2.盗む感覚:サイトスティール
「折角のオープンカーなんですから、屋根を開きたいですね」
ゴソゴソと車内のボタンを探ろうとするナナの姿が横目に入り、片手を上げる。
「流石に寒いから、やめてくれ」
彼女の言う通り、屋根を開いた方が気分は良さそうなものだ。しかし、いくら天気はよくとも、冬の真っ只中に天井を開いてのドライブは厳しいと思う。
「それよりもそのカゴは、何が入ってるんだ?」
「内緒、です。後のお楽しみですよ」
膝元に乗せた、両手で抱えられる程度のバスケットをポンポンと叩きながら、ナナはいたずらっ子のような笑みを浮かべた。お楽しみと言われてしまえば、それ以上追及できずに前を向く。
平日の午前中ということもあり、かなえのお屋敷を出た頃は空いていたが、国道に出れば交通量が次第に増えてきた。隣町にあるショッピングモールの前に来る頃には、パーキングへ入るためにやや長い車の列へと並ぶことになる。
「何か、嬉しそうだな」
信号が赤に変わったところで、朝からずっとニヤニヤとしているパートナーを盗み見る。普段からにこやかな少女であったが、今日に限っては締まりのない顔と表現する方が合っている気がした。
「そりゃ嬉しいですよ。これ、デートですよね?」
ねぇ、ねぇと袖を引っ張りながらナナは笑う。あまりにも嬉しそうな表情を直視できず、運転中だからやめなさい、と眼鏡の位置を直す振りをして視線を外す。ここ最近、暗い表情が多かったパートナーであるが、昨日の朝食時といい、今日といいご機嫌な様子で海里は楽な気持ちになっていた。
『兄さん、絶対に面倒くさいって言ったらダメだからね』
ふと、指輪選びに付き合わせた妹の言葉が思い出された。喫茶店を出た後、駅前の店を回っていたが、三軒目に差し掛かったところで海里は渋面を切っていた。食事も買い物も、目に入ったもので済ませてしまう彼にとっては、商品を吟味する時間が苦行のように感じられている。
「……デートじゃないんですか?」
左腕から引っ張られる力が失われる。心なしか、声のトーンが落ちている。そうですか、ただの買い物ですか、調子に乗ってすみませんでした、と言わんばかりにナナの表情に翳が差し込んでいた。
「デートですってば!」
あまり大きな声ではなかったが、海里は思わず叫んでしまった。やってしまったかと思い、隣を盗み見ると、ナナの機嫌は戻っているようだった。
『イヌカイ、絶対にヤケクソになるなよ?』
ここでも、鍵を手渡す雇い主から言われた言葉が、脳裏を巡った。その際、何故か左眼を開いてニタニタとしていた魔女の姿が、妙に不安を煽る。そんなに自分はエスコートができないように思われているのだろうか。信号が青に変われば、海里は首を一つ鳴らしてアクセルを踏んだ。
立体駐車場の三階に車を停めると、二人は歩き出す。一階二階こそ満車になっていたが、三回はほどほどにスペースが余っていた。屋上はまた映画館目当ての客で車は埋まっているのだろうな、と海里はぼんやりと考えていた。
「はぁ、平日でも人は多いな」
少々げんなりとしながら海里はぼやく。施設へ移る階段へと渡ると、周辺の緑化スペースではしゃぐ子どもの姿が目に入った。駅にほど近いこのショッピングモールは、海里の住む町を挟んで、千里の通う学校のある学園都市へと繋がる街の拠点の体裁をなしている。足早に通り過ぎるサラリーマンや、親子づれ、登校時間もとうにすぎているだろうに悠々と歩く学生などがちらほらと見える。
「私たちもそんな人達の一部ですよ」
一層ニヤニヤとしながらナナが告げている。どこを目当てにしているか、教えられていないにも関わらず、先んじて施設へと進もうとしていた。
「あんまり走ると転ぶぞ?」
「……走ってませんし、私、子どもじゃありません」
