7章-2:鬼の行く道は
ー2012.10.17ー
~ブロードキャストフジ、午前10時の某ニュースより抜粋~
ただいま、フローゼル家の屋敷前と中継が繋がっているようです。
『
はい!こちらフローゼル家の屋敷前です!
今日10月17日、ついにフローゼル家とセントヘレナ家両貴族の結婚式が執り行われます!ですが現在屋敷周辺の門は全て閉鎖されており、式の模様までを中継することはほぼ不可能であると思われ………………ん?おい!どうした!?何、何か通ったって…………おい!カメラあっち!門の方だ馬鹿野郎!!……………え、あーゴホン。たった今、何者かが10m近くある門を飛び越えていきました!あれも参列者なのでしょうか………………あれ?門番が倒れて、その人が中に入っていきました!…………えー、残念ながら中の様子は伺い知れませんが、引き続き中継をしていきたいと思います。
一旦スタジオにお返しします!
』
~~~~~~~~~~~~~~~
ゴードンさんからもらった簡単な地図を片手に、屋敷の前まで歩いてきた。空はまだ明るくなって程ないにも関わらず、報告を聞きつけてごった返しになっている人混みのおかげで、土地勘のない洋斗でも難なくたどり着くことが出来た。
(ホントに、真逆の方向だったな……………)
昨日の愚行を思い出して、思わず吹き出しそうになる。
もう、あんなヘマはしない───多分。
今は、ゴードンさんから拝借した長めのローブについているぶかぶかのフードを深くかぶって顔を隠している。取材陣がいるから、顔がばれると後々面倒だ、というゴードンさんの考えだ。
こんなところでローブなんて目立つのでは?とも考えていたのだが、どうやらこの世界ではこのファッション(?)はさほどイレギュラーなものではないそうで、ちらっと見られる程度のものだった。
本当に、何から何までゴードンさんに頼りっきりである。
ゴードンさんの予想通り、屋敷の門の前には取材陣で覆い尽くされており、元の世界でも見たこともあるテレビ局のマークもちらほらと見えた。
「多分他もあんな感じだろうな……」
心の中で小さくため息をつき、手で丸めた地図を路地に投げ捨てた。
(まぁ乗り込むことには変わりないけど)
洋斗は取材陣のひしめく門の方へジョギングほどのペースで走りつつ、超えるべき壁との距離を計る。門に近づくほどにスピードを徐々に上げて、まだ密度の少ない外側の取材陣の間をすり抜け、その最中で足に雷撃をまとわせ始める。
そして能力で強化された足で地面を蹴り、10m近くある門の上を飛び越えた。
思い切り上へ飛び上がった洋斗のすぐ下を、装飾として門の天辺についた鋭い棘が通過していく。わずかにローブの裾が引っかかって破けたが、消耗品だといって渡されたものなので特に気にすることの程でもない。
重力に従って、タンっ!、と道のように整備された石畳の上に軽やかに着地する。
「おい!そこのお前、何してる!」
とりあえず玄関と思われる豪勢な扉の方へ歩いていくと、なにやら警備員らしき男が駆け寄ってきた。
「…………………………」
洋斗は何も言わず、間近まで接近してきた警備員を見る。ただの中年男性のように見えて、その裏には隠し切れていない殺気がにじんでいた。
(穏便に…………って感じじゃないな)
なので、洋斗は先手を打つことにした。
警備員は腰に差している警棒すら抜かずにこっちを睨んでいる。洋斗を侮っているのは火を見るより明らかだった。
なので腰に差していた刀を半分ほど抜くかたちで、柄頭の部分をがら空きの鳩尾に突き込む。
「う゛………………っ」
ドサッ、と音を立てて警備員が倒れる。
警備員は特に抵抗するでもなく、思いの外あっさりと気絶してくれた。念のため身体の影になるように仕留めたとはいえ、後ろの取材陣に見られてないといいけど…………。
この後は別の警備員が来たり、突然窓から銃口が顔を出したりするということは起こらず、難なく扉の前まで来た。
(さて、こっから先はこう上手くはいかないだろうな…………)
立ちふさがるようにそびえる扉を前に、改めて気を引き締める。ここをくぐってしまったら最後、後には引けない。
