3.奪われたもの:Side steel―決めるということ
少女は束の間の微睡みから目を覚ました。今この短い時間の内に捉えた感覚は、事件の真相に近い。そして、パートナーへと告げなければいけない言葉さえ見つけてみせる。
「……海里さんのところへ行かないと」
少女はパートナーに顔を見せることについて逡巡していた。だが、決めてしまえば後は楽だった。メイクを落とし、いつもの動きやすい装いへと直す。本来の望みとは異なるが、これもまた彼女の望み。それを叶えるため、彼女は走った。
「おい、かなえ!」
海里は無遠慮にお屋敷の扉を開く。そこへは、優雅に茶をすする魔女の姿があった。
「何だ、やぶからぼうに」
魔女は突然の来訪に訝しがってみせたものの、すぐさま下僕の様相から、事態の深刻さを悟った。
「大変なことになった」
海里の語る言葉を聞きながら、少女は事件の整理を始める。
「なるほどな。犯行の凶器が一致しない、特定されないことに矛盾はない。鋼の五体を用いれば、指、拳、つまさき、頭と、その数だけの凶器が用意されるという訳か。確か、鉱崎という家系はそうであったと記憶している」
かなえはボールペンを回しながら、密やかに笑顔を浮かべる。クルクルと回るボールペンは、淀みなく彼女の思考を促す。一方の海里は魔女の言葉を理解できずにジッポをカチャカチャと弄んでいた。祖父はおろか、この魔女も鉱崎が妖の家系だということを知っていた。
「結局、どういうことなんだよ」
「まぁ、細かいことはわからんでいい。イヌカイの体験を総合すれば、鋼鉄の体を持つ異能の人間が相手だってことだ」
それまでに能書きが流れていたが、海里にはさっぱり理解できなかった。古来にいたであろう、鋼の妖が現代に降り立っている。その程度がわかれば十分だと思う。
「さてイヌカイ。今回の件は確実にお前の手に余る。だが、それでも何とかしたいと言うのだな?」
「当たり前だ」
ハッキリと海里は口にした。自信などというものは、そもそもない。ならば意思表示はせめてもしておきたい。彼の様を見て、かなえは嗤う。
「で、どうする? お前の持つ技は、その悉くが利かないぞ。何せ、鋼の塊そのものが相手だ」
「どうって……才刄のときのようにするしかないじゃないか」
「言っただろうが。あの一件でお前が生きていられるのはたまたまだったと……ここらで決めるということをしないと、そろそろお前は破綻するぞ?」
かなえの忠告に、海里は言葉も出ない。
『いつまでも私がいると思うなよ……』以前、魔女に言われた言葉が彼の耳へと鳴り響く。
「いや、それでも今回ばかりはサキには任せたくない」
だが彼は退くことなく、雇い主の瞳を睨んだ。
「お前、死ぬ気か?」
かなえは、一層きつく従僕を睨み返す。瞳術を仕掛けようとも、それまでに鋼鉄の塊を数発もらって地面に沈む彼の姿は、想像だに難くない。しかし、当の本人は忠告の言葉をさらりといなす。
「死ぬ気はない。俺ができることを、できるだけでやるつもりだ」
「……失念しておったわ。お前のバカさ加減を」
やれやれ、とかなえはこめかみを指で突きながら唸った。良いところと言えば、目の前の青年が、いつもの通り張り切っているということ程度か。
「ジイさんにも似たようなことを言われたよ。今回は俺の力ではかなわないって」
「それはその通りだろうな。だが、お前の真の悩みはそこではあるまい? まだ気づいていない感情のうねりに呑まれているように、私には見える」
「――っ」
海里はその台詞に言葉を詰まらせた。そしていつものかなえの台詞が続く。
「お前の望みは何だ?」
「俺は……」
今回、自分が何を求めているのかは正直わからない。海里は腕組みをしたまま俯いた。ただわかっていることはザラザラとした感覚に落ち着かないということだ。このまま手をこまねいては、必ず後悔をするということだけはわかっている。
『ジイさんは、鉱崎が妖の家系であることを知っていた。鉱崎はそれすら知らない。俺も、何も知らなかった。だが、俺はあいつを……』
「俺は、あいつを何とかしてやりたい」
「祖父への恨みよりも、友を救いたい気持ちが勝った、そんなところか」
憮然とした表情でかなえは語った。口にしたものの、それも恐らくは彼の真の望みではないだろう。
今回の件は――否、今回の件こそが犬養海里という人間の今後 を決めることになる。パートナー、祖父母、父、妹、異能、妖、友人……彼を、犬養海里を彼足らしめる要素が一挙に押し寄せている。
「……お前、パートナーのことはどう思ってるんだ?」
「ナナか。正直言って、今は何も考えられない。しばらくはかなえに託したままにしておくよ」
「ふむ。それはそれでよいか。しっかり託されたぞ」
その言葉を聴いて、海里はぽかんと口を開けてしまった。指先を揃えて、かなえは右手の甲を見せる。その薬指には、託した筈の指輪が光っている。
「……それ、お前にやったんじゃないからな」
「知っておる。気分を害したのなら謝りたいが、これにはこれで意図がある」
ま、かなえちゃんを信じろってことだ、と小さな魔女は嗤う。彼女に狙いがあるのであればもう何も言うまいと、それこそ海里は託すことに決めた。
「噂をすれば影、だな――お前、何しに来た?」
