5.災い転じて―望み為す
冷たい感触に、虹色の光が遮られる。続き、肩には何かが掛けられたことをかなえは認識した。
「ん、何するんだよ」
兄弟子を屠ろうかというところで、魔女の片方の視界が暗転させられた。自由に出来る右眼で、思わず従僕を睨んでしまう。
「いや、寒かろうと思って……」
困った顔をしながら、海里は視線を他所へやっていた。何とも歯切れの悪い答えだが、掛けられたものがコートであったと気づき、意地悪そうにかなえは笑った。
「お前、変なとこだけは紳士だよな。それで、瞳を塞いだのも紳士的な配慮からか?」
「紳士が何かはわからんが、これ以上眼を開くな」
立つのもやっとだという様子の少女の肩に手を置き、海里は視線を正面の男へと戻した。正直、間近で見るかなえの白い肌は目に毒だ。
二人のやり取りの間、法路は床に尻をつけたまま呆然としている。先程までのかなえをなぞるように、言葉を繰り返していた。
「……俺の、望み」
男の感情が、流石の海里にもわかる。自分もよくしている顔だ――わからないから困っている――とどのつまり、望みを問われ、魔法使いの男は困惑していた。
覇気のなくなった青年の前に、少女は言葉を突き立てた。
「私を願望機に押し込めてまで、望んだものがあったろう……だが、もういい」
従僕の手を払い除けたものの、眼帯が見当たらない。仕方なくかなえは右手で瞳を覆った。彼の言う通り、今日は瞳を開きすぎていた。これ以上の魔力行使は望むところではないし、そろそろ話に落としどころを設けるつもりでいる。
「もういいから、帰れ。そんで、今後は魔導にはかかわるな」
準備嫌いな兄があの手この手の策を弄した。そのことには素直に賞賛を贈るつもりでいる。
「何を、偉そうに――」
妹分から受けた言葉の衝撃に、瞳を燃え上がらせる兄。睨み上げる瞳には激しい憎悪が込められている。だが、反論には説得力が足りない。
両眼を開いたかなえの魔力行使には、逆立ちをしても敵わない。それを認めたからこそ、小物もいいところの泉矜持を差し向け、疲労を誘った。打てる手のすべては打った。ならば、彼にはこれ以上魔女を追い込む手はない。
既にこの場から逃げ出すことも難しい。であるが“魔導を棄てて生きるならば見逃す”という言葉が、往生際を悪くさせる。
「呪いの恩恵で得た魔力回路しか脳がない女に、この俺が、梨切法路が命乞いをしろだと?」
「そうだよ……わからんか? お前は私ではなく、カイリに負けたんだ」
魔導のマの字も知らない男に――興味を失った表情で語られる言葉には、如何様な感情が込められていたか。
「――っ」
強化された手指が地面に喰い込む。握った先を赤く染め、法路は海里を睨んだ。
「ああ、そんな眼で見るなよ。あんなの、かなえの力が逆流して出来た、一回こっきりのもんだ」
ボリボリと頭を掻きながら、海里は臨戦態勢を解いた。激しい感情に掻き立てられた頭は、未だに納得をしていないが、首を鳴らして押さえ込む。
先程披露した芸当に、再度はない。普段使うジッポからの命令入力と何ら変わりがない。ネタが割れれば、面白みもない一芸でしかない。
「おい、カイリっ!」
自分が何をしたかも理解をしていない男が、反撃などできるものではないと、青年は高を括っていた。だが切羽詰まったかなえの声に、海里は条件反射で魔法使いの男を視界に収めた。
「そう言えば、まだ試していないものがあった」
「なっ――」
地面を掴んでいた男の手には、未だ何事かの文字が書き綴られた紙が握り締められている。かなえが叫び声を上げる頃には、視界一杯に炎が渦巻いていた。
こんな時でも彼の瞳は周囲の情報を集める。
『こいつ、折れてなど、いなかっ、た。炎、が、死――』
助かるための策を脳から引き摺りだそうとする海里の脳は体感時間を圧縮する。見えようもない筈が、施設全てを標的に、炎が猛る様を直感した。
コマ送りで状況が進む中、確かに視た。
憎悪に紅く燃える瞳を――
「そういうことだったか……まんまと謀られていたということか! ハッハハハッハハハハ!!」
カラクリに気づいた男は、自分が術中に嵌められていたにも変わらず高らかな笑い声を上げていた。
