1章:どこにでもある序章(プロローグ)
ー2012.03.24ー
「……………………」
目が開く。
仰向けから起き上がる上半身。ぼんやりとさまよう視線。眠気眼によって狭まった視界。
そんな中、視線以上にぼんやりとした頭で当然のごとく思う。
そして───一言。
「…………………………………………ここどこ?」
周囲の風景───一度として見たことの無い部屋の様相を見た、率直な感想だった。
『いきなり何言ってんだこいつ?』と思うやつがほとんどだろうと思う。その気持ちはよくわかる。が、説明するためには時間を少し遡らなければならない。
俺の身の上話とともにこれまでのことを振り返ってみるとしよう。
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ー2012.03.13ー
まずは自己紹介。
名前は桐崎洋斗 。
性格は、特別暗いわけではない、といったところ。要するに普通。勉強は上の下くらいだろうか。
とりあえずこんなもんで十分だろう。
今は中学校生活最後の授業の真っ只中。細縁メガネをかけた細身の担任教師が中学校生活最後における別れの言葉を、嗚咽と交えて述べているところだ。彼の前には感化されて貰い泣きする生徒もちらほら。教室全体のみならず学校全体にしんみりと澄み渡る、未来への期待と巣立ちの悲しみに満ちた静謐な雰囲気。
そんな中で俺はそれを歯牙にもかけず、ただ窓際の席からぼんやりと外を眺めていた。
今日の空模様は教室の薄暗さとは対照的に清々しいほどの青空。校内の雰囲気などどこ吹く風といった様子で白い雲を吹き流している。
そんな自由な空を、俺は何を思うでもなく見つめていた。
授業と「明日は卒業式だ」という報告が終わり、中学生として迎える最後の放課となった。放課と同時に多少身構えるのは中学校生活の中で定着した習慣のひとつだ。
「ヒローーーー!」
来た。声の発生源である教室の入口を見ると、案の定このご時世には珍しい、しかし俺はすっかり見慣れてしまった鮮やかな金色の長髪をなびかせた巳島由梨香が駆けてくる。金髪はイギリスのクォーターに起因するものらしく、残りの四分の三は日本のもの、すなわち根は海外渡航歴すらない日本人だ。性格は『元気ハツラツ』の一言に尽きる。とにかく明るく前向きで誰とでも気兼ねなく話し続けられる自信があると自供するほど。運動神経は女子トップクラスで男子と競るほどなのだが、勉強は下の上くらい。容姿端麗だが決して完璧超人でもなければ高嶺の花でもない、そのギャップもまた学年トップの人気と被告白数(=袖振り回数)に繋がっているようである。
そして同時に、彼女は昭和から続く「巳島コンツェルン」の一人娘。この年にして財閥の跡取りとなることがほぼ確実視されており、頂点に咲き誇るに相応しい容姿と世当たりの良い性格でそれに見合う人望も持ち合わせていた───唯一頭脳だけ足りていないのが悔やまれる。
「来たな巳島」
「イヤー最後の授業がついに終わっちゃったね。最後の授業が社会だったんだけどさ、担当の堺さんが大泣きしちゃって授業どころじゃなくなって大変だったよー!しかもいきなり人生とは、なんて語り始めちゃってもー話が終わんないのなんのって………」
………と、こんな会話(放射)が3年間続いたと思ってくれて構わない。巳島は邂逅当初から話題が尽きず、俺はただ聞きに撤するだけでいい。逐一話題を捻り出す苦労がないので、俺は話を聞き続けるこの時間が嫌いではなかった。
だが、そんな会話の中に入ってくる第三者はいない。
俺たち二人の周りには空間の隔たりがあった。
というのも、中学生の間は他の人とはほとんど関わろうとはしていなかったのである。
理由は……いずれ話す時が来るだろうが、俺は「他人と仲良くなる」ということに「恐れ」のようなものがあった。なので、周囲には壁を作って過ごしていた。
この壁を打ち破った数少ない人間の一人が、巳島由梨香当人である。一年2学期頃の『ねぇ、消しゴム2個持ってる?』という囁きから始まり、違うクラスになった三年の頃もほぼ毎日こっちに来てただだべっていた。
