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ミミナリ  作者: 三宝すずめ
5話 耳鳴り
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2.誰がために。――狼の記憶

 十二月二十三日――サキは主との契約にケリをつけてから、どこへ行くでもなく逡巡していた。本能は、早くにこの町を去るべきだと告げている。よもや己が最強などではないことなど、この枯れた狼はとうに承知している。


「何故俺は、未だこの地に留まる? 獣、異能、その全てをくびり殺す。討つべき者を討つ――それが俺の望みだ」


 眉間に深い皺を寄せ、尚も男は思考を巡らせた。桐野を離れて以来、その想いに変わりはない。それでも迷いがあるとするならば、人に望みを問い続ける魔女がいた所為か。はたまた、現実を見ずに青臭いことを言い続ける男がいた所為か……


 独り舌打ちをしながら、サキは先日の不覚を思い出していた。元より、精神操作を受けないために犬養家の絶対命令を受けた筈だ。それが、先日はまんまと動きを止めらてしまっていた。


 これから独りで闘争を続けようという段になって、この体たらく。犬養海里という存在がイレギュラーであったとしても、無視の出来るものではない。その存在が、否定すべき青臭い生き物であれば、尚のことだ。


「……やはり、借りは返さねばなりませんか」


 思考を半ば強引に中断するように呟いて、枯れた狼はその重い腰を上げた。桐野を離れた自分に、後戻りなどは最早ない。




「おかえりなさい、雹兄さん」


 久しく聴くことのなかった妹分の声に、若い狼は頬を綻ばせた。ここしばらく続いた闘争から帰ってこられたことに安堵をする。


「ただいま」


 呟きつつも、己が戸惑っていることに気づく。帰ったことを告げる自分にもであるが、迎え入れてくれる人物がいることには、未だに慣れそうにもない。


「……兄さん?」


 妹がキョトン顔をして、彼を見つめている。この湊については、姉の歩に負けず美しい生き物であると思っている。十八を越えた頃から、驚く程に綺麗になった。この娘を娶るのはどんな男か。空想に駆られていたことに気づき、自嘲気味にも笑ってみせる。


「……私も、歳を喰ったのかもしれませんね」


「何を言ってるんです?」


 すっかり自分の丁寧な言葉遣いが移った湊を眺め、バレないようにため息を吐いた。自分の言葉遣いは、単に身寄りのないガキが媚びを売るためのものであったというのに、目の前の少女が遣えば、これほど綺麗に見えるものか。


「何でもない。歩は――今も出ているのか?」


「歩姉さんは……式に向けて、おじいさんと話をしています」


 その言葉を聴けば、雹は眉根を寄せてしまう。成人の通過儀礼はとうに済んだ筈だ。それが式とは一体――


「お姉ちゃん、結婚しちゃうんです」


 言葉こそ静かであったが、眉間には皺を寄せている。確かに、怒っているのだろう。自由奔放な歩なら、大恋愛の末に結婚ということも考えられないではないが、湊の瞳はそうではないことを告げている。


「……相手は、誰だ?」


「士旺、鎬生。桐野の最大の敵とでも言う人です」


「士旺の嫡男、か」


 一瞬驚いてみせたものの、雹は努めて静かに呟いた。歩の祖父ならやりかねない手だとわかる。歩という獣の強さは常識外れであるのは確かだが、士旺の現当主は規格外とでもいうべき存在だ。


「他に、手はないのかもしれないな」


 ため息とともに、雹は小さく呟いた。周辺と小競り合いをする中で、鎬生とは何度か対面している。常に死角から攻撃を仕掛ける雹に対して、鎬生はその悉くをあしらっていた。


 その場面を思い出せば、舌打ちの一つもしたくなるというもの。実力差以上に、鎬生の獣としての生き方を、牙を持たない雹は脅威に思う。


「兄さん?」


 黙る兄へ、湊は言葉をかけていた。元から兄は寡黙な方であるが、今は何かに黙らされているように見えてしまったのだ。


 妹が心配している通り、自分は今酷い顔をしているのだろう。雹は最早その想いを否定することもしない。鎬生を自分は恐ろしいと思っているということを――


 不意打ちも、弱った相手を残虐にいたぶることもしない。悪い人物ではないとわかっている。ただ一点を上げるとすれば、無邪気すぎるということだ。本来であれば、獣を率いる当主になれるような人物ではない。


