幕間
彼女の独白――
失って初めて気づくものもある。
他人と違う世界が見えているということは知っていた。どのように違うかはよくわからないにしても、自分が人と違うということは知っていた。興味がなかったので、何もしなかったけど。
視力が悪いという話を人にしてもそうだ。見えすぎて日常生活に支障をきたしているのなら、それは最早悪いと言ってもいいんじゃないかと思う――この説明、他人に通じたことは一度もないけども。
子どもの頃から何となく他人と違う世界を見ているらしいと、ぼんやり過ごしてきた自分には、上手く説明する言葉が見つからないのだ。説明する言葉を練習する気にもならない。そもそも、私に視えているものを他人と共有したところでどうなるというのだろうか。
他人との認識の齟齬に苦しむことは多々あった。それでも、友達と呼べる人にはこれまでに何人か出会ったし、それなりの付き合いをしてきたつもりだ。共感なんてできなくても、一緒に過ごすくらいのことはできる。挨拶と相槌、あとは自分の意思表示をハッキリ示しておけばお互いの棲み分けは可能ですもの。
「あんた見ていないようで、よく見ているね」
永い付き合いの友達がある時、ぽろっとこんなことを言っていた。私にしてみれば、いつも通り目についたことを言っただけなのだが、これがどうやら案外的確な意見に映ったらしい。不可解ながらも、人のお役に立てたことに喜んだものだ。友達の言葉が、私の将来を決定づけたと言っても過言ではない。依然として興味はなかったけども。
だから執着なんて言葉は無縁だった。むしろ、役に立たないこの眼を何度潰そうと思ったことか。それでも眼を残したのは、どこかで期待をしていたのかもしれない。
――自分はもっと人の役に立つことが出来るのではないか、と。他人と過ごすことに興味がないと話しておいてこう言うのだから、我ながら恥ずかしい限りだ。
ある日、男がやってきた。彼女連れでもない。私の占いに若い男が一人で来るなんて珍しいこともあるものだ、と思っていた。
『その瞳が使い易くなるように、チャンネルを合わせてあげよう』
新手の勧誘、はたまた因縁でもつけられたかと曖昧に返事をしていたのがいけなかった。同意したとみられたらしい。
結果、私の瞳は他人ですら使い易い形に変えられてしまった。
興味がない興味がないと言っていたが、どうやらアレは間違いだったらしい。自分の感覚でばかり生きてきた私は、言葉をニュアンスだけで捉えていたようだ。
他人に興味がないというのは訂正したい。適切な言葉はやはり浮かんでこないが……
失って初めて気づくものもある。