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Brand New WorldS ~二つの世界を繋いだ男~  作者: ふろすと
現世編
12/61

7章-1:ある雨の日に

 


 あの時、

 どうして助けてくれなかった?

 もっと強ければ

 あんなことにはならなかったのに

『私達』は死なずにすんだのに

 どうして?

 どうして?

 どうして?

 どうして?      どうして?

 どうして?  どうして? どうして?

 どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?





 僕が、助けてあげるよ



 ~~~~~~~~~~~~~~~



 ー2012.10.09ー


 ガバァっ!と、掛け布団を押し飛ばして跳ね起きる。

「はっ、はあ…………っ」

 何とか息を整えようとしながら手で額を拭う。手をみると、大量の脂汗でびっしょりと濡れていた。

(嫌な、夢だったな…………)

 見知った人たちが揃って自分の罪を責める悪夢。そして必ず救済の声で終わる、不気味な夢。頭に残るわずかな余韻を、首を軽く振ることで振り払う。

 頭の中が空白のまま、時間だけが空しく過ぎていく。

 まだ目が虚ろなままで周囲を見やる。どうやらここは保健室のようだ。窓の外からはオレンジ色の光が部屋の中に入り込んでくる。時計は、大体五時半ほどを示していた。

 まるで、部屋が灼けているかのような錯覚を起こす鮮烈な赤。

 その夕日をみて、


「…………………ユリア……………………………………ぁ」

 ───洋斗の脳裏にあの時の夕日が、連れ去られるユリアの姿がフラッシュバックする。


「ユリアぁ!!!」

 洋斗はベッドから全速力で飛び降りる。だがベッドから出した足が着地した瞬間、足の裏から激痛という名の電流が駆け抜けた。

「ぐ、うァ……………!」

 脚の力では身体を支えきれなくなり、膝、両手を冷たい床につけて辛うじて重いからだを支える。その接地面一つ一つから電流のような痛みが全身を流れて火花を散らし、洋斗は反射的に顔をゆがめた。

「が、ぐぅ………………ぁ」

「ちょ、洋斗!?何してるんだよ!!」

 電流のあまりの負荷で、ガラガラと扉を開けて入っていた芦屋に気づけなかった。

 ───姿すら見えない気配を察することが出来た洋斗が、である。

「……………と…………、………た……け…………」

「え!?」

 芦屋は何かを呟いている洋斗を押さえ込もうと肩をつかむ。だが洋斗は肩をつかむ芦屋を押し退けて、扉の向こうに進もうともがいている。

 洋斗の目は、動揺でぐらぐら揺れていた。

 逃げる何かを捕まえようと、ふらふらと手を扉の先へと延ばしている。

 芦屋のことなど、洋斗の目には映っていなかった。

 何かを求めてさまよう亡霊のようだった。

「たすけないと…………………………たすけな「洋斗君!!!」

 芦屋は洋斗を床に仰向けに叩きつける。保健室を束の間の静寂が埋め尽くす。

「づぁ…………ッ」

「はぁ、はぁ…………………落ち、着いたかい?」

 腰に巻かれている包帯に、赤い血がにじんでいた。先程の衝撃で傷口が開いたのかも知れない。

「腰の傷、開いたね。ごめん」

「…………………………」

 洋斗は芦屋と目を合わせようとしない。窓から差し込む夕日の光を眺めているであろうその瞳は、一切の光も宿してはいなかった。

「全治二週間だってよ」

「………………」

「適切な応急処置のおかげで短くなったらしいよ?これでも」

「………………」

「通りすがりの主婦が警察とか救急車とか呼んでくれたんだってさ」

「………………」

「………………………………………ユリアさんは今、行方不明だよ」

「……………!」

「今は警察と一緒に、学校でも全力で探しているよ。」

「………………そうかよ」

 洋斗はぐっと目を閉じた。しかし動揺で揺れる瞳は隠せても、しわが寄っている眉間だけは隠しきれなかった。

「……………………………」

「…………………助けに、行かないと」

「洋斗君は寝てないと。今は学校の人が捜索して「違う。そうじゃない───俺が行かないと、意味がないんだ」

 洋斗は芦屋の心配の声を遮り、瞼を開いた。

 瞼の裏から姿を見せたその瞳には先程の揺らぎはなく、代わりにあるのは『怒り』や『焦り』だった。

「……………行くにしても、しばらく休まないと。救える人も救えないよ?」

 芦屋は冷たく言い放つ。

 洋斗には『今の洋斗が行っても無駄だ』という意味に聞こえてならなかった。

「…………………分かってる」

 洋斗が小さく言う声に応じるように、芦屋が洋斗から離れて扉の方へ歩く。ガラ、と扉を開け、

「お大事に」

 そう言い残して保健室を出て行った。

「………………………」

 何も言い返さなかった。いや、言い返せなかった。

 ───今の自分は無力。

 それを痛感させられた。

 立ち上がろうと力を入れるが、身体が思うように動かない。それどころか、それを拒むように骨が軋み、節々が痛みを発する。

 走る痛みに耐えながら、辛うじて寝ていたベッドに腰を下ろした。

 太陽がすっかり沈んで夜になっても、洋斗はそこから動くことはなかった。