『何が、起こった?』
男の高笑いは聞こえるものの、強烈な熱と光に眼がやられてしまった。拾える情報はパチパチと爆ぜる音とともに、鼻をつく焼けた匂い程度だ。
炎もそうであるが、未だに男は海里へ攻撃を仕掛けてこない。自分が生きていることの不可解さに眉を顰めたが、こんなときに限って瞳は霞んで役に立たない。
「くそ、何が起こって……」
「久々に笑わせてもらった。お前の瞳が開くまで、待っていてやるよ」
何かが投げ出されたような音がした。はっきりとは見えない海里は、男がテーブルにでも腰掛けたのだろうと推察する。何にせよ、気分がいいものではない。
「ちっ」
手探りで歩んでも勝てる相手ではないと悟った海里は、今更ジタバタしない。だが、鼻に届いた香りに咽せ、不快な感情を顕にした。
先ほどの炎が生み出した煙ではない。子どもの頃に嗅いだことのあるものだ。
「ジッポなんぞ持ち歩いている癖に、タバコは苦手なのかね」
くつくつと男は嗤っていた。その声は、海里の癇に障る。
一刻も早く不快を取り除きたかったが、ぼんやりと景色が見え始めたことが行動を押し止めた。それよりも、不快感以上に、心の奥底から湧き上がるものがあった。
『焦り、か?』
カメラの扱いに慣れない人間がするように、ゆっくりと視界のピントが合わさっていく。状況がわからないということは、確かに焦燥感を煽る。しかし、それ以上に情報収集を止められた瞳が焦っている――何かを忘れている、と。
「ようやく視点が合ってきたか。最期だ、私を楽しませろよ」
視界がクリアになれば、憮然と紫煙を燻らせる男と瞳が合った。その顔に嗤いはない。否、必死に嗤いを堪えているという表情だ。
「何が、おかしい」
状況把握のために視線を回す。焦る気持ちとは反して、その動きは酷く緩慢なものだった。
「いや、滑稽だと思ってな。お前、下は見たか?」
タバコを持つ手は震え、言葉には嘲りが含まれている。
下を見ろと、男は言った。
ならば見てやろうではないか。次に瞳を合わせた時には、終わらせる。
そう思っているものの、視界は焦らすようにゆったりとしか下がらない。そうではない。犬使いとしてではなく、犬養海里という人格が下を見ることを拒否している。
『どうして、眼を動かすなんて簡単な、ことが……』
ゆっくりとスクロールが進み、男の顔は見えなくなった。
ダメだ。
脳はとうに理解をしている。この間、喋っている、喋っていられる人間は二人しかいないということを。
よせ、やめろ。
脳が悲鳴というアラートを鳴らしている。“理解をした上で、それを放棄したのだぞ”と。
見てしまえば、認めなければならなくなる――■■■が■んでいる、と。
「ああ、ダメだ。堪えきれん――」
ヒャハハハハ――――
とうとう吐き出された嗤い声が、海里の鼓膜を打つ。
「あ、あぁ、あ……」
膝下から崩れた青年は、言葉に出来ない呻き声を溢す。彼の瞳には、物言わずに横たわる少女が映っていた。
雑音が頭を打ち続ける。
頭を万力で締め上げられたら、こんな痛みになるのかもしれない。強いが、じわりじわりとした鈍痛が海里を襲う。今の彼には、小さな魔女を抱えることしか出来ない。
あれだけの炎が敷地内を埋め尽くしたにもかかわらず、少女の身体に火傷はない。だが、残された片方の腕は抱き上げた拍子に、地面へ力なく落ちた。
痣こそ幾らか見受けられたが、綺麗なものだった。
「ヒッヒヒヒ……はぁ、わらったわらった。そいつは、貴様が慢心した結果だぞ?」
苦しそうに息を吐きながら、何かが口を開く。
「まったくもって、してやられた。確かに魔女の力を借りた一発芸だ。あの距離で私の視界を奪っていたとはな」
一頻り笑い終えたものは、淀みなく解説を始めている。嗤いこそないが、未だ悦に入っていることは一見すればすぐにわかる。
「単なる命令を飛ばす回路ではないとは、恐れ入った。瞳から私の情報を読み取り、その上で虚偽の情報をこちらに与えるとはな。通りでどこを狙っても当たらないわけだ」
男が饒舌に語ったことは、ほぼ間違いない。
先日のサキとの一件で見せた“見識”は妖相手への予知と呼んで差し支えない。ならば、かなえの瞳の力が加わった海里の力はどうか?