今日も白雲浮かぶ青空の下、教室の片隅で二人だけの会話が続いていた。
ー2012.3.14ー
「ただいまー」
卒業式からさっさと帰ってきた俺は、個人宅にしては大きめの門をくぐって玄関を開けた。
その時に全速力で飛んでくる物体を処理するのも、俺の習慣である。
───今日もその例外ではなかった。
パシンっ!!、と軽快な音が響く。
玄関からまっすぐに延びる廊下、その先から一直線に何かが飛来、それに反応して手が動き、飛来物を片手で掴み取った。今日は湯呑みか、と考えつつ飛んできた方を睨んだ。
「…………せめて『お帰り』とか言ってくんない?」
「…………はぁお帰りー」
「遅いしため息混じりだし。大事な挨拶を湯呑み投げて済ますなよ」
「何言ってる?俺たちの仲に言葉はいらな「洋斗の言うとおりですよ、龍治さん?」
突然滑り込んだ声の主は、投擲の主犯の後ろで黒めなオーラを放っていた。卒業式が早めに終わったので今は昼前。ご飯の支度中だったのか、その女性の手には綺麗に研がれた包丁が握られている。
「拳で語り合うのは構わないですけど、食器類は投げるな、って何度も言っているでしょう?何度も。一体それで何枚の皿が陶器の藻屑になったと思っているのかしら?」
「いや、拳もダメだろ」
若干的外れな注意をしながらじりじりと詰め寄るのが母・桐崎 世良、「ま、待て早まるな世良!」とじりじりと後ずさるのが投擲の主犯こと親父・桐崎 龍治であり、桐崎家はこの3人で生活している。
父母といっても血の繋がりはなく、俺は養子だ。その養子となった経緯にも紆余曲折あるのだが、今はそれは置いておく。けれども、血が繋がっていない事など気にならないくらいに、とても楽しく一日一日を過ごしている。
俺は仲良し(一応)な二人をよそに自室へと足を運ぶ。通学用カバンや卒業証書の筒などを床に放り投げ、服装を制服から道着に着替えて併設されている『道場』へと向かった。龍治の家は大きな道場となっており、龍治はそこの師範みたいなものをしている。ちなみに門下生は俺一人だ。
俺は、龍治からかなりぶっ飛んだ方法で鍛えられている。さっきの投擲も修行の一環だ。というのも『常に周囲の気配を察しておけ!』といって、あらゆるタイミングで、突拍子もない所から物を、かなりの速度で投げつけてくる。修行を始めてすぐの頃にトイレの窓から飛んできた英和辞典が脳天にかち当たった衝撃は今でも鮮烈に覚えているが、今では眼よりも体が勝手に動いて対応できるようになった。授業中に寝ていても飛んできたチョークを掴み取れる自信があったほどだ。
他にも身体を鍛えられたり、「仙人にも勝てる格闘術(龍治曰わく)」をたたき込まれたりして、そのおかげで体育などは俺の独壇場だったりする。といっても、本気を出したことはないので実際にはわからないのだけれど。
この日も一通り一人稽古を終える。
自室へ向かう道中、洗濯物カゴを両手に抱えて歩く世良さんと遭遇した。カゴの中で山を成している湿り気を帯びた衣類、それらを干しに行くのだと容易に察することができた。家族三人分とはいえそれなりの重さのはずだが、すらっと伸びた無駄も隙もない姿勢からはそれが感じられない。
「あら洋斗、練習は終わり?今日は少し長かったような気がするけど」
「卒業式の間ずっとパイプ椅子に座りっぱなし、教室では担任の話を聞きつつ座りっぱなしだったから、いつもより体を動かしときたかった。おかげでずいぶん楽になったよ」
「そう、ならよかったわ。少し早いけど折角だからシャワーでも浴びてきなさい」
「そうするよ、『世良さん』」
「……………………………」
それだけのありふれた会話を交わし、二人はすれ違う。
その間際、世良さんの顔にわずかな悲哀が浮かんでいるのを見た。
「…………………あ、そうだわ!」
完全にすれ違った後、思い出したようにかけられた声に応えるために振り返る。
「どした?」