 ~~~~~~~~~~~~~~~



「お大事に」

 芦屋は静かに扉を閉めた。

「どうだったの?洋斗君の調子は」

 廊下の先から響いた声の主は、芦屋と同じように洋斗を心配して見舞いにきた鈴麗だった。二人とも学校が放課後になってから来たので、時間が重なったのである。

「………………ついさっき、目が覚めたみたい」

 鈴麗の疑問に、芦屋は坦々と事実だけを述べる。

「えっホント!?なら速く「待って!」

 表情を明るくした鈴麗が扉に向かおうと嬉々として横を通過しようとするが、芦屋がそれを片腕で制する。

「洋斗君はまだ起きて間もないから、今は、ゆっくりさせてあげた方がいい」

「……………………何か、あったの?」

 鈴麗は、らしくない行動と重さのある言葉で何かを察したようだ。自然と鈴麗の目が険しくなる。

 芦屋はその変化をとらえて、鈴麗と扉を離れながら部屋であったことを話した。




 保健室からほど近い距離にある自動販売機スペース。授業の合間になるとかなりの賑わいを見せるこの区画だが、放課後である今は人通りもなく、しんと静まり返っていた。

「そう、そんなことが………………」

「うん。ユリアさんが連れ去られたことが、それほど辛いことだったんだと思う」

「当然よ。もし私がぼろぼろに打ちのめされて、私の前でユリアが連れ去られたとしたら、それこそ正気なんかじゃいられないわ」

 鈴麗は自動販売機に寄りかかって、先程買った炭酸ジュースに口を付ける。

「にしても、警察沙汰なのに新聞の地方欄にすら載ってないってどういうことなのかしら。まさかただの誘拐事件として処理されてる───なんて安い刑事モノみたいな展開じゃないわよね?」

「いや、今は世間には内密に捜査をしてもらっているみたいだよ。相手側に余計なプレッシャーをかけたら、もっと奥底に身を隠してしまう可能性があるから、って佐久間先生が」

「…………そう」

 芦屋はボタンを押してカフェオレのボタンを押す。ガゴンと小さな缶と数枚の小銭が吐き出される。

 それぞれを取り出しながら語る芦屋の言葉を、鈴麗は静かに聞いていた。

「僕たちも、やれることはやらないとね?」

「?」

 鈴麗が芦屋の方をみる。

 芦屋は、足下ではなく先を見ていた。

「佐久間先生と坂華木先生は聞き込み調査を、それもかなり広い範囲でやってくれてる。学校も能力の痕跡とかをあたってくれているし、僕も芦屋家の総力を挙げて調査してみるよ」

 芦屋はタブを押し上げて缶を開ける。

 カフェオレを口に流しながら自動販売機のスペースから出て行った。その背中は心なしか大きく見えた。

「…………私は………………ッ」

 鈴麗は、自動販売機にもたれ掛かりながら頭を垂れる。

 鈴麗は、『今は』そんな捜査に関われるほどの情報網は持ち合わせていない。

 そんなものも全て捨てて『黄 鈴麗』はここにいる。

 なので、鈴麗はただ誰かが情報を持ってくるのを手を合わせて待っていなければならない。そんなこと、鈴麗の性分に合わないのは明らかだ。


 鈴麗の手は、胸の中にあるもやもやした何かを強く握り締めて小さく震えていた。




 ー2012.10.15ー


 あれから、約一週間がたった。

 未だにユリアの消息は掴めないまま貴重な時間を浪費し続けて、捜査している職員たちには少なからず苛立ちと疲弊が募っていた。

 ここは先生達が集う職員室。今はユリア捜索の実質的な対策本部となり、事務机の上には最近報道されたあらゆるニュースがまとめられた全国紙から地方紙までが乱雑に放られていた。

