2.最低野郎に死角なし―チャンネル
「なるほど。旧炉は二週間前に、眼を盗まれたというのだな」
「ええ。そうなります」
神妙な顔つきの依頼人を前に、お屋敷の魔女はソファーにふんぞり返って話を聴いている。
「ああ、すまんな。今日は調子が悪くてな、こんな姿勢で話を聴いて申し訳ない」
弁明の言葉を聴いて新は、構いませんと話している。その姿を目に収めたかなえは一言、ほう、と漏らしていた。
眼を取られたと話すこの依頼人は、その瞳の辺りを包帯でぐるりと包んでいる。今ではフードを外しており、長い黒髪と相まって神秘的な美しさが漂っている。
『気丈に振る舞っているのは、お屋敷の魔女への信頼か、それとも……』
右目で依頼人を見つめながら、あれこれ思惑してみる。海里が倒れた今となっては、妙なタイミングで現れた依頼人の話に乗る他に選択肢はないように思われる。例えそれが、仕組まれたものであったとしても。
「では進展があれば、ナナが――この子が聴いた番号へ電話をすることにしよう。自宅までは帰れるか?」
粗方の情報収集を終え、お帰りを願うところである。だが、眼の見えない人間を追い払っていいものか、かなえは少し考え耽った表情をしてみせている。
「お気遣いなく。視力そのものは元から悪いので、方向感覚は強い方なんです」
ソファーに立てかけられていた杖を手に、新は立ち上がった。その姿は本当に目が見えないのか疑いたくなるほど、しっかりとしている。横では介助しようと寄り添っていたナナが、所在なさげに手を握ったり開いたりと繰り返していた。
「それでは、くれぐれもよろしくお願いします」
屋敷で起きたことなどまるで意に介さず、あくまでもマイペースに占い師は一言告げると帰宅の途についていた。
黒いフードを目深に被り、これまた黒いストールを巻いた姿は何と評するべきか。ナナはその後ろ姿を見送りながら、こちらの方が余程魔女らしいな、という感想を抱いていた。
「で、どう思う?」
応接室へ戻ってきたナナを出迎え、かなえは問うてみる。
「どうって……海里さんを何とかしないとな、としか今は思いませんけど」
「ふーむ、なるほどなるほど」
むっふっふ、といつもとは少々異なる含んだ笑いを魔女は口元に浮かべる。
「え、何です? かなえさん」
「何ってこともないのだが、ちっと嬉しくなってしまってな」
依然として笑う彼女を見ていると、疑問符が並んでしまう。ナナにしてみれば意味のわからないことだっただろう。突然、どう思うとだけ尋ねられたところで、何の話だか掴みかねてしまう。
「意図的にぼんやりとした質問をしたのだが、真っ先に返ってきた事柄がイヌカイのことであったのでな。私としては嬉しい限りだ」
「どうして、海里さんの心配をすることが嬉しいんです?」
「誰かが気にかけてやった方がいいやつなのさ……あのバカは」
よいしょ、と掛け声を上げて、かなえは起き上がろうとする。
「あ、ちょっと、かなえさん!」
起き上がろうとしたものの、力が足りずに前のメリに倒れるところだった。慌ててかけよってきたナナに、その身体を支えられる形になる。
「申し訳ない……申し訳ないついでに、客室まで連れて行ってくれ。イヌカイの様子も気になるし」
「はいはい。運んで差し上げますから、大人しくしててくださいね」
お姫様だっこの姿勢で、かなえは持ち上げられる。それも軽々と持ち上げられてしまい、魔女は黙ろうか、一度迷った。
「だっこされるのはなぁ……おんぶでもいいんだぞ?」
迷った挙句、視線を彷徨わせつつも言葉にする。こうして抱きかかえられると、どうにも子ども扱いされているような気もしてしまう。
「負けた気がしてしまうので、それは遠慮します!」
ハッキリと、大きな声でナナは言い切った。今度はかなえが疑問符を浮かべているが、教えることは憚られる。おんぶしたら、自分にはない大きな胸を意識させられるなど、口にできたものではない。
「これ、どういう状況なんです?」
「旧炉と同じく、眼を奪われている」
客室に辿り着いて、改めてナナは尋ねたものの、魔女の答えはよくわからない。客室に寝かされた海里は、特に苦しそうには見えない。だというのに眠っている風な様子でもない。例えるなら、倒れてから時が止まっているかのように彼女の眼には映っていた。
「旧炉と同じと言ったが、イヌカイの場合はより性質が悪い。絶対命令なんて異質な能力をもっていることが災いしたな。こいつの眼は他人よりも強く脳に繋がっているから、眼を奪われることで活動が止まってしまっているのだろう……」
椅子にもたれ込んだ魔女は、険しい目つきで従僕を睨んでいる。
「脳の活動が止まったって、海里さん死んじゃうんですか!?」
ガタっと椅子を蹴とばして彼のパートナーは立ち上がる。これまでは平静を保っていたようだが、ここに来て心配の方が勝ったのだろう。
「安心しろ、とまでは言えないがそこは、お屋敷の魔女の専売特許というやつだ」
かなえは眼帯の位置を入れ替えて、説明を試みる。日頃、目には映らない彼女の魔法が、今日ばかりはハッキリと見える。
「これは……」
言葉が口をついて出た。ナナの視線の先では、海里が透明な膜のようなものに包まれているように見える。
