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ミミナリ  作者: 三宝すずめ
6話 蛇足
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4.かなえの災難な一日

 魔女は不機嫌だった。先程試した行為を再度なぞって半回転――ガキャ、という音がするのみで状況は先刻と変わらない。


 空いている筈の扉に鍵が掛かっていることに気づくと、空腹から苛立ちは更に募った。学校へ救急車や後始末の者を呼び、未希をタクシーで病院へ送り届けた。ようやく食事にありつけるか、というところでこれである。


 学校での一件は、原因不明の集団昏睡として処理されると魔女は踏んでいた。先代魔女と付き合いのあった刑事へと連絡を入れ、事件の後処理を頼んでいる。香り一つで他人を、それも複数の人間を意のままに操る人間がいるということを公表することに、混乱こそあれど利益などはない。


 などと振り返りつつ、かなえは再度ドアノブを捻ってみせるが、相変わらず扉は開く気配がない。


「なーにが、昼には帰るから、だ。あのタコ」


 眼帯を押さえながら、溜め息を一つ。腹が忙しなく鳴るので、かなえは素直に鍵を取り出して扉を開けた。


 玄関で靴を脱ぎ散らかし、電灯のスイッチを入れながら歩く。先代が生きている頃であれば明るく感じられた屋敷も、薄暗く思えていた――手近な窓のカーテンも開けて、かなえは私室へ進む。光が差し込めば、多少は気が紛れる。


「……」


 ドアノブを捻れば、古い屋敷はキィという音を返した。それには黙って、マフラーとコートをベッドへと放り投げた。


「少し、疲れた……」


 首元のボタンを一つ外してかなえは唸る。黙っていられない性分、というわけではない。だが、魔女という職業柄、思考整理のために言語化は習慣付けられている。かつての師匠がそうであったように、語ることによって情報を再構成しているのだ。


「今日は、瞳を開きすぎたか」


 眼帯を入れ替えると、左眼を数回瞬いた。開かれた瞳は靄がかかったようにハッキリとは見えない。姿見に映った瞳を見ることが出来たのであれば、透明なガラス玉に曇りを確認出来たことだろう。


「帳尻合わせをされているのかもしれないな」


 再び眼帯を入れ替え、魔女は自嘲するように口元を歪めた。彼女の師が言うには、左眼はこの世界とは別の世界に繋がっているとのことである。母親譲りの瞳は、人と違う景色を彼女に見せ続けた――時に未来すら見せる瞳。かなえにとって当たり前のこの光景は、異常と呼んで差し支えないものだ。


 幼き頃に視た、大人になる前に独りで死んでいくという光景。


 生に執着をしないわけではないが、何となくそうなるものと理解をしていた。左の視野に映る幾何学模様、それは人間から姿かたちを剥離し、隠すべき情報すら暴き出す。異常な瞳こそ、彼女の常識。そいつが己が死を指し示したとすれば、そうか、と思う程度のことだった。


「このところ、怪異が立て続けに起こっている。私が十八になったことにもかかわっているか?」


 ふむ、と首を捻る。口にしても、よくわからない。桐野湊という獣の少女が引き金であったか――否、引き金には違いないが、彼女の来訪は意図されたものでない。そのことは、かなえがよくわかっている。湊を起点に一連の事件は動き出したが、魔女を破滅させるためのものではない。


「……わかっているつもり、で留めておきたいものだな。だが、魔女とは因果な生き物だ」


 とっとと着替えて食事をというところであったが、思考を始めればその手は止まってしまう。我ながら悪い癖だと呟き、それを打ち消すために魔女は頭を振るった。考えたところで変わらないことは、考えるべきではない。


「泉矜持の脱獄を手引きしたものがいる、それは間違いないか」


 振るっても、こそぎ落とすことができない。それは、魔女には未だ自覚がないだけで確信をしていることを示している。


 盲目の男は、かなえの習性をよく知っていた。魔女ではなく、かなえの癖だ。そう、身内だけしか知らないことも男は知っていた。これが示すことは――


 思考を裂くように、ドサリという音が鳴った。同時に、かなえは少しばかり身体が軽くなる感覚を味わう。


「む?」


 開かれた右眼を細め、音をした方へ向けた。そこには、細い左腕が転がっている。


「ああくそ、足りてない。さっさと食事だ――カイリを待っては、いられないな」


 左眼に吸い上げられた魔力は、食事で補うことができる。かなえは片手で器用にブラウスのボタンを外しながらも、溜め息をつく。独りで食事をすることには抵抗があった。


「味のしない食事、そいつはただの摂取だ。人間のやることじゃない」


 その呟きには、肯定も否定もなされなかった。返す者がいないからこその独り言だ。彼女の舌が幾つかの感覚を失っていることを承知している人間は少ない。だからこそ、彼女は食事に意味を求めていた。人間という生き物が食卓を囲うことには、栄養補給とはまた別の意味がある筈だから――