 関係者達が調査を進めている職員室の中の事務机の一つ、紙の山が一際大きい机の中には佐久間 拳が埋もれながら作業をしていた。

 内容は坂華木 舞子が水人形をフル活用して入手してきた、聞き込み調査の結果の整理。「私そういう作業苦手というか、性に合わないんですよねー」といって坂華木 舞子が丸投げしたものだ。

 こんな時に限って何を悠長な───と思う人もいるかも知れないが、長年の付き合いのある佐久間は『私は出来ることをやる。もちろん全力でねッ』という副音声を理解出来たため、この理不尽ともいえる要求を引き受けたのだ。

(ニートとはいえ…いざという時は教師らしくしてるんですよね……………全く)

 それにしても、と脇に置いてある紙の山の一角に目をやる。これらが聞き込み調査の結果報告なのだが、かなり広い区域から、かなりの人数に聞き込みしている。しかも、わずか10分や15分と経たない内に新たに5mmほどの結果報告の束がその上に積み重なる。

 珍しくやる気なのは結構なのだが少しはこちらのことも考えてほしい、と状況に似つかわしくない思いが脳裏をかすめる。

(まぁ今度……マンガか何かでも奢りますかね)

 そして、そんなことを考えている間に新たに届いた坂華木の報告書を一枚めくった、


 ───まさに、その時だった。


 結果報告の紙の山の反対側、つまり机の左側には、音の振動を風の能力で広範囲に伝播するという正に「風の便り」を体現した『ラジオ』が昼の2時を伝える。それと共に、昼のニュースを報道し始めた。





 お昼の二時になりました、ニュースをお伝えします。まずは先程入りました速報です。


 フローゼル家の御曹司であるゾドム・フローゼル氏が昨日未明、セントヘレナ家の御令嬢との婚約を正式に発表しました。


 この二大貴族は、京都府大江山周辺の与謝野町、福知山市、宮津市などの、京都府主要の地域の統治を『かつて』担っていた家系と、代わって『現在』統治している家系であり、世間的にも影響力の高い家系です。


 今回の婚約発表は、現在縮小傾向のあるセントヘレナ家をフローゼル家が吸収する形となっており、事実上の二大貴族の統合を意味していると思われます。この二大貴族の統合はそういった地域の統治にどのような変化をもたらすのか、全国から注目が集まっています。


 式につきましては、明後日の10月17日、式場はフローゼル家の屋敷内で行われる模様で、近隣地域の貴族がこの式に参列すると思われます。



 続いてのニュースです。

 …………………………



 』




 ………………………………


「い…今のは…………!?」

 頭を何かで殴りつけられたような衝撃だった。佐久間の頭は、そのあまりの衝撃に半ばパニック状態に陥りかける。

「お、おいこれって………」「ウソでしょ……………?」

 このニュースを聞いた職員も大差ないようで全員が耳を疑い、あんぐりと口を開けている人がほとんどだった。しばらくの間静寂に包まれていたが、


 皆が一斉に、事実の裏付けに向けて行動し始めた。

「公表の時の記録はないのか!」「フローゼル家に連絡を入れろ!」「でもさっき大きな行動はするなって」「もう公表されてんだ!遠慮なんていらん!」

 室内の静寂は、一気に焦りや動揺に変わる。

 職員全員が右往左往している中で、音を立てて開いた扉から汗を垂らして芦屋が駆け込んでくる。表情は、一面焦燥で塗りたくられていた。

「はぁ、はぁ…………き、今日のニュース、見ましたか?」

「えぇ。お陰で職員達は駆け回っているよ」

 佐久間はわずかに職員をさして答える。

「それにしても…とんでもないことになった」

「結婚する二人というのは…………」

「恐らく『例の』二人で間違いないだろうな。嫁の方は…現在何者かに拉致されて行方不明中のユリア・セントヘレナでほぼ間違いない。一方…問題の婿の方は……………」

「よりによって、あのフローゼル家だなんて………ッ!」

 ───フローゼル家

 ニュースにもあったとおり、現在セントヘレナに変わって大江山周辺の統治を担う上流貴族だ。上辺では「この地域をよりよい里に」と唄っているが、現実はセントヘレナ家が地道に積み上げていた繁栄を横からかすめ取ろうという魂胆が世間にダダ漏れしている悪評高い家系である。

