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ミミナリ  作者: 三宝すずめ
6話 蛇足
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エピローグ

 酷く、疲れていた。


 意識は闇に落ち、深い眠りを欲していたにもかかわらず、かなえの頭は災難な一日を整理しようとぐるぐると回っていた。


 学校に久しぶりに行ったかと思えば、異能使いが友達を人質に取るわ。突然父親がやって来たかと思えば、実は兄弟子が復讐に見たくもない過去を見せ始めるわ――簡潔に言えば、散々な日だった。


『まぁ、それでも前向きにいいところを探すなら……自分のために泣いてくれる人が居たってことだろうか』


 半ば自動的に頭が回るのに任せる。このまま眠っていようかとも思っていたが、不意に人が離れていく気配を感じ、かなえは薄目を開けた。


「あ、起こしちまったか?」


 丸眼鏡を掛けた青年が、しまったという顔で彼女を見ていた。


「起こされた……」


 別に寝起きは悪い類ではない。だが、珍しく頭が回っていない彼女は、何も考えずに音声を発する。実際、起こされたと言われて、海里は困った表情を浮かべていた。


「悪ぃ、悪ぃ。お詫びって程でもないけど、何か欲しいものないか?」


「――んご」


「え、何?」


 聞き取れず、その相手は問い返してきている。声が小さかったとは思うが、頭が回らないかなえは、何となく腹を立てていた。わがままになっていたと言ってもいい。


「りんご、食べたい」


「はいはい、ちょっと待っててな――と、かなえさん?」


 キッチンへ向かおうとした海里は、片目を手で覆って呻いた。りんごが欲しいと言うから動こうとしたら、服の裾を捕まえられる。しかし当のかなえはぼんやりとした表情を浮かべるばかり。流石に海里も困っていた。




「何ですか?」


 皿に乗せられたりんごを手に戻った海里は、ぼやきにも近い言葉を零していた。


「何が?」


 どこか不自然なところでも? と言いたげなかなえであったが、青年は人知れず溜め息を吐いていた。


 梨切法路を倒してから、すぐにかなえが倒れた。呼びかけにも応えない彼女をここまで運ぶ間は気が気ではなかった。だから、服も着替えさせずにベッドに横たえた時に、穏やかな寝息が聞こえて、初めて安堵した。


 寝ていたところを起こしたのは悪いと思っていたが、そこからのかなえはどうにもおかしい。


「お前、元気なの?」


 再度ぼやく。彼の瞳に映った少女は、先程まで息も絶え絶えという様子であった。それにもかかわらず、戻ってきた頃には着替えを済ませ、新しい眼帯を付けている。部屋に戻った彼を出迎えるかなえの表情はどこか嬉しそうだった。


