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ミミナリ  作者: 三宝すずめ
4話 等間隔
54/88

3.奪われたもの:Side steel

「おい秋藤。あいつ、名前は?」


「あいつって……何だ。鉱崎じゃねぇか。お前も何かされたのか?」


 ベンチで読書をしていた青年がふと目に留まり、隣にいた延太郎へ尋ねる。大学二年生になっても、海里は同級生の名前がさっぱり覚えられないでいた。


「何かって、悪いやつなのか?」


「いやいや、お前が出ていくような荒事じゃない。ただな、あいつトロいんだよ。話してると疲れる」


 げんなりした表情で延太郎は話す。しかし、海里には周りの喧騒を気にせず、読書に勤しむ彼が悪い人には見えなかった。


「俺は秋藤と話していると疲れるけどな」


 何それ、ひでぇ! 横で延太郎が喚くものだから、衆目を浴びてしまった。そういうところが疲れると言っているのに、この男は一向に理解をしない。


「まぁいいや。それよりも犬養、儲け話があるんだ」


「……またかよ。俺は手を貸さないし、助けないぞ」


「そんな、犬養先生のお力が必要なんですってばー」


 軽薄な言葉には耳を貸さずに、海里は食堂へ向けて歩き始めた。昼飯奢るから、と尚も食い下がる秋藤へは無視を決め込む。最後にチラリと視線をベンチへ戻すと、行交と目が合った。


 ゆったりと会釈をしてくる彼に、海里もぎこちなく会釈を返した。何となく、気が合うような気がしていた。一度ゆっくり話してみたいものだと、この時には思っていた。




 海里は今、眼前の人物を何と評したらよいか戸惑っていた。憤怒の化身のようかと思えば、呑気な青年の顔つきに戻る。そして今は、鋼鉄の身体をして自分の前に立っている。


『妖――否、先祖返りか』


 瞳から入る情報に、海里は直感をしていた。行交も自分と同じく、混ざりものなのだろうとアタリをつける。先程自分が何者かはわからないと告げていたことは、何故こんな能力があるのか、そのルーツを知らないと言うことではないか。


「どうした、犬養」


 低い声に名前を呼ばれるも、海里は動くことも出来ずにいた。ナイフを通さぬ相手にどう戦ってよいかが全く思いつかない。元より、個人的に戦いなどしたくない人物だ。何とか戦わずに済む方法を模索し、ポケットの中のジッポを鳴らした。


「坊ちゃん、そいつから離れなさい」


 夜の住宅街に風が吹いた。言葉に従って二三歩後退をすると、行交のコートが揺れた。


「……何だ、これは」


 服に刺さった小刀を引き抜きながら、鋼の男は呟く。衣服は貫かれたものの、皮膚へのダメージはまるでない。穴の空いた箇所から、またしても金属質な皮膚が覗いている。


 細く短いそれは、投擲トウテキを目的としてつくられたものだ。以前に屋敷で見たことのある小刀を目にして、海里は持ち主へと叫ぶ。


「サキ、やめろ!」


「……やめろ? それは一体、どういう了見でしょう?」


 海里の真後ろに、枯れた狼が姿を現す。口調こそ丁寧であるが、不機嫌であることを隠そうともしていない。海里もそれに倣い、強く睨む。


「どうもこうもあるか。お前、そんなものを持ち出してどうする気だ?」


 片手には、彼の背丈程もある刀袋が握られている。愛刀を持ち出した狗を前に、海里の眉間の皺が一層深くなった。


「質問に質問で返すのは、下の下ですよ。答えずともわかっていることを問いただすのは、最早問題外というやつです」


「一々癇に障るやつだ。何故すぐに殺そうとするのかって、聞いてんだよ!」


 先日の占い師の一件でも、サキは犯人の命を躊躇なく奪いにかかったと、かなえから聴かされている。話し合う余地もなしにとは、海里にはまったく理解ができない。


「以前に言った筈です。妖の不始末は、妖がつける――と。まぁ、今日のところはいいでしょう」


 サキの瞳からギラついたものが消え、海里は呆気にとられてしまう。どうして急に、と思い辺りを見回せば、既に行交の姿はなかった。


「旦那様から受けた命は、坊ちゃんの安全確保ですから」


 屋敷の方へと視線を向けて、狼は語った。投擲も刀も、海里の気を引くためであったとしたら、またしても完全に相手のペースに嵌められたことになる。


「さて、もういいでしょう。早くお屋敷へ向かいなさい。私は被害者の処置と、あの妖の監視をしますから」


「……言われなくてもそうする」


 海里は、凶行の際に見せた行交の表情を思い出す。物静かだった彼が、何故――




「海里、話が……何だその顔は?」


 屋敷に着くと、影次が出迎える。隣にいるユウキは黙って、海里を睨みつけていた。心配をしてサキを迎えに出した筈が、顔に青あざを作って一人で帰ってきている。


「何でもねぇよ。お互い気に喰わないから、殴り合っただけだ」


 サキも海里も互いに恨みはない。恨みはないが、結局気が済まなかった海里が喰ってかかり、ベタ足で数発は殴り合う羽目になった。その途中で不毛なことをしていると気づき、今の有様である。