 特に、今回の婿であるゾドム・フローゼルと、その父であるライド・フローゼルに関しては、とりわけ悪名高く、金に目がないことで有名だ。

『金のためなら何でもする』

 そんな阿保らしいセリフを冗談抜きでやってしまうような今時珍しい(若干時代錯誤な)奴らだ。

「それにしても、なぜこのタイミングなのでしょうか?何も今じゃなくても……………」

「いいえ…あの人達なら十分やりそうなことです。すぐにでも…利益が欲しいのでしょう。その行動力をカネ以外に使うことは考えないのでしょうかね?」

「なら、そのセントヘレナ家との結婚により得られる『利益』とは何ですか?今のセントヘレナ家では、その………………」

「統合しても得られるものは少ない、と?」

「………………………………………はい」

 芦屋は、渋い顔をしながらも頷く。

 いってしまえば今のセントヘレナ家はいわば没落貴族、持ち物はさほど多くなく、貴族間における権力もフローゼルにとっては雀の涙ほどのものだろう。芦屋の返事は、同時にそのことを認めてしまうために躊躇いが生まれてしまったのだ。

「ありますよ………十分に」

「え?」

 それでも、佐久間は否定した。

「貴族同士の婚約というのは『相手に対する絶対的な信用』であり…一般の結婚よりも大変大きな意味を持ちます。そして、セントヘレナ家は…財産や権力が無くなってしまった今でも…一地域を統べる上でとても必要なものを持っています。なおかつ…フローゼル家に不足しあれば金になる…喉から手が出るほど欲しいものです」

「それって…………………もしかして、『信頼』?」

 佐久間は、小さくうなずく。

「恐らく…間違いないでしょう」

 セントヘレナ家は、地域の人との友好関係を重視し、とりわけ人とのつながりを大切にしていた政策を採っていたため、力を失った今でも地域の人に根強い人気と信頼を置かれている。ユリアが商店街を通れば「大変だねぇ」といって売り場の品を分けてくれるほどだ。

 しかも、セントヘレナ家はフォートレス能力専門高等学校の創設にも多大な援助をしており、この関係も深い。もし、フローゼル家がセントヘレナ家を引き入れた場合、すべてとはいえないが、セントヘレナ家が長年培ってきたものを一夜で手に入れることが出来る。

 市民の賛成が得られず大きな政策をなかなか打ち出せなかったフローゼル家にしてみれば、それに加えて国家施設であるフォートレスとも関係を作れるのだ。確かに喉から手が出るほど欲しいものといえる。

「…………となると、どうやってフローゼル家の結婚を阻止するか、ということになりますね」

 佐久間先生の事務机のそばで、口に手をおいて思考を重ねる芦屋。

「そうですね。でもその方法が問題です。無理矢理ユリアさんを奪還すれば…この地域と各国貴族とのわだかまりが残ります。それを口実にされれば…言葉通りの意味で大江山をさら地にされかねません。かといって…結婚が成立してしまったが最後…この地域はフローゼル家の統制となり一職員である私たちが介入出来る余地が無くなります。そして…どちらの道になったとしても………恐らくその先に光はありません」

 行く末は、ここら周辺が、破壊の限りを尽くされるか、あるいは悪政により苦痛に晒されるかの二択。思考の末に行き着いたのは、『八方塞がり』という残酷な結末だった。

「報告します!」

 二人で重い雰囲気に圧されている中、事実調査に向かっていた内の一人が戻ってきた。

「今回の件についての記録と裏付けは取れました!ラジオを使ってかなり大々的に報道されています。恐らく統合するという事実を大江山周辺の人に知らしめるためではないかと。それと、どうやら結婚の準備は会見よりかなり前から計画されていたようで、ユリアさんが誘拐される前からフローゼル家の近辺であからさまに不自然な大型トラックが何台か目撃されています。現在、フローゼル家に通信を入れても『今は忙しい』の一点張りで音信不通、フローゼル家の入口は全面封鎖され、その周りを取材陣と偵察目的の貴族の刺客がちらほら、と言ったところ。以上です!」

