2章:同じようで違う世界
ー2012.3.24ー
俺は、柔らかい布団の中で目を覚ました。冒頭の疑問はここからはじまったものだ。
なぜか以前の記憶が全くない───という訳ではない。というより、忘れろと言われる方が難しい。
が、その上で訳が分からなかった。まるで以前のことが夢のようだ。しばらく呆然としていると、コンコンとドアをノックする音がした。どうしようかと戸惑っていると、「失礼します」といって、燕尾服の似合ういかにも執事らしいおじさんが入ってきた。
「おや、起きておられましたか?」
「え、あ、はい…………」
「?おぉ、私としたことが自己紹介を忘れておりました。私はここで執事をしております。名前は…………ゴードンとお呼び下さい」
そう言ってゴードンさんは頭を下げた。どうやら本当に執事だったらしい。
「えと、桐崎洋斗です。あの、ここは…?」
「桐…………!ここはお嬢様のお屋敷です。お嬢様が…………洋斗様が倒れていたのを見つけて私がここに運んだのです」
「…………そうなんですか。ありがとうございます」
「いえいえ、お礼ならお嬢様にお願いします。それでは私はこれで失礼しますが、ご用があれば何なりと申しつけ下さい」
といって一礼し、ドアに手をかけたところで「言い忘れていました」とこちらを振り返った。
「そういえば、先程はお嬢様を助けていただきありがとうございました。お嬢様も大変感謝しておりましたよ」
「?」
とよく分からないせりふを残してゴードンさんは出て行った。
これからどうしようかと思っていたが、少し身体の節々が痛んだのでもう一眠りすることにした。
(そういえば、お嬢様ってどんな人なんだろう?布団まで借りたんだから一度くらい会っておきたいけど………)
そんなことを考えながら眼を閉じた。
ー次の日ー
今日も当たり前のように目を覚ます。昨日と違うところは、身体の痛みが完全に消え、抵抗無く身体を起こせること、そして風景が全く違うことだ。
部屋を見回してみると、俺の部屋の2、3倍はあったが小さな棚や照明くらいしか家具が無かった。次に窓があったので外を見てみると、
今まで見たことのない世界が広がっていた。
恐らく木製であろう平屋が点在している、現代ではほとんど見ない景色だった。あまりに認識とズレた景色に唖然としていると、執事ゴードンさんが入ってきた。
「起きておられましたか、洋斗様」
「おはようございます、ゴードンさん。ってそうじゃなくて!一体ここはどこなんですか!?」
「ど……どこと申されましても、
大江山の麓、としか言えないのですが……?」
「大江山…………?ってあの京都の?」
「は、はい。なにを今更…………まさか本当に記憶を無くされておられるのですか?」
「いえ、そういう訳では…………」
(一体どうなってるんだ?あながち嘘を言ってるような感じはないし…………)
大江山は鬼の伝説が残る有名な山だ。そして、
親父の道場も大江山の麓あたりにあるのである。
だから周辺の風景はある程度知っているし、道場の周りはどこにでもある一般家庭があったはずだ。困惑して言葉がでないでいると、ゴードンさんが話を切りだした。
「まさかとは思いますが、
洋斗様は異世界からいらしたのですか?」
衝撃の一言だった。
そんなことは考えもしなかった、いや、『考えないようにしていた』といった方が正しいと思う。
「いきなりなにを言ってるんですか?異世界って…………!」
「いえ、そういうお方を存じておりますのでもしやと思いましたが…………推測は正しかったようですね」
「………もしかして、以前に他にも誰か来たんですか!?」
「その話はいずれしますが、あなたにはそれ以上に知りたいことが山ほどあるのではないですか?」
「…………」
少し腑に落ちないが、確かにその通りだ。なので、まず一番に聞きたいことから聞くことにした。
「…………ではまず、ここは、どこなんですか?」
「ですからここは大江山の「それはもう良いですから!」…………ここは、『能力』という概念で動く世界です」
「能力?」
「能力とは、あらゆる物体が量こそ違えど持っている生命力が出力された、いわゆるエネルギーのようなものです」
(俺の世界にある火力の持つ熱エネルギーや運動する物体が持つ運動エネルギーと同じようなものか?)
