0章-2:過去の惨劇
ー2007.06.03ー
ここは山奥で気候も変わりやすく、大体四分の一日単位で天気がコロコロと変わる。
今はおよそ四分の二日、昼前だ。天気は曇り。それも空が暗くなるほどの厚い雲に覆われた空模様だ。
そしてそれ以上に、嵯鞍家の今にもどんよりした思い空気が滲んでいた。
「このところ村の人たちの調子が優れませんね…………」
「そうだな………。何だか村そのものが鬱病にかかったようだ。空気そのものがくすんでやがる」
「…………………」
今は机を囲んで、父さんと母さんがよく分からない話をしている。
どことなく村の人たちに活気がないのは洋斗自身も感じていた。何というか、みんなぐったりしている。それも、ほんの一週間前には元気だったのが日に日に活力を無くしていっているのだ。歩いて10分ほど外れにある商業区域は、普段が活気づいている分その変化が顕著に現れていた。
無論話に割り込むことは出来ないので、洋斗は傍で静かにお茶を飲みながら、二人の話に聞き耳を立てていた。
「畑の様子も大して変わらんし、何かあったのか?」
「もうすぐ梅雨ですし、その所為だといいんですけど…………」
そんなことを聞いているうちに手持ちの湯飲みが空になってしまった。お茶でも飲んでないと、ここで完全にやることがなくなってしまい、無言で座り続けることになってしまう。居づらいったらないので、お茶を汲みにいく、という動機を得て洋斗は立ち上がってこの場からの退散を試みる。
「ぅわあああぁあああああぁああ!!」
だが、その退散の意志は、突然の叫び声によって吹き飛んでしまった。
「ッ!!??」
「な、何だ!?」
母さんは口に手を当ててオロオロしながらも立ち上がり、その間に父さんが脱兎のごとく立ち上がり家を出た。それを追って洋斗も家を出る。
家を出てすぐ、声の発生源である左隣の玄関を見る。
───そこでは、
その家の奥さんが、腰を抜かしている夫に向かって包丁を向けているところだった。
「!何してる!!」
父さんがあわてて間に入り、その包丁をはたき落とす。その刃先にはうっすらと血が滴っており、夫の腕や頬についている切り傷がこの包丁でついたものだとわかる。
(なんで佐貫さん家でこんな……………?)
嵯鞍家の隣家である佐貫家は結婚の儀を終えてまだ三ヶ月の新婚夫婦で、なかなかのおしどり夫婦だったはずだ。
「佐貫さん!何やってるんですか!」
父さんは半ば怒鳴りつけるような声色で妻の方に訪ねる。奥さんは恐怖に震える声で叫んだ。
「………………そ、『そこの奴が、家に忍び込んできた』のよ!」
「……………は?」
「しかも堂々と玄関から入ってきて、挙げ句の果てに『ここは俺の家だ』なんて言い出すんです!」
「おい何言ってんだよミサト!」
「な、何で私の名前知ってんのよッ!?」
明らかにおかしい。
つい昨日までの仲良し夫婦の会話ではなく、全く話があっていない。それどころか奥さんの方は男のことを夫と認識しておらず、挙動不審となって手をわなわなと震わせている。
「も、もしかして!あなた達も私を殺そうとしてるの………………?」
そんなことを考えていると奥さんの思考がおかしな方向にねじ曲がっていく。
「イヤっ!ちょ離してよ!離してって言っンぐ…………ッ!」
もはやまともな精神状態ではなかった。父さんもそう判断したのか、首に手刀を入れて奥さんを気絶させる。地面に倒れそうになる奥さんの身体を父さんが抱き留めた。
今度はそれを見ていた夫が、落ちていた包丁を拾い上げて、
「お前ら……………ミサトに何しやがったぁぁ!!」
───大きく振りかぶりながら切りかかってきた。
「うわっ!?」
しかも、特に行動もせずに佇んでいた洋斗に向かってである。後ろに倒れる形で、辛うじてその刃をかわす。
その勢いを使って距離をとった洋斗は父さんに向かって叫んだ。
「父さんッ!どうなってんだよこれ!?」
「俺も分からん、とにかく逃げるぞ!洋斗は母さんのところに行け!」
父さんが夫の両腕を押さえ込んで夫を足止めしてくれている。
その横を通り抜けて、嵯鞍家にいるであろう母さんのところに向かった。
「母さん!!」
「洋斗?お隣さんはどうしたんですか…………?」
「正直言ってそれどころじゃないよ!早く逃げないと!」
「え…………………えっ?」
洋斗は机の前で座り込んでいる母さんの腕をつかむ。
「大丈夫?立てるか?」
「え、えぇ。私は大丈夫です。それよりもいったい何が「外見れば分かる!」
ガラッ!