「………………………………そうですか」


「…………………あの」

 佐久間が対策を練るために熟考していると、不意に芦屋が小さく声を上げる。

「そういえば、洋斗君の『様子』はどうですか?」

「桐崎君については相変わらず上の空で……………………あ」

 芦屋があくまで『調子』と言うところで『様子』という言葉を使うのは、洋斗の心境を知っているから。

 恐らく佐久間もそれは知っているはずだ。


 だからこそ、

 ふたりの脳裏にある懸念が湧いた。


「そういえば…洋斗君は結婚のことを…知っているのでしょうか?」

「え?どうでしょう。確かあそこにはラジオが…………………………!!!」

「気づきましたか」

 佐久間は一度呼吸をおいてもう一度芦屋に向き直る。そこにあるのは───焦燥。



「もし洋斗君がこれを知ったら…無理を押してフローゼル家に向かわないでしょうか?」



 約1週間が経ったとはいえ、まだ洋斗の傷は塞がっていない。もし、そんな状態で敵の本拠地に向かったならば、身体的にただではすまない。それどころか、不法侵入などの法律を持ち出されたら、本当に救う手立てが無くなってしまう。

 芦屋の額に、玉のような汗がにじみ始める。

「ちょっと様子見てきますッ!」

 芦屋は、動揺で未だにざわついている職員室の扉を開け、全速力で出て行った。



 ~~~~~~~~~~~~~~~



 外は、かなり濃い雲に覆われていた。そんな薄暗い廊下を全力で駆け抜ける。

 とりわけ体力があるわけではないが、そこは気力で鞭を打つ。

 そして一つの扉の前で急ブレーキをかけて停止し、

「洋斗君ッ!!」

 芦屋が友の名を叫びながら、保健室の扉を開けた。


 ───そこにはただ、誰も入っていない、空のベッドが並んでいるだけだった。


 その内の一番窓際のベッド。

 誰も聞き手がいないラジオが虚しく有名コメンテーターの軽快な音声を流し続けており、掛け布団は無惨に床に広がっている。

 その光景を目にして思わず奥歯を噛み締める。ギリギリと、耳に残る嫌な音が頭に響く。

「くそっ!」

 芦屋は保健室を飛び出した。

 雲はさらに濃さを増して空を黒く染めていた。




 ~~~~~~~~~~~~~~~



 そして、その雲はとうとう雨を落とし始めた。

 大江山の外れにある野田川。雨の日は多少荒れるこの川だが、今はまだ降り始めたばかりであったためまだ穏やかな状態だ。直に上流からの雨水でかさを増してくるだろう。

 ───この上を横切るようにかかる嘉久屋橋の上を、一人の少年が歩いていた。

 少年は、身体を左右にふらふら揺らしながら橋の上を進む。脇腹を押さえながら進む少年は傘をさしていない。そのため、比較的大粒の雨の群が頭や肩をびっしょりと濡らしている。


 そこに芦屋が走って追いついた。そして少年の姿を視界にとらえる。

 その姿は、とても脆く、弱かった。

 追いついた芦屋が、本当にこれが『桐崎 洋斗』なのか、と疑問を持つほどに。

「そっちにフローゼルの屋敷はないよ」

 芦屋はしっかりと息を整えてから、少年に言葉を投げかける。その少年、桐崎 洋斗の足はもう少しで橋を渡りきろうかというあたりでピタリと止まった。

「どうして…………?」

 洋斗は芦屋に背を向けたまま話す。

 そのことについて芦屋は気にも止めなかった。橋の対岸側で芦屋は言葉を投げかける。

「手当たり次第に駆け回ってね。思ったより遠くなくて助かったよ」

「………………………」

「戻ろう、洋斗。みんな心配してるよ?」

「……………………どこなんだ?そのフローゼルの屋敷ってのは」

「今の洋斗に教えると思う?」

「…………………」

「…………………」

 二人は押し黙る。

 どんどん強くなってくる雨の中、雨粒が橋桁の石にぶつかる音と、水量増加で大きさと荒さを増した川の呻きだけが空間に響く。

 そして、洋斗が口を開いた。

「…………ユリアが、待ってるかも知れない」

「………………」

「いきなり変なところに連れてかれて、強制的に変な話押し付けられて。どことも知れない部屋に閉じ込められて!小さくなって泣いてるかも知れないんだ!!だったら速く行かないと……………………ッ!!」

