2.盗む感覚:サイトスティール―依頼
町はずれのお屋敷に辿り着くと、海里はかなえの私室を訪ねた。ノック後、扉を開いては車の鍵を投げて渡す。
「おっす、かなえ」
「イヌカイか、デートの首尾は――聴くまでもないか」
胸の中央で鍵を受け取るまではニヤニヤとしていたかなえであったが、従僕の表情を見るなり、やれやれと首を振る。海里は陽気に挨拶をしていたつもりなのだが、無理に口の端を持ち上げた姿は、見ていて痛々しい。
「……何て顔をしている。とりあえずこっち来て座れ」
「いや、でももうじき秋藤が――」
「いいから、座りなさい」
やや強めに睨みながら、かなえはベッドの脇を指さす。女の子のベッドに腰かけることは気が引けたが、海里は優しく語られる言葉に従った。
「おお、悩める子羊よ。この美少女に託してごらんなさい。でないと、この先の依頼で死んでしまいます」
いつの間にか眼帯をスイッチさせた魔女は、左眼を輝かせながら厳かに語る。その言葉は丁寧かつ無骨。柔らかながら有無を言わせぬその迫力に、海里は言葉がついて出そうになっていた。だが、何を話してよいかわからずに、口をパクパクとさせるだけに留まる。
「何て顔を――て、これさっきも言ったな。話しづらいことは口にせんでいい。お前の思考を鈍らせている、その重たいものを託せと言っている」
「これ、のことか?」
海里は抱えていた立派な小箱を見て唸る。パートナーに受け取ってもらえず、しかし捨てることも出来なかったものだ。恨めしく、ではなくとも、それを見やれば彼の表情は苦々しいものへとなってしまう。
「そう、その金属は一旦私に預けておけ。そも、指輪なんて契約を形にしたものだ。自分一人で握っていたら、契約もクソないぞ?」
「む、むぅ……」
躊躇しながらも、海里は小さな箱をかなえへと手渡す。
「ふはははははっ! かかったな、もう返してやんないからな!」
「え、いや、お前に買ったんじゃないってば」
戸惑う海里を他所に、がははは、と冗談めかして笑う魔女。その様は外道と呼ぶに相応しい。だが、受け取ってもらえずに置き場のなかった指輪も、誰かに預けるだけで心は軽くなったように錯覚できていた。
「お前、やっぱ真面目すぎるわ。喚いたってよかったんだよ。でもそれをしないってことは――」
お前なりにナナのことを思いやってのことだろう? 魔女の一言が、口に出せなかった彼の心情を代弁されたように思う。楽になった訳ではないが、少なくとも感情的にならずに済む。
「ありがとな、かなえ」
「本当にお優しいことだ……このバカめ」
かなえは左手で目元を押さえながら言葉を漏らしていた。
「相変わらず綺麗だねぇ、かなえちゃん――て、何、その顔は。俺何かした?」
「いいから、本題に入れ」
依頼人は到着するなり、軽薄な言葉を垂れる。かなえは手をひらひらと振りながら、ソファーにかけるよう勧めていた。
延太郎は、わからないという表情でいるが、睨まれて当然だろうと海里は思う。出会い頭に容姿を褒めにかかるのは、何か下心があるからではないか。偏見だと思うが、疑わずにはいられない。否、実際にこれから依頼をしようと言うのだから、下心はそれなりにあるのだろう。
「え、犬養、説明してないの?」
話はとうに伝わっていると思い込んでいた延太郎は、ソファーに座るなりがくりと項垂れる。横では海里が両手のひらを天へ向けていた。知らないということをジェスチャーで伝えてみせる。かなえは二人のやり取りを見て、ため息を吐きながら説明を始める。
「あのな、私がするのは状況や現象の整理だ。当事者から聴かねば何を気にしているかが掴めんのだよ……」
段々と、げんなりした表情を隠すこともしなくなってきている。かなえの電源が落ちてしまうのではないかと、端で見ている海里はハラハラとしながら見守っていた。魔女と助手の間へ視線を右往左往させる延太郎は、何が起こっているかもよくわかっていない様子だ。
「もういい。とっとと依頼内容を話せ」
頬杖をつきながら、かなえは語る。左手は髪の毛、その毛先を掴み始めていた。
「ああ、それでは遠慮なく――」
延太郎から語られたのは、ここのところ起きた三件の傷害事件。しかし、事件の日時が離れているため、警察は同一犯の仕業であるとは考えていないらしい。そこを、この記者は同一事件であると睨んでいるということだった。
「どうして同一犯だと思う? 凶器が一致しているなら警察が既に捜査しているだろうよ」
単なる傷害事件で片付けられ兼ねないこの事象は、明らかに魔女好みではない。そもそも不可思議な現象でもない時点で、お屋敷を訪ねてくることがお門違いではないか。
この延太郎もまた、常識外の力――お屋敷の魔女を頼らざるを得ない程困り切っているのだろうか。海里は顎に手を当てて唸った。
「最初の事件の被害者は女性。他県の大学出身だった」
「……ほぅ」
ぽつりと記者は語る。その言葉を聴いて、かなえの瞳に幾分かの光が戻った。点を線へ結ぶには、それなりの論理が必要だ。そしてそれは、お屋敷の魔女の好物とも言える。
「次の事件の被害者は男性。県内の大学出身で、一時ではあるが最初の被害者と付き合っていた」
淡々と続けながら、カバンから資料を取り出す。すぐにでも原稿として掲載出来そうな程、事件の被害者について記述されたものだ。
「お前、これ……」
その中、二番目の事件の被害者の名前を目にして、海里は口を挟むことを止められなかった。
「わかったか、犬養」
顔に手を当て、延太郎は呻く。その被害者は海里の出身大学の同級生――もっと言えば、延太郎と同じゼミに所属をしていた筈だ。彼女が出来たが、一か月も経たない内に別れた、という愚痴を延太郎の隣で聞かされていた記憶が海里には残っている。
そして示される第三の事件の詳細。延太郎の高校時代の同級生が被害に遭っている。捉えようによっては、彼が過去に関係した人物が狙われているとも考えられる。
「それでも警察が動かないということは――凶器、その犯行方法がいずれも一致していないということか」
「かなえ――」
助手は小声で主に注意を促した。魔女は左眼を開き、椅子を座り直している。やる気が出ることは歓迎されるべきだが、かなえの場合は、底意地の悪い嗤いを浮かべはじめてしまう。これでは、依頼人を傷つけかねないと彼は常々心配をしている。
「いや、いいんだ犬養。今は藁にもすがる思い、というやつなんだ」
顔を覆った手を離すことなく、依頼人は重く言葉を紡いだ。場に緊張した空気が流れる。
「聴こう、お前の望みは何だ?」
お墨付きをもらった魔女は調子を増して、最早嗤いを隠すこともしない。あちらとこちら、非現実を現実へと結びつける瞳が光っている。
「俺には……嫁と、まだ小さな子どもがいるんだ」
助けて欲しい――呻くように吐き出された願いの声は細く、注意せねば聞き取ることも難しい。
一件目、女優を目指した女性は、その顔を鈍器のようなもので打ち据えられた。二件目、声の大きな男性は、その肺を杭のようなもので打ち付けられた。三件目、細々とでもスポーツ界で生きていこうと決めた男性は、その足を鋭利な鉄器で切断された。
では、四件目はどのように、五件目は一体誰に……じわじわと迫る凶行を想像し、男は子どものように震えていた。
「依頼を受けて、いいよな?」
「無論だ。イヌカイの好きにやってみせろ」
従僕の瞳に色が戻ったことを悟り、魔女は一層強く嗤ってみせた。