2.勝手のきかない身内達
バスに揺られること十分。町の主要部にほど近い、閑静な住宅街を海里とナナは歩いていた。無論、今回の依頼人を訪ねるためである。
「今日はいい天気ですね」
「歩いてたらちょっと暑いくらいだな」
時刻は午前十時を回ったばかり。割と大きな道路には、そこそこ車が往来している。その歩道を歩いていれば、自転車に乗った子連れや犬の散歩をする老人など何人かの人とすれ違った。
「この辺りは、活気がある印象を受けます」
普段町はずれのお屋敷にいるナナは、目を輝かせている。周囲を見渡してはニコニコと逐一報告をしてきていた。少々汗ばむくらいの陽気の中、海里は対照的に表情を曇らせている。
「海里さん、聴いてます?」
「……ああ」
「絶対聴いてないですよね!」
生返事が返ってくると、彼女は唇を尖らせた。ぶーぶー、と抗議の声をあげている。
「あ、ごめん」
「謝らなくていいんですよ? その……やっぱり、気が引けますか?」
「そんなことはない――と言いたいが、どうにも気が進まないのは確かだな」
屋敷を出て目的地が近づくに連れて、海里の足取りは徐々に重たいものへと変わっていった。元々歩くスピードの速いナナは、周囲を見渡す他に、時折海里の周りをぐるぐる回ったりと忙しい様を見せている。
「元気がいいな、ナナは」
恐らくは神妙な顔つきの自分を慰めようとしているのだろうと、海里は申し訳なく思う。能天気なやつめ、と思わなかったと言えば嘘になってしまうが、今は記憶が混線している彼女の方が大変だろう、と思い直した。
「楽しみじゃないですか」
「え?」
不意の言葉に、思わず聞き返していた。
ナナが足を止めて、名づけ親を見つめている。人の目をなかなか見れない彼なのだが、正面に回り込まれると目を合わさざるを得ない。
「だって、海里さんのご家族に会えるんでしょう?」
真っ直ぐに瞳を見つめながら言い、破顔してみせた。
「……そんないいもんじゃないと思うけどな。まぁ、悪い人じゃないよ、ジイさんは」
「“は”、ってことは他にもどなたかいらっしゃるんです?」
うん?と疑問符を浮かべながら、海里の横に並んで歩き始めた。
「っと、危ないから、車道方向にはいかないように。そうだなぁ、むしろジイさんのところのイヌが苦手なんだよ」
頭を掴んで車道とは反対側へ誘導する。このシチュエーション、前にもなかったか?と海里は一人記憶を辿る。祖父の家の二体のイヌを思い浮かべないための、現実逃避なのかもしれない。
「ワンちゃんがいるんですね!」
「“ちゃん”がつくような可愛いものだったらいいんだけどな」
楽しみです、と益々力を入れるナナを横目に、海里は密かに嘆息をついた。
「……どっちも苦手なんだよ。それぞれ違う意味で」
特に一年半前、海里と入れ替わりで入った方は、彼の天敵とも言える存在だ。ジイさんに会うだけでも面倒なのに、と一人胸中で毒づいてみたが、不思議と引き返そうという考えは起こらなかった。
「この辺りのお家はどれも大きいですね――って、私子どもじゃないから大丈夫ですってば」
ぶーぶー、と再度抗議する彼女を見ていると、どう見ても子どもとしか思えない。またしても車道に出そうになるナナの頭を、条件反射で掴んでは苦笑いを浮かべていた。
「な、なんですか、その微妙な表情は!」
「何って、見たままだよ。実は十歳くらいなんじゃないのか? かなえの方が年上に見え――おぅふっ!」
肝臓へ鋭い一撃。海里は一瞬の浮遊感を味わった。
「私、大人です」
シャドーをしながら、呟くナナ。大人だから怒ったりしません、と笑ってみせているが、その瞳はまるで笑っていなかった。
「すまない、立派なレディーさ」
明後日の方を見ながら、適当に返事をしておいた。気づけば実家はすぐそこという距離だ。実家が目の前というのに、不思議と一年半前のような暗い気持ちは湧いてこない。
「わかればいいんです。海里さんがニヤニヤしているのが気になりますが、気にしません」
大人ですから、と呟くナナ。コロコロと表情が変わる彼女を前に、暗い顔をしてはいられない。
初めて出会った時とは、随分印象が違って見えていた。だが、海里が彼女に抱いた感情は今も変わってはいないと、改めて最初に信じたものとやらを確認していた。