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ミミナリ  作者: 三宝すずめ
4話 等間隔
59/88

4.問うべきは、その感覚―距離感

 いつだって、遅れて気づく。


「本、好きなんですか?」


 いつものように構内で読書に勤しんでいると、声をかけてくる人物がいた。物好きの犬養かと思っていたが、顔を上げると女だった。眼鏡に野暮ったい黒髪を適当に結んだ、そんな女だった。


「……嫌いではない」


 人とは何を話せばよいかわからなかったため、再び読書に戻ろうとすると、女はベンチの隣に座っていた。


「隣、いいですか?」


「さぁな、好きにしろ」


 もう座っているだろうに。よくわからないが、さして不快でもなかったため放っておくことにした。その内、他の人間のように飽きて離れていくだろうと、この時は考えていた。


 十分程経ったところで顔を上げると、その女はまだ隣にいた。見れば、真剣な表情で読書をしている。


「私も、本が好きなんです。貴方はどんなジャンルが好きなんですか?」


「さぁな、何でも読む」


 気の利いた返事でもなかったが、彼女はにっこりと微笑んだ。これまでに味わったことのないやり取りに、ただただ戸惑ったことを覚えている。


 今にして思えば、あの女は俺のことを好いていたのかもしれない。これが、カスミとの出会いだった。




「引けよ、鉱崎。今ならまだ遅くはない。遅くはない筈だ」


 海里の訴えに、行交は耳を貸さない。遅くはない、何が遅くないというのか、まったくもって彼には理解ができなかった。自分に笑いかける人は、もういないというのに――


「くそ、この堅物が!」


「当たり前だ、俺は鋼だぞ」


 この返しも世間からはズレているというのだろう。だが、行交は出された質問にまともに返す以外のやり方を知らない。


「そういうことを――」


 “あと二度”海里が放った言葉にはどんな意味が込められていたのか。どちらにせよ、死ぬに死ねないこの身体を止めてくれるのであればそれでいい。台詞の途中であったが、再び開いた右手を眼前の男へと突き出した。


「言ってるんじゃねぇよ!」


 行交の一撃は、海里の頬をなぞる程度に躱される。相手は右腕を突き出しているが、避けるまでもない。すぐさま蹴れば終わる。二度はない。


「!?」


 行交は戸惑った。海里から出された拳を避ける気は元からなかった。だが、その拳は耳を掠めただけに留まる。これで終わりと右足を大きく蹴上げようと力を込めた。


 パァーンという音とともに、突如左耳が弾けた――否、左の耳元で何かが弾けていた。火薬の匂いが鼻につく。


「ぁと、ぃチゲきた゛」


『何を、された?』


 飛び退き目の前の男を睨みつけた。聞こえてくる音がデタラメだ。よく見れば、海里の右手から煙が上がっている。先程のジッポは、右手に仕込んだ火薬に着火するためか――


『耳がやられたか。鋼というものも、存外脆い』


 ひょっとすれば、この男は自分を本当に止めることができるのではないか、などとも思っていた。他人に期待などをしていることに気づき、行交は自嘲的に笑った。


「――――」


 海里が何事かを話しているが、大音の影響で彼には届かなかった。行交は再び右腕をかざして駆けた。


 残るは、一度――




「くそ、いい加減止まれってんだ……」


 ジッポを再度構えて海里は唸る。目の前の男は、かなえの言う通り止まることはしない。恐らくは死ぬまで向かって来る。ならば、せめて動けないように自由を奪うまで――海里は右腕を打ち下ろさんとする相手へ向かって駆けた。


『わかっていたが、重いな』


 何度も鋼の一撃を受け続け、感覚がバカになった右腕を相手の右腕へぶつける。横合いから、ひじ関節を狙って合わせたが、重みに負け、左肩口へ相手の手刀が落ちた。


「終わりだ、犬養!」


 叫ぶ行交。肩にぶつけた右腕はそのままに、続いて左の腕を後ろに大きく振りかぶっている。


「お前がなっ!」


 海里は自身の右腕で、相手の右腕を掴んで叫ぶ。


『かなえは、欲しかったのはこんな力じゃないと言った。だが、俺は……』


 眼前に迫る、他人から理解をされない男。こいつは自分とよく似ていると、海里はやはり今頃になって気づいた。誰かがこの男を止められるのであれば、それは自分でありたい。これまで、力が欲しいとは決して口にしなかった海里は、今こそ力を切望している。


 目の前の、好きな人間を止められる程度の力を、彼は願った。それを知らない鋼の脚は、最早海里の腹元にまで迫っていた。


 対する海里の姿勢は丁度、右腕が顔の前で交差する形となっている。回避行動を取るにはこの上なくマズイ態勢だ。だが、海里は腕に目を押し当て、左の手でコートの胸ポケットから伸びた細い紐を引き抜いた。