「え?」


 どこぞの下僕のような、素っ頓狂な声をかなえは上げた。


 思考は強制的に中断を余儀なくされた。いつの間にやら部屋には男性が一人佇んでいた。


 居る筈のない人物の存在に少女の思考は追いつかない――空腹に勝る異常事態に、魔女の――かなえという少女の瞳はこれまでにない程見開かれていた。


「……お父、さん?」


 意外な人物の来訪を前に、かなえは動くことを、落とした腕を拾って取り繕うことすら忘れていた。




 とぼとぼと――そんな言葉が似つかわしい姿で海里は歩いていた。黙り、背中を丸めて歩くが、身長百八十を越える彼が身を丸めたところで、衆目を否応なしに集めてしまう。


「……わかっていたつもりだがな」


 舌打ちを一つしながら、海里は頭を掻いた。それらは、ボヤく彼の周囲に向けたものではない。先程の電話の内容を反芻しながら、歩く。


 新の元を離れる際に掛けた電話――当然かなえが出るものと思っていたが、“かなえの父”を名乗る人物が通話相手となっていた。


『君が、犬養海里か』


 低い声に、海里は眉を顰めていたことを思い出す。そして、舌打ちを重ねる。


「何が、もういい、だ!」


 大股でアスファルトを踏み込みながら、海里は怒鳴る。周囲の人間が彼に視線を向けたが、視線を這わせればすぐにそれらは霧散した。誰も身の危険をおしてまで好奇心を満たすようなことはしない。


 苛立った海里には近づき難い。それは、本人ですら気づいていない事柄だった。彼の視線は、人間には耐え兼ねる程の感情ジョウホウが込められている。獣を支配すべき瞳は、常人には刺激が強すぎる。


 ここにきて、かなえの親が彼女を引き取ると話していた。親が出たとなれば、海里の出番はない。肩を落として自宅へと帰る。これで全ては終わる筈だが、海里はどうにも納得が出来ずに毒づくことを続けていた。


「くそ、何だってんだ」


 かなえからは、親――特に父親の話は聴いたことがない。話したくないことだろうと、海里は敢えて追求もせずにきた。だが、それが間違いだったのではないかと今更ながらに思い始めていた。口約束の主従関係であるので、いつ契約が切られてもおかしくはなかった。だが、今かなえの元を去ることを納得できないことは確かだった。


「水臭いだろうが……」


 溢した声に、普段の力はない。ズボンのポケットに手を突っ込んで海里は歩く。どこへと問われれば答えに窮した筈だ。だが、その足取りは弱くとも、確実に魔女のお屋敷へと向いていた。


 せめても、本人に絶縁を突きつけられたのならば――そう夢想するが、海里は首を振って考えを打ち消した。かなえが要らないと言ったところで、納得出来ようもない。今や、海里にとってかなえの存在は単なる瞳術の師という存在を超えている。


「俺は、いつだって気づくことが遅れて――」


 途中まで口にして気づく。そして、屋敷は目と鼻の先であるというのに、自然と足は掛けていた。


 延太郎に頼んでいた、行交の調査。彼が何を想っていたかは、舞葦の日記を読むまでわからない。だが、わかっていることがあった。友となる可能性のあった男は、己によく似た生き物だったということを。


「馬鹿か、俺は!」


 怒鳴る頃には、屋敷へと辿り着いていた。逸る気持ちは抑えられない。鍵のかかっていない扉を開け放ち、かなえの私室へと踏み込む。ナナが居たならば、ノックもなしに女性の部屋へと踏み込むことを叱られただろう。


「……かなえ」


 海里の口から、主人の名前が溢れた。実際、名前を呼ぶ程度しか今の彼には出来ることがなかった。


 いつだって、遅れて気づく。


「ふざけんな、ふざけんなよクソが!」


 何をどうすればよいかがわからない。ただ海里は膝を折って、主人の残滓を抱き寄せる。


 異常事態だ――かなえは魔女の面子を何より重んじる。部屋には彼女の左腕が落ちている。その事態に、海里の心臓は一つ大きな音を打った。


 真に親が迎えに来たならば、このようなことは起こりえない。


「出ろよ、かなえ……」


 携帯電話を鳴らすが、永くコール音が続くだけに留まった。かなえの身には何かが起こっている筈――それはわかっているが、詳細が掴めないことには動きようがない。


「あ?」


 漏れ出たのは、苛立ちの混ざった間の抜けた声。再度毒づこうかとしたところで、痛みに不満は押し留められた。


 その痛みは、右眼からやってきていた。




「ごめんなさい……」


 声にならない声を、小さな魔女は上げていた。眼帯を剥ぎ取られたものの、昼間に酷使したそれからは、魔女は有益な情報を読み取れないでいる。代わりとばかりに、幼き頃のことが脳内を回る。


