表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ミミナリ  作者: 三宝すずめ
5話 耳鳴り
64/88

1.その願いは、―望みの形

 海里は、祖父を訪ねるために重い腰を上げた。じっくりと話をするのは難しい相手であるが、サキの情報収集には他に手はないとも思う。どれだけ厭がっていても、かなえに宣言をした以上はさっさと祖父の元を訪ねねばならないとも思っている。


「おい、ちょっと待てイヌカイ」


「ああ、なんだよ?」


 正に飛び出そうとしたところで、海里は出鼻をくじかれる。声をかけた魔女は、からかう雰囲気もなく、むしろ神妙な表情を浮かべていた。


「ジイさんのところを訪ねてさ、お前は今後どうするんだ?」


「どうって……サキの動向を聴いて、追いかけるんだよ」


 先程まで、如何に枯れた狼を打倒するかについて話をしていた筈だ。魔女の改めての問いに首を傾げざるを得ない。


「違う。問うているのは、サキを打倒した後のことだ」


 ジロリと睨むかなえ。そこまで睨まれては、これまで敢えて考えてこなかったことに触れざるを得ない。


「……あの娘ともう一回話す」


 魔女の瞳を正面に据えて見返すが、吐かれた言葉はやや弱い。そんな彼の瞳を一度見つめて、かなえはやれやれと首を大きく左右に振っている。


「話しさえすれば戻って来るとでも思っているのか?」


「それは――」


 指摘には返すべきものもなく、ただただ海里は言葉を詰まらせた。


「それはさ、あの娘への期待だろ? 他人をどうこうしようっていうのは、望みとしては純粋じゃないぞ。そいつは、どこまでいっても叶うものではない」


 はぁ、と大きなため息すら魔女からは漏れ出る。しかし、海里は訳がわからないといった様子の表情を浮かべている。


「望みって、誰それにこうなって欲しいってのも含むんじゃないのか?」


 パートナーの少女が自分の元を去ったこと、わからないことが未だに多い。何故サキを追いかけているのかなどは最たる例だ。それを知りたいということを望みでないというのであれば、一体何が望みとなるのか。


「イヌカイが今口にしたことはさ、祈りだよ。身近な人、大切な人が幸せであって欲しいという祈りだ。私が言っているのはな、自分がああなりたい、こうしたいという、もっと直接的な個人的な願望の話のことだ……知りたいということはまぁ、望みではあるがな。」


「それは、どこが違うんだ?」


 ますます首の角度を深くしながら、海里は魔女へと問うてみる。結局他人を考えることに違いはないのではないかと、彼の中では同じものとして処理をされていた。


「バカタレが。俺がしたいと、他人がこうなれって話の違いだよ。前者は己の望み。後者は、自分の望みという皮を被った他人への支配欲だ」


「……そんなもんか?」


 海里はやはり、かなえの言葉がぴんときてはいない。その様を見て、お屋敷の魔女は嗤ってみせる。理解はしておらずとも、“支配欲”などと呼ばれても怒らない辺り、この男は面白いと改めて思う。大抵の人間は否定されると怒るものだ。それが、眼前の青年は疑問を口にするだけで済ませている。


「まぁ、そうだな……自分でやるか、他人に委ねるか、大きな違いがあるのだが――いいや。私にも世間一般が両者に違いがないと考えていることくらいは、わかっているつもりだしな」


 話を打ち切って、かなえは髪の毛を弄び始めた。これで話は終わりへと向かうらしい。結局、この魔女が何を言いたかったのか、海里には理解ができずにいる。だが。主体的に選択をすべし、という言葉の意味だけは受け取っていた。


「何にしろ、自らの望みがわからねばそれまでだ。後で再度望みを問うから、考えておくように」


 にやりと口の端を持ち上げて、小さな魔女は嗤う。未だその真意がわからない従僕は、頬を掻きながら次の言葉を待つ。


 シャキーン――剣を引き抜いたような、鋭い音がお屋敷に響いた。


「……出ていいぞ」


 こめかみを指で押さえながら、かなえは電話へ出ることを促す。相変わらずの着信音センスの酷さに頭痛すら起こしていた。


「すまない」


 素直に携帯電話を取り出したものの、海里は怪訝な表情をしている。ディスプレイを注視しては身体を強張らせているのだ。


「何を固まっておるんだ?」


「いや、夕个からの電話で、さ……」


 後半は何を言っているのかがイマイチ魔女には聞き取れない。だが、この男が厭そうな顔をしているということだけは掴めていた。


「ま、とっとと出るこった。この間みたいに手遅れになる前にな」


「へいへい、そうさせてもらうよ」


 そのままジイさんのところへ向かうわ、と言葉を残して海里はお屋敷を去った。もしもし、という声を聴きながら、魔女は視線をそれとは別の方向へと向けている。


「おい、お前の主は出て行ったぞ……いい加減入ってこんか」


 その言葉が紡がれるや否や、リビングのガラス戸が開かれた。その先には、今しがた話題に上がっていた少女がぽつねんと立っていた。


「とっとと上がれ。うちの風呂の沸かし方は知っているだろう。好きに使うんだな」


 よいしょ、とかなえはソファーから腰を上げた。紅茶の一杯でも飲もうかとキッチンへと足を進める。暖かいものでも飲まなければ、とてもやっていられそうにない。ありとあらゆる暴言を用意していたものの、今更吐く気も起らない。庭から現れた人物は、髪の毛もぼさぼさにして、この世の終わりのような表情を浮かべていた。


