第二話 二次試験
大賢者ゲイルに案内されて道を進むと、ゲイルは自慢の髭を撫でながら尋ねた。
「君は勇敢だね。普通の人は異世界に無理やり召喚されたら元の世界に帰りたがるものだよ」
「自分は勇敢なんかじゃありません。単純に、この世界に興味が出てきたんです。元の世界より面白いんじゃないかって。あなたは賢者なんですよね。魔法とか使えるんですか?」
「魔法なら使えますよ。この通り」
ゲイルがそっと指を空中に滑らせると、ユキオの体は浮かび上がった。
「ほ、本当に魔法だ」
にっこりと笑うと、ゲイルは紳士的にそっと地面に戻してくれた。
「今のは魔法使いなら誰でも使える魔法です」
「すごい。自分も魔法を使えるようになるでしょうか」
「それはあなたの中にある種という名の才能次第ですね。開花させるにはそれなりに努力が必要でしょう。まれに努力なしで種を開花させる者がいますがね」
それはきっとハルカのことを言っているのだろう。ゲイルは立ち止まると、魔法で扉の鍵を開け、部屋の中へと入っていった。
「この世界で、勇者は何人選ばれるのですか」
「特に人数制限はありませんよ。才能のある方には是非とも残って頂いて、お力を貸して頂きたいのです。貴方のお名前は何とおっしゃいますか」
「自分はユキオ、小出由紀夫と言います。ゲイル様、俺にも魔法を教えて頂けませんか」
「そのつもりですよ。ユキオさん。ただし、あなたの覚悟が本気かどうかもう一つだけテストをさせてください。言わば二次試験のようなものです」
「二次試験?さっきも言いましたが自分は本気です。覚悟はできているつもりです」
ユキオは元の世界でも、本気になるものが何もない自分を変えたいと思っていた。
この世界は勇者を必要としている。自分も必要とされる存在になりたいと思ったのだ。
「試験の内容はどんなものですか。いきなり危険なことだとちょっと心配なんですが」
「大丈夫ですよ。命に危険がないことは保証します。先ほどの水晶の試験と似たようなものです。この魔方陣の上に立って目を閉じてください」
「わかりました」
すっと目を閉じると、周りの空気が震えているように感じた。体中を羽毛でくすぐられているような妙なこそばゆさがあった。
「それでは、幸運を祈りますよ。勇者殿」
ゲイルが呪文を詠唱すると、魔方陣が浮かび上がり、ユキオを幾重にも重なる光の輪で包み込んだ。不思議体験にワクワクしていると、急に太陽の光が瞼を赤く照らしていることに気付いた。
「――あれ?」
目の前にはジャングルが広がっていた。気のせいではない。鬱蒼と茂った密林。そして太陽はユキオの真上でその存在を誇示するかのように容赦なく世界を照らしていた。
「うそでしょ?……ゲイルさーん!」
ユキオは涙目でそう叫んだが、返事はなかった。
「い、いや大丈夫。これは二次試験なんだ。命の危険はないんだ。勇気を示せばいいのさ。何たって俺は勇者殿なんだから」
自分を無理やり納得させようとしていると、目の前の茂みからいきなりヤバい奴が出てきた。
ライオンのような風貌に翼が生えている。しかも体長はゆうに二メートルを超えていた。
いきなり詰んだ。勇者だって最初はスライムと戦って段々と強くなっていくのが常識だ。
なのにようこそライオンさん。さようなら、俺の人生。
何もかも迂闊だったのだ。知らない世界に来て、すぐに見ず知らずの人を信じてしまった。あの賢者の聖者のような神々しい笑顔の裏には、とんでもない魔物が住んでいるに違いない。
「こんなとこで死んでたまるか!」
ユキオは振り返って猛ダッシュした。ただただがむしゃらに前に向かって走った。
不思議と体は軽かった。いつもより数段は速く走れている気がする。と言っても所詮は人の足とライオンの足では勝負は見えている。そう思ってユキオが後ろを振り返ると、以外にもそのスピードは拮抗していた。
本気で走ったのなんて大学生のサークルでたまにやったフットサルの時以来だ。しかもほとんど幽霊部員で飲み会に参加してただけだ。そんなどうでもいいことを考えていると、徐々にライオンとの差は縮められてきていた。
《っきしょう。腹いてぇ。空気も薄いしもう駄目だ。足攣りそう。今思えば、しがみつくほど生きたいなんて思ったこと無かったな。自分を大切にしようとする人間はもっと慎重に判断するもんだ。
自分は愚か者だ。後悔したっていつも遅いんだ。社会に出て、ブラック企業だって分かった時も抵抗しようなんて思わなかった。ずっと流されて生きてきた。後悔しようとする自分の気持ちにさえ目を瞑って生きてきた。だからこそ新しい世界に呼び出されて、今度こそやり直したいって本気で思った……。
なら、やるしかねぇだろ!》
ユキオはこれまでの投げやりな考え方を振り払うように、生きたいと思う自分に賭けてみることに決めた。
一瞬の出来事だった。目の前に落ちていた棒を拾い、真横に跳んだ。そして振り向きざまに一発食らわせようとライオンに向かって飛び跳ねる。
身体はイメージ通りに動いた。自分でも信じられないほどスムーズに。棒はライオンの横顔を直撃した。
「ハァ、ハァ……どうだ!」
「グルルルルゥゥ……」
どうやら怒りを買っただけのようだった。だが覚悟を決めたユキオはもう後ずさりはしない。身体はまだ何とか動く。
ゆっくりと間合いを詰めてくるライオンに対し、カウンターを狙って神経を研ぎ澄ませるユキオ。
――その時だった。
間合いを一気に詰めようとライオンが後ろ脚に力を込め、こちらに飛び跳ねてきた瞬間、ユキオはライオンの視界から既に消えていた。ライオンは何が起こったのかわからず、辺りを見渡すもユキオの姿をどこにも見つけることができなかった。