「世界に存在する能力の種類は様々ですが大まかに、『火』『水』『雷』『風』『土』の五つに分けられます。主にこの五つで世界が動いていると思って相違ないです。例えばこの照明は雷の能力で動いています」
「え!?でもこれ確かコンセントが…………」
といって見てみると、電源コードがあったが、コンセントの形が知っているものとは少し違った。ゴードンさんを見ると微笑ましそうにしている。
「ふふふ、異世界からきた知人も同じようなことを言っておりましたよ?そこにも生命力が施設から流れてきて、そこの接続部分で雷の能力に変換しているのです。」
…………なんだか『ここは異世界説』が信憑性を帯びてきてしまった。とりあえず異世界だと考えておいた方が良さそうだ。
「洋斗様、これからどうされますか?」
「うん…………とりあえずあたりを回ってみます。それと…………」
「異世界から来た事は内密に、ですよね?心得ております」
という訳で、外に出ることにした。家がかなり広かったのでゴードンさんに案内してもらった。このときも『お嬢様』には会えなかった。
「いってらっしゃいませ、洋斗様」
「い……行ってきます?」
そう言ってドアを閉めた。
「それにしても『桐崎』とは…………ただの偶然ですかね?」
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ー2012.3.27ー
ここに来てから3日が経った。ここに来てから全くすることがなかったので各地を見て回っていた。
25日は周辺を歩いて回り、商店街から図書館、果ては学校まで、施設はかなり充実していることがわかった。あと、なんだかんだでお嬢様宅に住まわせていただくことが決まったのもこの日である。
26日はお嬢様宅の中を回った。一番の感想は、とにかく広い。うちの道場も中々だと思っていたが、それの倍はある。そしてかのお嬢様に全く出くわさない。ゴードンさんに聞いた限りだと年齢は同じでロングの金髪、そしてかなりの引っ込み思案らしい。ときどき後ろから気配がしたが、もしかしてどこかに隠れて見てるのか?とも思ってちょっと探りを入れてみたりもしたが反応がなかった。最早お嬢様が本当にいるのか、そんな疑問まで出てきた。その後、俺はお嬢様を助けたという大樹の所に行ってみた。大樹には、ゴードンさんの言っていたとおり石で出来た小さな門があった。これに伝わる伝説から『異界の門』と呼ばれているらしい。十中八九ここから来たのだろうが、どう足掻いてみても通ることは叶わなかった(具体的にどのように足掻いたかはご想像にお任せする)。
そして今日27日は図書館に行ってみた。
図書館の中を回ってみると、ある事に気づいた。俺は古典文学のエリアに入り、ある一冊を手に取った。
それは、芥川龍之介の『羅生門』だった。
「なんで俺の世界の本がこっちにあるんだ…………?」
他にも探ってみると至る所に見知った本が───いや、むしろ図書館にあるほとんどの本が俺の世界と瓜二つだったのだ。ただしある区画、理科のエリアを除いては。
力学はある、熱力学もある、生物学も、地学、化学もある。ただひとつ、電気力学のみが全く別物なのだ。調べてみて分かったのだが、この世界には『電子』という概念がなく、変わりに『生命力』やら『能力』やらの概念にすり替わっている。どうやらこの世界における能力は理科の部類に入るらしい。
過去の学者、ベンジャミン・フランクリンが俺の世界では雷は電気であると提唱したが、この世界では雷は大気中の生命力の循環の一環である、と結論づけたらしい。それ以来『地球上のあらゆる物体が生命力を持つ』という概念へと派生し、そして生命力という概念の下で様々な研究を行った結果、先程の五つの噴出プロセスがあることがわかった。その体系を総じて『能力』と呼び、それが現在まで続いてきたらしい。
(…………ということは、俺達にも能力化なんかが使えたりして。手から火がでたりとかするのか?まさか、な…………)
そんなことを考えていて、ふとひとつの単語に行き着いた。
(『パラレルワールド』…………?)