「――――っ」


 何事か行交が漏らしていたが、全ては眩い閃光に呑まれて消える。海里の焼けこげた胸ポケットが、光の強さを物語っていた。


「鉱崎……」


 左手で、旧友の口元を掴む。まだ視力は戻っていないが、待つ時間はない。この機を逃せば、もう自分に後はないことを海里は理解している。


「止まれっ!」


 今持てる全ての力を瞳に込め、あらん限りの声で叫んだ。見えていようがいまいが関係なく、意識の外でも瞳は情報を拾っている。ならば、この命令ネガイはきっと届く――海里はそれを信じて強く行交の瞳を睨んだ。




「また、無茶をしましたね……」


 パートナーが困り顔で海里に駆け寄った。行交は立ったまま、文字通り止まっている。それを確認して、海里をその場に座らせた。


「悪い、いつも心配をかける」


 いつもの通り話す彼を見ていると、心が痛む。少女はゆっくりと瞳を閉じた。この事件の前後で心配をかけているのは自分の方であるのに、あくまでもこちらを気遣う彼には、何と答えたものか。


「――いいえ。でも、この後はどうするんですか?」


『今そちらへ向かっている。原因が法路にチャンネルをいじられたことならば、私で対処できる』


「……だってよ」


 海里は酷使した右腕ごと身体を地面に放り出した。魔女に任せれば全て上手くいく。そう思うと、このまま眠ってしまいたくなる。だが、最後まで見届けねばならない。その想いで海里は意識を繋いでいた。


「結局、事件の真相はどういうことだったんですか?」


「ん、ああ、それはな……」


 問われれば、途端に気分が重くなる。だが、これすらも意識をつなぐ術になるだろうと、海里はポツポツと三年前の出来事を語り始めた。




「犬養、助けてくれ!」


「……今、どこだ?」


 電話先からよく知った軽薄な声が届いた。いつもならばすぐに電話を切るところであったが、海里は続けて言葉を待った。延太郎の声が、真に迫っているように感じられたのである。


「駅前の居酒屋だ、牛丼屋の前の――」


 電話はそこで切れた。今日も今日とて祖父と言い争った海里は虫の居所が悪かったが、それはさておいて悪友の元へ駆ける。


「何だ、お前?」


 派手な金髪の男――浮島三生が海里を見るなり、威圧的に叫んでいた。その場には、青あざを作った延太郎と、葉子、他には同年齢くらいの男女が一人ずついる。海里が知らなかったもう一人の男は三生の側に立っていた。後から考えれば、知らない男というのが延太郎の高校時代の友達だったのだろう。


 状況を把握するためにぐるりと首を回すと、駅前の裏路地で延太郎は、彼女を庇うようにして三生の前に立ちはだかっているところであった。


「そいつのツレだよ」


 ……一応、と付け加えることを海里は忘れなかった。反対側から延太郎が、何それ、ひでぇ! と喚いていたが、それは聴かなかったことにする。


「だから何だってんだよ!」


 前に出る金髪の男。見れば顔がかなり赤い。海里は、延太郎が三生に頼まれて、渋々合コンを開くことになったという話を思い出していた。悪いことは言わないから止めておけ、と海里は言ったが、延太郎はそれを聞き入れなかった。この地域では割と発言力のある浮島に取り入る算段と同時に、彼女がいないことを嘆いていたゼミの友人に女の子を紹介する腹積もりでいたのだろう。


「……秋藤、だからやめとけって言っただろうが」


「だってさ、だってさー」


 もごもごと口を動かす延太郎。情けないことこの上ないが、女性陣に怪我を負わせていないことだけは褒めてやってもよいかもしれない。


 三生が葉子狙いであることは、常々学内で噂に上がっていた。その手の話に疎い海里ですら知っている。お嬢様タイプの葉子が、合コンに乗ったことに驚きであるが、どう考えても粗雑な三生になびくとは考えられなかった。否、我の強い男に弱いお嬢さんも世間にはいるそうだが、大きな物音一つで固まるような彼女では、声の大きな三生の傍にはいられないと言い切れる。


「おい、無視してんじゃねぇよ!」


 怒鳴る三生は、海里の胸倉を掴んだ。これで、海里とは目が合ってしまった。


「悪い。取り敢えず、“眠っていてくれ”」


 酔っ払い相手には苦戦のしようもない。非常に弱く命令を出したが、途端三生の身体は崩れた。隣にいた男が何かを喚きながら近づいてきたが、これも“黙れ”と一睨みをすれば事足りる。


 結局、この日はこれ以上何事もなく解散となった。後日、葉子が合コンに参加した理由が、延太郎からの誘いだったからと聴かされて、海里は彼を一発殴ることで終わりにしていた。


