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ミミナリ  作者: 三宝すずめ
5話 耳鳴り
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3.割れ響く鐘の様に、――零れ落ちるモノ

 電話を切った湊は、深く息を吐いていた。目を閉じ、噛みしめるような表情をしている。一年以上聴けなかった肉親の声に、閉じられた瞳からは涙が零れていた。


「良かった……」


 溢れた言葉に偽りはない。少女にしてみれば、全てはこの姉から始まっている。だが記憶を取り戻したところで、これまでにナナとして得た記憶は捨て難い。姉が無事とわかれば、これ以上は自分を大切にしてくれる人たちを裏切らずに済むというものだ。


「落ち着け、イヌカイ」


 指輪を握りしめていたところ、不意に眼前の魔女が口にした言葉が耳に入った。姉の息災に安堵していたのも束の間、まだ何も伝えられていないパートナーの名前に、湊は息を呑む。


「はぁ!? うちの母に会ったって、それは関係がないんだろ? 病院で何があったんだよ」


 通話中の相手へ口を挟むわけにはいかず、湊は持て余す間、指輪を触って過ごす。惰性で行っていた行為だが、ある瞬間、知らぬ内に瞳は見開かれてることになる。試みに他の指へと通したところ、するりと金属の輪はその指へと納まってしまった。


「だから、オオジジ殿は生きてるのか? 斬られたってお前――」


「――っ!?」


 飛び込んできた言葉に反応し、少女は飛び跳ねるように立ち上がった。このタイミングで彼の祖父が斬られたとすれば、犯人は一人しか考えられない。


「おい、ミナトっ」


 通話口を押えて、かなえは叫ぶ。しかし、時既に遅く、少女へその声は届かなかった。閉められた扉へ視線を送るが、その間にも電話の相手は話続けている。


「……ともかく、一度帰ってこいイヌカイ」


 眉間を指で突きながら、小さな魔女は苦々しい表情を浮かべた。やっかいな娘の件が終わったという矢先にこれだ。未だ問題が山積みであることには、ため息を吐かざるを得ない。




「何て顔してるんだよ」


 これで何度目になるか、かなえは海里の顔を見るなりぼやいた。最早数えることも憚られる程口にしてきた言葉だ。戻って来るなり、海里は無言で主を見つめていた。


「まぁいい、とりあえず座れ」


「あぁ」


 勧められるがままに、海里はソファーへ身を沈める。いつものようにぶっきらぼうに返事をしているものの、覇気のない従僕を見て、魔女は眉をひそめていた。


「おい、呆けるのはいいが、こちらは何が起こっているかわかっておらんのだぞ?」


 さっさと説明しろよ、とかなえは思う。電話で聴かされた言葉は状況説明にすらなっていない。何故目の前の男がわざわざ自分の母親に会いにいっているかなど、最早理解が及ばない。


「……じいさんが斬られたって、夕个から連絡があってさ」


 ぶつぶつと海里は小声で話し始める。説明が始まったので、かなえは頭痛すら始まったこめかみを押さえつつも、一先ずは彼の話を聴くことにした。


「じいさんが生きててさ」


 なら良かったじゃないか――そんな言葉が喉元までせり上がってきていたが、相変わらず冴えない顔を見て、小さな魔女はそれを必死に呑み込んだ。


「んで、俺の顔を見るなり、サキを追うなって言うんだ」


「んあー……そらお前、そんな顔するわな」


 ようやく合点がいったと、かなえはため息を吐きながら同意した。屋敷を出るまでは、苦手なジイさんに頭を下げるつもりで海里はいた筈だと、彼女は推察する。それが、生死の境を彷徨っているわ、下手人がサキだとわかるわ――これもかなえの推察だが――ジイさんが意識を取り戻したらサキを追うなと言われる。これでは、感情のやり場がないというものだろう。


「螺矢さんには、一時の感情に流されるなって言われたよ」


「おい、そこで何で母の名前が出るんだよ」


 つい反射的にかなえは呻いてしまった。眼前の男が母親と一対一で会うということが未だに理解できない。


「なんでだろう? 俺にもわからん」


「……お前なぁ、もう! ほんとにもう、てやつだぞ?」


 視線を下に落としたまま呟く彼を見ては、それ以上言葉が続けられない。この際、母を訪ねたことを問うても仕方がないと、かなえは切り替えることにした。


「いつもの問いだ。イヌカイ、お前はどうしたいんだ? お前の望みは何だ?」


「俺は――力が欲しい」


 繰り返されてきた問いに、海里は一拍の間を置いたものの迷わずに答えた。ここぞとばかりにかなえの瞳を見つめ返している。その様を見て、頬を掻きながらお屋敷の魔女は眼帯を入れ替える。


