第五十四話 凶暴な上海蟹
世界の美食の一つ……上海蟹(大閘蟹)。
養殖技術の進んだ今では、上海のレストランのメニューに普通に載っている蟹ですが、1990年代の上海では、かなり珍しい高級品でした。
当時、上海蟹の一級品は、外貨獲得のために香港や日本などに高値で輸出され、上海ではその次の品質のものしか食べられませんでした。
あまり知られていませんが、上海蟹は気が荒くて凶暴です。
活きた上海蟹を買う時は、蟹をがんじがらめに縛ってある紐を絶対に外さないように、店員から注意されます。蟹が生きているうちにうっかり紐を外してしまうと、蟹はそのとたん大きなハサミを振り上げて、こちらの指を”ガチッ!”(>_<)
しかも、上海蟹は逃げ足が速いです。
それを証明するエピソードを紹介したいと思います。
上海蟹のシーズン(10~11月)に、大きな布袋いっぱいの活きた上海蟹を養殖業者からお土産にもらったCさん(日本人)は、その日、宿泊先のホテルの部屋のバスルームに、蟹入りの袋をそっと置きました。
「明日は上海に帰るから、会社のみんなにお土産でこの蟹を配ろう……。」
そんな独り言を言いながら、部屋の明かりを消して布団に入るCさん。
そのとたん、袋の中の蟹たちが、ゴソゴソと活発に動き出す音がバスルームから響いてきました。(蟹のサイズが小さかったので、一匹ずつ紐で縛られず、まとめて袋に入れられていたそうです)
「ゴソゴソうるさいなぁ……。上海蟹は夜行性なのか?」
一晩だけだし、我慢するか……と、Cさんは布団を頭からすっぽり被って、音が聞こえないようにして眠りにつきました。
その日の夜中、何だか異様に重苦しい雰囲気を感じたCさんは、ハッと目を覚ましました。
いつの間にか、あれだけうるさかった蟹たちが静かになっています。
そして部屋中にほのかに漂う水たまりの臭い。
「おや……??蟹が静かになってる。でも、何だか変だな……。」
ベッドから上半身を起こしたCさん。そして、
「ギャーッ!!(◎_◎;)化け物だー!」
真っ暗な部屋の中にキラッと光る沢山の目、目、目、目………。その目がいっせいにCさんを痛いくらいじっと見つめています。
Cさんは震える手でベッドサイドの明かりのスイッチを入れました。
……と、その途端、”ガサガサッ”と、まるでゴキブリのように、何か生き物らしきものが、すごいスピードで自分のベッドの下に逃げ込みました。
Cさんがベッドの下を恐々覗き込んだところ、なんとそこにいたのは無数の上海蟹。
お土産にもらった袋いっぱいの上海蟹が、いつのまにかすべて脱走して、部屋の中あちこちに潜んでいたのでした。
Cさんは、泣きそうになりながら、徹夜で、部屋中に散らばった(しかもTVやカーテンの裏とかベッドや机の下などにこっそり隠れている)上海蟹を一匹ずつ袋に拾い集めたのでした。
「暗闇の中からこちらを見ている蟹の目が、本当に怖かった……。
もう上海蟹なんて大嫌いだっっ(# ゜Д゜)」
必死で逃げ惑う蟹たちの逆襲にあい、指を傷だらけされたCさんは、かわいそうに、その年から上海蟹がトラウマになってしまったのでした。