ユリアを助け出すか、俺が戦闘不能になるか。
相手がどれだけいるのかは分からない。が、恐らく山ほどいることは間違いない。
情け容赦をする余裕はない。多分、かなりの人を殺すだろう。
躊躇いはない。大事な人を助けられるなら、いくらだってその血を浴び、その肉に埋もれてやろう。
洋斗は前をしっかりと見据えて───。
(待っててくれ、ユリア)
派手にノックを『かまして』やった。
~フローゼル家屋敷内、総合監視員の証言~
おれ、いや私はフローゼル家屋敷内の監視を任されていました。風の能力で屋敷内の気流の動きを読み取り、人の位置や動き、服装から土地の状況、音の響きまで把握できます。なにを言っているのかまではさすがに分かりませんが…………。
それはさておき、その日が結婚式という事もあり、私はいつも以上に警戒していました。
そのとき、正面玄関の扉の前に一人の人間がいるのが『視えた』んです。
来賓かと思い確認をとらせましたが、全員いらしていたようなので明らかに侵入者だと分かりました。
正直言って、なめてました。こんなところに一人で、しかもあんな状況の中で堂々と正面玄関から入ってくるなんて正気の沙汰じゃない。正直「警備員は何やってんだよ………」位にしか思ってませんでしたよ。まぁそんな悠長な考えはすぐに吹っ飛びましたがね。
まず、扉に線が入ったんですよ。ヒュンヒュンと3、4本くらいです。
その後に、扉が一気に中の方にぶっ飛んできましたよ。
部屋の中にいても分かるくらいすごい音で、扉もバラバラになってました!
唖然としてましたよ!そしたら、なにやらローブにフードの人が入ってきまして。すたすたと歩いて入ってくるんですよ。
もちろんすごい音だったので、入口付近にいた警備員が二人ほど集まってきました。警備員二人が何かをしゃべっていて…………多分ローブに出るように言ったんだと思います。対してローブは口も動かさずに、話しかけられたっきり動きませんでした。
その時です。
ローブが一瞬で二人の近くにいまして。
風の動きを見ているのでローブが『ただ高速で動いただけ』というのは分かるのですが、もはや瞬間移動のレベルでしたよ!
そこからは駒送りでした。見切れたわけではないので推測も混じってますがね。
一人をいつ抜いたかすら知れない刀で切り捨て、もう一人を回し蹴りで吹き飛ばしてた…………と、思います。
切られた人が倒れるのと蹴られた人が壁にぶつかって轟音を響かせるのがほぼ同時でした。恐らく二人とも……………。
す、すいません!
それで、ローブはただずっと見下ろしてるんですよ。あれですかね、「落ちているゴミを見ているような」ってやつですかね?まぁ、表情が分からないんで何ともいえないですけど。
とにかく、もう背筋がぞっとしましたよ。
コイツはヤバイ。そう言ってましたよ、体が。
だからでしょうね。気づいたときには警戒警報のボタンを押してました。
そして、その後すぐに総合監視室をでて、殺される前に逃げ出しました。
~~~~~~~~~~~~~~~
現実は、「君、部外者は立ち入り禁止だよ」とかいったような生易しい会話ではなかった。
扉を派手にノック(?)して堂々侵入した洋斗に、寄ってきた警備員の第一声が───。
「ここから今すぐ出て行け。さもなくば殺害対象と見なす」
だったのだ。
音の波は把握できるが、さすがに殺気までは分からなかったようだ。
(いきなり『殺す』か。これはなにかあるな)
ふつうの警備員なら、出会って早々の脅迫なんてしない。「秘密を知られた以上生かしておけない」なんて文言があるが、恐らくそれを口にする部類の人たちだ。
だが、
そんな御託を聞いている暇はない。
───文字通り一瞬で、
二人を沈めてしまった。
じっと斬りつけられて地に伏している一人を見下ろす。
不思議と、何とも思わなかった。
ずっと人を殺すのを躊躇っていたのに、思った以上にあっさりと人を殺せてしまった。
(………………ッ)
覚悟はしていた。
とはいえ実際に目の前に転がっている死体を見てしまうと、どうしても思い出してしまう。
