9章-4:紫禁分裂編・終幕
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東の方で、また爆発音が響いた。
しかもさっきよりも距離が近い。確か紫禁城の中枢はそこにあったはずだ。
そう思って足をそちらに向ける。
正しかったみたいだ。
確実に爆発音は近づいている。
それ以上に、かなりの衛兵が建物の周りに集まっている。みんな武器を携えているが、突入しようとしている風には見えない。
心が訴えていた。
「彼女はここにいる。誰かと一戦交えている」と。
そう思うと、居ても立ってもいられなかった。
足元に生命力を流し、自分が乗れるくらいの太さがある角柱をせり出させる。そして、角柱の上に乗ってから一気に伸ばした。
芦屋を載せた柱は、障害を飛び越える馬のように衛兵の群衆を飛び越えて、白い土台の上にそびえる大きな建物へと向かっていく。
「彼女に何かあるかもしれない」
そう頭によぎっただけで、自分の足は勝手に動いていた。手段を選ぶ時間すら惜しくなっていた。今なら、目的のためなら手段を選ばない。犯罪だって犯してみせるだろう。
多分、この気持ちが、きっと………………………
柱はぽっかりと口を開けた黒い煤付きの大穴をうまく抜けて、一気に建物内へと突っ込んだ。
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『ッッ!!???!』
微睡んでいた意識は、何かが壁を突き破る音によりたたき戻された。何が起こったかわからず、二の句が継げずポカンとしている。
眼は一気に覚醒させられて、最早壁にすら見えるほど厚みのある土の柱を写し込む。
ただでさえイカれていた聴覚は、その轟音で更に麻痺を起こす。
───特に、耳と眼が大分やられてしまったようだ。
柱の上から、『アイツ』が降りてくるのまで見えてしまっている。こちら側に背中が向けられているため顔が見えない。
だから、多分幻覚だ。
「間に合った、みたいだね」
オマケに、『アイツ』の声が、その背中から聞こえてしまっている。顔が見えないから、音の発生源を視認できない。
だから、多分幻聴だ。
全部、私の『願望』が生んだビジョンだ。
その証拠に、意識の覚醒にしたがってそのビジョンがボヤけてくる。ビデオのレンズに水が溜まっていくかのように。
「大丈夫か、ってのは愚問だね。でも、無事で良かった」
『………………な、なん……………?」
居るはずがない。それ以上に、会ってはいけないはずだ。
なのに、なぜ自分は日本語で話しかけている?
なのに、なぜ自分の心の中に歓喜の感情がある?
なのに、なぜ自分はぽろぽろ涙を流している?
───まるで、彼と再会することを心の底から望んでいたかのように。
普段は小さく縮こまって大人しくしているイメージであるはずの彼の背中は、今はとても大きく逞しく、堂々と力強く格好良く見える。学生の一人としての背中ではなく、多くの人の命を抱える総長の背中、そして後ろにいる誰かのために命を懸ける勇者の背中だった。
「今は休んでて。ここからは僕がやる」
ソイツが頭だけ反転させて、私を捉える。
なぜだろう。
私は芦屋の顔を見ただけで安堵している。
───いや、もういい。悔やむのは止めだ。
会ってしまったことについては百歩譲って妥協する。
ただ、一つだけ
私は今、芦屋に相対できるほどの人間になれてるか?