「元気なもんか。今も眼がよく見えん」


 だからさっさとりんごを持って来い、と少女は告げる。


「着替える元気はありそうだな――て、お前のその寝巻き、新しいやつだろ? そんなの用意できるなら、看病なんかいらないじゃないか」


 海里は心配をして損をしたと、明らかに落胆の色を浮かべていた。


「……乙女心のわからんやつめ」


「オトメ?」


 漏れ出る言葉の真意がわからず、ベッドの傍らに腰掛けながら青年は疑問符を上げる。


「うるさい。はよ食べさせろ」


「はいはい、これ食べたら大人しく寝てくださいね」


 綺麗にカットされたりんごに爪楊枝を突き刺す。食べさせろと言われたからには仕方ないと、口元へそれを運ぶが、真一文字に引き結ばれた唇に当たるに留まった。


「なに、食べないの?」


 不可解な行動を連発する主を前にしては、呆れる他ない。りんごを持って来いと言ったかと思えば口にしない。どうしたものかと思っていると、かなえは口を開いた。


「それ、うさぎさんになってないじゃないか」


「――はぁ?」


 思わず皿を引っくり返したくなる衝動を堪えようとして、素っ頓狂な声を上げてしまった。


『こいつ、こんなキャラだったか?』


 困りを通り越して、憔悴するような想いだ。


「わかったよ、次はそうするから、これ食べて寝てろよ」


 別なことで心配になりつつあったが、かなえがりんごを受け取る。それを見て思うところはあったものの、海里は放っておくことにした。




 海里も手伝ったが、大半のりんごを平らげて、満足そうにかなえは息を吐いていた。


 さっきは面食らって、ぶっきらぼうな態度を取ってしまったが、そもそもかなえがわがままを言うことは珍しい。


 こんな質問をしてしまったのは、珍しいついでに、海里の好奇心が働いたからかもしれない。


「なぁ、かなえの望みって、なんだ?」


「――は?」


 今度はかなえが間の抜けた顔をしていた。叶わない望みは口にしないとこれまで繰り返した筈であるのだが、と顔には書いてある。


「俺の望みな、力が欲しいってやつさ……あれ間違ってたと思う」


 もごもごと語る従僕を前に、これまでぼんやりしていたかなえの頭も流石に回り始めてきていた。


「バカ言うな。お前の望みは、この私が確かに聞き入れている。そこに間違いはない」


 願望機として、魔女の力を彼へ与えた。今口にしたように、その望みに間違いなどない。しかし法路との戦いで、頭をぶつけたのかもしれないと、かなえは妙な心配をしていた。


 だが、海里は意を決したように、真剣な表情で後を続けた。


「俺の望みってやつさ、お前の望みが叶うこと、なんだけど?」


「お前なぁ……」


 ただただ困惑しかなかった。これまで彼の望みは真摯なもので、間違いなく叶えるに値するものだった。一方で、たった今告げられたことも真の望みであると魔女は理解をする。


 理解をした上で、複雑な想いが少女にのしかかっていた。


「それ、ミナトが聞いたら怒るでは済まんだろう」


 そっぽを向きながら、どこにでもなく台詞を溢す。寝起きこそわがままを言ったものの、湊の泣き顔が浮かんでしまっては如何ともし難い。


 直視してくる青年の瞳がいつになく真面目であったことが、何よりも強い困惑を引き起こす。頬が赤くなることを止められないので、顔を逸らすしかなかった。


「知らん」


 かなえの胸中を知ってか知らずか、海里はぶっきらぼうに言葉を告げていた。


「業を背負えって言ったのお前だろ? 螺矢さんにもお前をよろしくって言われてんだ……言えよ、望みを」


「母は関係ないと――ああ、もう、ほんとにもう!!」


「頼むよ、お前にはデカい借りがあるから、さっさと返したい」


 思いのほか、真面目に青年は告げていた。そこには助けられてばかりで、一度も力になれていないという想いが込められている。


 そんなことはない、むしろ助けられているのは自分だ、と答えるのは容易だ。しかし、かなえはその言葉を呑み込んだ。


「私の望みを叶えてもらっても構わんが、お前への貸しは安くないぞ?」


 ジロリと睨んでみせるも、下僕はその視線を笑っていなす。


「知ってるよ。利子が高いだろうけど、元本くらいは返せるときに返しておきたいだろうが」


「だから、元の貸しもそんなに安くないと――ええい、面倒なやつだ!」


 母親が話に出てきたことで、気が気でなかったのかもしれない。海里の真面目な瞳を見て、かなえは不安を一蹴するよう努めた。


 いい加減に耐えかねたと言ってもいい。今更この男が自分を裏切ることはないと信じられる。否――裏切られたとしても、それはそれで構わない。己が信頼を寄せた時点で、そこに利益などは求めてはいなかったのだから。


「お前、これから言うことは、母にも話すんじゃないぞ?」


 海里が、応と短く返事したことを確認し、腹を括る。


 観念した少女は、これまで誰にも言ったことのない望みを口にしていた。










――シュ




「あーーー、もう、整理なんてするもんじゃないな!」


 かなえは身悶えるように頭を抱えていた。


 何となく気が向いて書斎を整理していたら、引き出しから日記が出てきたのだ。そう言えば、十代の頃には長生きは出来ないからと、不可思議な現象の記録とともに、その日のことを記録する癖があったことを思い出していた。


 思い出したのが運の尽きだ。


 基本は妖や異能使いとの事件をまとめたものだ。それそのものは構わない。むしろ忘れかけていたことを呼び起こし、現在の糧となる。


 しかし、時折そら寒いポエムのような描写が挟み込まれているのを見つけては、かなえはその度に頭を抱えていた。


「あーーー、当時の自分を殴りたい!」


 該当するページをビリビリとやぶきながら、誰憚ることなく叫んでいた。


「だいじょうぶ?」


「……すまない。柄にもなく取り乱してしまったが、まぁ大丈夫だ」


 思わずあちらの世界へと旅立とうとしたかなえであったが、小さな闖入者を前にすると体裁が自動的に取り繕われていた。この辺りが、少女時代との違いかもしれない。


 声を掛けてきたのは、一言で言えばともかく愛らしい少女だ。まだおぼつかないところもあるが、同年代はオムツも取れない子が多い中、しっかりと言葉を話していた。


 透き通った黒髪に、愛らしい声。そして何より、彼女の透明掛かった瞳は見る者の視線を釘付けにする。


 その片方の瞳には、似つかわしくない程大きな眼帯が充てがわれている。


「よいしょっ、と」


 これもいつの頃からか自動的になったモーションをなぞる。掛け声とともに、小さなお嬢さんを抱き上げて膝元へと乗せた。同年代に比べても小柄なかなえであったが、成長が遅かっただけなのだろう。子どもが乗るには十分なスペースが確保されている。


 膝に乗せられた子どもが嬉しそうに笑うのを見て、彼女もまた同じにように笑みを返していた。


 今でも平均身長よりは低いと自覚をしているが、大人になった今では多少背が伸びていた。代わりに、長かった髪はばっさりと切られている。


 伸ばし続けた髪を切ったことに深い意味はない。端に短い方が楽だったからだ。


「何してたの?」


 興味津々というご様子で、小さな少女は問うてくる。聡いこの子は手が掛からないが、その代わりによく質問をした。


「ああ、書斎を整理してたら、昔の日記が出てきてな。読んでたらこの有様だ」


 がっはっは、とかなえは豪快に笑う。何が楽しいのか、目の前の子どもも、がっはっはと真似をしていた。


「私、それみたい!」


 好奇心一杯に瞳を一層輝かせるが、短くダメだと伝えておいた。


 年齢的に読み書きはまだまだの筈だが、この子の持つ透明掛かった瞳は本人の意志を越えて情報を収集する。小さな子どもには見せたくもない暗い部分も魔女の日記には書かれているため、視せることは憚られた。