あの時の地獄を
村中に広がる、死体の山を
心臟が締めつけられるような鈍い痛みを何とかこらえる。
多分、ユリア救出までに少なからず心が壊れるだろう。
けど、今は自分のことはどうだっていい。
(なんとしても助け出す)
その時、サイレンのような、ベルのような甲高い音が屋敷中に響きわたった。
(…………ついにバレたか、急がないと)
洋斗は音に背を押されて走り始める。これから先の戦いに向けて生命力を節約するため、能力を付与せず、生身の脚力で走る。元々非凡な身体能力の持ち主なので十分速かったが。
豪勢な絨毯の引かれた廊下を駆けていると、ぽつぽつとスーツの男が現れるようになった。
二、三人なら刀で一閃して通過し、大人数の固まりが来たときは、その最前線の男を斬らずに吹き飛ばず事で道をこじ開ける。
そうすることで、必要最低限の生命力で長い廊下を駆け抜けていく。
廊下の角を曲がる。
その先には、何人目かも知れないスーツが三人。
それを見てもいちいち足を止めたりはしない。
十分に鍛え上げられた身体から放たれる男の回し蹴りを、洋斗はその軌道の下をくぐる形でかわす。
その体を起こすと同時に刀で下から上へ切り上げる。
「が……………はァ!?」
スーツは傷と口から血を吹き出して倒れる。
それを見届ける前に、洋斗は二人目の方へ走り込む。
「く、そッ!」
スーツが顔面に向けて振りかぶってきた拳を手で受け止める。
視界の端で能力の一撃を放とうと手を前に突きだしている、三人目のスーツが見えた。
なので拳を止められたスーツを、構えているスーツの方へ蹴り飛ばす。
「ぐあっ!」
「がっ!?おい!」
二人目と三人目が激突する。
それにより双方の動きが止まっている間に、脚に最小限の雷撃をまとわせて、高速移動で距離を詰める。
そして───、
「ふッ!」
そのスピードのまま、すれ違いざまに二人まとめて叩き斬った。
スピードを殺さず、倒れる男たちを一瞥すらせず、そのまま廊下を走る。
横を通り過ぎただけで人が倒れた。と言い出す人が出てもおかしくないほどの洗練された動作だった。
走りながら、自分の顔をなでると、その手はべっとりと生温い血で濡れていた。
「……………………」
一人目を斬ったときに、傷から吹き出した血がかかっていたのだが、殺人による一種の興奮状態だったため気づかなかった。
(……………くそッ)
自分が血に濡れている。
自分が人をまた一人殺した。
その事実が、洋斗の精神を磨耗させていく。
少しずつ、無意識に、確実に。
また一人、また少し、
───洋斗の精神は、削られていく。
~戦闘部隊「鮫」の隊員の心情および遺言~
鮫は、フローゼル家が誇るエリート(もちろん頭脳面ではなく身体面で)を集めて構成されている、いわゆる直属の殺人部隊だ。
俺が入隊したのは、大体一年前。フローゼル家護衛の、高収入な職場という『名目』で募集がかかったものに合格したのだ。
実際の仕事は「邪魔者の非合法な排除」。多少仕事の存在意義に疑問を抱いたことはあったが、無職だった自分に見合わない能力の高さを認められた手前、辛うじて依頼を鵜呑みにして、流れるはずのない血でこの手を汚してきた。
正直、これでもいいと思っていた。
悪名高いフローゼル家でも、自分を拾ってくれているのだから罪悪感に対しても楽観視出来ていた。
───もしかしたら、これまでのツケが回ってきたのかも知れない。
自分の罪を言い逃れしてきた自分への『罰』なのかも知れないと思った。
いま、自分の目の前は漆黒のスーツを身にまとったがたいのいい男で、ごった返して人の壁を形成していた。
そして、自分はほかの人たちの中でも頭半個分背が高かったので、幸か不幸か、肉壁の先で起こっている『地獄』を垣間見ることが出来た。
さらに運悪く視力も良い方だったため、壁に飛び散る血痕やら、同胞達が叩きつけられて出来たであろう壁の亀裂も、視界から侵入して精神を塗り潰す恐怖となって襲いかかってくる。
その情報という凶器から身を守っている間にも、視線の先で侵入者が暴れているせいで、情報が更新されていく。
───なんなんだあいつは?
