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ミミナリ  作者: 三宝すずめ
5話 耳鳴り
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4.バカは叫ぶ!――因縁

「――ヒョウ、ヒョウったら!」


「え?」


 少年は己を呼ぶ声に眼を覚ます。辺りを見回せば、夕暮れの草原。いつの間にか、眠っていたらしい。


「まったく、この私が遊んでやっているのに寝ちゃうなんて……」


 呆れたように語る少女は、同時に柔らかい笑みを浮かべている。いつでもこの少女――歩は雹の味方であった。彼女の一族が冷たい視線を送る中、次期当主になるべき少女はいつでもこんな笑みを浮かべていた。


「何か、悩むことがあるの?」


 優しく少女は問いかける。少年はその瞳を直視することが出来ない。己の中にある、このもやがかかった感覚、彼女への申し訳ない気持ちを何と言葉にすべきか。


「俺なんかに構っていたら、旦那様に怒られますよ。お嬢さん」


 敢えて丁寧な言葉で取り繕ってみせる。自分はとうに家族もない、名前すらない身分だ。彼女が一族から遠ざけられるようなことがあっては、それこそ申し訳がない。


「――痛っ」


 突然、額へと走った衝撃に裏切り者の少年は驚いていた。ここで視線を上げると、眼前の少女と目が合ってしまった。


「バカ!」


「え、なに、お嬢様――て、えぇ……」


 思わず唸らざるを得ない。見やれば少女は瞳に涙を溜めている。


「ヒョウは、あんたは私の大事な家族だ!」


 顔を真っ赤にして怒鳴る少女に、何と言葉を返せばよかったのだろうか。否、返せる言葉などはなかった。多くの大人たちが彼へ冷たい視線を注いでいる。それは、彼の親がしたことに対してのものだ。


「アユミお嬢さん――」


 知らずの内、少年は片膝をついていた。今度こそ、形式ではなく相手を敬っての言葉遣いで紡ぎ出す。


「俺は――いや、私はどこにも行きません。あなたに付いて行きます」


 ある夕暮れ時、幼い少女の涙が教えてくれた。己には十二分に生きる価値があるということを。


 忘れる筈などない。何度忘れても思い出してみせる。この日見た彼女の瞳は、この世の何よりも美しいものだったのだから――




「――っ!?」


 枯れた狼は眼をシバタいた。忘れていた記憶に、頬を一筋伝ったものに驚いている。


「ミナト、貴様!」


 白昼夢の後、目の前には拳を下げた少女の姿が映る。先程の光景ヴィジョンが人為的に見せられたものだとわかり、雹は怒りを隠すことも忘れていた。先日占い師に見せられた、忘れたい程の悲哀すら彼の心を揺さぶるものではなかった。だが、幼き頃、ただ一つ守り抜こうとしていた想いを見せられて、この上なく動揺せざるを得ない。


「……何を見たかはわかりません。ですが、雹はわかった筈です――自分が、何を忘れていたかを」


 少女の表情は憂いに満ちている。相手を倒すための手を尽くすことはしない。そもそも、彼女の望みは姉が幸せであることだ。


「黙れ、黙れっ!」


 狼は懐から短刀を引き抜く。それは一つではない。コートの下に忍ばせた残りの刀を一挙に引き抜いていた。


「な――っ」


 呻くような声を上げつつ、湊は視線を四方八方へ這わせる。逆上した獣から投げられたそれは、これまでと異なる斜線を描く。


「人が折角忘れていたものを、お前は、お前らは!」


 正面にいた筈の人物から出た声は、右へ左へとこだまする。ここにきて、雹は妹相手へ手を抜くことを止めていた。己が忌み嫌う、卑怯者の取る攪乱カクランする戦法を全力で用いている。


