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ミミナリ  作者: 三宝すずめ
6話 蛇足
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4.かなえの災難な一日―蛇足

 バタン――扉が打ち合わされた大きな音が、お屋敷の庭に響く。続いて間隔の狭い呼吸音が車内を打った。その強さには、本人も気づいていない。呑み込めない怒りを吐き出すために、浅めの呼吸が何度も繰り返されていた。


『お前の望みは何だ? この魔女に何を望む?』


 初めてかなえに会った時の言葉が、煮え滾った頭に反響した。


「――力だよ」


 海里はあの時に答えられなかった言葉を口にしていた。いつもの通り、ぶっきらぼうに紡がれた台詞ではあるが、過分に苛立ちが込められていた。


 力が欲しい。


 それは先日に天敵と相見える前に告げた言葉だ。今更ではあるが、改めて青年は望みを口にしていた。


 小さな魔女に出会ったのは、かれこれ二年も前になる。初対面での印象は“偉そうな小娘”であった。


 祖母を失い、祖父と袂を分かった海里は荒れていた――父親の真似事に限界を感じていた彼は、生業とする妖退治への道を見失いかけ、途方に暮れていたと言ってもいい。


 そんなときに出会った魔女は、“望み”などという考えもしなかった言葉を口にしていた。


『何て顔してるんだ、お前は……取り敢えず、望みは後回しにしようか。まずは瞳の使い方からだな』


 初対面の海里を前にして、その面倒を見ようという言葉が紡がれていた。何の利もない筈なのに、軽々と出された言葉に、彼は面食らっていた。


 その衝撃は強く、今でも少女の言葉を覚えている。身内ですら理解できなかった海里の瞳のカラクリを見抜き、その使い方を指し示した魔女。傲慢なこととは思うが、海里は彼女の性質をよく知っているつもりだった。


 傲慢で不遜で、出不精な上に面倒くさがり。おまけに超が付くほどの味覚音痴な生き物だ。


 だが、利己的ではない。魔女として常識の外を飄々と生きつつも、本当に欲しいものを口にすらしない。そんな不器用な生き物だと理解している。海里のように、言葉や感情を遅れて理解するのとはまた別種の不器用さだ。


 そんな不器用さは、嫌いではない。むしろその様は、と言葉を思い浮かべたが、後には表現すべきものが続かない。


『まぁ、私は異常とも取れる現象の収集・整理しか脳がないからな』


 当時、彼女が自嘲的に嗤っている姿を見て、理解ができなかった。それだけの異常対処スキルがあれば、十分ではないかとすら思っていた。父親の後を継いで、人の役に立つことに意識が割かれていた海里からすれば、それは贅沢な悩みともとれた。


 だが、今にして思えば――父親が最期に告げた言葉を理解した今となっては――それは違うと思う。困ったことにその小さな魔女は、本当にそうすることでしか己に価値がないと思い込んでいたのだ。


「くそっ!」


 エンジンがかかる時間すらも惜しい。努めて冷静にシートベルトを回しながら、犬使いの青年は毒づいていた。こうしている間にも右眼は痛みに疼く。


 先程の電話の相手、かなえの父親を名乗る男のしたり顔が浮かんでは、海里の脳髄は怒りという感情で煮えくり返る。


 瞳の痛みは、これが初めてではない。


『すまんが、私は教えるのが上手ではない。私と視界カンカクを繋げるから、後は自分で掴んでくれ』


 彼女に視界のリンクを結ばれた際にも、右の視野が焼けるように痛んだことを覚えている。痛みは別にしても、その感覚は何度か味わっていた。主従関係を結んだ際、兄弟子とやらに瞳を奪われた際、枯れた狼と向かいあった際――いずれにせよ、魔女とは瞳で繋がっている。


「……自分で作った認識に、お前が苛まれててどうするんだよ」


 青年は、何時だか掛けられた言葉をそっくりそのまま返していた。右眼に映った光景は、かなえが今尚になって苛まれていることを知らしていた。本人が見たがらないそれを強制する人物がいる。


