第六十三話 革命のベルが鳴る
『文化大革命』をご存じですか?
1966年から約10年間にわたって、中華人民共和国で展開された政治運動の一つです。
"古い文化を捨てて、新しい社会主義文化を創設しよう"という毛沢東主席の呼びかけに答えて、中学生から大学生まで、たくさんの学生達が、『造反有理』(体制への反逆は正義だ)というスローガンを掲げて、この運動に参加しました。(いわゆる紅衛兵)
今では、政治運動の形をとった、共産党内部の権力闘争だったということが分かっています。
文化大革命(略称:文革)の期間中、中国の学校では、まともな教育が行われていませんでした。
知識や教師を疑い、徹底否定して批判することが奨励されていたからです。
だから、文革が義務教育期間に重なってしまった人達のなかには、ほとんど字の読み書きが出来ない人もいます。
まさに、”失われた十年”。このツケは重たいのです。
私が北京の大学に留学していた時、先生からこんな風に言われたことがあります。
「胖姐さんは幸せですね。誰からも襲撃されることもなく、学業に専念できるのだから。
文革の時代、ここの大学では授業がまったく行われていなかったんですよ。
当時の学生は、いくつかの政治グループに分かれて、校内でずっと戦争をしていました。
学校内の道路の敷石をぜんぶはがして、弾をつくって校舎の窓から手りゅう弾みたいに投げ合っていたんです。1976年の唐山大地震がきっかけで、やっと内部抗争が終わったのですが、その頃には、校内には敷石が1枚もなく、校舎の窓ガラスはすべてありませんでした。」
本当に馬鹿々々しいことに、当時の電話マナーとして、『電話口に出たら、何よりも最初に毛沢東語録の一節を読み上げる』というものがあります。
“毛沢東語録”とは、毛沢東主席の発言や著作から引用、編集された本です。テカテカと輝く真っ赤なビニールの表紙がチャームポイント。この本は、中国共産主義にとっての”聖書”みたいなものです。
文革当時は、電話を受けたら、
「毛沢東主席いわく、”共産主義は愛にあらず、敵を叩き潰すハンマーである”。……はい、中国××大学です。」
「毛沢東主席いわく、”帝国主義は張り子のトラである”……すみませんが、内線△△番の〇〇教授につないで下さい。」
と、大真面目にやりとりしていたそうです。(;^ω^)
このやり取りがとっさに出来ない人は、”反革命分子”として、批判にさらされた上に、紅衛兵達から暴行されたりしたのだそうです。
現在の北朝鮮が、文革時代の中国のようだ、とよく言われます。
文革後に、時代に合わせて経済開放政策に転じた中国のように、北朝鮮も先を見据えて、うまく政治のかじ取りをしてくれればよいのですが……。