「頭は悪くないのに、どうしてこう短絡なんだ」


 祖父は目を瞑り、歩き出す。お屋敷の魔女に、バカにつける薬がないか本気で尋ねそうになっている自分に気づき、首を振って考えを打ち消した。




「痛たたたたっ!」


「それぐらいで喚くな、みっともない」


 祖父に窘められ、海里は黙って氷嚢ヒョウノウを額にあてがう。冷たい氷に、打ち付けた箇所の熱を自覚する。住み慣れた生家のソファーにもたれていると、そのまま眠りにつきそうになってしまう。


「お前の無鉄砲さは誰に似たのか……」


 影次は救急箱をしまいながら、ぼやく。


「ひょっとして心配してくれてるのか?」


「当たり前だろ。お前に何かあったら、リツや晃一に顔向けできん」


 祖父が真面目に語るのを、海里は目を丸くして見送った。冗談のつもりだったが、祖母や父の名前を出して、この祖父は心配だと言う。そんな孫の表情を見て、影次はため息を重ねた。


「……ジイさんはさ、俺を恨んでないのか?」


 書斎ではなく、家族と過ごしたリビングに通された所為か、海里は思ってもみなかったことを口にしていた。能力のコントロールが下手な海里は、幼い頃から事あるごとに家族の手を焼かせていた。特に祖父からは、才能がないとばかり言われてきた記憶が蘇る。


「恨む訳ないだろう。むしろ口うるさく言わねばならないとは思っているよ。能力が制御できない、犬を従えられないことは、死につながる。兄や晃一のように人生を短く終えさせたくないだけだ」


 対面のソファーに座り、影次は言葉を漏らした。永く生きてきた皺だらけの顔が険しいものへと変わる。


「親父を殺したのは、俺みたいなもんじゃないか」


 日頃から家を空けることの多かった父が、あの日は遊園地に連れて行ってくれると約束をしていた。楽しみで楽しみで仕方がなかった。だが、当日になって妖の調査に出ると晃一は言った。当然、幼い海里は駄々をこねてしまう。


『行かないで』


 瞳を直に見て告げた言葉は父親を縛ったことだろう。自分の能力が常識外れな瞳であるとかなえに教えられた時、海里は言葉を失った。


「……やはりお前は、犬養には向かんな」


「ジイさん?」


 小さく、影次は溢す。言葉にはできないが、胸中へ苦々しい想いが去来する。


 海里のように言うならば、晃一を殺したのは自分の方だろう。兄の早すぎる死が受け入れられずに、息子に同じ名前をつけてしまった。結果、晃一は兄と同じ病にかかってしまっていた。期待という呪いを込めてしまったのだ。息子には、息子だけの名前を与えるべきだった。


「いや、何でもない。向き不向きには関係なく、犬養は存続させねばならない。そうでないと、今回のような事件が野放しにされる」


「――事件のこと、知っているのか?」


「無論だ。これは家督を譲る時に教えることだが、犬養には妖の子孫を蓄積したデータが伝わっている」


 目を細くして、影次は告げる。無鉄砲な海里にこのことを教えることは、未だ躊躇われたが、いつまでも隠しておく訳にもいかない。年老いた自分が伝えられる内に犬養を継承させる必要がある。


「サキに調べさせたが、恐らくは鉱崎の家系だろう。随分と古い血だが、時折先祖返りのようなことが起こる。海里、お前の能力では太刀打ちできない相手だ」


 今回こそ、引けと祖父は語る。その瞳は優しく、言葉も諭すように丁寧に告げられていた。


「ふざけんな、ジジイ!」


「な――」


 突然の大声に、影次は目を見開いて驚く。身を案じての忠告であったが、海里にはまったく届かない。


「鉱崎は友人、みたいなもんなんだよ……見捨てられるか!」


 氷嚢を放り出し、海里は立ち上がる。その剣幕に、床で眠っていたユウキが目を覚ました。唸ることのない彼は、静かに獲物へと対峙する。アーモンド形の瞳は、相手の動きを全て把握出来るように、ぼんやりと全景を見渡し始める。


「ユウキ、よい」


 いよいよ組み敷こうかと後ろ足に力を入れたところで、主人から命令を受ける。ボルゾイは、そのまま何事もなかったかのように再度眠りについた。


「ジイさん、やっぱり俺は犬養失格なんだろうな。あんたのやり方は、俺には合わない」


 捨て台詞とともに、リビングの扉がやや粗く閉められた。影次は黙り、しばしその扉を見つめていた。


「なんじゃ、ユウキ」


 大型犬が、主のそばへ寄り瞳を見つめる。


「そうじゃな。心配をかけたな……」


 愛犬の背中をさすりながら、老人は呟く。これは命令の仕方ばかりを磨いて、人と接することを疎かにした報いなのだろうか。妻ならば、何と自分を窘めるか……影次は遠くへと視線をズラして、独り呻いた。

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