「して、その力はどのように手にする?」


「俺の能力で、この身に伝わる獣の血を起こす」


 続き、迷うことなく海里は告げる。瞳は強制的に活動を促すことすら出来る。ならば、発現していない力を無理矢理に起こすことも出来ようものだ。


「……何故、力を望む?」


 魔女は根気強く是非を問うた。彼の望みは、それを達成した後が抜け落ちている。


「サキを追えないのは、俺に力がないからだ。力がなければ、自分の願望を語ることもできない」


「そうか……」


 ふぅ、と短く息を吐いて、かなえは眼帯の位置を戻す。一頻り思案をした後、彼女は両手を上げた。


「ブッブーーー!」


「――へ?」


 思わず、海里は間の抜けた声を上げてしまう。彼の向かいにいる魔女は、ブザー音のような声を上げていた。おまけに両手はクロスさせて、大きなバツ印を作っていた。


「ああ、今の顔はいつものイヌカイらしいな」


 事態が呑み込めていない彼を目の前にして、魔女はくつくつと嗤う。置き去りにされてしまった海里は徐々に顔色を紅潮させていった。


「お前、俺が――」


「ジイさんが追うなって言ったのは、正解だよ」


 はぁ、と今度は長めに息を吐く。下僕が全く彼自身を見れていないことに、かなえは落胆の色を隠さない。


「これは今朝も言ったことだが、敢えて繰り返そう――もう、やめてしまえ」


「なっ!?」


 魔女の言葉に、海里は言葉を失った。これまで散々に望みを問われてきたから答えた。にも関わらず、かなえから出された言葉は要領を得ないものであった。


 彼にとってみれば、最早訳などもわからず、ただただ困惑が存在している。祖父を斬った妖と、それを追うことを止める祖父、更には祖父の判断を正しいという魔女へと怒りが湧いてしまう。


「わからんか? 今朝勝算があると言ったのは、お前が冷静で且つパートナーがいるってことからだ。己の力量も弁えられないのなら、やめてしまえ」


 トドメとばかりに吐かれた言葉に、海里の頭は急速に煮えたぎる。かなえが柄にもなく下僕の胸倉を掴んでまで説教をしているが、残念なことにその言葉は届かない。


 己の生き方は、父や祖父のように妖と関わるものでしかないと思い込んで生きてきている。それを否定されることは我慢ならない。マグマのように沸き上がる感情を抑える術は、今の彼には見当もつかなかった。


「ふざけろよ、魔女!」


 カッとなった感情のままに魔女の手を払う。


 以前も似たように、彼女へは感情に任せて怒鳴ってしまったことがある。甘えと言われればそれまでであるが、かなえにはどこか途方もない信頼を寄せていた。自分を理解することはなくとも、決して見放すことはないと――


 ボトり――そんな、肉の塊が地面を打つ音が鳴り、身勝手な彼の思考は一時遮断された。


「えっ」


 これまでとはまた別の、間の抜けた表情を海里は浮かべてしまう。状況への理解が追いつかない。怒りの感情すらも置き去りに、視え過ぎる瞳は零れ落ちたそれを見つめていた。


「まったく、乱暴なやつだな」


 やれやれと、かなえは落ちた左腕を掴んだ。二の腕から下が丸ごと外れている。白く細いそれは、海里に脆さを連想させた。


「お前……」


 無言で腕を付け直す彼女を視界に収め、海里は呻いた。片手で器用にブラウスのボタンが外されれば、下着に包まれた豊かな胸が顕わにもなる。だが、今はそれどころではない。何も、言葉に出来ない。


「説教続けようかと思ったが、この程度で冷静になれるなら別に必要もなかったな」


 億劫そうに、魔女は再度取り付けた左腕の調子を確かめるように、手のひらを握ったり開いたりを繰り返している。


「かなえ、俺……」


 視え過ぎる瞳は、かなえから語られる以前に理解をしていた。この小さな魔女がこれまで繰り返していた言葉が脳内でつながる。確かその言葉はこうだった――いつまでも、私がいると思うなよ、と。


「あのなイヌカイ。ペナルティのない常識外れの力なんて、ないんだぞ?」


 視線も合わせず、彼女は告げる。今ならば、これまで冗談のように繰り返した言葉の真意が伝わる筈だと直感していた。


「獣ってやつは、生まれた時から爪や牙といった大きな力を持っている。その使い道は、年月をかけて理解をしていくのさ。付け焼刃の力を得るために自ら進んでペナルティをもらうなんて、それこそバカらしいじゃないか」


 諭すように語る彼女は、ニコりとこれまでにない笑顔を見せていた。


「あー……何て顔をしてるんだよ、男前が台無しだぞ?」


 口をへの字にして情けない顔をする男へ、かなえは冗談を言ってみせる。だがそれは、行き場に惑った彼へ、彼女の母がくれた言葉そのものだった。


「あ、おい、何だよ、泣くなよ? 大の男がこんな小娘の言うことに――ああ、もう!」


 これ以上の言葉が見つからず、魔女は髪をわしゃわしゃと掻き毟った。年上の人間が情けない顔をしていることに、何とも居た堪れない気持ちになってしまった。もっと言えば、諌める気はあったが、いじめる気などはさらさらなかったのだ。


「違う、違うよ、かなえ」


 顔を手で覆っていたものの、決して涙を溢したわけではない。ただ目の前の人物が――小さな子どもにかける言葉すら迷う人物が、己のために言葉を尽くそうとしている。それだけで涙を流すだけの価値はあると、海里は純粋に思った。


「ま、何にせよだ。力が欲しいってのは、お前の真摯な望みさ。理由とやり方がよくないと思っただけさね。ま、私を無視して突っ走るという手もあるが――」


 かなえは横目で目の前の情けないやつを窺った。


「……今更そんなことはしねぇよ」


 目元を覆ったまま、海里は呟いた。螺矢からもらった言葉に“かなえは海里を信頼している”というものがあった。だが、それ以上に海里はこの少女を信じたいと強く願っていた。




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