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ミミナリ  作者: 三宝すずめ
5話 耳鳴り
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2.誰がために。

「はぁ、はぁ――」


 息が切れる。夕个からの電話を受けた海里は、己の間抜け具合を呪った。携帯の着信履歴は延太郎の名前で埋められている。しかし次のページへスライドをさせれば、そこには“川巳夕个カワミユウコ”の名前が幾つも残されていた。


「くそっ、くそ!」


 言葉を吐くほどに息が切れることはわかっているが、毒づいてでもいなければ頭がおかしくなりそうだった。


『お爺ちゃんが、病院の集中治療室にいる』


 夕个から出された言葉は、いつもの通り飾り気のないものだ。だが、気丈に振る舞うものの、その声は震えていた。


 走れば、身体が昨日からの痛みに悲鳴を上げる。右腕はまだ力が入りきらず、だらしなくぶら下がっている。走るのに邪魔な腕をポケットに納め、海里は病院を目指した。




 お屋敷のリビングの扉が開かれる。かなえは椅子に座ったまま、首だけをそちらへと向けた。着替えを終えた少女が、口を真一文字に結んで立っている。今にも泣き出しそうな表情はさておき、魔女がよく見知った風体で眼前に現れた。だが、これまでとは決定的に違うものがある――


桐野キリノ ミナト 、です」


「ほぅ――初めてましてだな、ミナト。三森ミモリかなえだ。以後よろしく」


 小さな魔女は両手を広げ、ナナと呼ばれていた少女を迎え入れた。先程とは比べるべくもない程、愉快そうに嗤っている。そう、これこそが湊へ期待していた反応だ。これまでとは、瞳の色が決定的に違う。


「……お話、しないといけないことがあります」


「聴こうじゃないか」


 かなえは口にしかけた紅茶を一度置く。ティーポットからもう一杯を注ぐと、湊の前へ差し出した。




 本日の紅茶はフレーバーティーだ。マスカットティーなるものもなかなか美味しいものだ、とかなえは湊の話を聴きながら呑気に思惑に耽っていた。


「……色々言いたいことはある。あるのだが、言わないのが華だな」


 魔女が睨んだ通り、眼前の少女は旧炉新の瞳を受けた時に記憶は戻っていたと確認ができた。ここからはかなえの推測になるが、湊はまだ湊に戻り切れていないと思われる。


「すみません」


「謝ることはない。実に面白いじゃないか。これだから、人間は素晴らしいと言う!」


 湊が神妙な表情を浮かべるも厭わない。眼帯の位置を入れ替え、深く椅子に座り直す。


「一体何の話ですか?」


「いやなに、気にすることはない。私は人間が好きなのだと再認したって話さ」


 イマイチ理解が出来ていない少女を置いて、魔女は嗤う。


 人間という生き物は、実に興味深い。眼前の生き物の最大の望みは、記憶を取り戻すことではない。犬養影次を訪ねた理由、そこにこそ真の望みがある。であるというのに、桐野湊として生きることを彼女は否定しつつある。なればこそ、こうしてわざわざ名乗りに来たのだと。


「……あの、かなえさん?」


「ああ、すまん。少々トリップしてしまった。トリップついでだ。別の戯言になるが、ちょっと付き合え」


 ケラケラと笑いながら、かなえはカップにシナモンを振る。粉っぽい紅茶を一気に呷っては、言葉を続けた。


「ミナトよ、イヌカイのことはどう思う?」


「え、え――」


 突然の振りに、思考がフリーズしかける。どうと言われても、一言で表すことは難しい。考えれば考える程に、彼のどこに惹かれているかが言葉に表しようがないと思ってしまう。


 更には昨日、パートナーが止めることも無視し、彼が天敵だと言う男へと付いて行ってしまった。これではもう、自分が彼をどうこう思おうなどというのもおこがましいのではないか――


「あー……質問が悪かった。あれはお優しい生き物だよな?」


「はい、優しい人だと思います」


 湊は、その言葉には同意をする。初対面の自分に対して、とても親身になって助けてくれた。夕个の事件の際にも自分の身を案じてくれていた。頭に血が上っていても、自分の頼みを聴いてくれていた……


「あのバカの優しさは、度が過ぎているんだがな」


 話しながら、何が楽しいのかカラカラと笑うかなえ。こんなに楽しそうに笑う魔女を、湊は見たことがなかった。混濁する記憶の中からも、以前にしたかなえとのやりとりを拾い出す。