答えは、否。
だが、『強くなるまで会わない』と決めていたが、今会ってしまっている。だったら、せめて『強くなろうと足掻いている』所を示さなければ。
「………………ふざけ、ないで………!」
そう思うと、不思議と自分の身体に力が戻るのが分かる。
身体を力なく揺らしながらも、槍を支えにして鈴麗は立ち上がる。
なぜか、立ち上がれる。
最後の一撃を受けた時点で私は終わっていた。それに再び力と希望を与えてくれたのは、紛れもない、芦屋 道行その人だ。
「まだ……………やれるわ………ッ!」
私は涙を拭いながら、振り絞るような口調でそんなことを口走る。ついさっきまで『おわった』なんて考えていたにも関わらず。
限界なんて、とうに越えている。自覚もある。なのに、同時にまだやれるとも考えている。これも自覚あり。
おかしな気分だ。
無くなった体力にあわせて、体が軽くなっていくような、そんな気分。
鈴麗はそれを感じて、小さく、笑った。
もしかしたら、この気持ちはきっと…………………
「いや、ウソ。やっぱ歩くのは辛いわ。もう少し休ませて」
だがみなぎっていた力は所詮ただの強がりで、鈴麗は肉体への抵抗を諦めてドサリと床にへたり込む。
「ははは、了解」
芦屋はそれに苦笑を交えて答えた。
「………アイツ、属性は風だけど、キモい見た目の割にやるわよ」
「まあ鈴麗がそんな風になるくらいだからね」
「…………………それ、どーゆーいみ?私が弱いって事?」
「『あんなに強い鈴麗が…………』って意味」
「許す」
言葉だけあげれば仲むつまじい会話なのだが、場所は戦場。
部屋の端から端まで貫いていた柱が急に音を立てて砕かれ、その会話を断絶する。そこには、爆風で服をなびかせる恩来の姿。
「チッ!あのクソタヌキ、生きてたか…………」
「覚悟はしてたよ」
『貴様……………そのガキの連れか?邪魔しおって…………!』
「………………やっぱり何言ってるか分かんないや。怒ってるのは分かるんだけど」
「別に、気にしなくても良いわ。無視無視」
『日本人…………貴様、あのホテルから逃げたのか』
「あ゛ァ?……………………ごめん。言い忘れてたことがあったんだけど」
「鈴麗、どうしたの?」
「アイツよ。修学旅行のホテルを襲わせたのは」
「…………そうなんだ」
「反応薄いわね。怒るとか無いの?」
「相手が人民解放軍だったから、ある程度想像がついてたんだよね」
「………………芦屋、アンタホントに物知りね。仰天するわ」
「それに、鈴麗が怪我してるってだけで、怒るには十分だからさ」
「な………っ!?よ、よくそんな恥ずかしいセリフ堂々と言えるわね!そっちも仰天するわ!」
「そういう時もあるんだよ。ほら、来るんじゃない?」
芦屋は地面に手を突き、壁を立たせる。
ズゥン、と何かがぶつかる音が壁から響き、土壁に亀裂が走る。
揺れが収まったとみるや、芦屋は壁の陰から飛び出し、横に走り抜ける。それに追いつき、併走するように壁が横に裾を伸ばし、常に芦屋を気圧からガードしていた。
時間にして10秒ほど、恩来の視線が100°ほど回ったところで。
『クドい!!』
恩来は痺れを切らして、最大圧力で併走する壁を主人もろとも破壊した。
───はずだが、
『?』
そこに主人の陰は無かった。
(な、一体どこに…………!)
そんな思考を巡らす暇もなく、
『元々芦屋がいた、鈴麗がへたり込んでいる方から』柱が伸びてきた。
『な……………っ!?』
(このガキ、壁のどこかで逆走して……………!)
ギリギリだった。速度も、強度も。
気圧操作で一定範囲の空気を圧縮して生み出す障壁。
すんでのところで障壁の生成に成功。そこに柱が突っ込んだ。
障壁はあくまで空気なので、衝突音はない。だが耐久限界はあり、それを越える衝撃を受けると一陣の風となって霧散してしまう構造となっている。その上限は指定範囲を広くすれば大きくなるが、集める空気の体積が増える分形成までの時間が増える。
普段ならそこまで気にする時間差ではないが、今回に限ってはそれすら惜しいほどに切羽詰まっていた。
もう少し小さかったら砕けていた、恩来はそう心の中で冷や汗を流す。
柱は力を失って止まっている。
芦屋は、その『柱の上で』掌を当てていた。
一本の柱の左右から一本ずつ、二周り細い柱を伸ばして挟み込むように迫る。恩来は後方に飛ぶことで回避。柱はぶつかって混じり合い、元の柱に戻っていく。
『ふんっ!』
距離を置いて着地し、芦屋の頭上へと気圧の砲弾を叩き落とした。
ずん!と背中を押されて、前傾姿勢で手を置いていた芦屋は腹から顔ごと柱に叩きつけられる。
「芦屋ァ!」
心配から鈴麗も自然と声を荒げる。
───が、彼の意識はしっかりと下の柱に向いていた。
「う゛……………………………あ゛ァッ!」
柱のうち、自分が押しつけられている部分だけを横にスライドさせる。
それだけで、身体を圧していた重みは消えた。
「はァ……………っはァ……………………っ!」
圧迫されていた肺が空気を求めて呼吸を促す。急激な減圧で頭痛に襲われるが、それでも柱を転がり降りて距離をとる。
ズキズキする頭に、先ほどについての考察を並べていく。
(多分………………えっと、タヌキさん?は多分操作範囲は限定的。一直線、とか、一平面、とか。そう言う単純な範囲指定しかできない。柱を少しずらしただけで回避できたから間違ってないはずだ。しかも定義は一つ。一つ指定範囲を定義するには既存の一つをキャンセルしなきゃいけない。一発の威力重視の戦車タイプ、か。確かに風属性には珍しいな。だとすれば…………)
(…………………………………………………………どうしよう)
威力重視の戦車タイプ。
それにできる対抗策として一番効くことは、『狙いが定まらぬようにチョコマカと動き回る事』だ。
だが、
芦屋は戦闘スタイルの性質上、必ず停止しなければならない。これは土属性における宿命であり、改善すべき最大のテーマで、土属性の攻撃タイプがほとんどいない理由の一つでもある。
先ほどの対抗策は主にスピード重視である雷属性の領分だ。
どうしたものか?