と勢い良く玄関を開ける。
「な……………………っ」
後ろから母さんが息をのむ音が聞こえる。
無理もないだろう。
自分の生まれ育った村が地獄絵図の舞台となっているのだから。
曇天の中、至る所の家屋が火炎に包まれ、空に浮かぶ灰色の雲を赤く照らしていた。
それ以上にあちらこちらで金属同士がぶつかる音が耳に残る。女性が持つ包丁と男性が持つ鍬がぶつかった音だ。
そのような光景がそこかしこで起こっている。
つい昨日まで仲良く暮らしていた村の住人が、村中で殺し合っていた。
「…………………………」
洋斗自身もここにきて初めて事態の凄惨さを目の当たりにした。
洋斗は、もはや声も出せず、玄関を出てすぐの所で、母さんの腕を掴んだまま突っ立っていた。
それは、まるで戦場を見ているようで。
───なぜ?
───どうして?
そんな台詞すら喉に詰まって出てこない。
「洋斗」
その言葉で、洋斗はようやく我を取り戻す。振り向くと、母さんが洋斗をじっと見つめている。
───その瞳は、まだ光を失ってはいない。
「行きましょう、あそこへ」
「………………な、何言ってんだよ母さん」
「もちろん洋斗がついてくる必要はありません。ですが、私には村長の娘である、『山城』家の努めがまだ残っています。今の姓は『嵯鞍』ですが『村を見守っていく』という『山城』の役目を果たさなくてはなりません」
その言葉一つ一つが、これまで見たこともないほどに、母さんの決意をまとっていた。その決意に、
「………分かった。俺も行くよ」
「………………ありがとう」
洋斗は勝つことが出来なかった。
洋斗は母さんの腕を首に回してその身体を支えながら、戦場へとゆっくり歩き始めた。
もしこの時、洋斗が母さんに勝っていたなら、物語は確実に変わっていただろう。
~~~~~~~~~~~~~~~
ここは、普通の町でいう商店街にあたる、いわゆる商業区域だ。多くの平屋が30mほどにわたって軒を連ねている。いつものこの昼時は、空を覆う厚い雲に負けないくらいの活気に溢れているこの場所も、今ではあたりに血が飛び交う激戦区となっていた。
何かが裂けるような音がする。
何かがぶつかるような音がする。
何かが噴き出るような音さえする。
現在進行形で、今も村人の殺し合いは続いている。
ここに、嵯鞍 洋斗、及びその母である嵯鞍 弥子が到着した。
ここに来るまでにも何人かの死体と、それ以上の血痕を見た。俺達を見受けるや否や問答無用で襲ってきた人もいた。
その中、殺される側はもちろん殺す側にも、女性や子供までいた。
仲の良かった人が襲ってくる。
とても、見るに耐えない光景だっだ。
(何がどうなってんだ…………………?)