「こちらの行動成功確率に干渉するなんて、大した魔眼じゃないか。だがしかし、ピンポイントで放つ魔法の命中確率を変動させたところで、施設全体を焼き払えば関係がないだろう。それにかなえは、今しがたの炎を防ぐことで全ての魔力を使い切ったようだ――一回こっきりの芸当とはこういうことか!」
得心がいったように、法路は薄く嗤う。
実は法路の説明は少々間違っている。相手が次に取るべき行動といった情報を汲み上げ、幾つもある手段の中から失敗する確率の高いものを、必勝の一手だと幻視させた、が正しい。が、己の瞳が情報を投射する稀有なものであるとわかったところで、海里は喜びもしない。
「俺は、バカだ……」
力が欲しいと望んだ。そのことに間違いはない。だが、やはり海里は理解が遅れてやってくる。
力を望んだのは、一体何のためだったか?
「いつだって、遅れて気づく。俺は……お前の力になりたかったんじゃないか」
先祖伝来の能力であろうと、この瞳がイカれていることに間違いはない。日常生活を、普通に暮らしを送ろうとする上では邪魔なものでしかない。
元から視えているものが他人とは違う。凡そ他人は理解できないし、他人からは理解されない。むしろ己に近い感覚を持つ獣、異能を狩り、彼岸から人間の団欒を眺めるのだ。その寂寥は、どこまでいっても埋めることが出来ない。
『バカが。瞳に振り回されるなら、振り回されんように使い方を覚えればいいんだよ』
出会ってすぐの頃に、生意気な魔女がくれた言葉を海里は思い返していた。
かなえが教えてくれたのは、瞳の使い方だけではなかった。それは、瞳と折り合いをつけ、人の傍で生きる方法であった。
恐らく、彼以上に傷ついてきた彼女こそ、海里を憂う人物だった。不器用な優しさしか見せられない少女へ向けた想いを、ここに至ってようやく理解した。
「ごめん、すまない……」
抱き上げたものの、腕に力を込めることは出来なかった。その感情を勝手に押し付けることは憚られる。涙も拭うことなく、頬を流れるままにさせていた。
「え――」
不意に、その涙が小さな指にすくわれる。驚きの余り、海里はいつもの間の抜けた表情を浮かべてしまった。
「あーあー……こんな小娘に泣かされよって。男前が、台無しだぞ?」
虚ろな瞳は海里を見ていない。だが、蚊の鳴くような声であったとしても、彼女は生きていた。
――うっせぇ、バカ。泣いてねーよ!
