「クリオネイル」(3)
〝気色悪いと正しく蔑んで
責めてよ 責めてよ その爪で
無駄に綺麗な中指 光らせて
湿ったまんまの夜が明けるの〟
瞼を薄く開くのと同時に、さっきまで見ていたはずの夢が形を失っていく。可愛く表現すればほどけていく綿菓子だけれど、可愛げのないわたしにとっては明け方の靄だから交通事故の原因にしかならない。そんなに甘いものじゃないよね。
それでもその中にあるものを捕まえようとして、頭の中に見えない指を伸ばす。瞳を刺すような蛍光灯が無駄だよと笑った。
開いたままの窓と揺れるカーテン。少し色褪せた青い布地がふんわりと揺れる、なんでもないその事象になぜか酷くイラついた。右耳のイヤホンは外れていて、左側では知らない誰かがぼそぼそと喋っている。音の発生源であるスマホに触れると今が夜中の4時であることがわかった。
あーあ。
もうこのまま起きていようかな。理由を見失った涙の跡を人差し指の腹でこすりながらもう一度液晶画面を覗いたとき、不在着信の表示があることに気づいた。
一時間前か。まぁ、いいや。着信のあった時間を確認したけれど、例えばそれが五分前だったとしても、わたしは自分から通話アイコンをタップすることは無かっただろう。わたしにとっての友情なんてそんなものだ。あの教室で自分がある程度立ち回れればいい、などという贅沢は言わない。立ち回る、なんていうのは上級者の言葉だ。わたしは無事に通い続けて、卒業して、そこそこレベルの低い大学に進めればいい。そして適当にモラトリアムの蜜を吸って、つまらない大人になるんです。
芋虫のような動きをしてから体を起こす。ベッドから立ち上がると、自分の体温が足の平から床に吸い込まれていく感じがした。三割くらい寝惚けたままで、この部屋ごとわたしの脳味噌を覆っているカーテンを握り締める。何かのスイッチを押したようにシャッと鳴って、少し気が晴れた。窓の外は全てを曖昧にするような夜と朝の中間で、どうせならもう一度夜になってしまえばいいと思った。けれど、わたしはつまらない子供だから、このまま朝が来ることを知っているし世界が終わらないことも知っている。
アーリーは教室にもう現れないかもしれない。窓から枕元のスマホに視線を移して、一度深く目を瞑った。世界のどこにもいなくなった誰かに祈るように。そしてゆっくりと瞼を開く。祈りを終えた瞳で、わたしは誰かのいなくなった世界を眺める。
この部屋を出て数分歩いたところにある信号機を思い出す。赤なら止まる、青なら進む、幼い頃に何度も何度も繰り返し教えられた。でもね、お母さん。今のわたしは赤でも大丈夫そうなら進むよ。正しさが役に立たないことを知っているよ。見えない靄に包まれたこの世界と脳味噌は、いつでもどこでも事故に遭う可能性に満ちている。
「すてきだね」
やめてよ、やめてよ、さめるから。一瞬、歌声が響いてまたどこかへ飛んでいった。メリーホルダー。
ねぇ、アーリー、あなたもあの曲を聴いたら泣くのかな?
〝捕食しながら優しくするなんて
やめてよ やめてよ 醒めるから
無駄に綺麗な指先 思い出す
やらしく笑った君にさよなら〟