 だが、あれから思い返せば、この辺りから神住舞葦の名前や姿を大学で見ることはなかった。人の顔を覚えない海里には、彼女がその場にいたことすら知る術もなかったが……




「そんなことがあったんですか……って、海里さん!」


 一頻ヒトシキり話を終えたところで、少女は指をさす。


「……カ、スミ」


 ゆらりと、口には想い人の名を乗せ、行交は一歩を踏み出した。


「動、くのか――」


「ガァアアアァっ!!!」


 飛び起きたものの、海里の反応には大きなタイムラグが生まれていた。身を捩って直撃は避けたものの、ぶっきらぼうに放たれた拳が顎を掠めていく。


「あ――」


 自分でも驚く程に間の抜けた声が聴こえ、視界がぐるりと回る。軽い衝撃の後、片膝をついて地に伏せていた。見上げる先には、眼の色を失った行交が海里を見下ろす。


「お前、まだ動くのか、何故、そこまでっ!」


「……」


 行交は黙って片手を振り上げる。既に海里の瞳を受けて、鋼を造る回線は止まっている。最早、鋼でもない、ただの人である筈の彼は止まらない。これではまるで――


『狂っている、とでも言うのか?』


 立ち上がることも困難な海里は、振り下ろされる一撃を額で受け止める。だが、行交は次の一撃に左の腕を構えている。


「止まれ、止まれよ――っ!?」


 言葉の途中、海里の身体が大きく沈む。不可視の圧力に圧されたことで、海里の顔面にぶつかるはずだった拳は空を切った。押さえつける力が幾分か弱くなったことを知り、海里は四つん這いの姿勢にまで戻った。


「イヌカイ、そこまでだ……それ以上は、お前が壊れる」


「知ったことか! 黙れよ魔女!!」


 海里は到着したかなえの制止を振り切り、瞳に力を込める。言うことを聴かない身体へ、魔女の力に抵抗の出来ない身体へ、無理矢理立ち上がるよう命令を試みる。いつもの通り、瞳を通して自身の脳へと命令は伝わる筈だった。


 だが、ふわりとした感覚に遮られた。視界の暗転と共に、身体中の筋肉が弛緩していく。


「もう、やめましょう海里さん……死んじゃいます」


「うるさい! 俺を止めるな、ならお前が――」


「命令、しますか?」


 目隠しが外され、少女は海里の眼前へ。先程まで海里の顔を覆っていた手は鈍色に汚れている。顔を上げれば、瞳に涙を溜めたままの諭すような視線が向けられていた。


『俺は、今、何を……』


 海里が手の甲で鼻元を拭えば、手袋は黒ずんだ赤色に染め上げられる。瞳を乱用した反動か、いつぞやのかなえのように多量に出血をしている。頭に血が上り、もう少しで一線を越えるところだった。


 奧にいる行交は手を振り上げたまま、動きを止めていた。自分が止めるしかないと思っていた男は、かなえが止めてくれている――これ以上、何をしようというのか。


「命令、しますか?」


「……しないよ。出来る訳がない。ごめん、俺がどうかしていた」


 自分の身を案じる人たちを、異能の力を以て跳ね除ける――能力の限界とはまた別に、超えてはならない一線を越えるところであった。海里はそれ以上言葉が続けられずに、俯いた。


「はい、仕方ないから特別に許してあげます」


 彼女の笑顔を見て、海里は目を瞬いた。


「さ、かなえさんに後始末をお願いしましょう」


「かなえ、頼む。鉱崎を、あいつを元に戻してやってくれ」


 海里は四つん這いの姿勢のまま、頭を下げた。身体が動いてくれそうにない彼には、これ以外に取れる態度がない。


「……気が進まんが、お前の頼みだ。貸しだぞ?」


 不承不承、かなえは鉱崎へ歩み出す。入口付近から近づいてくる魔女を待つことももどかしく、海里は這って行交の元へ近づいた。


「お前に何があったかは知らないが、知らないままで済まさせるなよ」


 やってしまったことはあまりに重大。許されるようなものでもない。だが、海里は独りでも彼が社会復帰する頃には迎えに行くつもりであった。今はこんな目をしているが、時間が経てば昔のように――


「済まない、最後・・まで迷惑をかけた」


「え?」


 海里は聴こえた言葉に、耳を疑った。次いで我が目を疑う。近づいた行交の胸からは、何やら斬新なオブジェが突き出している。それは、どう見ても日本刀に分類される刃だった。強すぎるその瞳は、感情を引き離して状況の収集を始める。


「だから、坊ちゃんはお優しいと言うんです」


 狼の乾いた声が厭に耳に響く。行交の血に目元を濡らし、海里は叫んだ。


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