 ユリアのことを思ってか、次第に声の強みを増していく。

 対して、芦屋は至って冷静に、洋斗の言葉を聞いていた。

「いいよ。口で止まるとも思ってないよ」

 そして、純粋な肯定の意を示した、



「だったら、僕がそれを止めてみせる。」

 抵抗という、条件付きで。



 ユリアを助けたいのはもちろんであり、それと同時に桐崎洋斗も大切な友達の一人なのだ。その二人を天秤に掛けてどちらかを投げ出すようなことを、芦屋道行は決して良しとしない。

 そういった決意の表れた言葉だった。

「僕は洋斗が無鉄砲に本拠地につっこむことは賛成しない。それに───今の洋斗君に、ユリアさんの救出なんて出来るわけない」

 だから、芦屋は胸を痛めながらも今の洋斗を切り捨てる。

 対して、

 その言葉を聞いて、洋斗は初めて芦屋の方を向いた。

「…………………やってみろよ」

 その目は、圧倒的な怒りの視線を芦屋にぶつける。

 怒りを体現するかのように身体からバチ…………と青白い雷電を散らし始める。

 洋斗にとっては、ユリアを助けに行くことが身の安全を差し置いて最優先事項となっている。理由はどうあれ、邪魔するような人を前に引き返すようなことは絶対にない。

 たとえそれが、学生時代を共にする親友であっても。

「ただでさえ意味不明な展開にイライラしてんだ。容赦は出来ない」

 そのプレッシャーに芦屋は思わず後ろに下がりそうになるが、何とか気力で踏みとどまる。

 さらに、芦屋はそっと腰を下ろして濡れた橋に手を置きながら、強がりでわずかに笑ってみせる。

「いいよ、すぐに終わらせる」

「ッ!!!」

 洋斗の我慢は、ついに沸点を超えた。

 足に電撃を流して、瞬時に間を詰めようと足に力を込める。

 対して、

(僕に洋斗君の動きを見切る事は出来ない。だから…………!)

 芦屋は、洋斗が地面を蹴る瞬間に橋から石の壁をせり立たせる。

 ただし、垂直にではなく『洋斗側に倒した』方向に。

 ───その結果

 ドゴン、と芦屋に向かって最短距離でつっこんだ洋斗の腹に壁の上面がめり込んだ。

 壁が斜め上に押し上げる形となっているため、足がわずかに浮き上がる。

「ふ………………ぐォ!」

 腹部の広範囲を一気に圧迫されたことで、肺の空気が締め出される。

 洋斗は身体の力が抜けそうになるのを辛うじて抑えつつ、肩の回転の力を使って腹に突っかかっている壁をアッパーカットのように殴りつける。壁は洋斗自身の腕力ではなく、流された電撃の破壊力で粉々に砕け散った。

「く、そ……………っ」

 そして、わずかに浮いた足を地につけようと足を伸ばす。


 ───だが

「………………っ!?」

 その足が石造りの橋桁に着くことはなかった。



 水面スレスレの所をかすめるほど、2、3m下に低くなっていた。

 本来の高さなら足が着くはずだったのだが、芦屋が橋そのものを下に押し下げてしまったのである。横に幅広い壁が腹部にあったため、そのさらに下で起こっていた変化を視認することが出来なかったのだ。

 それによって、本来あるはずの身体の支えを失った洋斗は、バランスを修正しきれないまま落下する。

 身体能力が規格外の洋斗でも、空中での移動は叶わない。そのまま重力に流されていく。

 落ちている最中に、橋の上の段に立っている芦屋が見えたが、それも一瞬。

 洋斗は背中から橋桁に叩きつけられた。

「ぐ……………ァ」

 洋斗が落下した距離もおよそ2、3mで大した距離ではない。だが、傷がまだ完全に回復したわけではない洋斗の身体にとっては十分につらい衝撃だった。

 十分に受け身がとれず、石造りの橋桁にぶつけた背中からズキリと痛みを発する。

 ───それによって、わずか次のアクションが遅れてしまった。

 洋斗の周囲の橋桁が一段下がったことで生まれた、前後の壁。

 そこから、何本もの細い柱が洋斗に向かって突き刺さる。

 ズガガガガガガガ!、と背中の壁を支柱が貫き、針のむしろのように変貌していた。

 反射的に身体は起こしたものの、それ以降に続くはずの回避行動を起こすまでには至らない。傷の痛みもあって、この攻撃を前に洋斗は全く動けなかった。

「…………はッ……………はッ…………………」

 無数の柱のむしろの中で、息を切らす洋斗。

 雨の中でも、その額から汗が流れるのがわかる。

 ───勝負の結末は、宣言通りに、あまりに呆気なく芦屋に軍配が上がった。

 洋斗の前方の柱の群が橋桁に収まり、橋の上の段から飛び降りている芦屋が見えた。パシャッ、と水たまりが出来ている橋の上に着地した芦屋はそのまま、状態を起こした体勢の洋斗に歩み寄る。

