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ミミナリ  作者: 三宝すずめ
3話 資格剥奪
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3.サイトスティーラー

 声には出さず、海里は驚いていた。


 相変わらずの呆け顔だな、どこぞの魔女の幻聴が聴こえるが、気にしてはいられない。己が己でなくなっているという、初めての感覚には純粋に驚く他ない。


 まして、朝起きて性別が変わって驚かないやつがいたら、最早常人ではないと思う。気づけば、海里は少女に変わっていた。


 変わったのはそれだけではない。性別もさることながら、これまであまり感じたことのない感情を、少女になった自分が持っていることに気づく。上手く言語化ができないが、ともかく酷い。何をやっても上手くいかないようで、倦怠感ばかりが募る。そして、身体のあちこちが軋み悲鳴を上げている。


 動くのも億劫だというのに、この少女は動け動けと強く念じている。ここで止まっては終わってしまう、そんな焦燥感にも駆られている。


 ここで終わること――それだけは出来ない。ここで、何もしないまま、役立たずのまま終わることだけは、断じてできない。


 この感情は自分のものではないことはハッキリとわかっている。ならば、これはきっと夢なのだろう。


 他人の感覚を理解する――否、世間一般の感覚を理解することが難しい自分が、少女の想いをわかろうものか? そうだというのに、この少女には少なからず共感をしている自分がいた。


 誰かのために、動ける自分でありたい。きっと彼女と俺はよく似た人物なのだろう。他人事のように海里は思っていた。


 そんなことはさておき、自分が少女になってしまうとはどうしたものか。とりあえず状況を確認しようとしたところで、違和感を覚える――腕が、自分の意志ではまるで動いてくれないのだ。続き、気づいてしまった。左の方の視野が固く閉ざされていることに。


『そうか……』


 誰にも聞こえない声で海里は噛みしめた。お前――こんな気持ちで生きていたのか。




 うーん、とナナは唸る。


 眼前のパートナーは昨日と同じく、時が止まったように動かない。普段目つきの悪さが今では消えている。むしろ、普段の目つきは、優しすぎて考え込むからだということもわかってきたつもりだ。


「うーん……」


 再度彼女は唸ってみせた。瞳を閉じる彼は、年齢よりも幼く見える。その顔は整って見えるが、やはり――


「面白くありません」


 ふにっと頬を摘まんでみるものの、全くの無反応。整った顔が崩れると、いつもの彼の表情に少し近づいた。それを見て、ナナは少しばかり笑顔を作る。


「待っててくださいね、海里さん」


 早く、元の間抜け面に戻そう。ナナは口には出さずに決意していた。




――コンコン、と扉を叩く音が響く。


「ああ、入ってくれ」


 かなえの言葉を待ってナナは部屋の扉を開けた。トレーを片手に、慎重に家主の部屋へと入室した。


「かなえさん、朝食ですよ――と」


「そこに置いてくれ」


 眼鏡姿の魔女は、デスクでフラスコやら何やらを持って作業をしている。中断する気はないらしく、顎をしゃくってテーブルに食事を置くよう指示をしていた。眼鏡もよく似合いそうなものなのだが、真剣すぎる程の表情のために普段の愛らしさはイマイチ薄れている。


「一体何をしてるんです?」


 フレンチトーストとコンソメスープを並べながら、ナナはフラスコを覗き込む。中には無色透明の液体が入ったものや、紫色のどう見ても怪しい薬品の入ったものがあった。


「何って、魔女がフラスコ振り回していたら、薬品の調合に決まっておろう」


「なるほど。魔女の常識ってやつですね」


 まったくわかりません、とナナは苦笑いを浮かべていた。これに共感のできる人なんているのだろうか? 胸中で独り言のようにつぶやいた。


 魔女なんて人種、身の回りにはいたことがないのでわかりようもない――記憶は依然混濁したままだが、これだけはハッキリと明言できる――と、思う。


「そう、魔女の常識だ。今回の件にはここまで用心せずともよいのだが、念には念を入れておかないとな。あのバカをとっとと起こさないと、私が退屈を――もとい、仕事が捗らんからな」