 しかし、この段階で桐野が手を結ぶのは士旺しかないだろう。周辺の獣たちが結託をした時に打開などできなくなることは、目に見えている。歩が幾ら突出していたとしても、個の力には限界がある。


『だが彼ならば、歩を守りきれるのではないか』


 不意に、本人を対面した時の感覚が呼び起こされる。裏切り者の己とは違い、真っ当な獣としての強さがある男だ。加えて、卑怯なことなどはしない。


 敵を認めてしまっていることを自覚して、雹は拳を強く固める。その強い感情が何に向けられているのかは、本人にはわかっていない。


「お姉ちゃんが結婚するのに、兄さんは冷静なんですね」


「――ッ」


 落胆の色を含んだ声が、湊から出された。その言葉に、全身の血管が脈打つ感覚を覚えたが、一度深く息を吐いてそれを呑み込む。


「冷静なんかじゃないですよ。ただ、お嬢さんにとっては、その方がいいかと思っただけです」


 口にした言葉に、偽りはない。身寄りのなかった自分を引き取ってくれた、彼女らの祖父には大恩がある。もっと言えば、裏切り者の烙印を押された、一生日の目を見ることなく終わるところに光を当ててくれた歩には、恩以上の情を感じている。


「わからない。雹兄さんの言ってることは、ちっともわかりません!」


 自棄にでもなったのか、湊は首を振りながら叫んだ。その様を見て、雹は却って冷静になっていた。


『牙も爪も持たない獣同士であっても、当主の娘とでは考えを同じにするなど不可能か』


 幼い頃から自分に光を当ててくれた歩の自由さこそを、雹は愛している。何よりも、歩が歩らしく生きられる道を守りたい。


 むしろ、獣としての力が低い己は身を引くべきだと考えてしまう。隠密行動にばかり長けたこの力は、真っ向からの勝負ではなく、背を刺す行為ばかりに特化している。こんな人間が、あれほど正直な女の隣に立っていてはいけない。


「お姉ちゃん、泣いてました」


「俺にどうしろと言うんだ……」


 真っ直ぐに見つめてくる瞳に耐えられず、視線を斜に落として雹は呻いた。何とかできるのであれば、とっくにそうしている。


(サラ)って逃げてください」


「お前、何を言っている?」


 そんなことをすれば、士旺の怒りが桐野に向かうことは間違いない。それだけではなく、歩を失った桐野は群れを成す獣に蹂躙の限りが尽くされるだろう。それ程に、今回の桐野の侵攻は他の獣の関心を集めている。


「お姉ちゃんは、間違いなく雹のことを好いていますよ。でも、あの人不器用だから――いや、真っ直ぐな人なんですよ! 自分から桐野の当主の座を捨てるなんて、出来ないんですよ!?」


「……」


 尚も真っ直ぐに向けられる言葉に、雹は黙る。早く離れればならない。ここに居れば、この直向(ヒタム)きさにほだされそうになってしまう。いよいよと、背を向けたところに、湊から追い打ちを受ける。


「……お姉ちゃんのこと、大事じゃないんですか!?」


「――っ」


 雹は叫び出しそうになった口を塞ぐために、拳を握りしめた。自分を救い上げたくれた歩が大切でない訳がない。しかし、それを口にしたところで何ができる?