「……………………これで分かったよね?今の洋斗君はまだ十分に回復しきってない。肉体的にも、精神的にも、ね」

 芦屋は、洋斗を見下ろしながら語りかける。あくまでも顔に表情は示さないままで。

「…………………………」

「全力の洋斗なら、自分の方に向かってくる壁に反応できない訳ない。回復しきった洋斗なら、橋の上に落ちたときに対応できないはずない……………………いつもの洋斗なら、僕『なんか』に負ける事なんて有り得ない」

「………………!」

 それを口にした芦屋は穏やかに笑っていた。

 洋斗の強さを芦屋は知っている。

 一族の総長であるはずの自分がそれに届かないであろう事も。

 だから、芦屋は洋斗に対し向けたのは、勝手な行動に対する叱責でも、自分の勝利の誇示でもなく、親友に対する純粋な評価であり、心配だった。

「僕を倒せないような状態の洋斗じゃ、ユリアさんを助ける事なんて出来ないし、返り討ちにあう洋斗君を、僕は見たくない」

「……………………………………………」

「それに、僕だってユリアさんを助けに行きたいのは山々なんだ。僕が頑張って気持ちを抑えている横で勝手気ままに助けに行くなんて、僕だってさすがに怒るよ?」

 洋斗は、自分の心のわだかまりがふるい落とされていくのを自覚した。心の中にあった怒りや焦りが水面の波のように収まっていく。

 自分が、ただ怒りに身を任せた短絡的な行動をとっていたことに、洋斗はやっと気づいた。

 今目の前で立っている、ずぶぬれの親友に叩きのめされることによって。

「洋斗には、今は休息が必要だよ。大丈夫、あれだけ大々的に結婚を表明したんだ。多分どこかに監禁とかされているんだと思う。殺されるようなことは絶対にないよ。それに……………洋斗君が本気を出せれば、きっとユリアさんを助けられる。僕が保証するよ」

「………………ぁ………………………………っ」

 同時に、芦屋の顔を映していた視界が少しずつ霞み始めて、思わず顔を伏せる。洋斗の心を覆い尽くしていたものは、崩れて、溶けて、目尻から流れ落ちた。「あれ?目にゴミが……」なんて冗談を吐けるほど洋斗に心の余裕は、なかった。