ここまで歩いてくる課程で洋斗も少しばかり冷静さを取り戻し、ようやく第一に考えるべき事に思考が追いつく事が出来た。
考えている今も一人、また一人と倒れていく。
すると、一人の男が洋斗達に気づいてこちらを向いた。
「う、うあああ゛あああ゛あ!」
すぐに血の付いた鍬を振りかぶって走ってくる。
「「!!」」
だが、洋斗も11歳にして嵯鞍人拳を皆伝した正当後継者である。
男が鍬の射程に入った───瞬間。
無駄に大振りになった鍬に対し、母さんを後ろに押し飛ばす。そして、自分はその反動も利用して素早く一歩前に出た。
洋斗が男の懐に飛び込んだ形になる。男の武器は鍬、棒の先の鉄の部分が得物になっている。そのため、母さんは鍬の射程から逃れ、洋斗は鍬の柄、すなわち木の棒の部分に手を当ててそれを防ぐことが出来た。
ゴッ、と洋斗の腕から鈍い音が鳴るが、痺れはするもののそれほどの外傷ではない。そのまま拮抗状態にしたまま後ろに叫ぶ。
「母さんはどこかに隠れて!ここは何とかするから!」
『そんな!危険です!』とか返ってくると思っていた洋斗に反して、母さんは意外とすんなりと聞き入れてくれたようだ。後ろでたっ、たっ…………という足音が小さくなっていくのが分かった。
それを把握して、改めて目の前の男を見る。その目は大きく揺れて血走っている。完全な狂乱状態だった。
(………………っ!)
洋斗は鍬を受けていた左手をさらに左にずらしてフッと力を抜く。
それにより思い切り力を込めて押していた男の鍬が洋斗の横をすり抜けて、力を入れていた男の身体が鍬に振り回されて前のめりになる。
それで下に降りてきた男の首の中央を引いていた左手で『叩いた』。
とんっ という音もしなかった。
何事もなかったかのように立つ洋斗の横で、男は何も抵抗することなく気絶して倒れた。
相手の得物に手を添えて手を引きながら受け流す。手を引くのでその手をまた突き出すことですぐに反撃に持ち込める優れものだ。
そして首への一撃。
これは本来すれ違いざまに首をへし折る業だが、威力を弱めることでこういう応用も可能なのだ。
この光景を見た人たちは、攻撃に徹していた腕を止め、洋斗の方を向く。
それを、目の前の相手より歯応えのある『好敵手』とみたのか、
それとも最優先で排除すべき『脅威』であると判断したのか。
戦っていたすべての人が、手を取り合ったかのように一斉に洋斗に向かってきた。
少しずつ対処していくものの、それ以上の数で洋斗を囲い込んでいく。
(キリがない!いや、それよりも……………!)
実際、これほどの数に囲まれているといえども、普段の洋斗なら十分に対処は可能だ。だが、洋斗は想像以上に苦戦を強いられている。
なぜなら、皆伝ではないといえど、この人たちも嵯鞍 玄条の指導を受けているからだ。
元々力仕事で鍛えた筋力がある上に玄条の技術が加わって凡人なら倒せるステータスを身につけている。それが集団となるとさらに危険度は増す。
洋斗は何とかそれをさばき、無傷で抑えようとする。
───だが、
ここで予想外のことが起こる。
人をさばいて駆け回る洋斗の視界の端、距離は10mと少し、場所は通りの野菜売場の前。そこで、頭を抱えてうずくまっている少女に向かって包丁を向けている初老の男がいた。
ここまではいい。いや、一概に良いとは言えない場面だが、ここまでなら景色の一部として流すことが出来た。
───その男性に向かって、野菜売場の影から母さんが飛び出してタックルした光景を見るまでは。
(か、母さん…………!あそこにいたのか?!)
村人に囲まれている中で、タックルの勢いで倒れる母さんの姿が鮮明に写る。
タックルではね飛ばされた男が起き上がり、言葉にならない叫びをあげながら尚も少女に向かって走り込んでいく。
しかし、
その二人の間に母さんの身体が入り、うずくまる少女を抱き込んだ。
男に、母さんの無防備な背中が向けられる。
「! 母さん!!」
囲んでいた村人たちを何とか振り切って、ぐっと目をつむっている母さんに向かって走る。
(くそ!間に合え。届けこの手!届け………………ッ!!)
洋斗の願いに反して、中々距離が縮まらない。
周りの動きがスローモーションになっていく。
男が攻撃範囲に母さんを捉える
少しでも距離を稼ごうと必死に手を伸ばす。
速度を持った包丁の刃が母さんの背中に迫る。
───そこに突如、救いの手が
───来ることは、なかった。
ザシュ、という音とともに、母さんが倒れる。
思考が一瞬だけ途切れそうになる。
身体の力が抜け落ちそうになる。
喉から悲観の叫びが漏れそうになる。
だが、横凪に振られた鉄の棒が、悲しみに暮れることすら許さなかった。
この時、村中に対して完全に背中を向けていたのが徒となった。
脇腹に鈍い痛みと重い衝撃が叩きつけられ、横にあった店の壁の所まで飛ばされる。
視界の真正面は大勢の村人たち。端には平然と立っている少女が一人。
───?