「……そんなことは、口にするまでもない。だが、俺は狗だ。ただの狗なんだよっ!」


 結局は堪えることができなかった。一つ呻いては、飼い慣らされた狼はその場を立ち去る。


「お姉ちゃん、私は、私は……」


 独り残された湊は、姉のために何が出来るかを尚も考え続けていた。だが、今にして思えば、この兄代わりとのやり取りこそが引き金であったことに気づく。




「何故、俺はあんな言葉を……」


 桐野と士旺、両家の顔合わせ当日。雹は独り桐野の屋敷の外に立っていた。妹分に責められた所為か、墓まで持っていくべき言葉を歩に向かって吐いてしまった。口にしたところで、何が変わる訳でもないことは、とうにわかったつもりであった。


 桐野を守れ――屋敷へ連れて来られた時に、彼女らの祖父が告げた言葉。この混ざりものは、両親は愚か親族の顔も、自分の本当の名前すらも憶えていない。桐野歩を守ること、それが己に残された唯一の意味の筈だ。


『裏切り者』


 辿ることが出来る記憶には、常にこのフレーズが付きまとう。もう十五年は前の話だ。だが、それは常々彼の心を苛んだ。顔も覚えていない両親ではあるが、自分のルーツを悪く言われることは耐えがたい。汚名をすすぐために自分の半生は費やされている。


「俺は、俺は……」


今更ここで歩を攫えば、これまでの生き方を、父を母を否定することになる。行くことも去ることもできない。ただ独りで、歩が嫁ぐ時まで留まるしかない。


「ごめんください」


 少年のような声に呼ばれ、振り返る。視界に入った若い男の姿に、雹は戦慄した。


「お前は、士旺の――」


 呟きながら、思わず愛刀に手を伸ばしてしまっていた。しかし、目の前の人物は敵意も何も持たず、雹の肩に手を添えている。一方の雹は知らずの内に、緊張に身体が強張っていた。


「何度か会ったことがあったね。えっと、名前はアラレ――じゃなくて、何だっけか」


「……雹だ」


「そうそう、それだ。緊張しないでよ雹、僕はあんたを嫌いじゃないんだ」


 ポンポンと肩を叩きながら少年――士旺鎬生は屋敷へと進む。遅れて、案内のために雹も後を追った。お付きもなしに、敵陣の真っ只中、鼻唄でも歌うように軽やかに鎬生は歩いている。


「今日は一人か?」


「そうだよ、何か問題ある?」


 実際に鼻唄を口ずさんでいる姿を見て、雹は愕然とした。黒い綿のパンツにジャージを羽織るという軽装。背丈は低く、身体つきもまるで戦えるようには思えない。


 どこからどう見ても、無邪気な少年そのものだ。この二十歳に満たない少年が、士旺の当主であることは信じがたい。だが――


「さ、早く歩ちゃんをもらって、闘争に明け暮れよう」


 日帰り旅行にでも行くような気軽な口振りで、少年は嗤った。見た目とは不釣り合いに好戦的な瞳は、彼が確かに獣であることを証明している。




「桐野家の次期当主、歩です」


 凛とした声で眼前の獣に告げる姿を、雹は黙って眺めていた。歩にしては珍しい着物姿に、言葉を奪われていたという方が正しいか。この場には歩と彼女の祖父と鎬生がいる。場違いとも思ったが、許しがあったため雹も同席をしている。


「へー、歩ちゃんって若いんだね。それに、思っていたよりも綺麗だ」


 対照的に、ラフな装いの鎬生は挨拶もそこそこに感想を述べていた。思ったことを口にせずにはいられない性分らしい。


「よろしいか、士旺の――」


 低い声がやり取りに割って入る。桐野の現当主、沙慈サジは二人の前にやや大きなサカズキ を用意し、そこへなみなみと清酒を注ぎ始める。


「何せ状況が状況だ。婚姻の儀を執り行うにはいささか略式がすぎるが、赦してほしい」


 血縁のない者の絆を強固にするための儀式。神前にて三種の酒を飲むという儀式があるが、桐野の儀式は少々趣が異なる。獣の血を混ぜることを意識して、女が一口つけ、残りの盃を男が空ける。基本は桐野が獣の女を娶る時の儀式であったが……