「むーーーー」


 小さな頬を膨らませて彼女は抗議していたが、それもかなえからすれば可愛らしいものでしかなかった。


「お前にゃまだ早いよ」


 爽やかな笑顔を浮かべながら、現代を生きる魔女はやんわりとノーと伝える。その代わり、他に聞きたいことがあれば聞いてやろうと提案をしていた。娘がそのことだけで機嫌を直せば、もう言うことはなかった。


 少女時代は、子煩悩な生き物が理解出来なかったが、今ではすっかり己もそうなのだろうなと自覚をする。


「えっとね、どうして私の眼は透明なの?」


 あどけないが、しっかりとした口調で、娘は問う。


「それはな、私も、私のお母さん――お前のおばあちゃんもみんなそうだからさ。うちは代々ふしぎな眼をしてるんだよ」


 何度も繰り返したやり取りであるが、敢えて乗る。三森の瞳について教えるには早いが、いずれ学ばせねばならないことだ。この子も、魔女になる。否、ならざるを得ない。


 この瞳は異常を日常にしてしまうからだ。今だけは過保護なくらい甘やかしてやってもいい。この子が魔女の弟子になったら、親も子も失くなってしまうのだから――


 その心配を意に介さない子どもは、更に質問を繰り返す。


「じゃあ、ママの眼はどうして綺麗なの?」


「そいつは、お前が悪さしてないか見張って、いいことしたら褒めてやるためだよ」


「ママの耳はどうしてとんがってるの?」


「そんなにとんがってもいないが……まぁ、お前が呼んだらいつでも駆けつけてやるためさ」


 こいつ、赤ずきんでも読んだのか? などと内心で毒づく。絵本などは買い与えた覚えもないが、どうやらエイジの家で読んでいるのだろう――かなえは適当に見当を付けていた。


「じゃあ、ママの口はどうしてそんなに大きいの?」


「それはお前を――――待て、口が大きいは、ただの悪口だ!」


 本人も気にしていることを告げられ、かなえは立ち上がる。その隙に、娘はきゃーーっと叫んでは部屋の隅まで走っていた。一体、このさり気ない口の悪さは誰に似たのだろうか? 彼女は人知れず嘆息する。


『ママの望みは何?』


 かつての自分がそう問うて回っていたように、この娘がそんな言葉を吐くのではないかとも心配をしていた。


 問われたところで、大人になったら聞かせてやるよ、としか言いようもないのだが……


 やれやれと頭を一つ振って考えを打ち消した。起こる前から不安を先取っていては、目の前の問題すら片付かない。取り敢えず、目下の問題はこの元気なお嬢さんを如何に寝かしつけるかだ。


 そう思っていたところで、小さな少女は何かに気づいたように母親の元へ走って来ていた。


「ママ、明日は弟の――エイジくんのところへ行くの!」


「ああ、はいはい。エイジのママに会ったら、よろしく伝えてくれよ?」


 はーい、と答える姿を見て、再度溜め息を重ねる。本当にあちらにはよくご厄介になっている。有り難さと申し訳なさが同時にかなえの心の奥底に渦巻いていた。


「んで、向こうでお父さんに会ったら、何て言うんだ?」


 その心内を払拭するように、問うてみる。大体娘が何を言うかは知っていたが、これは誰かへの当てつけみたいなものだった。


「お父さん、会えて嬉しいよ。今度はいつ会いに来てくれるの? って言うよ」


「よし、その調子でお父さんを困らせてやるといいわ! そしたら、エイジを放ってでもお前と遊んでくれるだろうよ」


 がははは、とかなえは笑う。娘が訪ねて行くことに胡座をかいている父親については、たまに脅しておいた方がいいだろうと思っている。実際、この子がそう言えば、バツの悪そうな顔をした父親が屋敷を訪ねてくることがパターン化されていた。


「ねぇ、ママ」


「なんだ?」


 そろそろ子どもは眠る時間だろうと、彼女を抱き上げて書斎を後にする。現に、最愛の娘は上と下の瞼が何度もくっついては離れてを繰り返していた。


「ママは、どうしてあの人を選んだの?」


 あどけなくも、厳しい言葉――単にかなえがそう感じただけだが――が届いた。


 あの人ときたか。かなえは頭を悩ませる。


 ほとんど屋敷に寄り付かない父親は、いつの間にか他人のようなものになっていた。適当な回答をしてもいいが、この子には嘘を吐きたくない。そんな思いから考えを巡らせ、ある答えに辿り着いた。


 一つ呼吸を整えて、かなえは輝く瞳を持つ娘を正面に見据えた。


「それはだなぁ万里マリ……あいつが、お前の父親になりたいって望んだからさ」


 呟くかなえは、娘の頭を優しく撫でて微笑んだ。




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