苦痛に耐えるうめき声を漏らしながら洋斗は、棒を持って歩いてくる村人を捉える。
(……………もう、無理だな…………………)
洋斗は静かに目を閉じる。
これから来るであろう衝撃に備える。
そこから意識が飛ぶことは、なかった。
(…………………………………………………………?)
恐る恐る目を開けると、そこには見慣れた大きな背中があった。
「……………どうやら、手遅れだったようだな…………」
間近の一人の鳩尾を叩きながら父さんが呟く。
「…………くそ、俺がもっとしっかりしていれば、こんな事には……………………」
「な、何言ってんだよ!これはどう見ても俺の所為だ!俺が弱いせいで………………!」
「そんな御託は後で聞く!今はこの獣どもが先だ」
「け、獣って…………!」
「もうそれと大差ない!洋斗も薄々分かっているんだろ?」
「っ…………」
最後に言い残した事への返事を出す前に、父さんは残りをさばくために駆けだしてしまった。
何人もの人をさばいてみせる父さんの姿。母さんの死体を見ているにも関わらず自分を律して洋斗を守ろうとしている。
対して洋斗は、母さんすら守りきれずに目の前で失った事へのショックを振り切ることが出来ず、自分まで攻撃を受けて、今壁にへたり込んでいる。
それは、自分の弱さや情けなさを浮き彫りにした。
「……………………くそ」
手足に力を入れても動く気がしない。というか、今力が入っているのかすら分からない。いつの間にかかなりの体力を使っていたらしい。
「くそっ、動け……………動けよォ………………!」
目から、じんわりと涙が溢れてくる。
自分の弱さに対する憎悪と、母さんを失った事への悲嘆。父さんが戦っている後ろで、ただ見ているだけ。
この事実が、それらの感情をかき混ぜて、大きな苛立ちに変えた。
父さんは、そんな奴らに負けるはずもなく、
ほどなくここで暴れていた人達は皆鎮圧された。
「……………………終わったか?」
父さんが洋斗の方を振り向く。
「けがは、あるみたいだな」
「…………………………ごめん」
正直に言うと、合わせる顔がなかった。
父さんは多分俺のことを信じて、母さんの所に行かせたはずだ。だが実際は、自分は怪我して、母さんを守れず目の前で殺されてしまった。そんなことがあった上で、どんな顔を父さんに向ければいいのだろう。
そう考えていた。
「ちくしょう…………………!」
───この声を聞くまでは
重かったはずの頭を反射的にあげると、父さんは泣いていた。
(もしかして、父さんも……………)
同じ事を考えていたのか?
その言葉が頭に浮かんだ時、視界の端で何かが動いた。
それは、母さんが盾となって守っていた少女だった。
少女が父さんの方へ走ってくる。
手に何か持っているような気がするが、周囲が暗くなってきていたので、よく分からない。
(………………………待て)
洋斗はそれに違和感を覚える。
(そういえば、なんで……………)
この少女は、まだ生きているんだ?