パラレルワールドとは「人生は選択肢の連続」という考え方を肥大化した概念であり、可能世界論とも呼ばれるものである。
───例えば。
誰かがA or Bという選択肢を選ぶときにAを選んだとすると、別の次元には誰かがBを選んだ世界があるということになる。
もしもこの世界が『電子ではなく生命力を発見した世界』だとすれば、この世界に電子がないことも、それ以外の事がほとんど変わらないことにも辻褄が合う。
もし、その二つのパラレルワールドが何らかの形で繋がってしまったとしたら…………。
それがもう二度と開くことがないとしたら…………。
そんな脈絡も無い絶望を感じながら、お嬢様宅に戻ったのだった。
ー2013.3.28ー
「洋斗様は、学校には行かれないのですか?」
この日は某執事の意味不明な一言から始まった。
「…………はい?」
「4月の始めに高校の始業式があります。今ならまだ申請に間に合うのですが?」
「でも元の世界に帰らなきゃ「帰り方を知るならこの世界のことを知るべきかと」
「学生服は「3日、いや2日で届きます。十分間に合います」……………………」
どうしてこの人はそうまでして学校に行かせたいんだろうか?そう思っている一方で、ゴードンさんの言い分は一理あるとも思っていた。俺はこの世界のことをあまりにも知らない。そんな事では帰ることはできないだろう、そんな気がしなくもない。
「…………分かりました、行きますよ学校。」
「左様でございますか!お嬢様もさぞお喜びになられます」
「そのお嬢様とやらも同じ高校なのか?確か年は同じくらいだったよな?」
「はい、何せ『初対面』というものが苦手な方ですからね、見知った人がいた方が少しでも馴染みやすいでしょう」
「いや、俺も直接話をしていないのですが…………?」
という訳で、俺は異世界で高校生活を迎えることとなってしまった。
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…………一体どうしましょうか?
あの日から今日までの5日間、何とかしてあの人に話しかけようとしましたが、どうしても足が止まってしまいます。
ある時は入ろうかどうか悩んでいるときに叔父様が先に入ってしまって見事にタイミングを逃し、またある時は、タイミングを失わないように、私には不揃いなお屋敷を歩いているあの人について行ってみたり(さすがに少し遠すぎたような気がしましたが)しましたが、未だに話しかけることは叶いません。
あの人はピンチだったあの時に駆けつけてきてくれた、所謂命の恩人(?)です。いざという時の勇気が出せない自分なのは承知の上で、何とかお礼だけはと奮闘している今日この頃なのです。
今日もこっそりあの人のいるであろう部屋のドアを見ていると、
「お嬢様」
「わひゃッ!?」
後ろから叔父様が声をかけてきました!ビックリして心臓が飛び跳ねました!
「どどどうしたのですか!?」
「恐らくそれはこちらの台詞なのですが……………桐崎様のお部屋に行かれないのですか?」
「だ、誰もお部屋に行きたいなんて………って、キリサキって誰ですか?」
「あのお部屋の方ですが、名前すら知らなかったのですか……キリサキヒロト。彼の名前です」
「え、ええ。聞く機会がなかったの。ヒロトという名前なんですね」
「…………話しかけられるよう頑張って下さい。まだ機会はたくさんありますし」
「どういうことですか?」
「桐崎様、お嬢様と同じ学校に入学されるみたいですから」
「それは本当ですか!?」
「ええ、ご本人からそう伺っております。なので、私は応援しておりますよ」
最後に叔父様は小さな笑顔でそういってどこかへ行ってしまいました。最後の言葉の意味はよく分からなかったですが、それ以上に私は気分が高揚していました。
そうか、あの人───ヒロトさんも同じ学校なんだ、しかも同い年らしい。これは良いことを聞きました!
私は浮き足だった気持ちのまま部屋に帰ることにしました。
ちょっとくらい早く準備しても、バチは当たりませんよね?