自分の頭の中に浮かんだ一文だ。
目の前で広い廊下を埋め尽くしているスーツの男達は、冗談抜きで強い。自分では到底適わないほどに。それがこれほど集まっているのだ。狭いステージでも効率よく戦えるように仕込まれた連携で、正に血に飢えた鮫のように獲物に食いかかる。
そういう部隊だったはずだ。
だが、あいつはそんな男達を振り払っている。
───時に、視界を外れるほどの高速移動で。
───時に、常人とは思えないトリッキーな動きで。
確実に人喰い鮫の塊を切り崩し、喰い潰していく。
端から見れば、それはダストボックスに放り込むゴミが乗せられたベルトコンベアに見えただろう。
そうしている内に、『地獄』という名のゴミ溜めが近づいてくる。
前の人の壁が薄れるにつれて、侵入者の容姿が見えるようになる。
そいつの半身は、泥遊びで全身泥だらけになった子供のように、斬ってきた人の血で真っ赤に染まっていた。
そいつの表情は、捨てられている玩具を見るように、全く色のない無表情だった。
そいつの瞳は、もちろん希望にあふれた爛々としたものではなく、
はたまた血を浴びて歓喜する殺人狂のものでもなく、
見たものを吸い込むのではというほど、空っぽの穴のような瞳をしていた。
光がない。
視線がない。
色すらも見て取ることは出来ない。
まさに『無』といえるほど、無機質で無感情。
どこかで見たような目だ───と自分は思った。自分の記憶を探り始める。『地獄』を前にしてもこんな場違いなことが出来るのは、恐らくそれくらい無関係なことをすることで自分の思考を保つ、現実逃避の役割が主だろう。
記憶を手繰り寄せ、ようやく一つの答えにたどり着く。
そうだ。あれは。
『牢に入れられた少女の目』だ。
かつて一度だけ牢に侵入したことがあり、その時に見た、一年間牢の中で生かされ続けた、年端もない少女の目と瓜二つ。
あれは、心を潰され、精神を滅多刺しにされた奴の目だ。
───どれほど傷をえぐればあんな事になるのか?
そんなことを考えている間に、どうやら自分の番が来たようだ。
目の前にあいつの顔があった。
無機質に作業をこなす人形の顔。
前に立つ罪人を裁く閻魔の顔。
ただ無用に人を殺す、鬼の顔。
その裏にある表情を探る暇は、なかった。
~~~~~~~~~~~~~~~
もう、
どれだけの人を斬ったのか、
数えるのも億劫なほどだった。
だめだ。
もう、
目の前の人を斬るのが、一つの目的となっていた。
生命力も、最初と比べてかなり減っている。
やはり節約していたとはいえ、ここまでの長丁場となると、生命力の消耗は逃れられないものだった。
また、最初に比べて身体能力も低下していた。
理由は十日ほど前の、ユリアがさらわれたときの戦いで受けた傷。
ゴードンさんから処置はされているものの、忠告を受けていたとおり、洋斗の激しい戦闘スタイルによって傷が開いてきていた。最早、頭から顔にかけて流れてきているこの血が、自分の出血か相手の返り血か分からなくなっていた。
そんな身体能力の低下を能力付与で補わざるを得ないことが、生命力浪費の一因を担っていた。
身体もそうだが、洋斗の心も、もう限界を迎えつつあった。
人を斬る度に次の人が現れる。
人を斬る度に心が削られる。
あとどれくらい続くかも分からない負の連鎖が、桐崎 洋斗の基盤なるものを喰らい尽くそうとしていた。
脳裏に、かつての故郷の光景が甦る。
───恐らく、俺の後ろには、あのときと同じような光景が続いているのだろう。
そんなことを考える洋斗を辛うじて支えているのは、きらきら輝く金色の髪を揺らして無邪気に笑う彼女の姿。
今、目の前にいるこいつを倒せば、ユリアに一歩近づける。
そう信じながら、洋斗は、
裸足で針の絨毯の上を一歩一歩、踏みしめて歩くように、一人、また一人と命を奪っていく。
『ユリアを助ける』
この目的を失っていれば、洋斗は、心が壊れて崩れ落ちるか、
人殺しを生業とする『鬼』となるか。
洋斗は、もう思考を放棄することにした。
~フローゼル家地下二階、地下牢~
「ん……………………うぅ」
フローゼル家には、自分達にとっては邪魔でしかない、または反乱分子となりうるという人達が幽閉されている地下牢獄が備えてあった。床も含めて全面が真っ黒い鉱石で覆われており、それが鋼の檻で塞がれている。
その中の一室の中で、ユリア・セントヘレナは目を覚ました。
かれこれ一週間毎晩のように固い石の上で寝ているため、身体の節々が鈍い痛みを訴える。
その痛みに耐えながら、枷で後ろ手に拘束された両腕をうまく使って体を起こす。そのたびに、首につなげられた重々しい首輪と繋がっている鎖が、ジャラ………と金属音を響かせた。
「…………………………」
ユリアは何をするわけでもなく呆然とした瞳で、格子で縦に区切られた牢の外の景色を映す。
切れかかった照明に照らされた廊下とおぼしき空間の先に、この部屋と同じような空間が向かい合わせに存在した。多分廊下に沿って左右に牢屋が連なっているのだろう。
人の気配は、ある。
ここに入れられたときは「出して!」とか「何するの!」とか、無意味と知りながらも要求を持った叫びを上げていた。だが、三日ほどたったあたりからそんな気力もなくなって、抵抗することも諦めた。
首輪についている頑丈な鎖、そのもう一端は檻の格子の内の一本に繋がれている。銃は、さらわれたときに取られてしまった。関係ないが、多分能力も使えないのだろう。何か圧力のような力で、外側から生命力を抑え込まれている感じがする。
『為す術は無い』
この答えには、監禁されてから今までの間で何十回と至ってきた。
(……………ダメですね)
思考を中断し、再び横になろうと身体に力を入れたときだった。
……………ぇ!…………………!!