 車の計器類にしっかりとあかりが灯ったことを確認し、海里はアクセルを踏み込んだ。


 間に合わなくては困る。望みを問うたのであれば、最期まで聞き届けるべきだ。


 いろいろとぼやきたいところではあったが、運転に集中するために繋がった右目はしばしの間閉じられた。




「良い、濁り具合だ。言うことはない」


 かなえの父を名乗った男は、満足そうに頷くと魔女の頬をなぞった。腹が出ている、とまでは言わないものの、十分な貫禄がその体には備えられている。整った顎鬚を撫でながら、時が満ちたことに満足をしている様子だ。


 その様に、魔女は不義を唱えることはしない。否、唱えられないと言ってもいい。焦点の合わない瞳を遥か前方に向けて、うわ言のように単一の言葉を繰り返していた。


――ごめんなさい。


 誰に向けられたものか、力なげに贖罪の言葉が続けられている。


「あの生意気な娘がここまでくるのに、どれ程の手間をかけたか」


 うんうん、と頷きながら男はかなえの顎元を捕まえる。大よそ、己の娘にする仕草ではない。道具でも扱うように見つめては、再度今の状況に満足を示した。


 意志を剥奪された願望機――眼帯を剥がされたかなえの双眸には、これまでにあった虹色の輝きが失われている。この世に生まれ落ちたことに対する罪障感から暗いものに染められている。


 男は確信した。今ならばこの少女は、贖罪のためにあらゆる願いを叶えるだけの純粋な魔力装置と化している、と。


「永らく待った……思えば、全ては今日この時のためだ」


 言葉に込められた感慨と同程度、長い息が台詞の後に吐かれた。この場に邪魔をする者はいない。彼女の師はこの世を去って久しく、その母親も病院のベッドから離れられない。更には、彼女が育てた異能使いの下僕もいない。


「では、叶えてもらおうか。名に相応しい能力を示して――」


 父親は、台詞の途中であったが、一つ首を振りながらそれを区切った。


 途中で辞めたのは何故か? 単に、誰も見ていないにもかかわらず、偽りの役割を続けることがバカらしくなったからだ。


「名に相応しいなんてことはないな。お前はそれしか脳がないんだから。落ちこぼれなりに、この私の役に立てよ」


 それまで覆っていた外装が剥がれると、長身の男が現れた。赤みがかった茶髪を鬱陶しげに払い、魔女の一番弟子はにたりと嗤う。


 この上なく愉快げな笑みだった。妹弟子の瞳を奪うような二の轍は、踏まない。先日の失敗から痛い程――実際に身体を半分程失って――理解をしている。


 先日は失敗に終わったが、今回は万全だ。柄にもなく準備というものをして、男はこの場に臨んでいた。


 欠損した身体を入れ替えるロスすら、リンクを開いて回った者たちが動き出すまでの時間にした。犬使いを中心に起こした事件が一区切りしたと思わせたところで、盲目の男を逃がした。魔女の習性というオマケを与えて。


 準備というものは嫌いだが、やるからにはとことんやる。


 妹の弱い部分を突くことが出来ていると、自画自賛を繰り返す。全ては彼の思うまま――弱り切ったかなえを前に、魔女の一番弟子は口元を歪めていた。




「ごめんなさい……」


 もう何度目になるかもわからないが、魔女は贖罪の言葉を繰り返していた。自分に用意された役割は、宮古という家を守るための供物だった。


 それは左の瞳が教えてくれていた。望まれていたのは、粛々と役割をこなす回路であって、家族の一員としてのものではない。異常な回路が示すそれに、異を唱える気はなかった。瞳が見せるものは、数ある可能性の中でも実現しやすい出来事だ。


 わかっていた。だが、父親はそれを望んでいないと信じたかった。母親は、生まれてくるものが何であれ、喜んでくれるものと信じていた。


 幼い少女は自身を否定しながらも、どこかで期待をしていた――親というものは無条件に自分を愛してくれるものと。


『だが、結果はどうだった?』


 幼子に戻ったかなえの脳裏に、どこかで聴いた声が響く。その声が誰であるかを探る前に、小賢しく回る脳はそれへの即座に回答を弾き出す――どこにも自分の居場所などなかった、と。


 兄は無関心。とはいかないまでも、余りに年が離れていた。妹を可愛がろうにも、多感な時期にあっては己のことで手一杯だ。そのことをかなえは喚いたりはしない。無関心である己との対極、兄は強すぎる程の期待が寄せられていた。そのプレッシャーは、かなえでは理解出来ない。