そう考えていたときに、
「…………そうだ」
芦屋は、閃いた。
ひとまず手を床に置き、指示とともに生命力を流す。
造ったのは、面積1m四方、厚さ10cmほどの板。
その上に乗り、手を当てて板に再び生命力を流した。
すると。
その板が芦屋を乗せてスライドした。速度は一般人が全力疾走したくらい。
(おおっ!思ったより操作は楽だし、これならいける!)
その速度で避けれるなら普通に走った方がいいのでは?───と、思う人もいるかもしれない。
だが、この移動法の最大の利点は、『地面に手をついたまま移動できる』という点にある。
よって、
『く、そ!チョコマカと…………っ!』
恩来の狙いを攪乱させて的をずらしながらも、別の柱を動かしての攻撃が可能になる。
需要の少なさ故、『生活における能力の応用法』は研究が進んでも『戦闘における能力の応用法』は正直なところほぼ独学状態だ。故に能力使いごとに相性の合う戦闘スタイルを確立していくのだが、もし研究が進んでいたなら、これも直ぐに発見・導入されていただろう。
───それはさておき
恩来は奥に吹き飛ばす方向で気圧を向けるが、芦屋がくねくね動き回る事によってその定義を回避されてしまう。
その一つを空振りしたところで、
芦屋の操作した柱が突っ込んできた。
『ぐ………っ!』
芦屋が攻撃直後を狙っていたこともあり、定義の変換にラグが生じて形成が間に合わないと判断。思考を回避にシフトし、横に飛んで柱をかわす。
その足がまだ地に着かないところで、すでに二本目の柱は迫っていた。
足が着かないため方向転換はできない。が、時間の余裕はあった。空間を仕切るように平面を定義し、障壁を張る。力を受けているものの、そこで柱は止まっていた。
『私のこと、忘れてない?』
反射で声のした方に顔を向ける。
そこには、鋭く光る槍の穂先がすでに間近に迫っていた。
『ッッ!!?』
移動もできない。自分はまだわずかに空中にいる。
障壁も出せない。障壁が防いでいる柱はまだ力を失ってはいない。
恩来は、全力で頭を横に傾げる。
ざしゅ、と音を立てて、恩来の片耳が飛んだ。
耳の付け根に当たる部分突き刺すような激痛で脳天を貫く。それで意識が揺らいだ。
そのせいで、気圧の障壁が消失する。
動きを止められていた柱が動き出す。そのまま恩来に衝突し、向かいの壁に押し飛ばした。
空しく響く轟音。それが収まると轟音は無音の静寂へと変わって部屋を包んだ。
「もう動けるの?」
「ええ、もう大丈夫よ。アンタのおかげで一矢報いることができたわ」
「まだ生きてはいるだろうけどね」
そう言って二人は身構えているが、いつまで経っても粉塵は晴れないし、音沙汰もない。
……………………………………。
「「まさか……………………………っ!!!」」
鈴麗が粉塵に槍を突き出し、穂先で小爆発を起こすことでそれを分散させる。
ぽっかりと大きな穴があいており、恩来の姿はなかった。
「アイツ、逃げやがった!!」
「あのタヌキさんは!?」
「ぷフっ!た、タヌ…………あ!芦屋、あそこ!」
鈴麗が文華殿の外、その斜め上空を指し示す。そこには夕日に照らされて空中を漂う恩来の姿があった。
「鈴麗!」
「何よ!」
それを見て悩む時間もなく芦屋が叫んだ。
「行くよ!あそこに!」
空中にいる恩来の背中を指差して。
「……………………はい?」
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『ひぅ゛ッ…………く、くそ!』
恩来は、能力を使って飛行していた。速度は駆け足程度で、たまにバランスを崩してよろめいている。
(ガキのくせに俺の邪魔しやがって…………まぁいい。機会はまだいくらでもある。ひとまずチベットの方へ……………………ん?)