 二つの薬品を混ぜ合わせると、フラスコの中身が泡立ち始める。淡い水色に変化したのを見届けて、かなえは満足そうな笑みを浮かべていた。


「成功ですか?」


「成功か、だと? 失礼な。私に失敗なんかない」


 大成功だよ、と魔女は口の端を釣り上げていた。続けて眼鏡を放り投げて、テーブルへといそいそと身体を運び出した。どうやら、作業は終わりらしい。


「では、いただきます」


 先程とは異なる柔和な笑みを浮かべて、食事を始めるちびっ子魔女。お茶を入れ直そうとナナは席を立ったが、食事がみるみる内になくなっていくのを見て、体面に座り直した。身体の割に口の大きなかなえは、用意された食事をあっという間に胃袋へと運んでいた。


「ごちそうさま。おいしかった」


「お粗末様です」


 台拭きを取り出して、後片付けを始めた。そして、先程の思いは確信へ至る。


『こんな人種、やっぱり記憶にはない筈です』


「……おい、お前またよからぬこと考えてはおらぬよな?」


「あ、はい!」


 勢い否定してみるも、嘘を吐いてしまったことを若干後悔していた。ナナは眼を瞑って、心の中で詫びる。


「時に、昨日は眠れたか?」


「はい?」


 流れも何もぶった切られる。まず、質問の意図がわからない。かなえの屋敷に来たばかりの頃ならいざ知らず、かれこれ一か月が経とうとしている今になって、こんな質問をされるとは。


「眠れたならいい。イヌカイの家でしか熟睡できぬとなっていたら、何かと申し訳ないと思ってしまってな」


「申し訳なく思うことないですよ? あの家は確かに過ごしやすいですけど、私どこでも寝られる体質ですし」


「そういう意味で言ったのではないのだがな……」


「はい?」


 大きく首を傾げる少女を見て、こいつ私よりも幼いんじゃないか? と魔女は思う。これ以上突っ込むのは野暮か、と悪ふざけを打ち切ることにした。そろそろ調合の成果が表れる頃だ。




「それで、何をしていたんです?」


 食器を片付け、食後のお茶を入れながら、ナナはフラスコを再度眺める。


「昨日も言った通り、事件の黒幕がどこのどいつだか分かっていたのでな、試験の傾向と対策ってやつさ」


 試験などと、女子高生らしい台詞を聴かされ、ナナはごく一瞬だがフリーズしてみせた。どうしても、目の前の魔女と学校というものがかみ合わないように思えて仕方がない。


「……何だか、失礼な想像をされているような気がする。が、まぁいい。食事の間に成果も出ているだろうさ」


 唇を尖らせながら、かなえはフラスコを手にする。中にあった液体は、いつの間にやら跡形もなく消え去っている。残されたものは、底の紙切れ一枚のみ。


「これが、あの使い魔ですか?」


 かなえが取り出した紙切れを凝視してみるものの、今や、海里の眼を奪った虫の面影は全くない。こんなものが、果たして魔法の産物なのだろうか。そうであったとしても、全く信じられないという顔でナナは唸っている。


「ああ、お前さんには使い魔の説明をしていなかったか」


 紙切れをぞんざいに持ち上げて、魔女は語る。


「魔法が使えるって響きは御大層に聴こえるが、一個人の魔力量なんてたかが知れているんだ。だから大きな魔力を持つ何らかの存在に力を借りて現象を起こすのが一般的なんだ――魔女だなんて偉そうに言っているが、結局はこの世界にある魔力を上手く流用しているだけだからな」


