4.Site Stealer―依頼完了
「さぁ、遠慮なくどうぞ!」
張り切って手を差し出すナナを見て、海里は黙って片手を上げた。大丈夫だという意思表示のつもりらしい。
「頼ることは、恥ずかしいことじゃないですよ?」
「いやいや、そういう訳じゃなくてだな……」
壁に手をつく彼に、さぁ、と再度手を伸ばしながらパートナーは詰め寄る。手を繋ぐことに気恥ずかしさがないと言えば嘘になるが、海里は他の理由からナナに寄り掛かることを躊躇 していた。
『今日のナナは、元気過ぎないか?』
上手く表現できないが、いつもの尻尾を振るような元気さではないというか……しばらく眠っていた手前、偉そうなことは言えない。黙っていればよいのだが、どうにも気になってしまい、ナナをまじまじと見つめていた。
「ナナ、大丈夫か?」
「大丈夫ですよ? むしろ、海里さんの方がふらふらじゃないですか」
海里には無理をしているように見えたのだが、首を傾げられてしまった。思い過ごしならばよいか、と彼は壁から手を離して歩きだした。横からは、ナナが彼の身体を支えようと手を添えている。
意識が戻ってから一日が経ったが、視界の端は白みがかっている。何とか歩けるようになったものの、未だに思考は少し鈍っていた。
倒れて少女になってしまったかと思えば、突然にいつもの視界に戻された。急激な変化に身体がまいっているようだった。これまでの見え方との違いに――もっと言えば、少女の瞳を通して得られた過剰な情報に、現実の脳の処理が追いついていない。
少女となっていた間、彼は因縁の相手と魔法合戦を繰り広げていた。魔法合戦とは言ったものの、扱える魔法は一種類のみでしかない。それは、以前に雇い主から聞かされた話と一致する。
『私は、一種類しか魔法を習得できなくてな』
やや自嘲気味に語られていたが、その一つきりの魔法で、炎や風や使い魔を退けて見せた。彼女の世界を体感した今ならば、海里にもわかる。魔女としては落ちこぼれであったとしても、トラブルの解決に用いるには、この一つがあれば十分だということを。
「――っ」
こめかみを押さえて、海里は俯いた。
「海里さん、辛そうです……旧炉さんのところへは、私一人でも行きますよ?」
「いや、お屋敷の魔女が引き受けた依頼だしな。助手の俺が行っておきたい。だから、言い辛いのだが――肩を貸してくれ」
「はい、喜んで」
くすくすと笑いながら、ナナは海里の腕を自分の肩へと回す。元から手を差し伸べられていたので断られるべくもなかった。しかし、いざお願いをするとなると、断られたらどうしよう、などと海里は心配をしてしまう――結局、長身の海里が体重を預けても、ナナは迷惑がるどころかむしろ嬉しそうではあったが。
海里が目覚めた時、入れ代わるようにかなえが眠りについてしまった。目を開いた時は、丁度ナナがかなえを背負って帰ってきたところだった。依頼人に報告してこい、という伝言を託して早々に眠ったのだと、ナナからは聞かされていた。
「しかし、かなえのやつ倒れるまで眼を使うとか、考えなしだよな」
「それ、海里さんが言ったら怒られるやつですよ?」
間近ではナナが、困ったような表情を浮かべている。かなえに睨まれる光景がありありと想像できるあたり、恐ろしい。
「……まぁ、眼を使わないと負けてたんだろうけどさ」
かなえの瞳を通して成り行きを見守っていた海里は、ナナに言われずともわかっているつもりだ。それでも、無理はしないで欲しいと思ってしまう。
かなえになっている内は、彼も“あちらの世界”から左眼へ流れ込んでくる情報も易々と処理ができていた。しかし、こうして犬養海里に戻ってしまうと、たった数分間流れ込んで来たモノへの対処に脳みそが悲鳴を上げている。こんな負荷を彼女はいつも耐えているのかと、これまで以上に心配になってしまう。
異なる世界を視ることこそが彼女の魔法だろうと思っていたが、それは勘違いだったということにも彼は気づいた。対峙した魔法使いにも指摘されたことであるが、彼女はその身に複数の呪いを受けている。それらは苦痛とともに、常人を遥かに超える力を彼女に与えていた。
規格外の左眼すら呪いの副産物。体内を暴れ回る、ややもすればその身を壊しかねない力を魔力に変換すること――これこそが彼女の習得した魔法だった。
