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ミミナリ  作者: 三宝すずめ
4話 等間隔
49/88

1.問われる感覚―再会その三

「ただい――」


 口にしかけた帰宅を告げる言葉を、海里は途中で切った。アパートの玄関からは、引き戸一枚でキッチン兼リビングへと繋がっている。その扉が開かれており、ナナがテーブルに突っ伏して眠っている姿が目に入った。


 既に朝食の準備は終えられており、目玉焼きとサラダが盛り付けられた皿にはラップがされていた。二人分のお茶碗は裏向けられており、すぐにでも食事ができるようにと、ナナはエプロンをつけたままだった。


『あっちゃー……』


 内心で舌打ちをしながら、極力音を立てないように靴を脱ぐ。しゃもじを握りしめたまま眠る彼女の姿を視界に収めて、海里はひどく居た堪れない気持ちになっていた。


「あ――おかえりなさい。散歩ですか?」


 ゆっくりとナナが顔を上げる。テーブルに突っ伏していたためか、額の辺りが赤くなっている。いつもの彼女である筈だが、海里はどことなく違和感を覚えていた。


「そんなとこかな」


 狭いアパートではあるが、独りで過ごすには広すぎるくらいだった。今では、心なしか窮屈に思う時もある。ご飯を用意しますね、と言った彼女は手際よくコンロに火をかけ、目玉焼きを電子レンジへ入れていた。


『俺の、思い過ごしだろうか』


 いつもの通り――否、いつにも増して自分に気遣いをしてくれたパートナーを指して、違和感などと言っていた自分を恥じる。


 ピーヒョロロロロ――猛禽類の鳴き声に、海里は一瞬ぎょっとしてみせた。携帯の着信であり、画面には“センリ”の文字が表示されている。


「あ、ちょっと電話だ。すぐに戻る」


「はい、ごゆっくりどう――」


 妹から珍しく電話がかかってきたことに、海里は慌ててアパートを飛び出してしまった。


「ごゆっくりどうぞ、犬養さん」


 ナナの言葉は最後までは海里に届かなかった。




「よ、久しぶり」


 夕刻になり、海里はこの日二杯目のコーヒーを飲みながら片手を上げる。喫茶店の扉を開くや否や、彼の姿を見て制服姿の少女がその席へと歩み寄る。肩口まで伸びた黒髪が、冬物のコートに少しばかりかかっている。


「呼び出して悪いわね、兄さん」


 少女は特に海里を見ることもなく、席につく。ウェイトレスからおしぼりを受け取ると、コーヒーをブラックで、とややぶっきらぼうに言ってのけた。注文を終えてから、ウェイトレスは何度か少女を振り返りながら厨房へと引っ込む。海里程ではないものの、長身にキリリとした瞳は、同性から見ても思わず格好いいと思わせられてしまう。


 それくらいには、千里は綺麗な少女だった。


「全然構わないよ。お前が元気か気になっていたところだ」


「……私は兄さんの方が心配だわ」


 ぼんやりとコーヒーを口に運ぶ兄を、少女は射すくめるように睨む。少しの間、無言の時間を過ごしたが、コーヒーが運ばれれば、間もなく沈黙は破られた。名残惜しそうにその場を去るウェイトレスを見て、千里はため息をついた。


「相変わらずモテモテだな」


「昔から格好いいって呼ばれるのは好きじゃないって、知ってるでしょ? 冗談でもやめて」


 兄が明らかに話題を逸らしにかかるため、少女はややキツめに言葉を放った。それでも黙ろうとする兄を前に、千里はどう仕掛けたものかと思考を巡らせた。兄に用があったものの、とっとと帰ってやらねばならないことが、彼女にはある。


「はい、これ」


 分厚い封筒をテーブルの上へと取り出す。その様を見て、海里は眉根を寄せていた。否応なしに、今朝方のかなえとのやり取りが思い出されてしまう。


「あのなぁ、この金は――」


「気持ちはありがたいけど、お金のことは解決したって言ったでしょ?」


 兄の言葉を遮るように、千里はぐいっと封筒を突き出した。私立の学校に通っているため、多額の授業料を払う必要があったが、高校に上がると同時に奨学金の額が増加されたとは既に何度も説明をしている。


