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ミミナリ  作者: 三宝すずめ
6話 蛇足
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5.災い転じて

 カチャリ――心の奥底にあるギアが噛み合う音がし、クリアになった脳はその回転数を上げる。


 右の視野が解放されれば、更なる情報が魔眼使いへ入力される。


 左で捉えていたものとは別の感覚――物質ではない。感情、魔力、それらが弾き出す、これから起こり得るありとあらゆる可能性――かなえに比べるとケチがつくものの、海里は持てる能力を惜しみなく披露することに決めていた。


「ほう……私が奪ったときとは、少しばかり毛色が違うようだな」


 魔女というものの習性からか、法路はこれまでには見せなかった関心の色を瞳に乗せていた。それすらも、己に敗北はないという余裕からのものだ。顎に手を当て、やや姿勢を前傾にして自分にはない異能を覗き込む。


「色々と言いたいことがあるが――お前、サキと俺がどういった結末になったかは、知らないようだな」


「知る必要があるか? 犬も連れない犬使いが勝つなど、魔女の力が作用したこと以外に考えようもないだろうが」


 魔女の一番弟子は不遜な、冷笑するような表情を浮かべた。


「……なら、それでいい。いい加減、かなえが不憫でならないんだ。とっとと決着を付けよう」


 相手の冷ややかな視線などどこ吹く風。海里はあくまでも自然体でいる。左手をポケットへ突っ込みながら、魔法使いとの距離を視界に収めていた。


「貴様の余裕がどこからくるのか、甚だ不可解――だが、決着を付けるというのはいいだろう」


 口元を歪めて、笑みを作りながら、魔導書のページを手から放つ。


 綺麗な光だ。


 魔力が形を為す直前に起こった白色光を、男は子どものような無邪気な瞳で見つめる。この時ばかりは、この地獄を忘れることが出来た。


 男の脳裏に、時間にして数秒にも満たない間、過去が巡る。




 この世に、光はない。


 殴られ、床を転がった少年はぼんやりと壁を眺めていた。白いコンクリートが目に刺さる。


「また、法路か……」


「この間にも大怪我を負ったと言うのに」


 無遠慮な言葉が耳に鳴り響く。それらには特に答えず、少年は立ち上がった。


 痛みがないわけではないが、寝転がっていたところで、誰も抱き起こしてはくれない。その事実が少年を独りでも立ち上がらせていた。


 親はいない。


 それはこの施設にいる子どもの大半がそうだ。法路も、彼らと境遇はさして変わりはしない。だが、一線を画すものがあった。


「あいつ、もう傷が……」


 誰のものともわからない言葉が耳を打ったが、少年は無視を決め込む。


 血肉は一週間もすれば入れ替わるものであるが、法路の回復はそれよりも遥かに早い――全治一週間が、二日もあれば完治する。それが、常人よりも大きな魔力の奔流であることは、この場にいる人間には誰にも理解できない。


 理解がせずとも許容する。そんな身内はない。


「何か、文句があったか?」


 ジロリと視線を投じて、子どもたちを黙らせる。それが大人の怒りを買うことにつながっているのだが。理解はしていても、改善すべきとは思わない。何せ、誰も彼の言うことを理解は出来ない。


 信用の出来ない大人から、この施設からお前を引き取ろうという人物が出たと聴かされた。当然、職員へ法路は喰ってかかる。その結果、殴られたわけだが、少年はそれに対して今更何も思わない。


