エピローグ
「海里兄、お加減いかが?」
夕个が果物の詰まったバスケットを片手にお見舞いに来ていた。
「おー、夕个。ご覧の通りだ」
「見ての通りですよ、夕个さん!」
かなえとナナが、ベッドに横たえられた海里を指差す。顔まで包帯に包まれたその姿は、ミイラを彷彿とさせる。ふご、ふごと何やら音が漏れているが、かなえは全く意に介しない様子だ。ナナに至っては、そちらへ視線すら合わせず、夕个へ席を勧めていた。
「――――っ!!」
ミイラが必死に足掻いてみせるが、ベッドにしっかりと縛り付けられているため、ぴくりとも動けない。
「海里兄、センリが泣くよ?」
夕个は勧められた席に腰を下ろしては嘆いてみせた。つい先日、センリから『たまに顔を見せに行ったら、兄さんがいないの』と詰め寄られたところであったことを、棘を含ませて説明している。
「まぁ、反省しているでしょうし、そろそろいいです?」
「――ぷはぁ、お前ら好き放題しやがって!」
口元の包帯を緩めらるや否や、叫ぶ。
「うるさい、イヌカイ」
「おっぷ――」
不可視の蹴りに腹の辺りを踏まれて、海里は言葉を途切らせた。あまり反省してませんでしたね、とナナは眉根を寄せている。一体、何故これ程に彼が苦難を受けねばならないのか――全ては、自業自得であるのだが。
「イヌカイ……お前が生きているのは、たまたまだと思っておけよ?」
雇い主が、いつになく厳しい言葉で海里を睨んでいた。ナナも、ほんとですよ、と横で唸っている。夕个の叔父からの依頼を果たして以降、二人の態度が冷たいな、と思っていた海里であった。だが、かなえの言うことはもっともである。
「タクミ少年は、どうなった?」
「お前さんよりは早く立ち上がっているよ。だが社会復帰は、イヌカイよりも遥かに後だな……」
夕个やナナは表情に変化がないが、かなえは顎に手を当てて唸っている。かなえのその姿が見れただけで、海里は何処となく安心したような気になってしまった。他人には到底理解できない、持て余す感覚――それが異常であるならば、自分も異常者なのではないか、と海里は錯覚してしまいかねない。
あれから一週間が過ぎた。海里は身体が治ったと言い張ってみたものの、未だにベッドにくくりつけられている。一人で能力者に向かったことが原因か。ナナからも、冷たい視線を未だに向けられていた。
「海里さん、独断専行はなしですよ!」
ぼふっと、ベッドの上に乗りながらナナが言ってのける。随分と心配しているのだな、と海里は思ったが、その手に夕个の見舞いの品を取ったのを見て黙った。
「センリには、また今度手紙でも書くよ」
取り敢えず、見舞いにきてくれた夕个を心配かけまいと声に出す。筆不精な海里は年に一回も手紙を書くことなどないのだが。
「まぁ、ともかくとしてだな――」
かなえがコーヒーを飲みながら話す。夕个が帰宅し、ナナは昼ご飯を作っている。とどのつまり、今は部屋に海里と二人だ。
「イヌカイはさ、結局はどうなりたいんだよ」
「どうって……」
海里はその言葉を受けて、返答に困る。あの場ではタクミ少年を倒すでもなく、逃がすでもない方法しか取れなかった。つまりは、自分には力がないということだ。力がなければ思う通りにも振る舞えない。
「いつも言っていることだが、お前の望み次第だ。生きていれば、いつかは分岐点に差し掛かるんだ。それまでに方向を決めておかないと、切り替えが出来ずに脱線して終わりだぞ?」
口調こそ優しいものの、かなえの言葉はいつになく厳しい。それは直近に、選択せねばならない未来が迫っているかと思わせているのではないか。
「まだ決められないよ。だって、自分が何が出来るかがよくわかっていないし」
「甘い! この間のお揚げよりも、甘い!」