「晩ご飯の準備がもうすぐ終わるから、シャワーだけにしてササッと上がりなさいね。洋斗は湯船に浸かると長いから」
「………ん、そうする」
それを最後に、二人は真逆の方向に歩き始める。
世良さんの前置き通り、シャワーからあがって居間に戻ると夕食の盛り付けが大方終わろうとしていた頃だった。
ー2012.03.23ー
そんな日常極まりない春休みを過ごしていたが、その日は少し違った。
龍治の家は道場も兼ねているからなのか、数年たった今でも入ったことのない部屋がいくつかある。親父は散歩に、母は買い物に行っている隙を見計らってそのうちの一つ───龍治の部屋に、その日始めて入った。
入ってみると中は思いの外狭く、あまり使われてないのか自分が歩くだけで舞い上がった埃が鼻をくすぐった。家具も少ない。小さな棚には本がいくつかあったが、どんな本かは見なかった。ただの古臭そうな本なんかに興味を引かれなかったという事もあるが、それよりも目を引く物があったからだ。
───それは、飾られた一本の刀だった。
この小さな空間の中でそこだけ空気が歪んでいるかのような重厚な雰囲気、この部屋に存在する眼球がすべてそちらに回るような異彩を一本の刀が放っている。あまりにも自然に手がその刀を取る。自分がいつ、刀に手が届く距離まで歩いたのかも分からない、本当に吸い込まれたかのような感覚だった。
手にのしかかる得物の重さ。持つ手が傾くたびに鈍くきらめく鞘の漆黒、その黒に同調するよう持ち手にのみ紫の糸が巻かれていた。親指で少しだけ鍔を押し上げる。鞘とは比較にならないほど不気味な光を跳ね返す銀閃の輝き、それこそが真剣であることの確たる証明に思えた。何となく使い込まれているのは分かるが、親父が刀を持っているところを俺は一度も見たことがなかった。これは一体どういう刀なんだろうか?
そんなこんな考えていると、
『ただいまー』
と、透き通った声が耳に入った。
「ッッ!!??」
買い物に言っていた母が帰ってきたのだと焦りに焦った俺はとっさに押入の中に飛び込んだ。なぜここまで焦ったかというと、母は帰ってくるといつも最初にこの部屋に入ることと、俺がここに入るのをかたくなに禁止していることの二つの理由があるからだ。ドアに手をかけた時の、世良さんのあのおどろおどろしい笑顔は今も忘れてなどいない。
迅速かつ音を立てない様に襖を閉ざす。案の定、母は程なくして部屋に入ってきた。
が、ここで俺は気づいた。
───俺の手が刀をしっかりと握り締めていることに。
「あら、刀はどこかしら?」
その一言と共に足音が止まる。俺の頬に冷や汗が流れたのがわかった。これはまずいと思ったが、世良さんは「若い頃が懐かしくて持って行ったのかしら?」と言いながら静かに部屋を出ていった。
「フゥ…………」
と、思わずため息がこぼれた。そして体の力が一斉に抜けたせいもあり、俺は押入の奥の方の壁に寄りかか
る事は出来なかった。なぜなら、
水の中に落ちるように、背中が押入の壁に沈み込んだからである。
「うおッ!!??」
腕が反射的に伸び、すぐ横の壁をつかもうとする。
スカッ
「 」
すり抜けた。
頭が何一つ理解できぬまま、体は落ちまいと掴むところを探して足掻く。
右。左。上。
縦横無尽に掴みどころを求めて振り回し、そのことごとくが空振りに終わる。
「うわあああああああ!!!」と叫び声を出す瞬間もなく、俺は押入の奥に落ちた。
中は、何かが波打っているような感じはあるものの、パニックに陥った頭では何も分からなかった。
『自分がものすごい速さで流されている』ということを除いては。
「??!?! !? ?!?」
訳も分からぬまま、体感的にはウォータースライダー位の速さでどんどん流されていく。
少し落ち着きを取り戻した頃、流されていく先に白い光が見えた。「あそこが終着点か?」など考えている間も光の方へ『ウォータースライダー並の速さのままで』近づいていく。
「………え?ちょ、このまま突っ込むの?ヤバいってちょっと待……ッ!!」
俺は、勢いそのままに光の中に突っ込み、
ドゴォッ!