ある程度も距離をとることに成功したため、油断が生じたのかもしれない。
押さえる耳の所から吹き出る血潮を肌で感じながら熟考していた恩来は、もう片方の耳で、何かが風を切って迫る音を聞く。もちろん振り返って後ろに目を向けるが、その目は驚きで見張ることとなった。
およそ5m四方程もある巨岩が飛んできていた。
(これは、男の方のガキか!!)
心の内で悪態をつくが、それではこいつは止まらない。慣れない空中という場所にいることもあって、遠近感が狂うほどの巨岩が迫る。
恩来は、生命力不足でスピードが出せないことから躱すことは出来ないと見なした。
今出来る限りの最大範囲を定義して障壁を形成し、来たる衝撃を待ち受ける。
二つが、激突した。
空気の圧迫によって周囲に強風が吹き荒れる。激突による空気の振動で、腹にのしかかるような特異な重低音が響く。
だが、押し負けている。
今は防いでいるが、少しずつ押し込まれているのを、恩来は自覚した。
このままでは、圧殺される。
(このまま消されるなら、いっそ……………!)
恩来はその範囲への指示を変更。
障壁そのものを、岩もろとも炸裂させた。
これで、障壁は消えるが、岩を巻き添えにしたことで、決定的な時間を生むことが出来る───そう、考えていた。
その後の光景を見るまでは。
表面の砕けた巨岩。その中に、槍に炎をまとわせた鈴麗が入っていた。
鈴麗が、砕けたことで空いた穴から飛び出し、空中の恩来へと一直線に向かっていく。
横に飛んで逃げる暇はない。
障壁は、先ほど砕けてからの定義付けが間に合わない。
『はあああああああぁあぁあああぁああっ!』
狼狽える恩来を一瞥し、槍の穂先をその腹に突き出した。
尖った炎が肉を焦がし、そこを穂先が切り裂く。その肉を抉る感触をその手に受けて。
恩来の身体に大きな穴を穿ち、恩来を貫いた。
身体に刺さる槍は自然と抜け、力を失った身体は下へと落ちていった。
「鈴麗!」
芦屋は岩の柄をスライドして鈴麗の元へ駆けつけ、落下を始める鈴麗を抱き留めた。
芦屋の腕に抱えられた鈴麗は、わずかに頬を染めながらも槍を腕輪に戻す。
「………………………………終わったんだよね?」
オレンジ色の暖かい光を身体に受けて、もう日が傾いていることに初めて気づく。
夕日に照らされて、芦屋は下を見ながらぽつりと呟いた。
「うん、多分。計画の主犯が居なくなったし、一連の騒動も収まっていくはずよ」
本格的に解決へと動き出すのは明日からになるが、まずは恩来の死体を捜索することから始まるだろう。それからは紫禁城の修復に、行方不明だった鈴麗の件も含めた事情説明と弁明。事態の収束には多くの時間が必要となるだろう。
「聞いて?」
鈴麗は橙色の空を見上げる形で芦屋の顔を伺う。
「ん?」
「この騒動の原因はね、私にあるの。私が中華民国から逃げ出して、それで帰ってくるタイミングが修学旅行と重なって、それを『私を追って着いてきた悪人』と勘違いさせられた。っていうのが騒動の発端なの。それをあのタヌキが利用して、生徒を襲って日本に攻め込むための火種にするつもりだったの」
「それで、僕たちのホテルに人民解放軍が来た、と?」
「中華民国に侵入した『賊』を排除するためにね。だから、これらの責任は少なからず私にある。そもそも、私が中華民国から出なかったらこんな事は起こらなかった。その責任をとるための一環としてこの騒動を止めようとしてタヌキと闘ったのよ。けど……………」
鈴麗は芦屋の腕の中でふっ、と顔を伏せる。その瞳に暗い影が差した。