「“神の視えざる足”か……」
「どうして、手じゃないんでしょうかね?」
海里の独り言にも、ナナは生真面目に反応をしてくる。
「それは――」
海里は大学でかじった経済論を思い浮かべる。個人の利己的な行動の集積すら、社会全体の利益とする調整機能が“神の見えざる手”だとすれば、足と言っているのは彼女なりの皮肉だろう。社会が積み上げた結果を個人の意志で踏み砕くものが、 “神の視えざる足”なのではないだろうか。
「それは、本人に聴いた方がいいな」
逃げることは出来ないので、顔を横へ向ける。ナナの視線を感じていたが、海里は喩え憶測であったとしても語ることが憚られていた。
『……欲しかったのは、こんな力じゃないさ』
頭は未だ胡乱なままだというのに、病院でかなえが呟いた言葉が、脳裏を離れない。
「あら、もっと早く来るかと思ってましたけども」
海里達がキョロキョロと視線を彷徨わせていたところ、声がかけらる。探していた占い師その人からのものであり、ナナは表情を綻ばせていた。
「今日は見つからないんじゃないかと思いました……」
「ほんと、見つかってよかった」
海里がやや疲れた様子で後を続けている。ふらふらだと言われながらも歩いていたが、正か目的地の正確な情報が把握できていないとは思ってもいなかったようだ。
電話で事前連絡を取っていたものの、『路地裏に店を構えている』という説明しか得られていなかった。お屋敷を昼間に出たにも関わらず、気づけば夕方になっていた。路地裏の一角で店を構える新は、大きなカバンに道具を仕舞い始めていた。
「ごめんなさいね。日によって場所を変えているの」
会えない時は、縁がなかったと思ってください――さらりと、自称占い師はとんでもないことを言ってのける。
「眼、戻ったんですね」
ナナの言葉につられて、改めて海里は依頼人を見た。黒いフードは相変わらず被られているが、目元の包帯は今では外されている。紫色の瞳は切れ長で、更には長い睫が覗いている。お屋敷で見かけた際には、暗いイメージが強かったが、一点して目力の強い美人に印象は塗り替えられた。
「海里さん?」
横ではナナがパートナーをジト目で睨んでいる。普段からぶっきらぼうと言われている海里であるが、決してポーカーフェイスが得意という訳でもない。女性連れの時に、他の美人を注視するのはよろしくないなど、場に相応しい表情の作り方を知らないだけとも言える。
「さて、店仕舞いのつもりでしたが――」
新はカバンを脇にどけて、まだ片付けられてはいなかった椅子を指さす。二人は疑問符を浮かべながらも、勧められるまま腰かけた。
「眼を取り戻していただいお礼です。お二人とも、お悩みですね?」
そう告げる占い師の瞳が、怪しく光ったように見えたのは海里の勘違いか。しかし悩みと言われたことでドキリとさせられていたのは確かだ。ナナの方を見れば、彼女も驚いた表情で海里を見つめていた。知らずの内に、眼前の女性のペースに巻き込まれているようだ。
『あまり深入りしないように』
“お悩みですね”はこの手の商売における常套句 のようなものだ。この掴みに呑まれてはいけないと、海里は隣へアイコンタクトを試みる。視線の変化に気づいたナナも頷いて見せる。
よかった、通じたと海里は安堵していた。
「実は……彼が最近冷たいんです」
『何てこった!』
パートナーが悩み相談を始め、内心で頭を抱える。アイコンタクトは失敗に終わった。まだまだかなえのようにはいかない、と海里は一層の精進を密かに誓った。
「それは、嘘ね――」
新は躊躇いもなく言い切った。表情を微塵も崩さずに、椅子へ深く腰かけ直して彼女は続ける。
「貴女はその状況すら楽しんでいる。本当の悩みは、そうね……二人とも共通しているわね」
――家族のことでしょ?
相談相手からの情報を引き出すための言葉ではない。これは、既にわかっている事柄を改めて確認するための行為だ。
「もっと視せて、あなた達が自分でも気づかないその細部を……」
海里はあまり回っていなかった頭が、一層鈍る感覚に陥る。白みがかった視界が黒く塗りつぶされる最後の瞬間、占い師の紫色の瞳に光が灯ったことを見た
今度こそ、勘違いなどではない。