幕間
記憶の最後――
そして季節が幾つか巡り、また梅雨になった。今では主人の隣にいることに違和感はない。自分で決めたことなので、当たり前ではあるが。
初めは言葉足らずに戸惑ったものだ。目も合わせず、言葉も出さない。実は嫌われているのではないか、そんな風に思うこともあった。
「そういえば、この間のことはすまんかった」
戸惑いを忘れつつあるニ三日経った後で、こんな風に謝ってくることもザラだ。やはりどこかぶっきらぼうに語る彼。どうやら、必死すぎて気づくことが遅れるらしい。だが、悲観する必要はない。彼はきちんと謝ることができる。
育ちがいいだけの坊ちゃんだと思っていたが、今では立派な青年だ。
可哀想――彼を指して、こう表現することはしたくない。だが、幼い頃から人と関わることが少なかった彼が、他人の感情を理解すること、人に自分の想いを伝えることが下手であること、それは仕方のないことだ。恨みを知らない彼の代わりに、私はそいつを恨んでおくことにする。
「あ、この間のことだけど――」
彼が思い出して謝る時に、私はいつでも黙って首を振った。気にしないでいい、次に上手くやればいい、そう伝えたかった。
何故今、こんな記憶が駆け巡るのか。
眼に映る筈の景色が一色足りていない。血を失いすぎたのだろう、意識が朦朧としている。しとしとと降る雨粒に熱を奪われていく。
しかし、不思議と寒くはなかった。
「どうして、どうして……」
主人が私を抱きしめていた。涙を拭うこともせず、どうしてと言葉を繰り返す。
気にしないでいい、そう伝えたかったが言葉には出来ない。私はゆっくりと、首を二三度振ってみせた。目が見えないので、伝わったかどうかが心配だ。この人は、驚く程に鈍感で、傷つきやすい。
貴方はとても素敵な青年だ。
願わくば、これからも真っ直ぐ生きて行って欲しい。次は、うまくおやりなさい。私は最後に一言だけ吼えた。
私はいなくなるけど、いつまでも泣いていてはダメですからね。