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胖姐看中国  作者: 胖姐
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第二十九話 核シェルターを見学

今でも現存するのかどうか分からないのですが、1990年代には、北京の市内中心部の地下深くに、非常に大きな『核シェルター』がありました。


その大きさは、北京市民の全てを収容可能な規模です。

(もちろん、一部屋に三段ベッドがいくつか並ぶので、一人当たりのパーソナルスペースはむちゃくちゃ狭いですが)

シェルター内には、大型空気清浄機、地下水濾過装置、自家発電機、上下水道、会議室、学校までもが備わっており、出入口は、すべてコンクリートと鋼鉄で出来た分厚い扉で外部と完全に隔絶することが可能で、秘密の通路で、北京の軍用空港と中南海(日本で言えば、皇居や首相官邸)、さらに天津市を結んでいると言われていました。


なぜこんなものが存在するのかというと、1969年頃に、中国とロシアとの政治関係が一時的に悪化した際、毛沢東がロシアの核攻撃を恐れて、市民を収容できるシェルターを各地に作らせたからなのです。


その後、冷戦も終わって、とりあえず核の恐怖はなくなったため、無用の長物となってしまったこの核シェルターは、上海では地下鉄1号線のトンネルの一部となり、青島では、地下商店街になっていました。

(上海では、その後、また別の場所に新たな核シェルターを作ったという噂もありますが)


北京の場合、この核シェルターの一部を、外国人観光客に限って公開していました。

場所は、”前門”です。(日本で言えば上野?)

1993年にANAが出版した北京のガイドブックに載っていた情報を参考に、私と友人達が核シェルターを探したところ、ガイドブックに書かれていた住所には、婦人物の洋服を売る小さな商店が建っていました。

仕方ないので、店員さんにガイドブックを見せながら、おそるおそる


「あのー、このガイドブックに載っている『北京地下城』は、この住所ですよね~?」


と訊ねたところ、店員さんは、


「あぁ、それね。ここよ、ここで合っているよ。ちょっと待ってね。ここから入って。」


と、いきなりガラスのショーケースをずらして、隙間を開けるではありませんか!(◎_◎;)

私と友人達がショーケースの隙間から店の内側に入ると、店員さんは、おもむろに、


「中を見学するのに登録が必要だから、名前と身分証明書番号を控えさせて。」


といって、ボロボロのノートに必要事項を記入したあと、入場料を徴収し、


「さぁ、このドアから入って。」


と、一見何の変哲もない、お店の事務室につながるドアを開けました。

そしてドアの向こうには、下へ下へと続く階段が………。

今から考えると、まるでハリーポッターの映画に出てくるPUBのように、ドアが異次元につながっているような不思議な感じがしました。


私と友人達は、店員さんの案内で、どんどんどんどん下へと階段と緩やかなスロープを下っていきました。

いったいどれくらい地下に潜ったのでしょうか、その日は気温30度以上ある真夏日だったのに、下に行けばいくほど涼しくなってきて、とうとう吐く息が白くなり、上着無しではいられないくらい寒くなりました。そしてジメーっと湿った空気が……。

終点には厚さ50cmくらいある鋼鉄とコンクリートで出来た扉があり、その向こうは、まるでアリの巣のように四方八方に通路が広がっていました。


「ここが、毛沢東主席が作らせた核シェルターよ。ここからはガイドさんに任すわね。」


と言って店員さんが、どこからか別の女性ガイドさんを連れてきました。

ガイドさんは、


①指示に従い、ガイドの後ろをついてくること。勝手に横道に入ったりしない。

 通路が崩落している箇所もあるので、迷ったら危険、命の保証はない。


②軍事機密のため絶対に撮影禁止。撮影したらフィルム没収。


ということを、口を酸っぱくなるほど注意してから、私達を小さな探検の旅へと連れ出しました。


ガイドさんの説明によると、1969年から10年の歳月をかけて、当時の北京市民を動員して、手掘りで核シェルターを作ったものの、結局、実際に使われることはなかったため、今は一部を中国人向けの簡易宿泊施設に転用している、とのことでした。

地下鉄駅や故宮などの市内主要施設にも通路がつながっているそうですが、具体的にどこに出口があるのかは、軍事機密のため説明ができないそうです。

(実は誰もシェルターの全貌を把握していないだけでは?)


コンクリート製の通路は天井が高く、また幅も広かったです。軽自動車ならばギリギリ1台が走れるくらいの広さはありました。そして天井には蛍光灯が取り付けられていて、薄暗くても足元には危険はありません。

通路の両側には、かまぼこ型の小部屋がいくつも並んでいました。今でも各種防災用品が備蓄されている、とガイドさんが説明してくれました。


「当時の北京市民をすべて収容出来るように作った、とのことですが、今でも十分使えるのですか?」


と、私がガイドさんに訊ねると、ガイドさんは胸をそらして、


「当然です。今でも使用可能です。ちゃんと手入れしています。」


と答えました。

でも、さっき、通路の天井が崩落している場所があるって言ったじゃん……(;^ω^)


通路には、所々に、『←天安門へ』、『←北京駅へ』などの行先表示板があります。

やはり相当の広さがあるようです。


「ガイドさん、私達のような外国人留学生は、いざという時に、シェルターに入れてくれないの?」

「ダメですね。入れません。」

「もしも中国人の友達と一緒に、こっそり中に入っていたら?」

「見つけ次第、外に出て行って頂きます。」


……うーん、万が一の場合、私は逃げ込めないらしいです。日本大使館が助けてくれるのかしら?


ガイドさんは、最後に私達を大広間(昔の会議室)に連れていきました。

……と、そこは、なぜかシルク製の布団を売るお土産物売り場になっていました。

暇そうにしている店員さんが何人もいます。

こんなジメーっとした場所でお布団を買う人がいるのでしょうか??

後日聞いたところによると、私達の見学した核シェルターは、ある繊維工場が管理していたため、シルク製品をお土産として販売しているのだそうです。

何も買わないのは悪い気がしたので、私はシルク製品ではなく、毛沢東主席のバッヂを記念に購入しました。


数年後、大学時代の後輩をこの場所に連れて行ったのですが、地上からの入口や案内されたコースがまったく変わっていました。北京市内の再開発に伴って、シェルターに入れるところが都度変更になるようです。

もしも今でもまだこの核シェルターが見学出来るならば、ある意味”独裁者の狂気”を感じられるので、お勧めの観光地です。


しばらく病気療養中だったのですが、明日から復職することになりました。

エッセイの更新は、週末ごとになる予定です。すみません。

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