3.サイトスティーラー―魔女への問い
シャラ――金属が擦れる音が辺りに響いた。
魔女が右手を水平に伸ばすと、ブラウスの裾から鎖が伸びていく。鎖と言っても、ネックレスに使われる細身のチェーンだ。紡がれた白銀は、生きているかのように空中を泳ぎ、左方向へ曲がると動きを一旦止めた。
「少々歩かねばならないな」
かなえは渋い顔をして項垂れた。主の気持ちを察してか、鎖も心なしかたわんで垂れ下がっている。
「歩きましょう! 私、平気です」
何なら私が担ぎますよ、などと軽く言ってのけている。今朝から続くかなえの魔女らしい姿の連続に、ナナは瞳を燃やして告げていた。少々の困難も彼女にとってはスパイス程度のものらしい。張り切るナナを他所にかなえは左手の指先で、眼帯をコツコツと叩いている。
「お姫様抱っこで敵陣に乗り込むのか? それこそ美しくない」
ふぅ、と軽く息を吐いてかなえは観念した。
「決めた。今日一日は、魔女らしくする」
眼帯を入れ替えると、音もなく魔女の身体は浮かんだ。わずか三センチ程度であるが、彼女の周辺だけは物理法則を無視しているようにふわりと浮き上がっている。続き、ノーモーションでかなえの身体が進み始める。
「――本当に、飛べたんですね」
これにはナナも驚きの表情を浮かべた。以前に冗談のように飛べるかと問うたことはあったが、まさか本人が飛ぶとは。しかも箒に跨る訳でもなければ、ジェット噴射で飛び上がる訳でもない。本人はまるで動かずに、平行移動をしている。
「ほれ、さっさとこんと置いていくぞ」
「ま、待ってください!」
走る程ではないが、歩くにしては早いスピードでかなえは進んでいる。端から見ていると、見えない何かに鎖を引っ張られて連れて行かれているようにも映らないではない。
そうこう言っている内に、元より小さな魔女の姿が視界から消えかけていた。非常にシュールな光景であるが、ナナには冷静にツッコんでいる暇などなかった。置いていかれないよう、脱いだスカジャンを腰に括りつけて駆け出した。
町外れのお屋敷から、更に外れへと二人は歩いていた。特に商業施設もなく、一層人の往来は見られない。外出を嫌うお屋敷の魔女も人目がなければこそ、堂々と魔法の片鱗を披露できようと言うものだ。今も右手から伸びる鎖、その先端に輝く石が行き先を示している。
「かなえさん、移動距離長いみたいですね。お体は大丈夫です?」
ぴったりと横について、ナナは問う。彼女の足ならばこの程度の速さで歩いたところで何も問題はないのだが、表情が少々冴えない。
「……お前も優しいやつだな。ゆっくり寝たから大丈夫だよ」
まったくパートナーの要らないところばかり似たものだ、とかなえは胸中で毒づいた。大丈夫と答えたにも関わらず、彼女の表情は明るくならない。むしろ、陰りが増えたようにも見える。
「屋敷を出てから口数が減ってます。大丈夫って答える人、案外大丈夫じゃなかったりするんですよ?」
「何だ、普段の私はそんなにお喋りに映っていたのか……ふむ」
じっと見つめる少女を睨み返しながら、魔女は一考する。ナナの言うように体調が悪いという訳でもないが、少し自分が黙り込んでいたことも事実――これからよく喋る男を相手にするための省エネであったのだが――
「確かに、お前の言う通りかもしれん。今日は魔女らしい、無敵な私を見せてやると決めたのだったな。どれ、そうだな……この道中で二、三質問に答えてやろう」
「あ、元の悪い顔のかなえさんに戻りましたね」
爽やかな笑顔を少女は浮かべる。心から安心していることがよくわかる。本当に素直でよいことだ――よいことなのだが、歯に衣着せぬ発言にかなえの口元は僅かにひくついていた。
「何か聴きたいことあるか? これから出会う兄弟子がどんなやつかでも、何ならお前さんの瞳の話をしてもよいぞ」
まぁ、ないならないでいいがな、と魔女はそっぽを向いている。少々機嫌を損ないかけているのであるが、当のナナは顎元に手をやってうんうんと唸っている。瞳も閉じて思案しているというのに、歩く速度が落ちないのは褒めてやる所だろうか。
真っ直ぐなやつに何を言っても効果は薄いことを思い出し、かなえは些末なことで腹を立てることも最早バカらしくなっていた。
「じゃあ、海里さんの話をお願いします!」
「よりによってイヌカイの話か。お前も物好きだなぁ」
ガクリと音が聞こえそうな程、かなえは前につんのめっていた――宙に浮いているので転ぶことはなかったが。折角左眼を開いている内に種明かしをしてやろうと言うのに、ナナはそれらのことには興味がないようだった。
「知りたいじゃないですか。どうしてあの人――あんな生き方してるのか」
「ほぅ?」
姿勢を戻して、魔女は興味深そうに透明な瞳を大きく見開いた。それは依頼を受けるかどうかを吟味している時の表情に似ている。思った以上に、的を得た質問をするものだ、とかなえは目の前の少女の評価を改めることにした。
「見た目に反して優しい人なんだなってことは、すぐにわかりました。けど、初対面の私に対して優しすぎる気が……惚れられてるからなのかなぁ、なんて名前をもらった頃は自惚れてみましたけど、それも違う気がします」
「まぁ、灰皿で頭ぶん殴られても、ヘラヘラしているようなやつだしな」
皮肉でも何でもなく、かなえは真面目な顔をして答えた。衣新奈の事件の後、ナナを見て彼の口から出たのは謝罪の言葉だった。ナナが操られていたにしろ、気絶する程殴られたことに対して、海里は一言も触れなかった。
