三十年前のこと
我が家の玄関は三畳の広さ。いつもすっきりしている。
義母は、玄関は家の顔、と言っている。
三十年前も、余計な靴がゴチャゴチャ並んではいなかっただろう。
子供のモノではない靴は、大きいだけでなく、汚かったという。
「子供達の他に、大人が居ると思いますよね。
私なら、勝手に家に上がり込むなんて非常識だと文句言いますよ。
あ、でも、一緒に家にはいったかどうか、その時点では分からない。
子供達と関係ない侵入者かも」
気味悪がるレベルじゃない。
一番に泥棒を考えるのでは?
「後から、考えれば、サッチャンの言う通りよ。でも、その時は、何だろうって眺めてる間に、まだ頭が働く前に、二階から子供達が降りて来たの」
楽しそうにガヤガヤと
(おじゃましました)
(外いってくる)
(おばちゃん、ばいばい)
さっさと靴を履いて、走って出て行った。
義母はぽつんと玄関に立ったまま。
スーパーで買った食材は重いのに、
保冷バッグを肩から降ろす余裕もなかった。
そして、視線は足下に落ちる。
「大きな靴は、無かったわ」
夫が、隣でため息をつく。
「子供達の誰かが履いて出ていったのね」
私は、ちょっと笑った。
不気味でもなんでもない、
トモダチの一人が、どういう事情か知らないが
大人の靴を履いただけの事。
「その後すぐに、トモダチの一人が死んだ、元気だったのに。死んだ晩に、玄関に『大きな靴』があったらしい。朝には無かったと、リカが、言ってた」
夫が、思い出したくなかった事のように早口で話す。
……トモダチの一人が死んだ。
……瀬戸航太と同じ突然死で。
……ちょっと怖いかも。
(次は、ユウヤくんかも
私が、『大きな靴』を見たと。シンちゃんは、分かります。航太と……ユウヤくんも一緒に遊んでたと、教えてあげて)
瀬戸リカの言葉を、妙にはっきりと思い出してしまう。
「あ、でも、ただの偶然よ。大人の靴を履いてた子が、また、いた。それだけの事、でしょう?」
そうだ、偶然なんだ。
瀬戸リカは突然子供を亡くし、正常な精神状態ではない。
ただの「靴」を、オカルトちっくにとらえてるだけ。
夫と義母は今、そのマイナス感情に巻き込まれているのだ。
私まで、引きずり込まれてはいけない。
「そうだよ。誰かが、履いてきたんだ。……多分、アイツだ」
「な、なんだ、分かってるんだ」
緊張が解けて、ちょっと笑った。
でも、夫の目は怯えている。
なぜ?
「僕らは大抵、四人で遊んでた。アイツは、時々……いつの間にか、仲間に加わっていた。俺はリカが連れてきた、団地のヤツと、思ってた。リカ達は、俺のトモダチと思ってた、」
「……なに、それ……」
また怖くなる。
心臓が大きくコクンと音を立てる。
急に寒気がする。
この話は、もう聞きたくないと
心のどこかで思い始めている。
「あんまり喋んないヤツで………リカの、兄ちゃんが死んだ後からは、見てない」
(リカのお兄ちゃんが、死んだ)と言った。
「元気だったのに、朝死んでた、ジュンちゃんも、」
「……ジュンちゃん?」
「二人続けて死んだんだ。リカは兄ちゃんが死んだ夜に、玄関に、アイツの、大きな靴があったと、言ってた」
「……それは、……嘘でしょ」
怖い話に頭がついていかない。
それでも、理性は事実を並べてみる。
三十年前の夏休み。
夫は団地のトモダチと遊んでいた。
瀬戸リカと
その兄、
ジュンちゃん。
それに大きな靴を履いた子。
リカの兄とジュンちゃんが………死んだ。
病死? 事故?
二人が亡くなった後に、大きな靴の子は、消えた。
リカは、兄が亡くなった夜に玄関で大きな靴を見た。
瀬戸航太は、
<オニがいます。
夜になってもかえりません。
きのうは、ふとんの上にのりました。
いきがくるしかった。
きょうもきます>
と葉書に書いた夜に死んだ。
母親は、子供が死んだ夜に(また)『大きな靴』を見た。
「三十年前の不幸と瀬戸航太の死に関連性は無い。両方に大きな靴を履いたトモダチが居ただけ。大きな靴って随分曖昧じゃ無い? 二十四センチ?……もっと大きい二十六センチ位の大人の靴?」
「……大人の靴だったわ」
と、義母。
「うん。中学生よりもっと上の人が履く大きさだった」
夫も慎重に答える。
「あなたとお母様の言う事は一致している。……でも、瀬戸君の母親が言う『大きな靴』が同じモノかどうか分からない。今回見たというのも、あの人が言ってるだけなら、事実だという確証が無いわ」
話しながら気分が落ち着いてくるのを感じる。
義母と夫の表情に落ちていた影が薄くなってきた。
「今までの話を聞いてると、昔トモダチに混じってた子が……ヒトではない、悪魔か鬼だったかも、って事よね。続けて死者が出たことと結びつけて……それで、ちょっと怖かったんだ」
生徒に話しかける口調で、丁寧だが断定的に話してみる。
よく似た、面長で上品な顔立ちの二人は素直に頷いた。
「その子が誰か、はっきりさせたらいいじゃないの。三十年前の子はわからないかも知れない。でも、ユウヤが今、誰と遊んでるかは、調べられる。その中にサイズに合わない靴を履いてる子が、きっといるわ。その子に会って、瀬戸君が亡くなった日、夜に行ったか聞いてみるのよ。多分、母親の記憶違いだと思うけど。靴を見たのは、もっと早い時間だった。でも、兄が死んだときのことを思い出して、過剰反応して記憶が錯綜したのよ」
自分の分析に、満足した。
恐怖の殆どは払い落とす事が出来た。
「明日の葬式にはユウヤを連れて行くわ。トモダチが団地の子なら会えると思う。名前を挙げたトモダチに会えたら、誰と遊んでいたか聞けるわ」
簡単な事だった。
葬式で、すべて終わらせよう。
瀬戸家の不幸は気の毒だが
我が家には遠い話では無いか。