かなえはズビシと指をさして断言する。
「ナナが何かに巻き込まれた時も、お前は同じことが言えるのか?」
「それは――」
海里は思わず口ごもってしまった。彼女と会ってから、まだ一ヶ月も経たないが隣にいることが当たり前になっている。彼女が記憶を取り戻す課程で苦難に出会うとすれば、その時こそ自分は舵を切らねばならない時が来るのではないだろうか。まだ見ぬ決断の時を想像し、海里は視線を遠くへやっていた。
「だけど、お前がいるから何とかなるんじゃないか?」
海里は目の前の魔女を見つめて言い放った。かなえもナナの事は気に入っている筈で、見捨てることなどしないだろう。
「何言ってんだ、お前?」
かなえは首を傾げてみせる。心底、わからないという顔に海里こそ疑問符を浮かべてしまった。
「お前が、ナナの名づけ親だろうが? 先日も言ったが、面倒見るのはイヌカイの役目だぞ」
「――は?」
自分がやってきたいずれの技よりも、虚をつかれる思いである。
「いつまでも私がいると思っていたら――その、何だ、困る」
もごもごと言葉をつなぐかなえを見て、海里は自分がまたしても甘えていたことに気づかされた。今回の件でもナナや海里を思いやって、かなえはまた神経を一つ磨り潰しているに違いない。彼女が口ごもりながらも言っていることは、真剣に考えるべき事柄だ。
だから、早くナナをパートナーとして認めろ、とかなえは嗤いながら伝えてくる。
「でもなぁ――」
海里はふと思ったことを口にしてしまう。
「かなえにしてもそうだが、ナナと理解し合えるかって言ったら疑問だぞ?」
「はぁ?」
いつになく、目を丸くしてかなえは驚いてみせた。そして、顔を真っ赤にして怒りだす。
「お前、私がわかっとらんと言うのか! ナナにしても、かなり献身的にお前に従っている方だ。ふむ……下僕にしてはいい度胸だな?」
距離にして一メートルにも満たないが、空間が陽炎のように歪んで、かなえの髪が怒りわなないているように目に映る。
「ああ、いや、何というか、言葉を間違えた」
飯の趣味が合わないやつとは話も合わんって言いたかった、と海里はしどろもどろになりながら言い訳をしてみせた。
「バカ言え、ナナとは食の好みが同じだろう。仲たがいしている祖父と好きな食べ物が同じ人間が言っても、説得力はないぞ!」
かなえは、目玉焼きの件――みんなが醤油派であること――を、まだ根にもっている。
「いやいや、そもそもお前のバカ舌は何でも胃に運んでしまうだろうが」
「食も人も好き嫌いはあっても、喜んで食べている。どうだ、今回の件においても、主人の懐の深さがよくわかるエピソードだったろうよ!」
かなえにしては珍しく、半ばヤケクソになりながら叫んでいる。何にでも香辛料をまぶして食べることを、彼女もよくはないとは思っているらしい。
かなえの舌は破滅的だと思っているが、強くは言えない。『あいつは気に喰わん』と言いながらも、タクミ少年を助けてもらった手前、海里にはそれ以上のことは口にできなかった。
「まぁいい、実際に私は何でも食べるし。だがな、いつまでも私の助けがあると思うなよ?」
「……心がけます」
いつになく素直に応える海里を前に、かなえは一つため息をつくと、黙ってコーヒーを口に運んだ。
何でも食べる。食べはするが――嫌いな食べ物を頻繁に食べる程、酔狂ではない。とは、海里には言わず、胸にだけしまっておいた。
ミミナリ、二話終了。
以下、設定メモ。
タイトルの身勝手itemもダジャレ。
item=項目 ということで、タイトルは日本語書くと「身勝手項目」
身勝手と未確定の言葉遊びでした。
5感をネタに話を書いてますが、今回は味覚の話でした。
ですので、ゲストの名前は3画の漢字で命名。
二話までお付き合いくださった方に感謝を。