「千里が特待生になれたことは俺も喜んでいる。けどお前、犬養の力を使ってるんだろ?」


 海里が手放しで喜べない理由の一つだ。彼女が通う高校では、犬養家のように特殊な力を持った家系の嫡子が集められている。特待生ということは、千里がその力を存分に発揮してしまっているということが、容易に想像できた。


「それがどうしたの。黙ってお金恵まれてろ、とでも言うの? はっきり言うけど、兄さんはね、もっと自分のことを考えた方がいい」


「な――俺はお前が危険な目に遭わないようにと」


「お願いしたつもりもないわ。自分の力を過信も慢心もしてはいないけど、これでも兄さんよりは遥かに犬養の力が扱えるのよ、私は」


 それに、と千里は続ける。


「かなえちゃんから聴いたけど、兄さん今のまま妖に向き合ってたら、死ぬわよ?」


「――っ」


 鋭く睨まれると、海里はそれ以上返す言葉もなかった。自分が無茶ばかりしていることを、これまで何度もかなえやナナにタシナめられてきたが、とうとう妹もか……海里は頭を抱えた。


「そもそも、兄さんはコミュニケーション下手すぎ。危険な仕事しているのだから、人脈の一つも作っておかないと」


「失礼な。それなりに情報収集のツテはあるし、俺がコミュニケーション下手だなんて――」


「夕个ちゃんのこと! 兄さんから電話かかってきてから、すごく不機嫌だったけど?」


「え、何で夕个の話が出てくるんだ?」


 海里は首を傾げた。朝食前に千里から電話をもらった後、確かに夕个には電話をした。その後、「しばらく電話はしてこないで」と言われてしまったが、何がいけなかったのか。


「夕个が不機嫌って、何でだろう。俺、指輪もらうとしたらどんなのが欲しいかって聴いただけだぞ?」


「それ、最悪だからね……」


 千里は顔を手で覆い、大仰にため息を重ねた。従妹が不憫でならない。憧れの人に電話をもらって一度喜び、指輪について聞かれて再度喜び、それが別人にあげるためのものとわかって地獄へ落とされる。兄の酷い不出来さを、心の中で詫びていた。


「ところで、どうして急に指輪の話なんかが出たの?」


 コーヒーを口にして、気を取り直す。まだ顔も見たことすらない女性だが、恋人には違いない。何かの記念日なのだろうか、その手の話には疎い筈の兄が指輪を贈ると言っていることには、興味がある。


「……何となく」


「かー、何それ。何となくで指輪贈るだなんて、あるの?」


 ぴしゃりと額に手のひらを当てて、天を仰いだ。少なくとも、この少女は何となくで指輪を貰ったとしたら、突き返すつもりでいる。


「いや、恥も捨てるんだった」


 もごもごと口にしている兄を見て、千里は首を傾げる。


「ナナは、俺のパートナーだ。これから危ない目に何度も遭わせる。だから、少なくともはっきりと自分の気持ちを伝えておきたいんだよ」


「……なんだ、ちゃんと考えてるじゃない」


 幾分か気が楽になり、千里の瞳は少し緩んだ。気恥ずかしいのか、海里はわしゃわしゃと頭を掻きむしっている。非常に不器用な兄が、ここまで考えているというだけで、ナナという女性が良い人物であることがよくわかる。他人の感情理解に疎い兄が、随分と人間らしくなっていることを、千里はつい喜んでしまった。


「で、どんなのあげるの?」


「シンプルな丸いやつをあげようと思うんだが、変か?」


「シンプルな丸い指輪? それって結婚指輪じゃん。重いって」


 前言撤回と告げられ、海里は首を傾げた。この言葉の意味すら、兄には伝わっていない。相変わらずの朴念仁ぶりに、千里はこめかみを押さえて唸る。


 ついには、可愛いファッションリングにしておきなさいよ、と千里は再び目元を覆って呻いていた。海里本人はいい案だと思っていたのだが、真っ向から否定をされたことに、閉口せざるを得ない。


 どうやら恋人がいるらしいことを仄めかしている妹が言うのであれば、聴いておいた方がいいだろう。兄としてはどことなく哀しいが――ゴキリと首を鳴らして、海里はその案を受け入れることにした。


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