第五十話 香港が中国になった日
1997年7月1日午前0時、香港はイギリスから中華人民共和国に返還されました。
当時、上海にあった日系流通企業で働いていた私は、その日を職場で迎えました。
上海市政府は、香港の返還を記念して、この年だけ特別に6月28日~7月2日を連休にしたのですが、あいにく私の勤務先では、6月30日が期末締め日にあたっていたため、店舗を早目に閉めて、夜19時から、店中にある商品の大棚卸しを行うことになっていました。
街はすっかり祝日モード。
年に一度の大棚卸しを控えて、早目に夜の食事休憩をとった私は、作業応援に来てくれた日本人の同僚や上司達と一緒に近くの食堂に繰り出しました。
店を一歩外に出ると、上海の蒸し暑い夏の空気がモワーッとこちらに押し寄せてきます。
スーパーの近くにある行きつけの食堂は、建物と建物の隙間を利用した半屋外の店なので、もちろんクーラーはありません。
タオルで汗を拭きながら、お店のおかみさんに本日のお勧め料理を訊ねたところ、無愛想に、
『炒涼瓜肉片』
と一言。
……涼瓜って何だっけ??えーっと、確か苦瓜のことだったような……?
それまで苦瓜を食べたことのなかった私は、迷わずその料理をオーダーしました。
出てきた料理は、緑色のウリ科の野菜のスライスと豚コマ肉が一緒に炒められており、刻んだ豆鼓(中国の調味料の一種。日本でいう大徳寺納豆)で、ちょっとしょっぱ目に味付けされている一品でした。
野菜は、短時間の強火でほどよく火が入り、翡翠のように半透明のキレイな深緑色で、とても美味しそうです。
私と同僚は、迷わず箸を付けました。そして……
「うわーっ!!にっ、苦ーいっっ( ゜Д゜)」
「何だこりゃー!罰ゲームかーっ(# ゜Д゜)」
と大騒ぎ。今でこそ夏を代表する食材の一つとして有名になった苦瓜ですが、当時の日本人には全く馴染みがない野菜でした。
私達は苦い苦いと大騒ぎして食事を終えたのですが、店への帰り道に、何となく体感温度が和らいでスッキリしていることに気が付きました。
後日調べたところ、苦瓜は、漢方で”寒”という身体の熱を下げる食品に分類されており、夏の暑い日にはぴったりの食物なのです。(でも食べすぎるとお腹を壊す)
さすが医食同源の国。恐れ入りました。
ガッツリ肉の入った炒め物でガソリンを入れた私は、
「さぁー、やるぞー(`・ω・´)b」
と期末棚卸しの戦場に向かったのです。
そして5時間後。
すっかり燃え尽きて白い灰になった私は、勤務先が手配してくれたタクシーにヨロヨロと乗り込みました。
いつの間にか振り出した小雨の中、車は高架道路を上海西郊外に向かって快調に走っていきます。
車中では、香港返還記念式典を実況中継しているラジオ番組がずっと流れていました。
興奮気味のアナウンサーの実況の中、ユニオンジャックが下ろされ、中国国歌とともに五星紅旗が掲げられる様子が伝わってきます。
……私の大好きな香港は、どこへ行ってしまうんだろう?
ちょっとおセンチになった私の心の中に、ふいにそんな疑問が浮かびました。
今でも夏になって苦瓜を食べる度に、あの日のタクシーから見た、雨ににじむ街灯りを思い出します。
私はノンキに棚卸しに専念していましたが、他の店舗では、監査に来た中国人バイヤーが、祭り酒に酔った従業員を叱りつけたため、逆上した従業員にビール瓶で襲われて重傷を負うという大事件が発生しました。一生残るような障害を負ってしまった現地社員を前に、私達日本人社員は、会社を代表して、ただ、ただ、頭を下げ続けるしかありませんでした……。