「あと、ふたつ……」


 全方位から向かう刃を、身を削りながらいなす。幾分か血を失ったが、声にした通り、あと二つを躱せば終わる。


 眼前に迫った刃を手の甲で弾き、次を探す。


「――!?」


 驚く他ない。残りの一つは、今しがた弾いた刃に追走して、少女の眼前へと迫っていた。


「あぁっ!」


 何とか身をヨジってみたものの、肩口に小刀が突き立った。痛みに眼を瞑ったその隙に、全てのリンクが一時であるが断たれてしまった。


「……獣は悪ではないと信じた時もあった」


 背後に迫った獣は、静かに吠える。


 振り抜かれる刃は、少女の背中を引き裂いた。


「だが、こうして他人の記憶すら引き摺りだすお前らは、害悪だ」


 一瞬、湊は兄代わりと視線が合った。それは、これまでに見たことのない憎悪に染められた色をしている。燃える痛みに、視界が歪む。だが、目を逸らす訳にはいかない。


 何故兄は、ここまで歪んでしまったのか。その有様を、少女は悲痛な想いとともに見つめ続けた。




「――走れ、カイリ!」


 車を停車したところで、これまで眠っていた筈のかなえが、怒鳴った。何故とは、最早問うまい。ここで彼女が瞳を開いたということは、それなりに意味がある。


「いいか、かなえ、無理すんなよ!」


 ぶっきらぼうな言葉と共に、海里は車の扉を叩きつけては走り出す。今彼の心にあるものはただ一点。


“間に合え”


 心の中で何度も繰り返しながら走った。駆けるこの間に、足りない頭は空回りをし続ける。


間に合わなかったとしたら?


 そんなことはあってはならない。まだ、答えを聴いてすらいない。答えが望むものでなかったとしても、彼女が不幸になるようなことには、させない。


「ハァ、ハァ――っ!?」


 神社へと至る階段を抜けたところで、海里はその身に衝撃を受けた。


 丁度、五十キロあるかないか程度の肉の塊が、彼へと――彼がたった今到着した場所へと投げ捨てられた。ボロボロになったそれを、青年は咄嗟に受け止めていた。


「……何だ、これ」


 出された言葉は、自分でも理解しているが情けないことこの上ない。だが、それ以上は言葉を続けることができなかった。咄嗟に出された腕に納まったそれは、僅かに動いているが、生き物のようには思えない。と言うよりも、それを自分が知っている生き物だと認めたくなかったという方が正しいか。


 海里は反射的にそれを優しく抱きかかえたものの、やはり理解が遅れてしまう。


――カイリサン、ゴメンナサイ。


 音が、耳を打った。その言葉は、理解したくないものだった。


 白い肌には多数の刀傷。その跡から滲む鈍色に染められたモノを、彼女とは認めたくなかった。


「遅くなった。謝るのは、遅れて来た俺の方さ。いいんだよ、ナナ――あ、いや、湊」


 しどろもどろになりながら、ようやく青年は聴こえてきた音に言葉を返した。


「……ナナで、いいんですよ?」


 それよりも、と言いながら、少女はその手を必死に突き出そうとしている。だが、哀しいかな少女には力が残っていない。持ち上げられた腕は、意識が途切れるとともに、ハタりと地面へと落ちた。


「ありがとうな、ナナ」


 地面に触れるその手前、腕を掴み取って海里は呟いた。


 落とさせはしない――青年は、知らずの内に胸中で呟いていた。この手は落とさせてなるものか。彼女は、こんな自分のわがままに付き合ってくれた。


 薬指に嵌まるものがあろうとも、構わない。重荷にならないよう、気持ちを贈りたかった。小指にこの輪を嵌めてくれるのなら、少なくとも彼女は自分を想ってくれている――そう錯覚してもいいと思っていた。


 儚い想いであると思っていた。だが、握った少女の指先には小指のみに輪が嵌められている。


「そちらから出向いてくれるとは、思いもしませんでした」


「……」


 何やら慇懃無礼な響きを持った言葉が聞こえた気がするが、それどころではない。青年は掴んだ手を離すに離せない。


「坊ちゃん、それは私の妹です。とっとと離してもらえますか」


 淡々と言葉が紡がれる。妹を想う言葉であるにも関わらうず、獣から吐かれたその台詞に、海里は吐き気すら催した。


「……お前の、妹か?」


「はい、私の妹です。身内の兄妹喧嘩ですので、坊ちゃんには関係のないことでしょう。それをさっさと引き渡しなさい。その後で、貴方への用を済ますことにしましょう」


 離せと言うなら、離そう――犬使いはパートナーを優しく地面へと横たえる。その際、整ったボディラインが僅かに上下していることを彼の瞳は捉えていた。命があることに頭のどこかで喜んでいる。だが、それで済まされる話ではない。