確か、初老の男性が包丁を持っていて、少女は地面にへたり込んでいたはずだ。
その状況で生き残るのは、確実に男性の方のはずだ。
そうじゃないという事は………………
「お?メイちゃん!まだ生きていたのか!」
父さんはメイちゃんなる少女を抱きかかえようと、膝を折って頭の高さを合わせる。
少女はまだ走る速度を変えない。
洋斗は母さんの死体の方を見た。
そこには、もはや生気のない母さんの遺体。
それと───手ぶらで倒れている初老の男性があった。
「父さん!危ない!!」
洋斗は反射的に叫んだ。
「ん?何がだ?」
父さんは呆気にとられた顔でこっちをみる。
父さんと少女との距離は約3m。
洋斗と父さんとの距離は約5m。
洋斗が走っていき、間に入る───そんな体力は無い。
そのまま、少女は父さんの胸に飛び込んだ。
どっ、という、二つの身体がぶつかる音に混じって───ドシュ、という、何か別の音が聞こえる。
それと共に父さんの表情が、温かみのある笑顔から驚愕と苦悶の表情へと変わっていった。
洋斗たちの周りの時間が止まる。
およそ10秒ほどの静寂。
洋斗にとって、それは体感にして数分間に感じられた。
少女が父さんの胸の中から離れる。
その手にしっかりと握られているのは、赤黒く染まった包丁。
父さんの胸のほぼ中央部、そこには5cmほどの切れ込みが入っていた。
服がものすごい勢いでこちらも赤黒く染まっていく。父さんの顔から、少しずつ生気が抜けていく。
もっとも、
そんな視覚情報は、洋斗の理解には届いて来なかったが。
ただ呆然とその光景を見ている。
突然『明日地球が滅亡します』という確実な情報を言い渡されたときのように。
自分がどのような反応をすればいいかが全く分からない。というか、今の心境は自分の表現できる範囲を超えていた。
洋斗の中で停止していた時間は、父さんの身体が力なく倒れる音を起点として動き出す。
「と、父さんっ!!」
父さんの方へ反射で這い寄る。こんな時だけ動く体に憤りを覚えながらも、うつ伏せだった身体を仰向けにする。
停止していた視覚情報は、時間が動き出したことで正常に『現実』を映し始める。
父さんを囲う血溜まり、胸にくっきりと刻まれた傷、そして、蒼白な肌に虚ろな目。
「父さん………………」
その目は、未だ動かず明後日の方を向いている。
「とうさん……………………!」
「 」
その口は、全く動く気配がない。
「………………………………………………………」
ここで嵯鞍 玄条が命を繋ぐには、少女がもたらした傷は余りに深すぎた。
完全な致命傷だった。
驚異である少女がまだ間近にいるのも忘れて、血溜まりの中で座り込んでしまう。
洋斗の心には黒い感情で渦巻いていた。
肝心なときに何も出来ない自分の弱さを恨んだ。
こんな状況をもたらしたこの世界を呪った。
そんな時に
『僕が、助けてあげよう』
どこからか声が響いた。
『僕が、君の力になる』
頭に直接響くような、澄んでいると同時にどこか掠れている声。
『さぁ、僕に身体を預けて?』
『こんな世界、僕が消してやる』
(…………………もう、いいや)
(───好きにしてくれ)
頭の中でそう言い放った。
すると、
家の方向から何か音がする。
その方を向いたのとほぼ同時のタイミングで、物凄い勢いで何かが飛んできて、ズドンと爆音をならして地面に突き刺さった。
それは洋斗の家の家宝である、あの刀だった。
黒く光る鞘が周囲に亀裂を広げながら固い地面を貫いて、完全に刺さっている。
そして、それに呼応するように洋斗の手が鞘に伸びて、それを掴む。腰を上げながらそれを引き抜き、ゆっくりと真剣を抜いたような気がした。
その手から鞘を捨てるように、洋斗はそっと意識を手放す。
周囲の暗闇が、鮮烈な赤に変わる錯覚を覚えた。
いつの間にか、この村は大雨の中にいた。
「………………………ぅ」
その中で、洋斗は小さくうめき声を上げながら瞼を開こうとする。だが、何かがこべりついているみたいな感じでどことなく抵抗がある。
背中には堅い感触。建物の壁にもたれて座っている形だった。
あれから、一体どれくらいの時間が経ったのか。
そもそもここはどこか。
なぜこんな状況になっているのか。
そんな疑問は、一気に消え去ることとなった。
張り付いた瞼を剥がして、目を開く。
その目に入ったのは、地面に転がる死体だった。
「…………………………え?」
一瞬で頭が空白になる。
一番近くにあった死体は首が切り離されて、その近くに転がっていた。
まさか、先程の少女だろうか?
その反対方向には腹や脚、腕や頭など所々が欠けている死体の群がある。
まさか、父さんが鎮圧した村人達だろうか?