いつもの彼であればこう答えたかもしれない。
「おい、カイリ?」
「ひ、ひぐぅ、う、あぁぁぁ」
小さなかなえを抱く腕が、痛い程力を込められた。使いすぎた瞳は像を映してくれないが、大の男が声を上げて泣いていることはわかった。
「お前はほんとに……仕方のないやつだな」
かなえは黙って背中を撫でてやる。その動きを待っていたかのように、海里の嗚咽は静まっていった。
「で、カイリ。あれに勝てるのか? あいつは、踏み潰してもいずれ肉体を再生してやってくる。まぁ、その度に叩き潰してやってもよいがな」
小さな声で、魔眼を使う弟子へと問う。そこには冷徹な魔女の姿があった。だが、圧倒的に力が足りない。仕切り直しがあれば負けないだろう。だが、今この時は相手の方が遥かに形成は有利だ。
「……何言ってんだよ。かなえはいつも通り、俺に命令すりゃいいんだよ」
顔を上げた海里は、笑顔を作って答えた。
丁寧にかなえを地面に横たえた時、彼の耳に名残惜しそうな声が聴こえたような気がしたが、恐らく錯覚だと自分に言い聞かせた。
「ふん……じゃあ、一番最初に信じた通り、やってこい」
いつもの不機嫌そうな声を上げて、魔女は下僕へ命令した。望むままにやってみせろ、と。
「オーケィ、ボス」
海里は丸眼鏡を外し、いつもの軽口を叩く。視線の先には横柄な態度を取る梨切法路がいる。未だ薄ら笑いを続ける胡散臭い男を、再度瞳に捉えた。
「やれやれ、ここまでくると滑稽ですらないな」
タバコを床に放り投げ、法路は腰を上げた。その口元には変わらず嘲りが張り付いている。
彼にしてみれば当然のことだ。眼前の男の手札は丸見えどころか、手など見ずとも再度全体を焼き払えば終わる。にもかかわらず――
「お前の言い分なんか知らん」
にもかかわらず、余裕の表情を浮かべる海里を見て、心にざわつきを覚えた。近所に散歩にでも行くような足取りで、魔眼使いはやってくる。カチャリというジッポを開く音が、厭に耳についた。
圧倒的に不利であるのに、なぜこの男は笑っているのか。法路には理解出来ない。それは、自身への侮りと捉えた。
「この際だから言っておくが、あれは肩入れをするような生き物ではない。鼎とは、古い時代の釜――祭器とされた器の名前だ。あの女は呪いを引き受けるためだけに生まれた道具だぞ?」
「……」
黙ったまま、海里は更に一歩を踏み込む。後ろでかなえが顔を顰めているような気がした。彼我の距離はあと七メートル。
「どれだけ魔導に費やそうが、他人の願望を叶えるためだけの現象のようなものだ。人ではないあの女の願いは、叶わない!」
再び感情を顕に、法路は叫ぶ。本人は当たり前のことを説明しているだけのつもりらしいが、ならば何故感情を高ぶらせる?
ゆったりと、だが確実に海里の足は進む。五メートル――お互いに射程圏内にはとうに入っている。
「それが、なんだ?」
努めて冷静に、海里は疑問を口にした。他人がとやかく言おうが、かなえはかなえだ。何も変わりはしない。更に進んで三メートル。一歩毎に、より正確な男の情報が海里の瞳に叩き込まれる。
「その眼だ。その眼が気に食わない!」
「何度も言わせんな。お前の言い分なんか知らん」
胸ぐらを掴み合えるまでに距離を詰め、海里は男を睨んだ。嘲り笑っていた筈の表情も、実のところ海里へ向けたものではないと理解した。
そして、告げる。
「かなえの代わりに聞いてやる。お前の望みは何だ?」
真っ向から向き合うと、激情を宿す男の瞳の中には卑屈な色が見られた。
「知れたこと、この世すべての意味の消失だ! この世に排泄されて二十数年、取るに足らないものに俺が貶められることは、我慢ならん!」
魔女の一番弟子が漏らした言葉を聞き、かなえは残念そうに瞳を閉じる。冷め切った態度というのは不適切か。わかり合えないことを十分に理解した上で、兄に先はないと直観していた。
魔導を追求するなど、望みではなかった。ただ自分たちは持った力を形に出来たことを、純粋に喜んでいたではないか。路を違えて数年。その時間が魔女と魔法使いの在り方を隔てた。