「……前に、わがままって言ってましたね」


 その言葉に、魔女は一層愉快そうに笑ってみせた。調子が乗ってきたのか、どこからか取り出したボールペンをクルクルと回し始める。


「そう、優しさと押し付けのバランスは難しい。あのバカにはそこを伝えてやりたいんだがな。ま、それも私の役目ではなさそうだ」


「ええっと、何の話ですか?」


 疑問符を浮かべる少女を見て、かなえはボールペンを止める。興が乗るとついつい話が脱線をしてしまう。ペン先をビシリと湊へと向けて、魔女は再度問うた。


「この際まだるっこしい表現は抜きだ――イヌカイを今でも好いているかどうかって話だよ」


「え? あ、え、えっと……」


 突然のど真ん中直球勝負に、湊は完全に振り遅れてしまった。


「なんだ、嫌いなのか?」


「ええ、いや、そんなことは、決して――」


 もごもごと口を動かしながらも、決定的な言葉は出てこない。予想外の事態に陥ると大慌てをする様など、かなえから見れば似た者同士であるのは確定的であるのだが。


「ツーストライク」


「――え?」


 魔女が真剣な表情に切り替えて、野球用語を口にし出した。きっと彼女なりに意味があるのだろうが、ますますもって、何を言われているかが湊には理解ができない。


「私は何度も同じ話をさせられるのが、この上なく嫌いなんだ。ミナト、お前イヌカイが好きか?」


 これで最後だと、少しも笑わずにかなえは告げた。開かれた左の瞳はいつもより強く光って見える。この問いにどう答えるか、全てはそこで決まる。


「……」


 湊は瞳を閉じる。一つゆったりと息を吸い、そして吐いた。その問いは、問われる以前から既に答えが決まっている。


「――好きです。あんなに私を必要とする人、もう出逢わないと思います」


 直球勝負に答えるため、小さな魔女を真っ直ぐに見据えて声を出した。思えば、他人に誰が好きだと話すのなど、これが初めてではないだろうか。


「そう、か……なかなか言いにくいことだったろう。これでゲームセット、だな」


 ありがとうミナトと呟き、かなえは湊がそうしたように瞳を閉じる。しかし湊の時とは違い、瞳はしばらく閉じられたままだった。


「あ、でもかなえさん」


 黙っているのが居た堪れなくなり、少女は口を開く。自分が犬養海里を好いていることに間違いはない。ただ、一つ引っかかりがあるとすればそれは――


「ただですね……海里さんに向かって好きだなんて言ったこと、実はまだ一回もないんです」


 言葉が出るや否や、ガンっという大きな音が鳴った。静まり返っていたリビングに音が反響をしている。驚き湊が視線をやれば、かなえがテーブルに頭を埋めていた。額を打ち付けたのだろうが、本気で心配になりそうな音の大きさだった。


「あ、あの、かなえさん?」


 やはり心配なので声をかけたものの、かなえは“大丈夫だ”と返事をしたきり顔を上げようとはしない。何故魔女が動かないのか、全く理解をできない少女は困り、紅茶を飲んで間を埋めることにした。


「あ、おいしいです」


 先程までの心配顔はどこへやら。ニコニコと、ようやくいつもの調子が湊には戻ってきたようだと、魔女は額をテーブルにつけたまま察していた。


『……ゲームセットというか、無効試合じゃないか!』


 胸中でこれでもかという程、独り毒づくかなえ。やはり罵詈雑言を浴びせておくべきであったかと思案をするが、それも胸にしまうことに決め、ようやく顔を上げる。眼前の少女は相変わらずニコニコとしている。この生き物の思考回路はハッキリ言って理解できないと悟った瞬間だった。


「まぁ、その辺りも含めて、お前さんには救いがあるのだろうな」


「えっと、一体何の話です?」


 雑念を払うように、大きくかぶりを振ってかなえは湊へと向き直る。


「……気にしなくてよろしい。イヌカイへのスタンスもわかったところで、当初の依頼に戻ろうか」


 かなえは魔女らしい表情へと戻り、話を切り替える。犬使いにパートナーが戻るとなれば、妖を相手にしての生存率は格段に上がる。今朝聴かされた瞳の話と併せれば、サキ打倒もいよいよ現実味を帯びてくるというもの。


「当初の依頼、です?」


「その通り。桐野湊の願いを叶えようではないか」


 記憶を失う以前、犬養影次を訪ねた少女の願いは、犬を探しているというものだった。そして、衣新奈として魔女のお屋敷を訪ねた彼女は、家に戻りたいと話した。両者につながりはないように思われるが、どちらも矛盾させないストーリーがある筈だ。


「さて、聴かせてくれ。お前が探していた犬――サキとは何者だ?」


「少し長くなりますが、いいです?」


「一向に構わん。そうだな、次はこのお茶を試そうか」


 眼帯を元の位置に戻しながら、かなえはティーポットを持って一度立ち上がった。これからの話の中に、全てがある。今更慌てることもないと、かなえはゆったりと待つことにした。




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