合により、
彼は一つの『回答』を導き出した。
「…………………ははは、ふははははははははははははっ!あっはははははははははははははははははは!!!」
マーデルの口からこぼれたのは狂喜の笑い声だった。
「面白い面白い面白い!!今日という日がまさかここまで素晴らしいものだったとはァ!!」
たとえ研究成果が無に帰すことになっても、たとえ結果的に両腕を失った状態まで追いつめられても。
目の前に彼の好奇心を揺さぶるものがあるなら、これほど素晴らしいことはない。
「一体なぜ封印されているはずの『鬼』がこんな所にいるのかは知らないが、『鬼』の男と不明な力を持つ女の二人が一挙に私の前に現れるとは!!いい、いいぞ!是非とも研究させてくれ!!」
「お、鬼って…………………………………」
ユリアがナギの背中をさすりながら呟く。
この世界のこの時代で『鬼』といえば、日本の現代人なら必ず14年前に京都・大江山にもたらされた大災害を思い浮かべる。
『鬼神ノ災禍』。
多大な被害をもたらした災害に付けられた名前である。
にわかにも信じられないが、芦屋から耳にした話と特徴が一致していた。
まさか、そんな…………………。
ユリアは、未だ吹き荒れる爆風にもまれる彼の姿を見つめる。背筋をなぞるあの恐怖感が再び彼女を襲った。
「これまでの非礼をわびよう鬼神様。これより私も総力を挙げて貴方を迎えよう!!」
そう叫んだマーデルの両サイドの床から棘が延び、
失われたマーデルの肩口に突き刺さった。
ゴリュ!と、人間の身体から聞くことはない音が鳴り響き、刺さった棘が元の腕の形に変化していき、最終的に元の五体満足に戻ってしまった。
───異世界にいたDr.マーデルがこの世界に戻ってまず始めたのが、自信の身体を用いた人体実験だった。
人体をいじくり回し、その身体に機械を埋め込んだ上でそれが自身の持つ土属性の能力とのリンクが可能かを研究したのである。
これまで人体の認識外からの不意の攻撃に対応していたのは自身の脳ではなく体内にある位相変調連続波レーダーによるレスポンスだ。
本来、ただ電波をとばしてその反射波を読むだけでは方向しか把握できず、三次元的な座標を特定するには最低3ヶ所の発信源が必要となる。それを一つで済ませようとしたのがこのレーダー。これは発射電波の位相を周期的に変化させながら放射し続ける。それにより、標的に当たって反射してきた受信波と送信波の位相差から距離を、受信波が返ってきた方向から方位を把握でき、同時に単独で相手の座標を特定できる。
元の世界では航空管制や空軍で用いられているこの技術だが、マーデルはこれを敵の座標特定に利用している。常に座標を特定し『ある一定距離接近したときに、その方向に壁を張る』というプログラムを組む。そして、身体の至る所にあるとされる『噴出点』に生命力を流し、研究成果である特殊な土を操作して壁を作る。そうすることで、たとえ高速移動していても、たとえ相手が透明であっても、労せず身体を守護してくれる。
また、自身の身体に用いられている部品のパーツデータは全て研究所内のどこかにあるマスターデータにインプットされており、土属性の能力を使えば先程のように失ったパーツを『創造し直す』という形で身体を復元することが可能で身体の複製も可能だ。研究所の素材である『研究成果』も、身体の動きに支障を来さぬよう重量、硬度などは調整済み。
そう、Dr.マーデルもまた『生命力=電子』の方程式に到達し、さらにその上双方のテクノロジーの融合まで実現していたのである。
しかし、
そんな無限ともいえる可能性を従える『イレギュラー』でさえも、怪物の赤い雷撃はその圧倒的な力でねじ伏せる。
洋斗が腕を振ればそこにあるものが消し飛んでしまう。それほどの力を奮っていた。
歴史に残るほどの破壊の力と時空を越えた再生の力が、一つの空間で好き放題にぶつかり合う。
「きゃ……………っ!」
「うぅ……………」
ユリアとナギは吹き荒れる爆風と飛び散る瓦礫からその身を守ることで精一杯だった。轟音が響く度に、ユリアがさするナギの背中がビクリと揺れる。繰り返される破壊を目の前にして恐怖に身を固めていた。
(どうして………………なんでこんなことに………………?)
最早あの中に身を投じて洋斗を手助けするという考えは浮かばなかった。さっき自分に向けられた赤い瞳が彼女の戦意すらも叩き壊している。何もかもを投げ捨てて今すぐここから逃げ出したい。幾度となくそんなことが頭をよぎっていく。
だが、逃げられない。
ナギちゃんや洋斗君を置いていくことは出来ない───という正義感からではない。あの瞳を見たときから、見えない鎖でその身を絡め取られ、長い杭で縫い止められてしまって脚が全く動いてくれない。逃げることも出来ず、立ち向かうことも出来ず、ただ世界の終わりのような目の前の現状を脳裏に焼き付けるしかなかった。
生まれては消され、生まれては消されを繰り返すDr.マーデルのパーツたち。飛び交う蚊を叩くように、地形諸共それらを消し去っていく桐崎 洋斗。
───延々と続くと思われた地獄は、
がくんっ!、と。
洋斗が突然動きを止めたことで一時の終止符が打たれた。
「………………………ッ!?ぁああ!!がアアアアアアアア!!!」
獣のような咆哮をあげ、それと呼応するように周囲の雷撃がより一層威力を増して周囲を暴れ回る。
この状況を好機と見たマーデルは、すかさず棘を数本突き出すが、荒れ狂う雷撃に触れたそばから消し飛ばされ、本体を傷つけることが出来ない。そして洋斗の方はその事などには目もくれていなかった。
「……………………洋斗君……………!」
一層強くなって顔を叩く熱気に顔を覆いながら、彼の姿を見つめる。
その姿は、苦しんでいるようにも、何かに抗っているようにも見えた。