 母譲りの瞳は、見ないでよいものを彼女に突きつけた。それも正確な表現ではない。見るべきものを視るために少女はつくられた。


 願望機――その言葉は生まれたばかりの彼女には知覚出来る筈もなかった。しかしながら、理解出来るかはおいて、少女の瞳はその言葉を受け止めていた。それと同時に、己が役割を知る。


 宮古という家に生まれたことは、後継としての期待ではない。呪いを引き受ける器であることだけが望まれていた。まだまだ感情が未分化な内には、理解ができなかった。


 だが、四歳を数えた頃、否応なしに知ることとなった。


「お前は、妹ではない」


 姉の――自分とは似ても似つかないスミレの言葉が今も少女の胸に刺さっている。この身は、古くから続く宮古の栄華を続けるための道具なのだと。


 そのことに、幼い少女は感傷すら抱かなかった。理解が出来なかったと言ってもいい。一族に掛けられた呪いへの防波堤であったとしても、自分はこの人たちの家族なのだと、少なくとも幼いかなえは思っていた。


「近寄らないで」


 だが、姉から紡がれる言葉の尽くは、少女の存在を否定するものだった。思い出すだに、怒りとも失望とも呼ぶべき暗い感情が灯ることを止められない。


 自分は汚い生き物だ。


 ある時を境に、かなえは自分を人とは思わないことにした。身内にすら理解されないこの身は、人ではないと理解した。だが、幼さから一縷の望みは手放さずにいた。


 姉とは、自分を容認出来ない生き物なのだ。兄も表面上は優しいが、一線を引く生き物だ、と。かなえのよく視える左眼は、そう捉えていた。親だけは自分を望んでいる。その誤った理解が、かなえの原動力となっていた。


 己が意味のある生き物だと思いたい。人間らしい感情を持ったことが、彼女を苦しめることになる。


「ごめ……んなさい」


 記憶が再生されることを、中断することは出来ない。嗚咽混じりに、かなえは呟いた。


 呟いたところで何も変わりはしない。だが、謝る他に彼女の取れる行動はなかった。今の己は幼き子どもではないと重々理解している。だが、瞳に映る光景は、今現在のことのように感じ取れる。


 忙しい父に、己が何故生を受けたか、という愚問をぶつけるわけにはいかなかった。だから、幼きかなえは母を訪ねた。父も兄も姉も自分の話は聴いてくれない。単純な話、幼きかなえには、一度も会ったことのない母親しか残されていなかった。


 瞳に従って、母の元へと歩いた。だが、そこにかなえの求める答えはなかった。


「もうやめて、赦して! そんなもの、見せないで!!」


 両眼を開かれたかなえは、現在と過去を同時に見せられて叫んだ。


 自分は望まれて生まれてきた筈――誰からも保証が得られていないにもかかわず、かなえはそう思い込んでいた。だから、母に会いに行ったならば、優しく抱き上げてもらえると信じて疑わなかった。


「お嬢ちゃん、この部屋の人の親戚かな?」


 つい先刻のことのように思い出す。つい今しがた起こった出来事として、かなえの瞳にその光景が映る。


 若い看護師が、幼い少女を捕まえて、病室の扉を開いた。


「あ――」


 初めて対面した母の姿を見て、少女は言葉を出すことが出来なかった。幼いなりに理解をした。


 看護師の言う、“会っても意味はないよ”という言葉を理解した。


「……ごめんなさい」


 現在と過去、二人のかなえが呟いた。


 彼女の眼前には、大人とは思えない程に細い女性の姿が映し出されている。


「もうやめて! 私が、私が悪かったから――もうやめて!!」


 現在のかなえが叫ぶ。こんなものは、二度と見たくはない。だが、視え過ぎる瞳は彼女の理解を越えて情報を収集し続ける。


 眼前には、やせ細り、眠り続ける女性が居た。


 自分へと愛情を向けてくれると思い込んでいた存在。母親が、己を生んだおかげで眠り続けていると理解をさせられた。


 少女の足は止まる。


 それからのことは覚えていない。ただ、溢れた感情は、今も汚泥のように心の底に溜まり続けている。


 人に迷惑をかけるだけの自分は、生まれてきてはいけなかった。その後出会った師匠は、己の生きる道を示してくれた筈。だが、今は師匠がくれた言葉も思い出せない。


 原初の感情ゼツボウに触れ、溜まった泥は今溢れ出した。




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