「では、私から」


 微塵の躊躇いもなく、歩は盃を手に口をつける。


『……いつまでもお嬢さんとは呼べないか』


 一口つければそれで終わりだ。雹は胸中に区切りを付けるべく、彼女を見つめた。


「お、おい、歩!」


 が、いつまで経ってもその一口が終わらない。喉を動かし続ける孫娘へ、沙慈は戸惑いの言葉をかける。雹もその光景を呆然と見送っていたが、ついには空になった盃が放られた。


「ん、これってどういうことかな?」


 唖然とした表情を他が浮かべるなか、鎬生は疑問を口にした。彼女の祖父からは顔合わせと説明をされていたが、今日で婚姻の儀式を行うのではなかったのか。


「決意表明――ではないですが、提案を一つ」


 頬が赤くなった歩は、飲み過ぎたのか、腹をさすりながら述べる。


「祖父からは婚姻を、とありましたが、ここは一つ同盟ということでいかがですか?」


「同盟?」


 思ってもみなかったという顔で、鎬生は問い返していた。


「はい。私はゴタゴタしている周辺の家を整理したいだけ。士旺さんは戦いたいだけ。他を平定するまでは、手を取れると思います」


 それに、という言葉を挟んで歩は後を続ける。


「一目見てわかりました。あなた闘争狂いですね。私、争いが好きではないんです。夫婦になっても続かないと思いますよ?」


 ニコりと、最高の笑顔でとんでもないことを言ってのける女を見て、雹は空いた口を塞げないでいた。呆けていると、歩と目があった。だが、何を思ってか彼女は雹に向かってウィンクを返している。


「あ、歩、何を言っているんだ!」


 この場で一人慌てる人物が居る。桐野の現当主は、顔の皺を一層深めて叫んでいた。その叫びを聴いて、歩は片耳を小指で塞いでいたずらっ子のように笑っている。


「あー、でも確かにそうだね」


 うんうん、と納得したように士旺の当主は頷いている。たった今破談となっても何も動じるところはない。むしろ、得心がいったという顔でいる。


「歩ちゃんと一緒になったら――キミとは殺し合えないもんね」


 次いで出た言葉に、その場の空気が僅かな時間止まる。背格好には似つかわしくない、捕食者の瞳を鎬生は浮かべていた。すっくと立ち上がると、交渉中の娘へと歩み寄る。


「アユミ――」


 瞬間、雹は全てを忘れて愛刀を抜き、駆けた。


 この獣は今、ここで殺しておかねばならない。放っておいては歩が■されてしまう。実力差があろうがなかろうが、桐野を守る。このことを置いては、自分の全存在が否定されてしまう。そこまでのことは考えてはいなかったが、若い狼は全ての力を振り絞るつもりでいた。


「何ということじゃ……ワシの描いた絵と違うぞ」


 その場の展開についていけない老いた獣は、苦渋を舐めたような表情をして呟く。士旺の当主から出された言葉は、同盟の拒否と言っても過言ではない。


「致し方ない。雹――」


 部屋の端にいた雹であるが、既に歩のすぐ後ろにまで移動を終えていた。後は沙慈の一言があれば終わる。己と同じく、強い牙も爪も持たない桐野の現当主は、力はなくとも、言霊を操ることでこれまで一族を束ねてきた。士旺を討て、その一言、命令があれば実力差を埋める程の働きをしてみせる。