周囲を見ようと首を回していると、何かに手が当たってカチ…………と音を立てた。
それは、家の家宝である刀だった。鞘は左手側に捨ててあり、右手側のの刀身は血にまみれて固まっていた。
まさか、これは俺がやったのか?
俺が寝ている間に、そこら中にいた人を……………いや、もしかしたら村の人全員を……………?
刀に触れている右手は、刀身と同じように、元の肌色が分からないほどに血にまみれていた。
左手も、服も同様。
血塗れた両手で、そっと顔を覆う。
目覚める時に瞼を張り付けていたのは、顔にかかった返り血だった。
手が震えずにはいられない。こみ上げる吐き気は中々収まってくれない。
いきなり目の前に死体を放られたようなものなのだから無理もないだろう。むしろそれよりもひどい。
漏れそうになる嗚咽を必死に押さえ込み、改めて周囲を見渡す。それにより必ず目に付く、
父さんと母さんの、無惨な遺体。
胸が痛い。
だが何故か涙は出なかった。
その感情は、最早涙で語れる領域を越えている。
「………………………」
洋斗は、とりつかれたように動き出す。
村の中でとりわけ背が高い木の所までを2往復し、二人の遺体を引きずりながら二人の遺体を運ぶ。
それを、二人が寄り添って座っているように下ろした。
それは、洋斗が本能的に行ったただの『気休め』だった。
無駄だと分かっていても止めることは出来なかった。
気づけば洋斗は二人に背を向けて、村の中をふらふらと歩いて回っていた。
自分の家に着いた。
お茶を飲んでいたあの時の空の湯呑みが置いてあった。
佐貫さんの家の前を通った。
二人とも、何かに頭を貫かれて死んでいた。
村で一番大きな畑があった。
畦道に、肩口に鍬が刺さったままの死体が転がっていた。
よく子供が遊んでいる広場も通った。
小さな死体が5、6体、そのどれもが首を切られていた。
どれほどの時間歩き回ったかは分からない。とにかく洋斗にとっては無限とも言える時間を歩き続けたが、洋斗に声をかけてくれる人はない。
この村の中に最早安住の地は無く、生きている人は誰一人としていない『地獄』になっていた。
意識を捨てたまま放浪と歩いていた洋斗は、無意識に山奥の石碑の前に来ていた。
こんな大雨の中でも、その石碑は何事もなかったかのようにそこに突っ立っている。
ふらふら引き寄せられるように石碑の前まで進み、バチャッと音を立てながら膝を落とした。
「なんだよ、これ…………?」
追いすがるように両手で石碑を掴んで額をつける。
「いきなり殺し合いが始まったと思ったら、突然父さんと母さんがいなくなってっ、意識失ったと思ったら俺以外がみんな死んでた……………!何がどーなってんだよォ……………………ッ!」
入り乱れた混乱の末に吐き出された心の叫び。
それに相づちを打つ者は誰一人いない。
穏和で心優しい母さん、強くて一つの目標である父さん。さらにはいつも快く相手してくれた村の人たち。
それらをわずか一時間もしない内に全て奪われてしまった。
───否
───全て自分で、奪い捨ててしまった。
それを拾えなかったのは、紛れもない自分の弱さ故の失態。
「なんで………………」
ならばせめて、
「なんで、俺も殺してくれなかったんだよ…………」
一人にだけはなりたくなかった。
自分一人で生きていけというのか?
このまま、自分の弱さを悔やみ続けろと言うのか。
このまま、すべてを失った悲しみに打たれ続けろと?
未来が真っ黒に塗りつぶされるような錯覚に襲われる。
そう思ったとき、
「ぅ、うぁ…………………」
遂に、洋斗の心は決壊した。
「ぅあ゛ああああ゛あぁあぁあぁぁぁぁあ゛あああぁぁああああ゛ああぁあぁあああ!!!!!!」
堰を切って涙と絶叫が溢れ出る。
洋斗は力尽きるまで泣き叫び続けた。
───そこから
とある男に拾われるまで
放心状態のままの約一週間を生き長らえる事になる。
死ぬことすらも、面倒だった。