「イヌカイと私は、瞳を通して少しばかりつながっている。事件の度に大怪我をしてくるので、その度に私の魔力で補ってやっている訳だ」
元々は瞳術を教えるためのリンクだったんだがな、と魔女はぼやいている。
「かなえさん、本当に魔女だったんですね!」
道理で、海里さんの怪我の治りが早い訳だ、とナナは納得顔である。
「お前さんな、思ったことを何でも口にするもんじゃないぞ?」
派手な魔法は――否、大抵の魔法を使うことを苦手とするかなえとしては、魔女らしからぬ魔女であるところを少々気にしていたりもする。
「何でも聴いてしまって悪いのですけど、かなえさんはもう今回の事件の黒幕がわかっているんですよね」
「ああ……」
できれば流しておきたいところであったが、面と向かって尋ねられては頷かざるをえない。自分の説明もかねて、ナナには話をしておく頃合いか、とかなえは観念した。
「旧炉が、二週間前に眼を奪われたと言っていたな」
「はい。そうですね」
今更の確認に、首を傾げながら話を追う。ナナがここまでの話を理解していることを確認して、更に先へと話を続ける。
「その時、チャンネルのつなげ方を知りたくないか、と男は話したそうだ。これはあくまでも推測だが、このチャンネルというものがここ最近の依頼にかなり関わっている」
「え、それって……」
自分を含め、この一か月で身の回りに起こった事件をナナは振り返っていた。匂いを元に他人の記憶を再現する青年、舌を通して他人の感覚を共有する少女、味覚を他人に無理やり共有させる少年、そして――
「他人の記憶を自分のものと誤認する……」
「そう、超常感覚とでも言うべき、主観的な観測事項だな。他人の考えを一言一句漏らさずに書き留めることができれば、その人になりきることはできる。味覚情報もしかり。だが人間の考えなんて、状況に合わせて刻一刻と変化していくものだ。常に記述し続けて、合わせるなんて途方もないことなんだがな」
そこでチャンネルという概念が出てくる、と魔女は講義するように、話を続ける。
「この超常感覚のある人間は、日頃自分の認識が他人とズレていることを自覚していない。テレビのスポーツ中継を見ながら、ラジオで中継を聴いているという方がいいか」
耳に入る音声情報は異なっていたとしても、視覚情報は一致しているため、認識のズレは自覚できない。
「ああ、いや、こんな例えはどうでもいい。おおよそ理解されないこの感覚も、理解できるかは放っておいて、他人の認識へ合わせることができれば共有はできるんだよ」
何だか急に途方もない話になり、ナナの頭は理解が追いつかない。
「えっと……ラジオの周波数をズラすようなものですか? 二局の放送が混ざるというか、何というか」
「感覚的にはそんなもんだ。自分のズレている感覚を保ったまま、相手の感覚に合わせる。または、相手の感覚を自分の感覚に合わせる」
何となくわかったような、わからないような。ナナは首を傾げてみる。理屈がそうであったとして、人間の感覚をラジオのようにお手軽に操作できるものなのだろうか。
「それが出来るやつがいるんだよ……」
ふぅ、とため息をついて、かなえは一層椅子に埋もれていく。何とも億劫そうな表情だ。
「流石は私の先輩、というべきか。いや、先代魔女の一番弟子なのだから、それくらいできて当然なんだがな」
独白のように、かなえはぼそりと呟いていた。
「かなえさんの他に、魔女っているんです?」
「梨切法路と言う。お師匠に破門されたのだが、魔法に関しては、私よりもセンスのある人間だよ」
答えるかなえは、どこか遠くを見つめていた。
「さて、バカな兄弟子の話は追々語るとして、今日は店じまいだ。私事ですまないが、今日は張り切りすぎてどうにも身体が痛い。ちょっと休むが、明日から頼むぞ?」
「はい! 頑張りましょうね」
自分も調査の頭数に入れられていることが嬉しかったのか、ナナは今日一番張り切った声を上げていた。
「あれ、かなえさん。スカートからヒモが――」
へたり込んでいるため、また女の目しかないためか、気がいっていなかったのだろう。かなえのスカートの裾からは、ヒモが二本程垂れ下がっているのが見える。
「失礼。パンツのヒモを見せるとは恥ずかしい。脱がせたのなら、きちんと履かせろというのだ」
イヌカイの慌てん坊さんめ、と魔女はのたまう。
「へぇ、パンツを、ですか――」
「うん?」
身体の痛みが強い上に、今朝から魔力行使をしていた身体はとうに眠りたがっている筈だ。それなのに、かなえは総毛立つような、目が開く念を感じ取っていた。
恐らくは、左眼を開いていたから余計に、情報を取り入れてしまったのだろう。
「かなえさん、明日は頑張りましょう。さっさと眼を取り戻して、海里さんをとっちめてやらないといけない気がしてきました」
にこりと笑みが作られているにも関わらず、ナナの瞳は微塵も笑ってはいない。
「あ、ああ、私のわがままに付きあわせることになるが、よろしく頼む」
別に悪いことは何もしていないと思っているのに、どもりながら話すかなえ。
開いてはいけないチャンネルを開いてしまったか? と胸中で一人呟いていた。