普段と異なり、スカートを履いている彼女を見て、海里はつい忠告をしてしまう。膨れ面をしてみせるナナが新鮮に映る。ゆったりとしたスカート姿もそうだが、見たことのないカーキ色のブルゾンに暖かそうなニット帽を被っている。おまけにブーツを履いて、黒縁の伊達眼鏡をかけていた。スカジャンにホットパンツといった、いつもの快活なイメージからすれば、今日は随分と落ち着いた格好に見える。
それに比べると、海里の装いはいつもと大して変わらない。パートナーに追いつくと、悪い悪いと軽口を叩きながら海里は自動扉へと進む。無趣味とは言え、普段から服くらい買っておけばよかったか、と少々申し訳ない気持ちになっていた。
「と、言う訳で。今日は雑貨を見よう」
三階、暮らしと雑貨フロア。施設へ到着するなり、すぐさま雑貨売り場へと直行する。途中、アクセサリー売り場を通過した際に、ナナが眼鏡越しに目を輝かせていたが、海里は見なかったことにして目的地に進んだ。
「どうして、雑貨何ですか?」
辺りを見回しながら、ナナは言う。屋上には映画館、一つ下の階にはウィンドウショッピングのできる専門店が並んでいた。デートだと言うには、選んだ場所が地味だとは海里も思っている。しかし、ここでの買い物こそ今後にとって大事だとも考えている。
「どうしてって、家にはナナのものがないからなぁ。何か買っておかないと」
無趣味な海里から見ても、彼女は極端に物欲が薄いように思われた。かなえからは、魔女の助手の助手ということで、それなりに報酬が与えられていたが、一向に使う気配がない。結局のところ、これまでは客人用の食器や寝具を使っていたのだった。
「そ、そんな、誕生日でもないのに」
ぐぬぬ、と唸りながらも、ナナは糸の切れた凧のように飛び出して行ってしまった。何故か買い物かごを両手に抱えている姿を見て、海里は血の気の引く思いがしていた。『好きなの買いなよ』つい先程口をついた言葉に、後悔の念がもたげ始めていた。
「気づけばお昼ですねー」
パートナーの呑気な言葉を聞きながら、海里は密かにため息を吐いていた。雑貨屋を出る頃には、両手一杯の袋を抱える事態に陥っていた。名づけ親の気苦労も知らず、ナナは伸びをしている。
『犬っぽいと思っていたけど、もっと違う何かだよな』
猫、あるいはライオン。浮かんだイメージを口にすれば、肝臓を打たれかねないので、黙って海里は少女の後に続く。彼女が言った通り、気づけばお昼ご飯を食べるにはいい時間となっていた。しかし、ただでさえ人の多いショッピングモールは、昼時には飲食店が人で溢れかえっている。
「おい、どこに行くんだ?」
フードコートにも目もくれず、少女は歩き続ける。このまま行けば出口へと向かうのだが、その歩みは一向に衰えない。
「お腹空いてきたかと思って。ささ、こっちですよ!」
気づけば自動扉をくぐっていた。幸いに、風は冷たいものの天気は良い。気温を気にしていたのも束の間。海里は手を引っ張られて、駐車場から見下ろしていた緑化スペースへと連れられて行った。
「はいはい、ここですよ、ここ!」
走り切った後、ベンチに颯爽と腰を下ろすと、ナナはその隣を手のひらで叩いている。招かれるまま続いて腰を下ろすと、隣の人物は小さなバスケットを開き始めていた。
「お昼にしましょう」
バスケットの中身を取り出して、何かが手渡される。まじまじと見つめると、綺麗にカットされた食パンに、レタスやトンカツが挟まれていたものだとわかった。
「え、カツサンドなんか買ってたの?」
「実は……手作りなんです」
形が悪くてすみません、とナナは苦笑いを浮かべる。あはは、と誤魔化すように笑っているが、海里はその姿を見て、一種の感動を覚えていた。
カツサンドを手作りするだなんて話は、彼は今まで聴いたこともない。妹と比べるのは良くないことだと思ってはいるものの、惣菜売り場に並べられても遜色のないそれを見て、食べることが勿体なく思ってしまう程だった。