「───帰ろう?みんな待ってるよ」

 芦屋は洋斗に手をさしのべる。

 そう言われた洋斗だったが、しばらくはそこを動くことが出来なかった。



 ~~~~~~~~~~~~~~~



 洋斗は結局、土砂降りの雨の中を芦屋に支えられながら、ユリアの屋敷に帰ることにした。

 ずっと学校の保健室で静養をとっていたため、この屋敷にはおよそ十日ぶりの帰宅となる。

 詳しいことは学校側から聞いていたのか、ゴードンさんは何も言わずに介抱してくれたことは、洋斗にとってはとてもありがたいことだった。


 ───その後は芦屋から婚約についての詳しい説明を受けて、一日を終える。


 次の日は、一日中寝室で静養をとっていた。

 すぐにでも出て行きたい洋斗だったが、それに反して何事もなくずっと中にいた。なぜなら、ドアのすぐ向こうに常に人の気配があって、自分が行動する度に相手の反応を示したことからも完全に監視されていることを悟ったからだ。

 最初は疑心暗鬼だったので、試しに窓の方まで歩いて行ってみたりもした。すると、すぐにゴードンさんがドアを開けて入ってきた。ご丁寧にも紅茶セットとご一緒にである。促されるままに紅茶を飲んでいるときにゴードンさんが───。

「外を眺めるのはよろしいのですが、うっかり外に落ちるのだけは気をつけてくださいね?」

 と意味深な言葉(恐らく『外に出ては行けませんよ?』という意味を隠している)を残して行ったことで、先ほどの疑心暗鬼はより確固たるものとなったのだ。

 自分の身体を覆い込むくらいにふかふかのベッドに埋もれながらじっと天井を見上げる。

(…………確かに、芦屋の言ったとおりかも知れない)

 改めて冷静に考える時間が出来たことで、ふと自分を見つめ直す時間が出来た。

(今にしてみれば、あの時の俺はどうかしてた。あんな身体で向かったところで出来る事なんてたかが知れてる。特に芦屋との一戦。短絡的な行動、状況変化への適応力の低さ、とにかく全てが不十分だった。芦屋の言うとおり、乗り込んだところで返り討ちだっただろうな………………)

 募った苛立ちのせいで考えなしに相手につっこんでしまい、完治してない身体のせいで橋に落ちたときの対応が遅れてしまった。いや、そもそも完全なら落ちる前に体勢だって整えられたはずだ。

(…………………………まだまだだな、俺って)

 強くなった、と心のどこかで思っていた。

 これなら大切な誰かを守れる、とも。

 過信は災いを招く、と父さんも言っていたがまさにその通りだった。

 現に、洋斗はスーツの奴らに完敗し、ユリアを連れて行かれた。

 ───足りない。

 ふと洋斗は思う。

 もっと強くなりたい。

 もっと、『力』が欲しい。

 洋斗は寝返りを打って部屋の角の一点を見やる。そこには洋斗と一緒にこの世界にやってきた、一本の刀が立てかけてあった。

 ベッドから立ち上がって刀の所へ歩く。ドアの向こうで気配が動いたが洋斗は気にしない。

 もう刀に手が届く───というところでその手が止まる。

(もう、使わないと、思ってたんだけどな……………)

 無自覚に震える手で刀をつかんで、わずかに抜く。

 隙間からのぞく刀身が異世界に来ても変わらぬ輝きを放ち、鋭利な殺意を際立たせていた。

 刀を鞘から完全に抜き取り、すう、と静かに上段の構えをとる。

 ───そして

 ヒュン!、と一気に斜め下に振り抜いた。

 洋斗はこれまでかなりの武術を習ってきていたが、それら全てが徒手空拳で刀などの武器を使ったものは習っていない。

 だが、手に持っているこの刀は、まるで自分の一部だったかのように何も抵抗なく身体に馴染んだ。

 何回も振っている内に、洋斗はあることに気づく。

(この動き、今まで習ってきたものと似てる)

 刀を振るような動きが武術にあるわけではない。だが、刀を振るときの手の振りはこれ、足運びはそれ、というように今まで習ってきたことが巧みに噛み合って刀を振るう動きを補完してくれている。


 まるで、『ここはこうするんだ』と、肩に手を置いて教えてくれているようだった。

 昔のように。


 もしかしたら、元々あの飾り刀は俺にくれるものだったのかも知れない。

「嵯鞍……玄条……か……………」

 洋斗は父親であり、師匠でもある男の名を呟く。その男のたくましい背中が頭をよぎって、

「やっぱ………………変な名前…………ッ」

 頬に涙が一筋、尾を引いて流れ、落ちた。


 その後も

 何回も、何回も、まるで噛みしめるように縦横に刀を振り続けた。

(まだ、俺を鍛えてくれるのか、まだ俺を強くしてくれるのか?)




 ………………ありがとう、父さん。




 振るのを止めて、刀を下ろす。

 今にもあの男があぐらをかいて座っているであろう空の上に向かって深くお辞儀でもしたいところだ。

 だが、そんなことをすれば、あの男は『そんなことをしてる暇あったら、救える命、救って来な』と拳骨をかまされるところだ。

「………………ゴードンさん」

 洋斗は、扉の向こうに準備しているであろう気配の名を呼ぶ。

 案の定、いつもの律儀な動きで、扉を開けてゴードンさんが申し訳無さそうに部屋に入ってくる。

「全く、衰えたつもりはないのですが、とうの昔に気づかれていましたか」

「俺の傷、治せる?」

「………………………どこかお出かけですかな?」

「応急処置でいい。血が出なければ、痛みが引けばそれでいい。十分に動けるくらいに、治せるか?」

 ゴードンはじっと洋斗の目を見る。そして、説得は不可能と悟ったのか、諦めたように口を開いた。

「出来る限りのことはしましょう。これでも私は後方支援担当でしたのでそういった手法は心得ております。ですが、あくまで本当に応急処置です。正直に申し上げて、洋斗様の戦闘スタイルではあまり保たないと念頭に入れておいて下さい」

「……………………あぁ」

 洋斗は、手に握る刀をより一層握りしめた。




 明日は、ユリアの結婚式。




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