 化け物は、こうして育てられた。


「――坊主、お前酷い目をしているなぁ」


 敷地内禁煙。そんな紙がでかでかと貼られているのであるが、法路が連れられて行った場所にいた人物は、ぷかぷかと煙を吐いていた。


「ああ、貶したわけじゃないんだ。濁りかかっているな、と心配をしていたんだよ」


 何せこれからお前の親になるんだ、とその女性は屈託なく笑ってみせた。


 その女性への第一印象は、年齢不詳だった。可愛いと言うよりも、綺麗という印象が勝る。長い白髪は腰元で束ねられていた。髪は一見して老婆のそれだが、反して肌は若い。


 服装も、ジーパンにTシャツと何とも気軽な格好だった。だが何よりも、燃える瞳に力を感じた。他の誰からも感じられなかった、自分だけが持つ魔力チカラだ。


 少年は、ついに親が迎えに来たのではないか、とすら思っていた。


「俺、この人についていくけど、いいか?」


 他人を寄せ付けない少年の言動に、職員は驚きを隠せなかった。当の本人にすら、何故このような言葉が出たのかは理解が出来ていない。


「契約成立だな――お前は今日から、梨切法路だ」


 ニカっと笑みを見せる女性。それが町に噂される魔女であると知るのは、もう少し後のことになる。


 それからの全ては、全てが新鮮だった。


 他人に理解されようもなかった筈だ。この身は魔導を為す回路であると知った。自身の在り方を理解すれば、他人がとやかく言おうとも、何も気にするところはない。


 己の在り方を肯定する人物が現れたことが、魔導の道へとひた走ることを後押しした。だが、才覚に溢れる彼は、少し早く走り過ぎた。


「え?」


 少年期の終わり、これから魔導の何たるかに迫ろうかというところで、少年は目を丸くする。師匠の言葉が聞き取れなかったからではない。単純に、その意味が理解出来なかったのだ。


「――破門だ。これ以上は、お前は人として生きることが出来なくなる」


 元より準備をすることが苦手な少年だ。魔導の過程で、魔力効率を引き下げる殺生をしていた。


 人の命に価値など見出さず、魔導に没頭する少年は、お屋敷の魔女の後継をその他の人物に奪われることになる。


 彼の母であった人からは、何度も人としての範疇で魔導に携わることが告げられていた。しかし、他人とは異なる道を追求した少年にそのことは理解が出来ない。


「だから、もう魔導の追求はやめよう」


 これからは、ただの母と子として――魔女が用意していた言葉は出されることなく終わる。


「お前も、そうか?」


「法路っ!」


 ギョロリとした瞳に睨まれ、師は思わず臨戦態勢を取っていた。取ってしまった。


「……もう、いい」


 誤算と言えば誤算だろう。魔女は彼を人間にするつもりが、結果的に優秀な魔力回路として育ててしまった。そこに、人としての育ちはなかった。


 誰からも理解されない人物は、誰も理解することはなかった。記憶にもない筈の、棄てられるという感覚を再度味わう――これ程の恐怖はない。


 直ちに魔力を回し、少年は抱きとめようと近づく母親の腹へ力をぶつける。


「法路、待て、法路っ!!」


 魔女は叫んだ。腹から血が溢れることも構わずに、ただ、叫んだ。だが、その言葉は親のない少年に届くことはなかった。


 こうして、化け物になった――この世に、光などはない。




「燃えろ、その口が二度と言葉を吐かぬように」


 束の間の回想から、意識を現実へと引き戻して魔法が成立した。


 音もなく、先程まで海里が居た足場から施設の天井まで火柱が登る。忌まわしき記憶を焼き払うかのように、炎は猛り、施設を焼き払う。


「念を入れておこう」


 炎が燻る中、更に魔導書は光を放つ。既に明るくなった室内を、白く塗りつぶす光が走った――その閃光は稲妻だ。突然生まれた光が、行き場を求めて火柱に歪められた空気に乗って施設を走り抜けた。


「さて、続きといこうか」


 魔導書を閉じ、男はかなえへと向き直した。火柱が消えた後、そこに何者も居ないことを確認していた。


 表情には、勝利したという興奮はない。魔導を知らない生き物に、逃れる術はなどはないのだ。当然の結果に、興奮する者はいない。代わりに、眉には深い皺が刻まれた。


「……待て、何に違和感を抱いた?」


 解せんと、魔法使いは視線を這わせる。部屋のどこにも、敵対する人物は見つけられない。あるのは、地面にへたり込む妹弟子だけ――


 違和感の正体に気づく前に、法路は大きく後ろへ飛び下がった。鎖に繋がれている筈のかなえが、何故座り込んでいる?


「さて、そろそろいいか?」


 居る筈もない人物の音声を聞き、常識の外を生きる魔法使いは戦慄した。




「いつから、そこに――」


 キツネにでも摘まれたような顔をして、法路は海里を見つめていた。


 背中側、先程まで正面に見据えていた人物は炎に、雷に煽られて消し炭となった筈だ。それが何故、かなえの傍にいるのか。とても理解が出来たものではない。


「いつから? ふむ、種明かしをしてやろうか」


 聞き覚えのある口調を耳にして、魔法使いはますます身を固くした。


「要らぬ!」


 ここに来て、感情を沸騰させながら更なる魔法を展開した。風、水、光、土くれ――それらが渾然一体となって、海里へと迫る。


 巻き起こる現象を理解していた法路であっても、瞳に飛び込む刺激に眉を顰めた。どのような回避方法、異能を以て臨んだかは知らない。だが、これだけの魔力を叩き込めば――


「おい、人が喋ってる途中だぞ? これだから、魔導に偏った人間は困る」


「な、何を、した?」


 先程よりも一層強い違和感に、法路から余裕の表情は奪い去られていた。魔法を回避したと思っていたが、今も海里の立ち位置は変わらない。同時に、彼の傍にいるかなえの様子も何ら変わりない――ならば、これは回避ではない。目の前にいる男の瞳は確か……


