第九話 中華スープの思い出
日本では『中華料理』と一つのジャンルにくくられてしまっていますが、実は地方ごとにかなりの違いがあります。
以前、広東省の広州に旅行に行った時のことです。
レストランでメニューをもらって広げたとたん、服務員さんから、
「スープは何にされますか?」
と聞かれました。
通常、他の地域ではスープは料理の最後にご飯と一緒に食べるもので、日本でいえばお味噌汁みたいなものです。そんなに重要なお菜ではありません。
それなのに、"まずはスープを選んで下さい"と言われたのでビックリ( ゜Д゜)
現地在住の日本人の友人が解説してくれたのですが、中国南方(特に広州)では、料理の一番最初に、その日の体調に合わせた薬膳スープを飲んでから、その他の料理を食べることにより、効率よく栄養を取り入れる習慣があるのだとか。
スープのメニューも、他の地方だとそれほど選択肢がないのですが、効能別にずらーっと2ページ分書かれていました。
確かに、服務員さんに相談しながら頼んだスープは、とても美味しかったです。
干した白菜と蜜棗、豚肉赤身を煮込んだスープ(ごくごく家庭的なものだそう)でした。
漢方薬臭いこともなく、素朴なおいしさが、冬の寒さで冷たくなった身体にじわーっと染み込むような感じがしたのを覚えています。
それから10年くらい経ってから、仕事で広東省東莞市に長期滞在した時のこと。
仲良くなった現地の同僚(湖南省出身)が、ある日、私に手料理をご馳走してくれることになりました。
当時、彼女は工場の外にある単身者向けアパートを借りて住んでいました。(台所、トイレ、シャワー付きワンルーム)
まずは一緒に市場に行って買い物をしたのですが……。
「胖姐さん、スープは鶏肉でよいですか?鶏肉のスープにするなら、お肉を買いに行きましょう。」
と言って、市場の一隅にあった鮮魚ならぬ鮮鳥コーナー(活きた鶏やアヒルが籠に入れられて沢山売られている)に向かうではありませんか!
「えっ、ちょっとちょっと、陳さん、鶏肉って、まさか活きてる鶏を買うつもりなの?
さっき別の場所で冷凍肉を売っていたよ。」
と私が言うと、彼女は不思議な顔をして、
「胖姐さん、冷凍肉は死んでいるので、ぜんぜん美味しくないですよ。
鶏肉は今まで生きていたものを、すぐに料理して食べなければダメです。当たり前でしょ。」
と言うではありませんか!
そして、籠の中の鶏を慎重に選び、暴れる鶏の首をつかんで持ち上げながら、
「胖姐さん、これくらいの大きさでいいかなぁ?」
と聞くのです。
もちろん私に生きている鶏の良し悪しなど分かるわけがありません。
「ごめん、日本人は、生きている鶏肉を市場で買わないから、私には良し悪しが分からないよ。陳さんが良いと思ったもので構わないから……Σ(・□・;)」
と私が言うと、中国人の同僚は、
「へぇー、じゃぁ、日本人は鶏肉をどこで買うんですか?もしかして死んでる肉しか見たことないの?」
彼女は、"理解不可能"と言わんばかりの表情を浮かべながら、落ち着き払って選んだ鶏と代金を、鳥屋の店主に渡しています。そして店主は、鶏をお店の奥に持っていって、一瞬のうちに絞めて、すぐに遠心分離機のような装置にかけて羽をむしった後、包丁で内臓をさばいて取り出して、肉と内臓とを別々の袋に入れて、私に渡してくれました。
さっきまで生きて暴れていた鶏肉は、何というか、ホッカホカな感じ(人肌程度には温かい)で、内臓の色も、これまで見たことがないくらい鮮やかでした。
そして私は、その鶏肉の温かみに、普段は意識したことのない"他の生物を殺して食べる"という罪悪感が沸々と湧いてきて、彼女の家に着くまで、何となく俯き加減のままでした。
その日、彼女が私に作ってくれた、漢方薬入り(当帰と山薬とクコの実)鶏肉スープは、たぶん、今まで食べてきた中華料理のスープの中で一番美味しかったです。
そしてその美味しさを思い出すたび、あの日の鶏肉の温かさと罪悪感を思い出すのです。