何かに頭からぶつかって、意識が途切れた。
~~~~~~~~~~~~~~~
ー2012.03.23ー
ある日、私はおやつに使う野草を取りに大樹の近くにきていました。
何とも、この大樹の近くには大樹の力を取り込んだ立派な野草が生えるそうです。周りを探してみると、噂通りの野草がたくさん生えていました。
ここで、ふと大樹を見てみます。大樹には人一人入れるくらいの小さな石の鳥居みたいなものがめり込んでいますが、成長の過程で一体化してしまったのでしょう。この石門は通称「異界の門」と呼ばれていて、「この門をくぐったら異世界に行ける」なんて逸話があるそうです。実際は大樹が邪魔で門をくぐることは出来ません。誰がつくった伝説でしょうね?
そんなことを考えていると、
「こんにちは、お嬢さん?」
と、私を呼ぶ声が。
振り返ると、そこには知らないおじさんがニッコリした笑顔で立っていました。
(これって、もしかしなくても不審者ですか!?これは、私はどうすれば………)
ギュルギュルギュル!!と私の頭はとるべき行動を導くためにフル回転します! その結論として、
「あの、どちら様ですか?」
お名前を尋ねてみることにしました。
───もう内心泣きそうです。
一方。
「君のお父さんに言われて迎えに来たんだ。さぁ、行こう!」
と男の人が近づいてきます。
私はこの一言で不審者だと確信しました。なぜなら、
お父さんは今この町にいないからです。
いや、もしかしたらこの世界にさえも………。
「………来ないで下さい」
「………もしかして、バレちゃったかな?」
そう言った不審者の顔が卑しさを帯びたものへと変わります。
そして、
「だったら………力ずくしかないよねェ!」
一気に走ってきて私を捕まえようとします!?
私は逃げようとしましたが、大樹のすぐ側のところで
「キャッ!?」
足を絡ませて転んでしまいます。
気が付くと男の手がすぐ目の前に!
(もう、ダメ………!?)
と、ギュッと目をつむり、身体を縮こませた途端、
ドゴォッ!
と何かがぶつかって転がっていく音が聞こえました。私を掴むはずの手もありません。
恐る恐る目を開けると、10mほど先に二人の男がピクリともせず倒れています。一人は先ほどの不審者、もう一人は見知らぬ人です。年は私と同じくらいでなぜか『手には黒い刀を持っています』。
「私を……助けてくれたのでしょうか?」
近づいてみると、二人とも気絶しているようです。
不審者ではない(?) 方に声をかけても返事がないので、助けを呼びに行くことにしました。
ふわ、と。
埃っぽい風が私の頬を撫でました。反射的に風上───不審者ではない(?) 方が飛んできたと思われる方向を見てみます。
「…………?」
しかし、そこには石門の付いた大きな樹が、何も無かったかのようにただ静かに立っているだけです。
すぐに踵を返し、家にいると思われる叔父様の元へと走りました。