「キョーダイゲンカ、か――なら、尚のこと引けねぇよ」


 海里は静かに男を睨んだ。


「引く必要もありませんが、聴くだけ聴いておきましょう。これまで私に勝つ要素などなかったでしょうに、何故引かないのか」


「何故だと? 理由はあれど、理屈じゃねぇんだよ。兄貴が妹に手をあげるだ?」


 ギリ、と歯噛みをして、海里は瞳を滾らせ吠える。この瞬間に、相手の立ち位置、己の状態、周囲に散らばった短刀などを瞳が捉えていた。


「そいつはな――俺が大っ嫌いなことなんだよ!」


眼に余るそれらを振り払い、海里は叫んだ。




 犬使いは懐からジッポを引き抜きつつ、走る。


「またそれですか、バカの一つ覚えのように……」


 枯れた狼は、飽きれたように言葉を紡いでいたが、それは最後まで続けられることはなかった。


 ボッ――という音が弾ければ、ジッポの火以上の炎が猛る。火勢に呑まれ、雹の声はかき消されていた。これまでに、眼前の獣とは幾つかの小競り合いをしてきている。一方的に打倒されるものであったとしても、対策の一つや二つは既に立ててきている。


「俺は、お前を――」


 ブッ飛ばす! その動作を己へ命令として入力をした。火薬をまいての盛大な火の奔流も、一瞬の後に焦げた匂いだけを残して消え去った。


「らあああああぁぁ!」


 その後に残るは、青年の叫び声。反撃への憂いへ固まる身体を強制的に攻撃にのみに突き動かす。


「が――」


 その拳は思い描いた通りに、獣の顔面を捉えた。手応えがあった。確かに拳は相手の鼻っ柱をへし折らんばかりに打った。


「ふざけんなよ、サキ!」


 一時の感情に流されない――それは螺矢に聴かされていた言葉であったが、海里は止まらない。先を見ない、感情に任せた行動の発露では決してない。先程視界の端に、多くの短刀が地面に散らばっていることが捉えられていた。


 怒りではない。ここで引けば、己を信じたパートナーの想いを無駄にすることになる。海里の視え過ぎる瞳は、今が押すべき時だと理解を脳へと伝えている。次弾装填――振り抜いた拳を引き戻す間も惜しい。海里は更に一歩を進めて、利き足を相手の足へと絡めて運ぶ。


「倒れろ、駄犬!」


 振り抜いた拳は相手の顔面を掴み直す。この感触に任せ、後は体重をかけるだけで、相手は地面へと沈む。


「……っ」


 地面に打ち付けられ、サキは声もなく呻いた。


 だが、その顔には苦痛ではなく、愉悦とも言うべき笑みが張り付いていた。


「あまり調子に乗るもんではありませんよ」


 ケヒっという息の抜けた嗤いと共に、海里は戦況が一変したと知る。見やれば、彼の腹には短刀が一本突き立っていた。


「どけ、いつまでも上に立ってられると思うな」


 地面を背にしたまま、枯れた狼は犬使いの青年を蹴り上げる。くぐもった声がサキの耳へと届くが、意には介さない。これから死ぬる人間の言葉など、拾う必要もない。


「これで、終わりです」


 身をよじりながら、殴り倒されようとも離さなかった刀剣を振りぬく。


 長い刃が突きつける様を、遠鳴りが如く、海里は他人事の様に聴いていた。




 少女は従僕を急がせた後も、車を離れることはしなかった。このタイミングで飛び出す愚鈍さを知っている。何より、気を許した人間が他の女を抱き留める姿を見たくはなかった。


「ちっ――」


 魔女は不機嫌そうに舌打ちをする。


 今更ながら、眼帯を入れ替えてしまったのが運の尽きか。下僕が斬り捨てられる一瞬先の未来が飛び込んできた。


「バカ野郎が……」


 助手席のシートを倒して、かなえは小さく呟く。落胆にも似た色の声が吐かれたが、その瞳は再び深く閉じられた。




7月11日 変更

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