1.休暇明け―依頼
「なんて顔をしている、イヌカイ?」
思いやっているはずの言葉なのだが、かなえの口角はこれでもかという程釣り上がっている。
「こらこら、そっぽを向くな。人の目を見ないのは、お前の悪い癖だぞ? よもや、同情が邪魔をして仕事ができません、とは言わないな?」
「……言わねえよ」
そんな言葉は言わない。だが、釈然としていないのは確かだ。
わかっていたつもりではいた。彼が働く時、お屋敷の魔女の元へ依頼が入る時は、困り切った人が現れたことを意味する。仕事を喜んでいたことを、今更ながら戒めて口をつぐんだ。
「優しいねぇ、イヌカイは」
決して声には出さないが、かなえは愉快そうな面を隠しはしない。“報酬分だけ笑わせてもらう”は彼女の信条だ。
魔女への報酬は、都合二段構えになっている。受けるかどうかを決めるために、依頼主の身の上話を聴くのだ。
その話が愉しいものでなければ、かなえは決して依頼を受けない。前払いの報酬が大きかったのか、魔女は愉快そうに口元を釣り上げている。
「人が死んでるんだ。それなりに落ち込むものだろう……」
「はっ、依頼人の話を真に受けたか。お前は本当に可愛いやつだ」
紅茶を置いて、かなえは言う。年上の男相手にも決して引くことはない。むしろ諭すような達観した笑みすら浮かべている。
「あれが、嘘だっていうのか?」
可愛いというからかいの言葉はこの際スルーしてみせる。何よりも、海里は魔女の今吐いた台詞に目眩のような感覚を覚えていた。
愛した男に首をしめられた――その言葉を疑えというのか。
「嘘だ、とは言わない。繰り返すが“真に受けていいのか”ということだ」
執務室の椅子に座ったかなえが、椅子ごと身体をくるくる回しながら答えた。
「どういう意味だ?」
「意味も何も、彼女は殺されたと話している。お前の里では、死んだ人間が話にやってくるのか?」
「それは、なんていうか、その……」
魔女からまともな言葉を聴いて、動揺を隠せない。この屋敷には死人でも依頼に来られる。そう言われても信じてしまいそうになっていたことに幻滅する。
「そのさ、疑わしいのに、なんで真剣に話を聴いてたんだよ……」
興味本位だけではないだろう。否、そうあって欲しいと海里は思った。何故そんな風に思ったか、それは本人にもよくわかってはいなかったが。
「なんで、か。愚問だな」
張り付いていた笑みを払しょくするような一言。
「お前が思っているよりも、あれは面白い女だからだ。以上、精一杯働いてくれ」
「――え?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「え、じゃないよ。働けよ従僕」
「と、いいますと?」
「前払いの報酬だけでは今日は満足できそうにない。足掻いて、もっともっと土産話を寄越せ」
ああ、と海里は呻いた。
事件どうのこうのは関係がなかったようだ。死人であろうがなかろうが、持ち込まれた話を元に喜ばせろとおっしゃっておられる。
端的に言うと、魔女は奔走する海里の姿を所望しているのだ。
「……」
気まぐれな魔女にはいくら言っても聴きはしない。報酬は出来高払い。彼女がどれ程楽しめたかでレートが変わるぞんざいな仕様となっている。
逃げ出した犬を探すこともあれば、魑魅魍魎と戦うこともある。
そう、全ては魔女が面白いと思うか否かで決まってしまう。
「なんだ、今回はやらないのか?」
ジリっと、一層強い眼差しを魔女は向ける。ここまで期待のこもった視線は、むしろ少女らしさを際立たせているが。
海里の耳にはサラウンドで、『ああ、また一人不幸なままの人間を生み出したな』という声が聴こえる。
「……」
海里はしばし黙考してみせた。
久々に見たかなえは、相変わらず上機嫌と不機嫌をいったりきたりしてる。それ自体はいつものことであったが、その顔は以前よりも痩せて彼の眼には映った。
