3.割れ響く鐘の様に、――かなえるモノ
スカジャンを翻し、髪も振り乱して少女は駆ける。全部私の所為だ――などと言うのは傲慢であると承知している。だがそれでも、これまでに分岐点があった。
分岐点など上げればキリがないが、少女には確信があった。姉に関しては流されるままであったが、桐野の家を出た後の全ては己で選んだ道であるということを。
今、少女は二つの想いに突き動かされていた。衣新奈という人物の記憶が混線していた日々ですら、指輪を手放さなかった。これは、持ち主の元へ届けねばならない。そしてもう一つ。
「……何です?」
逸る心を押さえつけ、携帯電話を取り出した。ひょっとしたら雹やパートナーからの着信かもしれないと。そう思ったからこそ出たというものの――
「ぶあはははっははは!! おま、お前、相手の居場所も分からず走りだして、は、走りだして!」
返ってきたものは、豪快な笑い声だった。湊はこの人物を嫌いでない。否、むしろ好いてすらいるが、こうも無遠慮に笑われてしまえば流石にカチンときてしまう。
「電話、切りますよ」
「ああ、失敬。いつぞやのバカみたいに走り出して行ってしまったもんだから、つい」
「……つい、でそんなに笑います?」
暴言を吐くことはしないが、自分でも不機嫌なことがよくわかる。しかし、通話先の相手はそんなことにはまったく構いはしない――これがお屋敷の魔女という人物なのだということも、彼女は理解しているつもりではあった。
「気分を害したなら謝るよ。そうだな、詫び代わりに願望機から彷徨うヒツジへ助言だ」
今、何が見える? かなえから、短く問いが出される。
「はい? 何って、今公園ですから、神社くらいしか見えないですけど……」
「その中でも、因縁深いところに行ってみろ。お望みのものはそこだよ」
……多分、と言葉を付け加えられると一方的に通話が切られた。
「因縁って言われましても」
うーん、と唸りながら足を進める。携帯と一緒に手はポケットに突っ込んだ。その時、これまで大事に身に着けていた指輪に触れる。
「やはり、やり残したのはここでしょうか」
丸い輪を握り締め、いつしか湊は神社の階段を上っていた。パートナーとの思いでは因縁と呼ぶべきものではない。であるとすれば、やはり枯れた狼に完膚なきまでに打ちのめされ場所がそうだろう。
ゴミの山に投げ捨てられたと聴けば、姉は何と反応するだろうか? きっと怒られることだろう――情けない、それでも私の妹か! と――
神社すら通過すると、いよいよ奥まった人気のない場所に出る。そこへは、因縁の相手とやらが佇んでいた。
「……言った筈です。次は、保障しないと」
「そちらこそ知っているでしょう? 私が聞き分けのいい、お利口さんではないってことは」
ポケットから手を引き抜き、永らく握りしめていたものを眼前の狼へと投げる。
「お前が、持っていたのか」
丸い金属の塊を受け止め、雹は呟いた。歩へこれを渡したのは、もう五年以上も前になる。
「用が済んだなら帰れ、湊。俺は人に害をなす獣、異能全てをくびり殺すと決めた」
「いいえ、帰りません。自分の主へ刃を向ける獣には、ここで引導を渡します。これで、最後です」
スカジャンを脱ぎ、腰へと括り付けると、湊は兄代わりを睨んだ。
「お前、どの立場で俺の前に立つ? 桐野の次女としてか、俺の幼馴染としてか、歩の妹としてか――」
「愚問ですね」
ふっ、と軽く息を吐き、拳を握りしめる。人より多少は頑丈にできているが、獣らしい牙も爪もないこの身を何と称しよう。眼前の獣に勝つことはとてもではないができない。
震える拳を握ってみせると、金属のヒヤリとした感触を受けた。おかげで、それらしい虚勢を張ることも出来るというものだ。大切にしたいもう一つがあれば、足の震えも止められる。
「私は、犬養海里のパートナーです!」
枯れた狼が懐から短刀を引き抜く様を見て、湊は駆ける。その小指には、銀色をした螺旋の輪が光っていた。
「これで最後だ、イヌカイ。お前の望みは何だ?」
電話を終えたかなえが、海里へと向き直る。力が欲しい、それは間違いではないと彼女は言った。
「力が欲しい。だが、何のためにと問われると困る」
青年は正直に答えた。かなえが怒ってくれたように、サキを倒すためだけに力を望むことは間違っていると感じている。瞳を閉じれば、己と関わり合いのあった人間の顔が巡る。何のために、それを絞ることは至難の技だと思われた。
「たわけ、何を悩むことがあるか……全部が望みでいいんだよ」
言葉とは裏腹に、少女の声音はどこまでも優しい。声に導かれ、海里は瞳を開いた。
「大切なことはそれを見失わないことだ。口にしてみせろ。このかなえちゃんが受け止めてやるわ」
「ジイさんも、おふくろも千里も、守りたい。それに、俺は今、ナナ――湊の力になってやりたい。それを叶えるだけの力が、欲しい……」
勿論お前の力にもなりたい――喉元までせり上がった言葉であったが、何故か憚られそれだけは呑み込んだ。次いで、静まり返るお屋敷の空気に圧され、海里は生唾を飲み込んでいた。
「よく言った、犬養海里。それでこそだ」
かなえが微笑むことは珍しい。皮肉気に嗤う、或いは愉快気に笑うことをする彼女であるが、今は境界で迷い続けた青年の回答に満足をしていた。
「とは言え、俺は弱っちぃからなぁ。力を望んだところでどうにかなるのか?」
かなえを信じるとは決めた。だが望みがわかったところで、それを叶える力が己にあるかと問われれば首を傾げてしまう。
その海里の様子を見て、魔女はため息を吐いていた。何を落胆されているのかわからず、呻いた。
「あぁ? 何だよ、常識外の力は望むもんじゃないって言ったのはかなえだろ?」
「本当にバカだな……素直に私を頼れというに」
「――え?」
キョトンと目を開き、眼前の少女を見つめた。
「それでは行こうぞ。早くせんと無鉄砲が大変なことになる」
「行くって何? 無鉄砲て?」
「お前のジイさんが斬られたと聴いて、もう一人のバカが飛び出して行ったんだよ」
淡々と告げられる言葉に、海里の脳は処理が追いつかない。パートナーがかなえの前に来ていたことも驚きであるが、飛び出して行ったというのは、一体。
「え、あ、おい、かなえ?」
更に不可解なことに、出不精の魔女が玄関へ向けて歩いている。
「ほれ早くせんか、カイリ」
悪戯っ子のように――という言葉も憚られる程口元を釣り上げてかなえは嗤う。俄然魔女らしくなった彼女を追って、犬使いは事件を終わらせるために踏み出した。
イマイチ理解が追いつかないので、首を一つゴキリと鳴らすことを彼は忘れなかった。
7月5日修正