 対して、姉からは無関心ではなく、憎しみを向けられていた。兄よりも年が近いかなえを、彼女が妹扱いしたことはない。そのことにも、かなえは喚くことはしなかった。何故ならば、姉を愛する筈の母親は亡く、愛情を傾けてくれる筈の父親は、他の女を新しい母親に迎えていたからだ。


「……」


 最早声なくかなえは項垂れる。抗したところで、悪夢が過ぎ去る速度が変わるわけではない。ならば、ただ黙ってこの嵐が過ぎ去るのを待つしかない。


『生まれてきたことが、間違いだったか』


 僅かに残った理性すらも、己の存在を否定する。望みは、叶わない。にもかかわらず、生きていれば望んでしまう。


 異常な瞳を持ったがために、このような苦を味わった。普通とやらの生活を送る者への羨望は、筆舌に尽くし難い。


 だが、誰かに生きることを望まれた気もする。


『欲しいものが得られなかったのは、残念ながらってやつだな、うん。叶うと良かったが、現実には叶わなかった……それだけのことだよ』


 その出生を憂いながらも、生きるように願った人がいた。願いがかなえの心を代弁していたかはともかくとして、その人物は後にも言葉を続けていた。


『今までが糞のような人生だとしても、これからもそうなのか? 決めつけてしまう程、お前さんはまだ生きてはおらんよ』


 一体、それは誰であったか……異常な瞳を、この境遇を呪ったが、その人物は困ったような優しい笑顔をくれたと記憶している。


「私なんて、生きていても仕方ない……ではないとはわかっている。だけど、生まれた時点でもう役目は終わっている。生きていることは、望まれてないんですよ」


 魔女になる前の少女はその人物にぼやいた。


『……何言ってんだ?』


 いつだか対面した人物は言葉を溢していた。少女の言葉が心底わからない、そんな風な事柄が声音には含まれていた。


『私が、お前さんを必要だって言ったこと、嘘だと思うか?』


 実年齢よりも遥かに若い顔に皺を寄せて、その人物――師匠は続けて言っていた。


『ま、私を信じなくても構わないがね。そういう姿勢だと後悔するぞ? どう足掻いても、人は一人じゃ生きられないんだ。いつかさ、お前さんを頼る人が現れたときに後悔しないように、せめても力を磨きなさい』


 頭を撫でたその手が優しかったことを、ぼんやりとだが魔女は思い返していた。肉親にすら頼めなかったその温もり。一時であっても、得られたことは忘れない――




「それでは、これで終わりだ。私の願いを叶えろ」


 男――法路は、かなえの瞳が曇り切ったことを確認して、書籍のページを掴んだ。これで終わりと思えば少々寂しさも覚えたが、今この時では感傷よりも達成感が優った。


 ここは朽ち果てた施設。今更誰も足を運ばない忘れ去れられた場所――魔女の一番弟子は、いよいよ以て、悲願の達成に心を躍らせた。


「――待てよ」


 魔力も気分も最高潮――そんなところで無粋な音声が耳に入り、魔法使いは手を止めた。


「……もういいと、俺は言ったぞ?」


 男から向けられた視線に言葉に、海里は激しい嫌悪感を覚えた。こうしている間にも、異能使いの瞳は周辺の情報を採取する。己の主人が鎖に囚われていること、尚且つその瞳がどこも見ていないことを捉えて、嫌悪は吐き気にすら変わっていた。


「お前――」


 短く言葉を吐いた。否、脳髄を支配する熱は激情へと変わり、理知的な台詞を許さない。


 こんな時でも、鼻孔に古臭い匂いが漂ったことを知覚している。感情を置き去りにして状況を収集する感覚に、海里は却って冷静になっていた。主人を救うために、目玉を回すことに努める。


 何年前になるかはわからないが、とうに打ち捨てられた建物だ。碌な家具もない中で、男がかなえの前で無防備にも思われるように突っ立っている。それからは注意を逸らさずに漠然と周囲を見渡せば、ここはある種の施設であるだろうと何となく目星がついた。