「歩を斬れ」


 命令は下された。


「え?」


 緊迫するこの場に似つかわしくない、可憐な音が鳴った。しかしそれも、肉を裂く音に中断される。人が扱うには長すぎる程の刀が、歩を背後から貫いていた。


「――っ!?」


 主人を貫いた刀の持ち主は、全くもって状況が理解できずにいる。何故己の愛刀は少年の皮を被った獣ではなく、最愛の人を貫いているのか。


「あーあ、勿体ない」


 緊迫感からかけ離れた人物がもう一人。鎬生は心底残念そうに呟いた。まるで好物を地面に落としてしまったかのような口振りだ。


「仕方なかろうて、士旺の。ここらで歩を討っておかねば、後々面倒になる」


「ま、いっか。僕がすることは変わらないし」


 刃に貫かれた人物を放って、二人は淡々と言葉を交わしている。結託して、他の獣を滅ぼすという取り決めをなぞることへ、既に関心は移っていた。


「歩、アユミっ!?」


 意志とは関係のない命令に動かされた若い狼は吠える。己がさせられたことを否定したが、深々と突き刺さった刃を見れば、これが現実のことであると否応なしに理解させられる。今すぐ歩を救いたいが、刃を引き抜く訳にもいかない。


「あはは、失敗しちゃったね。ジジイの目論見が見抜けなかったや」


「喋るな!」


 口や鼻から血液を逆流させながら、歩は笑った。何故刀を向けた雹へ微笑むのか、彼には理解できない。何をどうしたらよいか、理解の追いつかない頭、沙慈のいいようにされるがままの己を呪う。


「とりあえず、トドメだね」


『とりあえず、だ?』


 目の前で力を失っていく歩を抱え、雹は大きく後ろへ飛び退く。同時に、空いた手では懐から小刀を引き抜いていた。投擲用の刀は無防備に近づいてきた鎬生へと突き刺さる。


「チっ――」


 舌打ちもしたくなる。早くこの場を立ち去りたいというのに、刀を受けた筈の相手から反撃を受け、雹は腕を裂かれていた。鮮血が畳を染める。歩の血液と相まって、どれが自分のものかもわかない状況だ。


「そう、それだ、雹!」


 一瞬の内に片腕が赤く染められたものの、獣の少年はこの上なく愉しそうな表情を浮かべている。永らく動きを止められていた子どものように、存分に動き回れることを喜んでいる。


「キミは他の獣と違う。獣なのに、獣らしくない。もっとだ、もっと僕を愉しませてくれ!」


「黙ってろ、闘争狂いが!」


 脳髄が沸騰するのに任せて、雹は叫ぶ。先程に笑みを浮かべてから、歩は言葉を発しない。顔から血の色が失せていく彼女を担ぎ直す。


「なら、止めてみてよ」


 無邪気に嗤う少年は、言葉もそこそこに腕を伸ばす。一挙に距離を詰め、好敵手の心臓を抉らんと加速する。


「……遊び過ぎだ、士旺の」


 鎬生の手が空を切った様を見て、沙慈は苦々しげに言葉を吐いた。自身へも投げられた小刀を太腿から引き抜き、地面へ叩きつけた。隠密行動に長ける雹は、一瞬の時を稼げば十分に姿を眩ませてしまう。自分の野望のために、そうなるように自身の手で育てた。


「遊ばずして、何をするのかな。じいさん、あんたが相手してくれるのか?」


 ギラついた表情はなりを潜めたが、獣の少年は同盟相手を冷たく睨む。


「お前さんの相手ができるものなど、そうそういるものでもない。だが、ここで歩を逃しては……」


「あの傷では再起不能だよ。それに、立ち上がってくれるなら、僕は二人を相手に楽しめる」


 誰に憚ることなく、鎬生は笑った。追うこともできたが、ここではしない。恨みという感情を育てた相手が来ることを、強すぎる獣は望んでいる。


「ところで、じいさん。歩ちゃんが死んだら桐野も終わりでしょ。どうするの?」


 んー、と伸びをしながら、孫すら手にかける獣をのんびりと眺める。鎬生には理解のできないことだが、力のない獣には悩みが尽きないらしい。


「……歩はワシの手には負えん。むしろ、牙も爪もない者がいる。扱いやすく育てたつもりだよ」


「へぇ、代わりがいるのか。そいつは僕を愉しませてくれるのかな」


 どことはなしに、飢えた獣は視線を這わせる。この先の闘争を予期してのものであるが、その顔は無邪気そのものであった。




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