プロローグ
かなえはため息を吐きながら、首を大きく左右へ振る。
どこまでいっても、その願いは叶うものではない、と。
鋼の妖を退けたことも束の間、これ以上後を追うのであれば、異能者との争いを余儀なくされる。
パートナーの離れた犬使いに彼女は問う。
「もう、やめないか?」
魔女の言葉に青年は揺れる。
己の望みとは何か――犬養海里の戦いは、とうとう終局へと向かう。
彼が選ぶのは、如何なる未来か――
女は眠る――
その時、驚いたことを覚えている。
幼少から一緒に過ごして、兄妹のように育った彼が呟いた言葉は、恐らく忘れることができないと思う。
「好きだ」
ぶっきらぼうに放たれたその言葉は、これまで聴きたくとも、決して聴かれることはないであろう一言だった。それだけに悔しい。何故、今なのか。
「私、お嫁にいくのよ?」
戸惑いながら話す私を、彼はそれ以上に困った顔で見つめていた。私も彼も大人になった。いつまでも昔のようにはいられない。
「……気持ちを、伝えたかっただけだ」
そう言って彼は背を向ける。その姿は、いつもの彼そのものだった。『私を守れ』というおじい様の言いつけを、彼は破った試しがない。
「これで、いいの?」
思わずその背中に問うていた。これは、相手がどうのではない。きっと、私が望んでいる――好きだと言われた私は、心を揺さぶられている。
「いいも何もないだろう」
振り向かずに彼は答えた。子どもの頃からずっと見つめていたその背中は、いつの間にか随分とたくましくなっていた。この広い背中に飛び込めたら、どれだけ嬉しいか――私は、唇を噛んで彼を見送る。
「幸せに、なってくれ」
彼が言う言葉の意味がわからない。貴方をなしに、どうやって幸せになれというのだろうか。
「嘘つき」
知らぬ間に私の口から言葉が漏れていた。
「お嫁さんにしてくれるって、言ったじゃない!」
「子どもの頃の話だ」
彼は振り向きもせずに言葉を交わす。
「あいつは悪いやつではないから――」
何かを言いたそうに言葉を区切る。自分ではお前には合わないなどと言うのではないだろうか。
「私は、貴方が必要なの!」
これで最後だ。はしたないことこの上ないが、最後とわかり、私は大声で彼を呼び止めた。
「……困ります、お嬢さん」
嗚呼、どうしても彼には届かないのか。
彼はいつもと同じく慇懃無礼に丁寧な言葉を返して、この場を去った。それは、私の青春時代の終わりを告げる声でもあった。