幕間
箸休め――
幼い頃から、お前は変わっていると他人に言われ続けてきた。自分としては、至って普通に振る舞っているつもりなので、変わっているという自覚は一切なかった。
……思い当たる節が全くない訳ではないが。
強いて言うならば、食の好みが他人と決定的に違うということだろうか。実に些細なことだと思うのだが、他人から奇異の視線を浴び続けている内に、自分でも変わっているとしか思えなくなってきたのだった。
学校が休みの日に、その想いは決定的なものとなった。給食や食堂がないため、当然自分で好きなものを食べることになる。当時よくつるんでいた友人に、きちんとした食事を摂れとよく叱られた。否、そもそも好きな食べ物がない自分にとっては、何を食べても変わりはしない。
単なるカロリー摂取に時間はかけたくない、と話した時のそいつの表情は今でも忘れられない。後から周囲に尋ねてみれば、自称グルメの友人としては食の愉しみを伝えたかったらしい。何としても自分に美味しい食事を摂らせたかったそうだ。
自分は舌が過敏すぎるのだと思う。他人が好むような食べ物は、痛くてとても食べられたものではない。これまでは我慢をしていたが、もういいだろう。勿論今でも食事はしている――他人とはどうやら違うやり方で。
今もその食事を済ませてきたところだ。
牙にかかる感触に、うっとりと恍惚の笑みを浮かべてしまう。味なんてものはやはりわからない。食事とはこの感触を味わうためだけに存在しているとすら思える。
『食の好き嫌いは人の好き嫌いと同じ』そんな話は、何度も聴かされていた。
その度に思う。これまで他人に好き嫌いをしたことはない筈だ。そんなことで異常だと決めつけられてしまうのならば、自分は異常で結構だ、と。
食べたくもないものを食べて生き永らえるくらいなら、食べたいものだけを食べて寿命を縮めたい。
こんな感覚、人にはとても、話せたものではない――だが一方で、人に話したくて話したくてたまらない。
この美味しさを共有できる術はないものか……