「あ、かなえさん、私――」


「ああもう、うるさい。喋るなら、身綺麗にしてからにしろ。私はボロ雑巾と話すような趣味はないんだ」


 視線も合わせずに、魔女は手を振る。その人物が、ナナと呼ばれていた少女だということはとうにわかっているが、取り立てて怒るようなこともない。元より、かなえは大抵の人間に期待はしていない。今更泣きすがってきても、ああそう? と軽くいなすことも容易にできる。罵詈雑言を用意していたということは、彼女なりに思うところがあったのだが……


「私、わ、わたし……」


 涙をこらえることすら叶わなくなった湊を前に、かなえはため息を一つ吐く。


「怒ってないから、とっとと風呂に入ってこい。すっきりしてから、話したいことがあれば話すといい。そうだな、自分が何者かを名乗る気でいるのなら、私は随分と友好的に話を聴いてやると思うぞ?」


 小さな魔女の言葉に、眼前の少女は黙って首を縦に振った。続き、風呂場へと進んでいく様を、ただただ黙って見送る。


「……お屋敷の魔女だとか畏れられている筈なのだが、私もヤキが回ったものだ」


 独り、大きくかぶりを振りながら、かなえは二人分の紅茶の準備に取り掛かった。




 十二月二十二日――午後。


 この日は風が一層冷たく感じられた。それでも、影次の手は止まることはない。齢は八十を前にした老人は、書斎で粛々と作業に勤しんでいた。妖の情報を収集して歩き回ったことは今は昔――今や仕事とは名ばかりの単純作業を繰り返す。


「これも、次の世代のためか……」


 最近独り言が増えてきたことを、自分でも自覚している。独りの時間が長すぎた。連れ添いがこの世を去って、どれ程の時間が過ぎたか。妖退治に人生を捧げた男は、尚も燃える細い瞳を凝らす。


 コンコン――


 珍しく、誰とも約束のない時間に扉がノックをされる。


「誰だ?」


 誰ともわからずに問うてみたものの、老人は心の隅で身内の来訪を望んでいた。孫娘であればいつものこと。そうでなければ嫡男か――何の用もないのに訪ねてくれてるのであれば、これほど嬉しいこともない。


『海里には、結局優しくできていないからな……』


 胸中で独り言ち、犬使いは自嘲的に嗤う。一生を妖に捧げた人生であったが、彼にも確かに家族がいる。今でこそ仲違いのようになってはいるが、息子によく似た孫に会えることを、影次は今では何よりの楽しみとしている。


「……おい、入らないのか?」


 言葉をかけても、未だ扉は開かれない。ここに来て、永らく妖と争ってきた男はスイッチを入れざるを得ないことに気づく――来客があるのに、ユウキの気配が感じられないのだ。


「一体、この老いぼれになんのようか――」


 デスクの引き出しに仕舞われた、愛用のペンを影次は手繰り寄せる。舌を媒介とする“絶対命令”その正体は、生物の命令系統である脳へと直接的に指令を飛ばす行為に他ならない。既に錆びつきつつあるものの、言語を武器とすることにおいては、この老人は歴代犬養家の中でも五本の指に入る。


イトマをもらいに来ました」


 響く声は、敬意など微塵もない。慇懃無礼なその言葉を聴いて、老人は身を強張らせた。


「貴様、サキ――」


 自らの十八番である停止命令を老犬使いはなぞる。ただ一つきり、孫へと伝えた自慢の技だ。人間である以上、文字からは逃れられない。舌を封じられようが、なぞる文字の軌道、日常生活において必須とされる文字に相手は縛られる――筈だった。


「!?」


 声もなく、老人は利き腕を眺めた。


「それは先刻承知。仕掛けがわかっていれば、音や光のない分、坊ちゃんよりも対処がしやすいですよ」


 吐かれた言葉を他人事のように聞きながら、今や利き腕を眺める他はない。命令を飛ばす筈であった利き腕は、手のひらの中央を金属に穿たれ、壁へと縫い付けられている。年老いた彼に、その投擲された刃を引き抜く力はない。


 開く扉の向こう、下手人の姿は見えないものの、いついかなる時も物言わぬ愛犬――ユウキがその身体を朱に染めていることが窺えた。


「き、貴様!」


 喉が震え、しわがれた声が響く――と同時に、空いた左の腕が飛来する金属に壁へと縫い付けられる。両手のひらに打ち込まれたそれは、老獪な犬使いに絶望の二文字をもたらした。


「貴方から受けた“妖を討て”という命令、確かにいただいていきますよ」


「サキ、お前――」


 ビシュ、という肌を掠める音が老人の声を遮断した。代わりとばかりに鮮血が噴き出て応える。腹を裂かれては、さしもの犬使いも言葉を溢すことすら出来ない。


「……おさらばです」


 自らの背丈程もある太刀を納め、サキと呼ばれた男は、偽りの名を捨てて歩み出す。枯れた狼を止める主は、もういない。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