第七話 覚悟の証明
ハルカが目を覚ますと、心配そうにトウマが見つめていた。
「良かった。ハルカ、死んじゃったかと思ったじゃんか」
「ここは……?」
「学院の医務室だよ。もう少し寝てて大丈夫だって。何か欲しい物とかある?」
「ありがとう。じゃあ何か飲み物をもらえる?」
「うん、すぐ持ってくる。ちょっと待っててね」
そう言うとトウマは医務室を出て行った。
どのくらい眠っていたのだろうか。外がまだ明るいところから考えると、三、四時間程度だろうか。そんなことを考えていると、賢者ゲイルが医務室にやってきた。
「大丈夫かい。ハルカさん、ここまではトウマ君が一人で運んでくれたんだよ。後で御礼を言っておくといい。それにしてもあんなに強力な火炎魔法は私も久しぶりに見たよ。あの鬼才と呼ばれたユフィア先生でも止められない程とはね」
「ごめんなさい。うまく制御できないみたいです。この世界に来てからずっと、今も体中が熱いんです。これが魔力という物なのでしょうか」
「そうですね。貴方程の魔力なら、そう感じたとしても不思議ではない。黙っていても精霊達が寄ってきてしまいますから、日常生活に支障を来すレベルです。でも安心なさい、しばらくはこの封印の指輪を付けて生活をするといい」
「これは……?」
「魔力を封印する指輪です。私も幼いころ魔力が覚醒した時に精霊が同じように暴走したことがありました。その時師匠様から預かったのがこの指輪です。貴方ならその指輪を付けていても普通に魔法を使えるでしょう」
ゲイルから渡された指輪には、黒いオニキスのような宝石が使われていた。じっと見つめていると、吸い込まれそうで不安になるような鈍い輝きを放っていた。ハルカは、何となく左ではなく、右の薬指にそれを嵌めた。
「熱が治まっていくみたいです」
「そうかい」
そう言ってゲイルがにっこりと微笑むと、トウマが水を持って入ってきた。ハルカはグラスを受け取って一気に飲み干した。水を飲んでから喉がとても乾いていたことに気付いた。
「ありがとう。トウマ、貴方が私をここまで運んでくれたんですってね」
《御礼を言われる筋合いはない。俺には何もできなかった……》
口には出さず、トウマは微笑んで頷いた。そして横の賢者に尋ねた。
「ゲイル様……だったかな。あのサラリーマンの男はどうしてる?」
「トウマ君だったね。ユキオ君のことかな。彼には才能があると思ったんだが、私の特訓に耐えられないと言ってやっぱり元の世界に還って行ったよ」
「特訓って一体どんな?あいつすげーしぶとそうに見えたけどな」
「魔法力を上げるためのイメージトレーニングですよ。トウマ君もやってみますか?」
「あぁ、言っとくけど、俺は逃げないぜ」
そう言ったトウマの目には確かな覚悟が感じられた。ハルカを守りたいという思いが、トウマを前へと後押しした。
「トウマ、無理しないでね」
ハルカが心配そうに見つめていた。こんな顔にはさせたくなかった。ハルカの魔力が暴走した時、何もできないでいた弱い自分を、トウマは強く恨んでいた。
「それでは広いところに行きましょう。ここでも問題ありませんが、念の為にね」
「わかった」
学園の前の広間に移動した賢者と勇者。その二人を学院の窓から見つめていたのは、紫色の髪と瞳をもつ美少年であった。彼の名はカウェイン、グリンテイル王国最強と名高い騎士団長オーガンの一人息子であった。朝から小火騒ぎを起こした勇者達に、カウェインは苛ついていた。騒ぎを起こしたからではない。注目の的となっている勇者の存在自体に対しての感情だった。
「弱そうなくせに、気に入らねえ」
そう呟いて外を見ていたカウェインは、授業中のユフィア先生にチョークを投げられたが、チラリとも見ずに耳の横でチョークを掴んだ。