 託児所、或いはそれに類した子どもを預かる施設――何故だかはわからないが、海里はそんなところだろうと当たりをつけていた。


 外壁は、昔は白いコンクリートに囲われていたのだろうと思われる。それに合わせて、建物の内側も清潔な色があった筈だ。少なくとも十年以上前にはそうだと推察される。染みだらけの床も、綺麗なフローリングであったであろう。


 この施設の実態はともかく、今は閉じられている右目に映った――かなえが見ていた景色を追って、この場に辿り着いていた。


「……一応、聞いておこう、と思う」


 海里は言葉を区切りながら相手を見据える。かなえの元に一刻も早く駆け寄りたかったが、敢えて時間を空けてはクールダウンを試みる。己より年齢は幾らか上であろう、かなえの兄代わりとやらを睨みつけた。


「お前、何してるんだ?」


 時間を空けたことがよかったのか、どうにか人語の体裁に整えられた言葉が紡がれた。


 これ程の感情が犬使いから迸ろうとも、眼前の相手は変わらずにかなえの頭を無遠慮に掴んで台詞を返す。


「貴様に理解など出来ないと思うが、回答するならば、儀式だよ」


「そう――か」


 相手の言葉を聴きながら、海里は短く返答するに留まる。感情理解が遅れる自分ならば、冷静に対処できるのではないか。そう思ってもいた。だが、どれだけ理解が遅れようとも、かなえの姿を見た瞬間に感情は一色に塗り替えられていた。


 次に、かなえの隣に立つ男を捉えて、理解というものを放棄する。目の前の人物が理解出来ないと言ったのだ、悪いことではないだろう。


「お前、何に触れてるか、わかってるな?」


「勿論。魔女を気取った哀れな装置だ」


 男は質問に実直に答えている――にも関わらず、海里の耳にはこの上なく耳障りな音としか認識されなかった。否、耳から入る情報以上に、瞳へ映る不快なものへ憎悪を向ける。


 片腕のかなえが、残った腕を鎖に絡めとられては無造作に吊るされている。その上半身は、いつも身に着けている清楚なブラウスすらなく、下着のみ。更にはいたぶられたのであろう、白い肌には幾つかの痣が見受けられた。


「この女には、大きな借りがあるからな。私が魔女へと弟子入りしたのが先だと言うのに――」


「――黙れ」


 相手の言葉の途中であるにもかかわらず口を挟んだ。開かれた片眼は、普段よりも鋭さを増している。


「まだ話の途中だと言うのに……感覚のズレた人間は恐ろしいものだ」


 やれやれ、と法路は頭をゆっくりと振っていた。その大仰な様は、聞き分けのない子どもにするものに似ていた。これから魔女の力を奪う儀式を行うところであるというのに、直前で喚き立てる人物がいる。


 シンプルに言うならば、面倒だという色が浮かんでいた。結果は変わらないにもかかわらず邪魔だてをする。それは面倒言う他なかった。


「俺の感覚が他人からズレてるってのは、今更だ。お前の言い分なんか、知らん」


 ぶっきらぼうに告げ、海里は首を鳴らす。納得が行かないが、動かないといけないときに彼がする癖だ。


「……魔女に随分と入れ知恵をされたようだが、無駄なことだ。今、この女は完璧な願望機になったところ、何かを付けたそうってのは蛇足にも程がある」


「知らんって言ったろ? 俺から返すとしたらだな……」


 怒りに震える一方で、酷く頭が冷めていく感覚すらも味わう。


 枯れた狼は天敵であったが、憎むような相手ではなかった。ただ、この眼前に立つ男には嫌悪感しかない。最早、会話などをする気もなく、浮かんだ言葉は心に留める。


『人に入れ知恵をするのは、蛇の役目だ』


 それに、かなえの不可視の足の前に敵はないだろうが――海里は右目は未だ閉じたまま、相手を冷たく睨む。


 魔女の一番弟子は、魔法を使うこともできない格下から向けられた視線に、不快そうに眉を顰めた。


 いい加減終わりにしよう。


 己の取るべき行動の吟味を終えた海里は、飾らずに告げた。


「その女に手を出して、ただで済むと思うなよ?」


 犬使いは静かに吠え、魔女とリンクされた瞳を開いた――




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