「でも、どうしてカツサンドなんだ?」
確かにカツサンドは好物の一つだが、それ程好きだとは言ったこともなかったのに……海里が首を傾げていると、組んだ指を弄びながらナナは言う。
「初めて、連れて行ってもらったご飯が、カツサンドだったので」
「へ――」
思わずサンドイッチを取りこぼすところだった。その様子を見守りながら、幾分か頬を赤くした少女は、小脇から取り出した水筒からコーヒーを手渡してくる。
「あ、ありがと」
もらったコーヒーを一気に呷る。何とも言い難い感情に駆られ、海里は頬を掻いた。
雑貨を買うだけではデートでも何でもないかと思っていたが、案外楽しいものだ。少なくとも自分は楽しんでいるし、隣の少女の顔を見れば、そう信じられた。後は、仕上げが上手くいけば上出来だと、知らずの内に緊張が高まった。
「どうしたんですか?」
車へ荷物を積みながら、パートナーが辺りをキョロキョロするのを見て、ナナは怪訝な顔をしていた。狭いトランクではあるが、買ったものならばすぐに入ろうものなのに、海里は未だにゴソゴソと何かを探っている。
「ああ、いや、その……」
トランクから顔を出した海里は何とも煮え切らない表情で、言葉を濁している。運転席に戻ったとき、手には小さな、だがしっかりとした紙袋が握られていた。目に入ってしまうと、ナナはそれが何であるか気になって仕方がない。
「実は、ナナに渡したいものがあったんだ」
「何ですか何ですか!」
瞳を輝かせをながら、彼女は助手席から身を乗り出していた。袋から更に小さな箱が取り出されると、更に頬を紅潮させてその時を待つ。
「これを、貰って欲しいんだ」
「あ――」
開かれた小箱には、キラリと光るリングが一つ。華美ではないが、普段のカジュアルな装いのアクセントとなる、銀色をした螺旋状の指輪がそこにはあった。
「気に入らなかった?」
予想と異なる反応に、海里は小さく言葉を溢した。先程までの表情とは打って変わって、彼女の顔からは笑みが消えていた。
「私、それは貰えません……」
風が吹けばかき消されるような声で、少女は言葉を紡いだ。口にすることも、本人には抵抗があったのか、左手で、右手の薬指を強く握っている。
「あ――はは、は、ごめんごめん。重たかったな。妹にも言われたんだよ、やめとけって」
唇を噛み、パートナーは黙り込んでいる。その沈黙に耐え切れず、海里は笑って誤魔化し始めた。彼にしてみれば、誤魔化しようもない程踏み込んだ言葉であった。だが、ナナを困らしたくはない、その一心で笑ってみせた。
ケースをしまった時に立てた音が、厭に車内へ響く。
「どうして謝るんですか!? 私、今のままではもらえないってだけで、犬養さん――」
「いや、俺が無神経すぎた。ナナの記憶も戻らない内になんて……な」
彼女の顔は最早直視することも出来ず、海里は車のエンジンをかけた。
「違うんです、海里さん! 私は――」
エンジンの唸る音に、ナナのか細い声はかき消される。
ステレオから厭に陽気な音楽が流れていたことが、海里の神経を逆なでするが、黙って車を走らせる。
かなえの忠告通り、態度に出さないというのは至難の業とも思えた。指輪を受け取ってもらえなかったこともショックだが、ここに来て他人行儀に“犬養さん”と呼ばれたことが、ただ哀しかった。
「かなえのとこに車を返した後、次の依頼人に会うんだ。場合によっては、また助けて欲しい。俺、弱っちぃからさ……」
無言で頷くパートナーを横目に見て、小さくため息を吐く。ナナの日頃からの心遣いに嘘はない筈だ。それだけを信じて、海里は笑顔を取り繕った。
俯く彼女の右薬指には、丸い指輪がその濡れた瞳同様に今も光っている。