 こいつもそうだ、と魔女は紙切れを広げてみせた。十五センチ四辺にびっしりと文字が書き込まれたそれは、魔導書の一ページを思わせる。


「西洋の魔法というよりは、東洋の式神もどきっていったところか。この町は妖がいることを自然と許容しているところがあってな、こういった妖に対抗してそうな手法は力を持ちやすいんだ」


 ほれ、見てみろ、とかなえは眼前の少女にそれを放り投げた。


「なるほど、読めません!」


 紙を開いて三秒と経たない内に、ナナは言い切った。どこから湧いてくるのか、自信満々に言い切っている。


「古い漢字だから、まず読めないだろう。それに、書いた主の字が下手すぎて、余計に解読が難しい……」


 ふむむ、とかなえは腕組みをして唸る。二人して渋面を切る構図になってしまった。


「読めるにこしたことはないのだが、読めずとも解析はできるからな」


 そのための調合だ、とかなえは嗤った。ニヤリとする彼女の表情は魔女らしく、頼もしい。


「師匠に言わせれば、私は魔法の才能はかなり低いらしい。だが、魔女としての才能はそれなりとのことだ」


 庭に生えてる薬草も私が作ったのだぞ、とかなえは大きな胸を張る。魔法で全てを解決、とまではいかずとも、常識の外にある知識を用いて事件の根幹に迫る、そういった類の取り組みは、彼女の十八番ともいえる。


「と、言う訳で、仕上げだな」


 かなえは眼帯の位置をスイッチする。透明な左眼を顕わすと、不遜な笑いを浮かべて、文字を指先で撫でていく。


「色が……」


 ナナがぽかんと口を開けたまま、その動きを見送っている。指が進む程に、文字には色がつけられていった。その色は様々であるが、全体的に、六割程は赤褐色のものが多いように思われる。


「――大体わかった」


 かなえは紙切れから手を離す。ふぅ、とかなえは大きく息を吐いて、眼帯を元に戻した。一仕事終えたにしては、表情が険しく見える。いつも通りと言えばいつも通りだが、そこには一種の落胆とでも言うべき色が窺えた。


「わかった、という割に何か厭そうな顔をしてます?」


 つまらない、だるい――その類の顔をよくするかなえだが、明らかに厭そうな表情をしてみせることは稀だ。この事態に、ナナは首を捻ってみせる。


 この魔女は、異常な現象を整理することに強い関心を持っていると海里からは聴かされている。使い魔なんていう現象を前にして、彼女がため息をついていることが不思議でならない。


「わかるか? 厭なんだよ、本当に」


 はぁ、と再度ため息を吐いて、かなえはこめかみの辺りを指で押さえた。空いた方の手指では、紙切れを忌々しげにトントンと叩いている。


「これな、文字そのものが魔力行使――どんな命令がされているかが書かれているんだ。んで、色は魔力の配分というか、回路図みたいなものなんだよ」


 更にため息を吐く。ナナは、彼女が何を厭がっているかが、未だにわからない。


「何が、気に喰わないんです?」


「うん、この回路の作りな――」


 口にするのも面倒だ、という表情でかなえは続けた。


「美しくないんだよ……」


 やっつけ、粗雑、嫌い! とかなえは一人でぶつぶつと呟いている。終いには、ああもう! と叫びながら頭を掻き毟る始末であった。


「あ、厭っていうのは、手間がかかるとかでなく、嫌いってことなんですね」


 ここに来て、合点がいったというか何というか。パートナーが未だ動きを止めたままであったが、ナナは妙な安心感を持ち始めていた。この魔女は普段から面倒臭がっているように目に映っていたが、この一連の態度を見ては改めざるを得ない。


 自分には到底理解できない魔法というものを使ってきた、事件の首謀者。それに対して、脅威を覚えることすらなく、その魔法が雑だと彼女は言うのだ。


「かなえさん、ちょっと一呼吸置きましょう」


 お茶のおかわりを入れますね、とナナは席を立つ。わからないことだらけであるが、一つわかったことがある。彼女に任せておけば、やはり悪い方に進むことはないだろう。


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