「極めつけは夕个さんの依頼の時ですよね。あれだけボロボロになってまで、人に優しくするものです?」
「夕个の件で言えば、あいつのアレは優しさではないな。自分の手に負えないことを抱え込むのは、わがままって言うんだよ」
日頃から自分の役割を考えろとは何度も言っているのだがな、とかなえはため息を漏らした。
「あ、ちょっと納得しました。あの人、わがままなんですね」
ぽん、と手を合わせてナナはすっきりした表情をしている。自分の前では彼女にわがままらしいわがままを言っている姿を見たことがないかなえは、首を少し捻った。
「……まぁ、あれで我の強い男だからな。気に入らないことには気に入らないと言うし」
「わかります。言いますね」
うーん、と今度は味のある表情を浮かべ始めた。
「お前の言うわがままが、どれを指しているかはわからんが、まぁいい。初めて会った時もそうだ。あいつ、オオジジ殿の方針に従えないと喧嘩別れしてきたところでな。オオジジ殿の言うことは聞きたくないが、妹は犬養家の後継者にはやらないときたもんだ」
「わぁ、わがままですねー……」
「結局、好き勝手生きてるようなやつだ――と、他人から誤解されるのがイヌカイだな」
「クソ真面目というか、不器用な人なんですね」
ふっ、と二人は笑う。好き勝手やっているように見えるが、利己的には決して動かない。バカだバカだと普段から罵っているものの、そんなバカは嫌いではない。きっと、彼のパートナーも似たようなことを想っているに違いないだろうと、かなえは察する。
「わかっているつもりですけど、言葉足らず過ぎて困ります!」
聴いてください、かなえさん! と喰ってかかられる。余りの勢いにかなえは少し身をよじって話を聴く羽目になっていた。
「あの人、本当に私をパートナーとして認めてるんですかね? 便利な飯炊きとかに思ってません? ていうか、たまに顔を出す妹さんに、何の説明もしないんですよ? すっごいいたたまれない空気生まれますよ? 私、あの人の何なんです?」
「お、落ち着きなさい」
一気に捲し立てられ、身をよじるどころか体を仰け反らざるを得ない。のほほんとしているようなお嬢さんだが、ここまで激しいものをもっていたとは。否、海里が追い詰めているだけか、と考え至ってかなえは平静を取り戻した。
「何にしても、言葉は欲しいな?」
「そうです! 私、バカなんで言ってもらわないとわかりません」
ぷんぷんという擬音が似合う程、顔を真っ赤にしてナナは暴れている。当初予定していた受け答えとはまったく違う方向へ働いているが、これもまた良しと魔女は嗤う。
『素直過ぎるのは考えものと思っていたが、いやいやどうしてなかなか。こいつは自分の望みをよくわかっておる』
「ま、そいつは本人に直接尋ねてくれ。ただな――」
先ほどまでの笑みを正し、珍しくかなえはお願いをしていた。
「ただな、あいつのは言葉足らずというか、言葉がわからず困っているってことだけ覚えておいてくれまいか」
「言葉が、わからない?」
「何と言おうか、適切な言葉が見つけられないのさ。あいつは、人と触れ合う当たり前ってやつを知らずにここまで来ちまったのさ」
「んーー、わかりませんが、わかりました。言葉を出し惜しみしてる訳ではないってことですね」
「そういうことさ。慣れるまで待ってくれるとありがたい――と、ここか」
不意に魔女は地面に降り立つ。右手から伸びる鎖は、目の前の工場跡を示している。
「ここが、そうなんです?」
ナナは辺りを見回しながらかなえに問う。町外れの工場は人気がないどころか、人が寄り付けそうな気配すらない。工場そのものは朽ち果てているという程でもないのだが、壁やら屋根やらところどこに穴が空いている。これでは、今すぐ人が作業できるような形に手の加えようもない。
「残念ながら、その通りだ」
「え、なんで残念なんです?」
返ってきた魔女の言葉に、驚きながらも彼女は再度問うてみる。潰れた廃工場、魔女が潜伏するにはお誂え向きではないかと思うのだ。うん? と首を捻るナナを見て魔女は大仰にため息をついてみせた。
「これもな……美しくないんだよ」
かなえがぼやくも、ナナの首の角度は益々深いものへとなっていた。
そう、美しくない。郊外でありながら、町中心部への運搬拠点とできる立地。加えて、以前には住宅地が立っていたこの土地には人の流れの名残りもある。これでは魔法の秘匿どころかダダ漏れだ。極めつけは、捕まえた使い魔から、ここへと魔力の残滓を辿ることがあっさりとできてしまった。
ここが黒だ、とわかっているのであるが、魔女はここに拠点を構えることは『美しくない』と評している。
「はぁ……ここでも悪くはないが、もっと他にもあるだろうに」
「そういうものです?」
「わからんよなぁ。そうだよなぁ。いやいや、ナナが悪い訳じゃないんだ」
再びため息をついて、魔女は廃工場を見上げる。一番良いところは捨てて、ある程度魔力の運用が利きそうな土地を選ぶ辺り、この魔法使いの性格が窺い知れるというもの。否、性格なぞとっくに知っているのだが。昔から才能にかまけて最善を検討しないことは、かなえからすれば美しくないと言い切れる。
「これすら私の集中力を削ぐ作戦だとすれば、よくよく考えられているものだとは思うのだがなぁ」
それだけはないよなぁ、とかなえは独り言ちて工場へ足を踏み入れた。