「かなえ、俺は初めて人間にこの言葉を使う」
「私の業を背負わせるのは忍びないが……任せた」
声が届くかもわからないが、魔女は答えた。視界がはっきりせずとも、イカれた瞳は少し先の光景を彼女に見せる。
「では逆に聞いてやろう。貴様は俺に何と言う?」
肉薄した距離にありながら、蚊帳の外にあった男は皮肉げに口元を歪めた。
対する海里は、一度眼を瞬いた。実際に口にするとなれば、気負わずにはいられない。
「……」
「――は、何を言うかと思えばだんまりか」
ここにきて、裏切られたような感覚を味わい、法路の瞳から感情の色が消えた。続き、腕が大仰に振られる。
その手には文字がびっしりと書かれた書物のページが掴まれている。先程の炎ですら防ぐことの出来なかったものが、この魔導の頂きを目指した人間の前に対等に立つ――最早冗談だとしても笑うことは出来ない。
「俺は何度でも蘇る。だが、貴様はここで死ね!」
激昂した感情に任せ、火が灯る。
酸素を巻き込んだそれは瞬時に猛り狂う炎と化した。室内を明るく照らしたそれへ、更に魔力が流し込まれていく。まだ完成ではない。建物を倒壊させるべく大きなうねりとなるべく変化を続けた。
「カイリっ!」
かなえの後押しを受け、魔法の発動を目前に海里は腹を括った。
そして一言を口にする。
お前を殺す――――冷淡に、だが確実に紡がれた。それがスイッチとなり、瞳にかなえの持つ魔力が流れた。
「今更何をしても無駄だっ! 消えてなくなれ!!」
男の叫びすら、最早意味はなさない。どれだけ大きな異能があろうが、それは形を為す前だ。
海里はその言葉を告げた。
「その魔力を、止めろ」
それは、視線を通して法路へと突き立った。魔女に後押しされた“絶対命令”は滞りなく流れる。
自身に違和感を覚えた法路は、施設全域に広がる筈だったものを見つめ、眼を見開いた。魔力の供給が絶たれ、炎は揺らめきすら止める。流れを失った魔力は、現象という結果を為さずに霧散した。
「――な」
言葉もない。まったく理解が出来ないという表情を浮かべるだけで精一杯だった。
「未知の体験だろう、法路。何、恐れることはない」
小さな声では届かないとはわかっている。だがかなえは兄を想い、呟きを止められない。
「お前を赦さないと言った。だから、続きは来世で、な」
「……なんだ、なんだこれは?」
依然理解が出来ず、間抜けな声を漏らす。炎を掴んでいた筈の腕が、同様に霧散していく。
「お前、かなえの力は一回こっきりだって!」
「ああ、あれは嘘だよ。見抜けなかった自分を呪え」
淡々と吐かれる海里の言葉に従うように、施設内が元の暗がりへと戻れば、炎の生みの親も消えていく。
炎を構成していたものが彼の魔力であったように、何度も入れ替えたその身体は魔力に依って保たれていた。魔力が止まった今、崩れることは必至。
「いや、やめろ、やめてくれ! まだ、まだ助かるだろ? 魔力が残留している内に、早く元に戻せ! 出来るだろ、なあ? 俺がいなくなると、異能を使えない異能どもで世界が溢れ――」
「あの世で、鉱崎行交に詫びていろ」
無情に言葉が告げられた。尚も追い縋ろうと、法路は肘関節まで失われた腕を延ばす。
「……あっ」
魔法使いは締まりのない声を上げた。何物にも覆われていない海里の瞳――怒りに燃えるものでも、哀しみにくれるものでもない――に睨まれ、言葉を呑み込んでしまった。
そこに在ったのは、純粋な殺意だった。本来は指向性を持たない力の渦でしかない。魔女が扱う不可視の足が如く、絶大な力が一人の人間を殺すということにのみ流れ出ていた。
凡そ人間が向けるべきではない負の感情を一身に受け、魔法使いは瓦解する。
『これが、恐れ?』
まだ味わっていなかった感情があったことを知り、魔導の追求者は音もなく消えた。
「私もすぐに逝く。来世で会おう」
瞳を閉じたまま、少女は兄へ最期の言葉を贈った。