「俺にチョークをぶつけようなんざ100年早ぇよ。ユフィア先生」
「なら100年後にまたチョークをぶつけてあげるわ、カウェイン・ル・ドラフィル・デ・ウィンデガルド」
「はっ、ご苦労なことで、精々長生きしてくださいませ」
カウェインの苛立ちにユフィアは気付いていた。名門ウィンデガルド家の長男として幼いころから重責を担い、訓練に明け暮れる日々。鍛え上げられたカウェインは剣・弓・武術・魔法とあらゆる分野の大会で優勝をしてきた。絶対の自信を持っていたカウェインは自分の父を除いては誰にも負ける気はしなかった。国中の注目は天才である自分にこそ注がれるべきものであった。なのにぽっと出の勇者だか何だか知らないガキが、自分にとって尊敬の対象である大賢者ゲイル様と二人っきりで特別訓練を受けているのだ。カウェインの心中は穏やかでなかった。
「ちょっと見てくる」
「ミスター・ウィンデガルド!席に戻りなさい」
ユフィア先生の言葉に振り向くことなく、カウェインは教室を後にした。
「あぁ、カウェイン様~」
カウェインのそんな姿を見て、黄色い声をあげた女生徒たちも教室を出て行こうとしたが、咄嗟に繰り出されたユフィア先生の氷魔法で凍らされたドアに行く手を阻まれた。凍てつくような瞳で睨まれた女生徒たちは渋々席へと戻る他なかった。
「――さあ、トウマ君。準備はいいかい?」
「いつでも」
「先ずは魔力についてだが、これは持って生まれた才能に完全に依存する。だが、私は過去の文献を基にある仮定に辿り着いたのだ」
「仮定?」
「そう、それは死をも超える苦痛を乗り越えれる事ができれば、魔力の増強が可能なのではないか、という物だ」
「苦痛なんて何度でも乗り越えてやるさ」
「勇ましいね。しかし、この理論を実際に試してみるわけには行かなかった。何せ人の命がかかっているからね」
「なら、成功者はいないということか?」
「いや、成功者なら君の目の前にいる。丁度いいところに来た。彼がカウェイン君だ。おっと、口が滑りましたな。十五歳を迎えたられた貴方は貴族の家名、ミスター・ウィンデガルドと呼ぶべきでした」
「構いませんよ、ゲイル様。貴方ならカウェインのままで結構です。それより、こいつにあの魔法を?とても耐えられるとは思えません。それに、いくらイメージとはいえその苦痛は本物です。精神力が弱い者は本当に死にますよ」
そうカウェインは言い、トウマを睨みつけた。
トウマは睨み返して言った。
「こいつに耐えられたなら俺だって大丈夫さ」
「なに?」
「こんな女みたいな弱そうな奴でも耐えられる苦痛なら、俺だって大丈夫だと言ったんだ」
「何だと?弱いかどうか試してみるか?」
「まあまあ、君達、待ちなさい。まったく、若者は元気があり過ぎて困る。それにカウェイン君、貴族同士の決闘は、正式な場以外は禁じられているでしょう」
「こいつは貴族じゃない」
「彼は国が総力を挙げて召喚した勇者だ。待遇は貴族と同等ですよ」
「ちっ」
舌打ちをしてカウェインは引き下がった。どうせ耐えられるはずもないのだ。早々に勇者とやらを見定めるいい機会だと思い、大人しく傍観することに決めた。
「これから君に暗示魔法を掛ける。死ぬよりも辛い痛みが体中を襲うことになるだろう。いいかい?最初だから……そうだな、カウェイン君の時と同じ30秒から始めてみようか」
「カウェインは今、何分耐えられるんだ?」
「そうだね。5分といったところかな」
「なら、5分でいい。俺もあいつと同じ十五歳だ」
そう言い放ったトウマの目からは一切の甘さが消えていた。これから起こる悲惨さを予期してか、彼らの周りに居た精霊たちは姿を消していた。その周りには、唯冷たい風だけがビューっと頬を突き刺す様に吹いていた。