呟きと、ほぼ同時に応接室の扉が開かれる。そこには、いつもの恰好をしたナナの姿があった。随分辛辣な物言いのかなえはさておき、僅かに揺さぶられるものがあるが、普段通りの態度を取ることに海里は努めた。
「ナナ、どうした?」
「……夢を見ました」
魔女の姿を視界に収めては一度、大きく目を見開いたものの、すぐさま頭を振って真剣な顔つきで語り始めた。
「聴いてやれ、イヌカイ。結構重要な話だぞ」
……多分、と相変わらずな言葉を付け加えて、かなえはソファーに身を埋める。瞳は閉じられており、恐らくは呼んでも反応を返さないという意思表示だろう。海里は、少女に席を勧める傍ら、椅子に浅く座り直していた。
「これはある女性の記憶です――」
前置きを一つしてから、ぽつりぽつりと言葉は紡がれていく。その内容が語られる程に、海里の表情は険しいものへとなっていった。
「――要約をすると、いいとこのボンボンを主人として迎え入れた女性の話か。その主人は朴念仁で、コミュニケーションが苦手。目が強すぎることを知ってか知らずか、普段から人の目も見ない。身につまされるな、イヌカイ」
目を瞑っていたかなえが口を開いた。二人は黙ってそちらへと向き直す。
「身につまされるって、まんま俺の話だろ……」
唸るように海里は言葉を紡いだ。嗤うことはせず、かなえがまた言葉を続ける。
「その通りだな。イヌカイの前の相棒――ナナコの記憶、か。よもや、このようなタイミングで聞かされるとはな」
仕組まれているようにすら思うが、それすらも眼前の少女のなせる業だろうと、かなえは一人納得をしていた。元から、他人の記憶に影響を受けやすい少女だ。そもそも、瞳がそのように造り込まれている。海里のパートナーとなることで、チャンネルが自然と海里用に調整されたと考えれば、少々ご都合主義だが、理解できなくもない。
「で、最初は気に喰わなかったけど、段々主人として認めるようになりました、で終わりではないだろう?」
魔女は普段から鋭い瞳を更に鋭くして、海里の現パートナーを睨む。とっとと核心を語れ、とせっかちな彼女は促している。頬に添えられた右手を睨んでから、パートナーの少女は更に語った。
「最後の記憶を見ました。彼女――ナナコさんは大きな存在に向かっていくことになりますが、それはあくまでも彼女の意志だったようです」
「え――」
海里は、その言葉に思考が止まる。強すぎる瞳は、パートナーの意志に関係なく自分を守るように刷り込んでしまっていたのではないか。これまで彼はそのように思い込んでいた――否、思い込む他なかった。
「彼女、言葉が喋れない分、海里さんのことを想っていました。最後まで、同じ言葉を繰り返し、繰り返し伝えようとしていました」
次は、うまくおやりなさい。少女がそう伝えると、知らずの内に海里の頬を涙が一筋流れた。
「おい、ナナそれって――」
「……私は記憶を見ただけですから、その言葉に何の意味があるかわかりません。ですが、きちんと伝わったと思っています」
僅かに頬を緩めて、パートナーは海里へ微笑んだ。海里を主人と認めたこと、不器用な彼を理解していたこと、最後まで自分で決めて納得をしていたこと、それらが伝わった筈だと彼女は小さく満足をしていた。
「イヌカイ、今回の事件が解決したら、今の話はもう一度ゆっくりと噛みしめるといい。焦るのはよくない。この子自身、記憶が混線しているんだ。是非を問うても仕方がないというものだぞ?」
「……わかった」
かなえの言葉に、海里は言葉を呑み込んだ。語る間、辛そうであった彼女の表情を再度歪めたいとも思わない。
ナナの夢語りが終わり、部屋には再び海里とかなえの二人になった。かなえがコーヒーを入れるよう要望したからであるが、二人でないと出来ない話もある。黙り込む海里を前に、かなえは口火を切ってみせた。
「あと一つだけ決めておこう。イヌカイよ、まだ祖父は許せないと思うか?」
「……どうだろう。許せないってことは、ないと思う」
海里は腕組みをして思考を巡らせる。ナナの話を聴かされた後に改めて尋ねられれば、魔女のお屋敷を初めて訪ねて来た時のような怒りは湧いてこない。むしろ、今日のように心配をされてしまえば、自分が考えなしなだけだと自覚させられる。
許せないことはない。ただ、まだ納得をしていない。真剣に悩み揺れ動く彼の姿を見て、かなえは少しばかり優しく笑ってみせた。
「そうだな。今はそれでいいだろう。イヌカイ――許せないなんてことは、大抵あり得ないことなんだよ」
「許せないなんて、あり得ない?」
「言葉遊びみたいなもんだけどな。“許せない”っていうのは、相手に何もかも預けた言葉だ。許したくないという自分の感情やら何やらを放り投げてしまっているだろ?」
問いかけるかなえの視線を真っ向から受け、海里は真剣に考え始めた。畳みかけるように、魔女は言葉をつけたす。
「許すか許さないかを、自分で決めることが大事だと、私は思う」
自分で決めること――海里はその言葉を胸中で繰り返していた。
祖父とは未だ溝があるが、言われてみれば相手任せにしていたのだと気づかされる。妖や犬養の家のことは抜きにして、祖父にはまた顔を見せに行きたいと思う。その時には、きっと自分で――