「種明かしは要らないんじゃなかったか?」


 がっはっは、と犬使いの青年は嗤う。まるで魔女がしてきたようなそれを彼は模倣してみせていた。


「……認めん、認めんぞっ!」


 叫び、魔法使いは走り出す。身体を再構成した際に、筋力は人間を越えたものへと作り替えている。駆け出せば、動かぬ海里との距離はすぐに詰められた。


「知らんと言った。認めようが認めまいが変わらんだろうが」


 魔法以外でならば、と突き出された拳は空を切る。否、やはり相手は動いておらず、ただ腕が何もないところに向けて伸ばされていた。


「さっきの答えだけどな、いつからと問われれば、右眼を開いたときからだ」


 左手で法路の胸ぐらを掴み、海里は告げる。交わった視線に、魔法使いの男は感情を濁らせた。


 対する犬使いは、掴んだ胸ぐらを離して空いた右腕を振りかぶる。


「そんなものが俺に利くと――」


 高い魔力回路を誇る瞳は、振られた拳がフェイントであると見据えていた。が、言葉は痛覚が刺激されて遮られた。


 続く左足から放たれる下段の蹴り。当てる気はない、が、太ももへと確かに炸裂した。


「が――」


 不格好な言葉が漏れた。痛みに顔を歪めながらも、格下の相手に膝はつけない。その矜持だけで魔女の一番弟子は堪えた。


 左の中段突き、身を捻るが、当たる。右から迫る蹴り足、腕を掲げるが、肝臓付近へと直撃する。振り下ろされた手刀、顔を覆って避けようとするも頭蓋を打つ。


「な、なんだ……なんなんだこれは!!」


 男は絶叫した。


 望みを叶えるため、魔導を極めるために、母となる人物すら突き放した。その結果がこれか? 魔導のマの字すら知らない異能使いに、いいようにされるしかないこの現実をどのように受け止めればよいのか。


「俺の瞳はかなえと繋がっている」


 ぼそりと、海里は地面にへたり込む男を見て呟いた。


「かなえが俺に魔眼の使い方を教えるためだったんだが、今はその力が逆流している――とは言え、それすらもついさっき教えてもらったことなんだがな」


 俺は魔法何てわからんから、さっぱりだ。海里は聴かされた言葉をそのまま伝えている。


 ただ、彼の瞳は情報を収集する回路として優秀であった。理解及ばない超常の感覚も、そんなもんだろうと受け止めている。もっと言えば、何かが開いていた。前回の枯れた狼との戦いで、その片鱗が垣間見えていた。


『まったく、この期に及んで、お前は鍛え甲斐のないやつだな。ほんと』


 従僕の頭に、主のぼやきが響いた。彼の頭の中で、あぐらをかいた魔女が頭を掻き毟る様が浮かぶ。常識内の理解が意味を成さない――ただ常識外の感覚を受け入れる――そんな芸当をこの異能使いはやってのけていた。


「ぼやくなら、さっさと起きろよ」


「……何を言っている?」


 とうとう独り言を始めた男を前に、まったく理解が追いつかない。


 他人に理解をされ得なかった人物は、それを埋めるようにあらゆることに理由を求めた。魔法の発生条件、必要十分な魔力量、効率のよい運用――魔導の知識こそが彼を彼たらしめるものの筈だった。


 だが、今や理解しようもない事態に陥っている。魔女には見たくもない過去を突きつけ、無限とも錯覚出来る程の責め苦を、それが喩え、法路が味わった一片であったとしても与えた筈だ。


 それが何故、魔導を知らない青年の言葉掛けで動き出すのか?


「うん、あぁ……身体が痛い」


 寝起きのような言葉を発して、お屋敷の魔女は犬使いの服を掴んで立ち上がった。よろめく少女は、背中を下僕に支えられてようやく直立しているといった様子だ。


「――っ」


 最早言葉もない。続くかなえの台詞に込められた意味を、彼に理解しろという方が酷だ。


「お師匠の代わりってわけではないが、聴いておこう」


――お前の望みは何だ?


  虹色の輝きを取り戻した魔女は、お決まりの台詞を以て、不遜に嗤った。




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