「結局助けられちゃった。私もそうだけど、何より、国の命運まで芦屋に預けちゃった…………私だけじゃなくて、ただ巻き込まれただけの芦屋まで危険な目に遭わせちゃった。何ではるばるここまで来たのか───なんてこの際置いとく。けど、私一人が償うべき事を手伝わせちゃった……………っ」
両腕で顔を覆い隠し、それで自分の両目をこする。
それでも、後悔と自責の念で溢れ出す涙は拭いきれなかった。
「ごめん、なさい。ホントに、ごめんなさい…………………っ!」
ぽろぽろ涙をこぼしながら、取り憑かれたように謝り続ける鈴麗。
いつも気丈な振る舞いを見せる鈴麗が、初めて弱さを見せた瞬間だった。
「気にすることは、ないさ」
「…………………………ぇ?」
その懺悔に、芦屋は静かに答えた。
「僕が助けたいと思ったから助けたんだ。それも、国なんかじゃなくて、鈴麗を助けたかったんだ。それが国を救ったかどうかなんて、正直言って全く興味ない。鈴麗を苦しめるような国なら即刻滅べばいいんだ」
「…………………それ、皇女の前で言うセリフ?」
「……………ごめん冗談だよ。けど逆に、国を救うことが鈴麗を救うことになるなら、僕は身を粉にしてでも救ってみせる。そんな僕だから鈴麗は別に気にしなくても良いし、『クラスメートが憂い晴らしの邪魔してきた』程度に思っていればいい」
「芦屋…………………………」
鈴麗に潤んだ視線を向けられて、芦屋は思わずしどろもどろになる。
「だ、大丈夫!鈴麗は必ず皇帝に相応しい人になれる!」
「え?」
無言を励まし不足とみなしたのか、芦屋が余りに唐突に話題が変えてきたため、キョトンとする時間が出来てしまった。無論、涙を流したまま。
それでも、芦屋は目の前の女の子を励ますために声を大にして語りかける。
「僕が一門ごときを統治するのにこんなに時間がかかってるんだ!鈴麗ならいつか必ずなれる!僕が保証する!」
芦屋があまりにムキになって自分を励ましてくるもんだから、
鈴麗は思わず口を緩ませてしまった。
「………………いいのかな」
「?」
「アンタを頼っても、いいのかな」
「いいさ。こんな弱い僕でよければ」
この言葉だけで、心が温かくなるのがわかる。芦屋には、自然と人の心を解きほぐす魔力がある。この時鈴麗はわりと本気でそう思った。あと、
(アンタは、ずっと強いよ)
これを口に出すと長くなりそうなので、これは心に留めておく。
少し気が緩んだのか鈴麗は、なぜか芦屋をいじめてみたくなった。少しだけ脆くなった彼女の心は、それを癒やしてくれる言葉を求めた。
「そういえば、さ…………」
「ん?」
「アンタ、何か私に言いたい事があるんじゃないの?」
「え、何のこと?」
「私だってアニメの主人公みたく鈍感スキルがある訳じゃないから、アンタが私をどう思ってるかなんてお見通しよ」
「な……………っ!!??」
思わぬタイミングで思わぬパンチを食らい、顔を真っ赤にする芦屋。
それを見て、してやったりの小悪魔笑顔のままで、
「いいじゃない、言いなよ……………」
「今なら、何でもオッケーしちゃうかも…………ね?」
鈴麗は涙目に上目遣いも添えて追い打ちをかけた。
助けに来たときのあの背中を見た瞬間に、多分私は一目で惚れ直してしまったのだろう。
今私が聞きたい、たった一つの言葉。
それを芦屋から言って欲しいという、私が言葉の裏に潜めるわがまま。
それを受けて、
「ぇ…………………ぁぅ……………………」
芦屋はもうダウン寸前だった。
もう鈴麗の魅力に頭はグラグラ、全身から汗と熱が吹き出す。
時は夕方、日は半分ほど沈み、鮮やかなオレンジ色の空と、それ以上に鮮やかで眩しい太陽の光が二人を包む。場所は上空、文華殿から長く延びる土の柱の上で鈴麗の細い身体を抱きかかえている。邪魔者など存在しない。
あれ、
もしかして、今しかない…………………?