沈みかけていた聴覚が、無音の廊下に反響する、誰かの叫びを聞いた。しかも一つじゃない。それを押さえ込む声もあるが、数がとても多い。
その声がどんどん多く、大きくなっていく。
(まぁ、関係ないですよね………………)
横になったユリアは目を閉じる。『助けがきた!』なんて楽観視は、三日ほど前から失せていた。
「いたっ!離しなさいよッ!」
「うるさい!黙って入れ!」
「ちくしょう!」
(この声って……………………!?)
なにか聞き覚えのある声が混じっていた。というか、むしろ聞き慣れている声ばかりだ。
ユリアは横になったまま、目を向かいの牢に向ける。その牢に押し込まれた人は───、
「お、おばちゃん……………!?」
商店街で、よくコロッケをくれる肉屋のおばちゃんだった。
「その声、まさかユリアちゃんかい?」
「ユリアちゃんだって!?」
「おーい、大丈夫かいユリアちゃんや!」
「八百屋のおじさん、駄菓子屋のおじいちゃんまで………………どうして……………………!」
ほかの人たちも、ユリアのよく見知った人たちばかりだった。思わず体を跳ね起こす。
「それがね…………フローゼル家の前で反対運動をやっていたんだけどね、それで参加者全員牢獄行きだよ。直にほかの人たちもここに来るだろうさ!」
「え、反対って………………何にですか?」
「何って………………もしやユリアちゃん、何も知らないのかい!?ユリ「オイッ!!なに勝手に喋っている!」
なにやら核心に触れそうなところで監視員に邪魔されてしまい、商店街の人達は屈託のない怒りを露わにする。そんな中でユリアは深く聞こうとはせず、閉ざしていた頭脳を再び思考に費やす。
(よく分からないですけど、どうやらいろんな人が私を助けてくれようとしてるみたいです。もしかしたら学校のみんなも…………)
いろんな人の顔が頭をよぎる。
佐久間先生に坂華木先生、芦屋君に鈴麗ちゃん、それと……………………
「洋斗君……………………」
この暗闇から逃げ出せるかも知れないという、希望の光。
その中心に佇む、一人のひと。
私を捨てたりしない───そう言ってそっと心を温めてくれた、私にとっての大切なひと。
「ヒロト、くん…………………っ」
枯れていたユリアの瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。
落ちた涙は、黒の石の床に、さらに暗い漆黒の点を穿っていく。そんな姿を、商店街の人々は悲しげに見つめていた。
───だが、そんな希望の涙に浸れる時間は、そう長くは続かなかった。
閑静な廊下の石畳を、何重もの靴音が迫る。恐怖と驚嘆で、溢れていた涙がはたと止まった。
その靴音は、三人のスーツ姿の男という形を持ってユリアの牢の前で止まる。
「ユリア・セントヘレナ様、準備が整いましたので、会場へ」
「……………………」
事情を知らされていないユリアには何のことだかさっぱりだったが、断る、という選択肢は取れそうになかった。ユリアは若干よろめきながらも立ち上がり、理解と承諾の意を示す。
それを見受けて、スーツの一人が鍵を取り出し、格子から鎖の一端を外し、その手首に繋ぎ直す。
それが合図であったかのように、格子の銀色の一部が床の黒に吸い込まれる。
「行きましょう」
「………………はい」
ユリアが檻から出ると、格子が元に戻る。それを看取ってから、男達とともに薄暗い廊下を歩き出した。
牢の側を通り過ぎる度に商店街の人の視線を感じたが、あえてその方を向くことはなかった。
胸に渦巻く不安を、見知った人には見せたくなかった。