『蝕まれた身体だが、できる限り期待に応えよう』
今から一年と半年前、初めて出会った時のかなえの言葉を思い出す。
「ま、好きにしろイヌカイ。元々向かない依頼だ。断ったとしても、出張ってもらった分の手当くらいは出そう」
言うが早いか、椅子に大きく身体を預けただらしない姿勢のまま、ひらひらと海里へ手を振ってくる。
客の前でなくなった所為か、落胆をした所為か……
「……やるよ」
「ん? なんだって?」
虚をつかれ、大きな瞳をより大きく見開いてかなえは尋ねた。
「なんだって、お前さ――」
珍しく相手の目を見て海里は言った。
「タマゴサンドの請求がまだだからな」
とっとと仕事を終わらせて食事にありつきたい、と言い捨てては、やれやれと腰を上げた。居間には依頼者を待たせたままだが、その表情には含むものがあるように見える。
「イヌカイ――」
ドアノブに手をかけたところで、魔女は彼を呼び止めた。
「なんだよ。費用は一切負けないからな」
皮肉を言ってかわしてやろうと海里は思っていたが、思わぬところで虚をつき返された。
「最初に信じたままやってみろ。その方が良い結果が得られるぞ」
……多分な。と、心もとない台詞を吐きながらも、魔女は終始ご機嫌だった。
結果を見知っているのか、かなえは一層口角を釣り上げてみせる。
「――あ」
今正にサンドイッチを頬張った、その瞬間の依頼者と対面をしてしまった。海里は悪いことをしていないにも関わらずバツの悪さを覚えずにはいられない。
「ゆっくり、食べてください」
間を埋めるために紅茶のおかわりを持って、対面へと腰を下ろす。
「す、すみません。」
恐縮する依頼者。やはり、背は低くはないのだが、どうにも小さい印象を受けてしまう。依然落ち着きのないまま、依頼主は紅茶を口へと運んだ。
「では、依頼を受けますね」
「あ、はい、ありがとうござ、……ぇええ!?」
目の前の女性が大仰に仰け反ってみせる様を、海里は見送った。
「……あんな話、信じてくれたんですか?」
伏目がちに海里を見る目は、疑念を越えて、彼を信じ込んでいるように見えて仕方がない。
自分が殺されたので、犯人を見つけて欲しい。こんな荒唐無稽な話を信じたのか、と依頼しておいてこの女性は言っている。
随分と現実味の薄い会話をしているが、彼女の目を見ている内に、海里は自身の内からやる気が湧き上がってきているのを感じていた。
「まぁ、うちのボスの方針ですから」
空腹を紛らわせるため含んだ紅茶が、かえって胃袋を刺激したが、海里はポーカーフェイスを気取ってみせた。
この空腹も上質な兵糧を得るためだ、と自分に言い聞かせるよう、努めて無関心さを繕っている。
「では、確認をしましょう。家に帰りたいが、不安で仕方ない。まずは住んでいた家屋の様子を確認してきて欲しい、ということでいいですね?」
「あ、はい……よろしくお願いします!」
硬く、真一文字に結ばれた口元。自分よりも年上の女性の依頼を自分一人で受けることに、海里は少々気が引けていた。気が引けていた、が――
「……私の顔に何かついていますか?」
きょとんとした依頼主。頬にあてた左手には指輪が光っている。声を掛けられて、海里は慌てて視線を外した。
視線を上に切ったことで、顔を初めて真正面から見据えることになった。そして、海里は明るい感情と暗い感情、その両方を味わう。
――後日かなえがつついてみると、この感覚は初恋に似ていた、と苦々しく彼は告白するのだが――
古今東西、素敵な女性には恋人がつきものだ。分かりきったことではあるが、悔しがらざるを得ない程度には、依頼者の衣新奈は綺麗な女性だった。
「まぁ、やれるだけやってみます」
首をゴキリと鳴らしながら、不承不承頷いた。