そう思う頃には、口が自然と動いていた。
「その、好きです…………付き合って下さい」
「ごめんなさい」
「 へ?」
言ってしまったー!と我を振り返る───そんな暇もなかった。
「え?アレ?オッケーしちゃうって……………ヱ?」
「かも、ってつけたわよ?それにね、ここまでの騒ぎを起こしちゃったもの。学校にも被害生んじゃったし。だから、もう『黄 鈴麗』としてあそこに戻るなんて出来ないわ。みんなに迷惑かけたこと全部忘れて笑って席に座るなんて、そんなこと私自身が許せない。だから『黄 鈴麗』は芦屋とも付き合えない」
「………………………」
「そんな死ぬ間際みたいな顔しないでよ。あ、安心しなさいっ!必ずまた会いに日本に行くわ。どれだけ時間ががかっても、私は必ず、全速力で芦屋に会いに行く!だから、それまで……………待っててくれる?」
「そ、それはもちろん………………」
「じゃあ約束!その証拠が必要ね」
そういった鈴麗の顔が急に大きくなった。
あぁ、顔が近づいてきているのか。
───そうわかった瞬間
唇に、何かやわらかいものが、触れた。
「 」
( )
思考が、停止した。
触れ合っていた唇が時間を惜しむようにゆっくりと離れる。
「これでアンタの『味』は覚えたわ」
水平線に浮かぶ太陽よりも赤く燃える頬を携え、鈴麗は唇に指を当てて言った。
「他の人に上書きなんてされたら、許さないからね!」
そういって夕日よりも眩しく輝く笑顔で笑うもんだから
「………………………うん」
2文字喋るのが限界だった。
こうして、中華民国で起こった一連の事件は、沈む夕日とともに終わりを告げた。
ー2013.02.12ー
所変わって、日本・フォートレス能力専門高等学校1-D教室。
「はぁ…………………」
あれから、何度目かも分からないため息をまた一つ。
今は祝日明けの火曜日の朝。まだホームルームも始まっていないくらいの早朝だ。
そんな教室の一角、机の一つに。
組んだ腕に頭を埋めている少年が一人。
彼の名を、芦屋 道行という。
「今日もあんな調子か…………」
「早く元気になるといいですね…………」
その様子を見て、洋斗とユリアもまたため息をこぼした。
修学旅行以来───というよりあの事件以来、芦屋はずっと『心、ここにあらず』で常に上の空、完全な無気力状態だった。
もちろん二人は芦屋の恋心を知っているため、鈴麗が日本に帰ってこれなかったのが寂しいんだろう、と思う事にしている。だからどう声をかけていいかも分からないのである。彼を渦巻く恋煩いは、世間で思うよりも重く、複雑なものだった。
そのままホームルームの時間を知らせるチャイムが鳴る。
それとともに橘先生が入ってきたことで、生徒が各自の席に戻っていく。その動作が終わったのを確認したところで、橘 奏はこう切り出した。
「えー、まず最初にお知らせです。今日から、このクラスに転校生が入ってきます」
クラスが小さなざわめきに包まれる。
「誰だ、こんな時に………」
「さぁ…………」
洋斗、ユリアもその例外ではない。
「………………………」
芦屋は例外だった。
「さあ、入ってください!」
橘先生が扉の方へと呼びかける。それに併せて、扉の開く音と靴音が響く。
ざわめきが、どよめきに変わった。
───芦屋にはどうでもいいことだった。
顔を囲い込む両腕によって作られた暗闇。その中でひとり、何を思うでもなくうずくまっていた。
やる気が起こらない。頭が空っぽだ。
あるのは、太陽よりも輝く笑顔と、口に残る感触のみ。
その喪失感は、あまりにも大きかった。
芦屋の精神を一ヶ月以上閉ざさせるほどに。
だが、そんな芦屋の肩が、とんとん、とつつかれた。
反応しないわけにもいかないので、わずかに顔をのぞかせる。
そこには、芦屋の親友、洋斗の姿。
なにやら黒板の方をチョイチョイと指さしている。
あくまで無気力な顔つきのまま、指示に従って顔を向けた。
───そこには、
女性らしい細く曲線的な体躯。
気丈さの現れた立ち振る舞い。
そしてそれに併せて揺れる、鮮やかな橙色の髪。
1ヶ月近く待ち望んでいた光景が今、目の前に広がっていた。それを前に、
ガタンッ!
芦屋は大きな音を立てて机を押しのけ、反射的に立ち上がっていた。
目を見開き、口をぽかんと開けて、呆けた顔でその光景と向き合っている。
橘先生も、洋斗をはじめとした他の生徒も、決してその奇行を笑ったり、注意したりするほど野暮ではない。芦屋の心境を把握しているから。
突っ立っている彼をよそに、転校生の自己紹介が始まる。
黒板に振り返り、白いチョークで大きく『宣 鈴麗』と書いて再び正面に向き直る。
「中華民国から来ました、中華民国第一皇女、宣 鈴麗といいます。使う武器は槍、属性は火です。この度、人民解放軍参謀長となるための能力実技研修という『名目』でこの学校に転入することとなりました。これから、よろしくお願いします」
言い終わると、呆然と立っている芦屋を見ながら、
「…………ただいま!」
にっこりと優しい笑顔をこぼす鈴麗だった。




