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ミミナリ  作者: 三宝すずめ
2話 身勝手item
17/88

1.勝手のきかない雇い主

 海里は息が上がっていることを自覚していた。呼吸の度に、胸や肩が大きく上下している。


「遅い。このばかもんが、二秒でこんか」


 ぜーはー、と全力疾走の後に未だ肩で息をする彼を見た筈だ。だが、西洋人形のように整った顔立ちの少女は、表情とはまるでにつかわしくない暴言を吐いていた。


「無理す、二秒は、無理す」


 海里はこの状況を嘆くしかなかった。


 給料が入り、人間らしい生活ができるぞ、とついついハメを外して眠りについたのは明け方。にも関わらず、雇い主の電話で朝も早くから呼びつけられていたのだ。


 電車賃を節約しようとしたのがいけなかった。一駅分を全力疾走した後、お屋敷に上がっては水を飲んでも、心臓は全く落ち着きそうにない。


「で、わざわざこんな時間に呼びつけた理由は何だよ?」


 丸眼鏡を押さえながら、海里は尋ねてみた。緊急事態であるため、可及的速やかに来られたし、と目の前の依頼主――かなえに呼びつけをくらっていたのだった。


「ああ、聴いて驚け」


 一体、どんな緊急事態であるというのか。


 到着した直後から持っていた違和感を、ここに来て理解した――かなえの眼帯の位置が入れ替わっている。そのことに気づき、海里は思わず生唾を飲んだ。


「驚く程、暇なんだ」


「……」


 二の句がつげない、とはこのことか。怒りに震えるという表現を聴いたことはあったが、戸惑い震えることなんてのもあるのだな、と他人事のように眺めていた。


「だから今、約束を果たしてやるよ」


 ついて来い、とかなえはリビングを後にした。


『約束?』


 言われるままに、かなえに続いて外へと出る。靴を履きながら懸命に記憶を辿ったが、いつどのような内容であったかが、さっぱり見当がつかない。彼が何より困惑していることは、かなえが自主的に外へ出ていることだった。


 魔女の屋敷は彼女のテリトリーだ。魔女は畏怖されねばならない、とはかなえの口癖のようなもので、海里は何度も聴かされていた。


「ここだ、入れ」


 ギィ――


 古い木製の扉が音を立てて口を開く。なるほど、未知は恐怖へつながる。海里は敷地の中で、初めて足を踏み入れる空間に緊張を覚えた。


「思ったよりも広いな」


 先程の緊張はどこへやら、若干呆けながらも見たままの感想を口にしていた。外からは物置にしか見えていなかったが、入ってみれば木製の床と、土壁で囲まれた規模の小さい道場のようであった。


「何をぼけっとしている。とっととかかってこい」


 その中央に真っ直ぐ立ち、かなえは手招きをしている。いつものブラウスとスカート、布の下から覗く足にはストッキングが纏われている。邪悪な笑みを除けば、どこからどう見ても、育ちの良いお嬢さんでしかないが、左眼を開いた姿は、魔女と形容されるに相応しい。


「え、何を――」


 最後までは言葉にできない。


 かなえのスカートがはためいたかと思えば、海里は床に転ばされていた。


――痛ぇっ! 海里は跳ね飛ばされた勢いが止まったあとも、しばし転げまわる。


『必殺の一撃など要らぬ。不可避の連撃があれば、殺す前に相手から投了の声が聴けるわ』


「ああ、約束って、そういう……」


 かなえと初めて出会った時と同じシチュエーションが再現され、ようやく記憶がつながってきた。


「手加減ならぬ足加減をしてやってるんだ。ちっとは愉しませてくれよ?」


 いつもと変わらぬ不機嫌とも上機嫌とも取れる笑みをかなえは浮かべた。


 祖父の家を離れて間もなく出会った魔女。圧倒的な力の前に打ちのめされ、力を渇望したあの時のことを思い出す。


「瞳の使い方を教えて欲しいからと下僕に成り下がったのは、この時のためだろう?」


 まるで肩に力の入っていない魔女とは好対照に、海里は目が醒めた思いで胸が高なった。落ち着いてきた心臓のギアがまた一段上がる。


 身体は既にボロボロの少女が、暇だからと言っては自分の望みを叶えようとしてくれている。報酬分は笑わせろ、と言われたのだ。


 この余興ヒマツブシを、少しでも熱のあるものにしようと、必然力が入る。


「一年半、こき使ってくれた成果を見せてやるよ」


 海里は魔女の計らいに応えるため、ポケットの中のジッポを鳴らした。






「もう終わりか?勢い込んだ割に、情けない」


 くっくっく、とかなえはワラう。


「……くそ」


 海里は小さく呻いた。


 結果から言うと惨敗だ。


 彼の持つ、『絶対命令』は視線を介してストップサインを送り込む必要がある。そのためのジッポアクションであり、トランプ、花火である。


『万策尽きた』


 奇をてらうため、思いつく策はすべて行った。しかし、手の内が全て読まれ切った相手を前に、虚をつくことがこれほど難しいとは。二十七度も床に身体を打ち付けられて、海里は天を仰いだまま、深く嘆息した。


「お前、イヌカイの中では異端だって、知っていたか?」


 声と同じ程甘い香りを海里は認識した。同時、心地よい感触を後頭部に感じる。


「オオジジ殿から聴いたが、イヌカイの家は妖と戦える方法を生真面目に模索し続けた一族だそうな」


 仰向けに手足を投げ出した彼の直上、かなえは顔を突き合わして、諭すように語る。


 先程から受ける感触は、かなえの膝枕か。それを自覚すると睡眠不足の海里は、このまま微睡マドロみはじめる。その意識をつなぐことに必死になった。


「奴らの寿命は人間を遥かに凌ぐ。イヌカイは戦い続けることを選んだのだな。一個体で終わる個体発生的な異能力ではなく、一族固有の能力を、永く続く系統的な異能力を得るため、試行錯誤をしたそうだ」


――その話は海里も聞いたことがあった。妖へ対抗し続けるべく、犬養家はありとあらゆる可能性を模索した。力の強い近親、異国の者、時には妖とすら交わった結果、今の犬養があるとかどうとか……


「辿り着いたのは、戦い続けることだったそうだ。人間の寿命は短く、妖と人間はニコイチ、滅ぼし切れぬと思ったのだろうな。だから戦い続けるためにイヌカイの血は存続せねばならぬと考えた」


 獣を操るのもそのためだ、とかなえは冷めた目で語る。彼女がこんな目をすることは珍しい。透明な瞳が、憂いを帯びたように見えたのは気の所為か。


 海里自身も中途半端にしか知らない犬養家の歴史を聴かせらている。このことにどのような意味があるのか。


「故に、自ら矢面に立たねばならぬ瞳術なんて特異な術を、イヌカイ家は元来用いないんだよ」


「――え?」


 微睡みから、一気に覚醒させられた。


 犬養家の持つ異能力『絶対命令』は彼自身、瞳を通して発露するものだとばかり認識していた。これには、驚かされた。


「いいか、その瞳を御するためのレッスンその一だ。」


 かなえは慈しむように、海里の額に手を置く。魔女と呼ばれているが、彼女も人の子か。その姿に一種の感動すら覚える。


「己の能力を正確に把握しなさい。イヌカイの『絶対命令』という系統発生的能力とは別にもう一つ、『思考制御』とでも呼ぶべき、個体発生的能力をお前は備えているのだ。既に自身の役割もわかっておろう、後は――」


 お前の望み次第だよ、と魔女は優しく述べる。その瞳は透明でとても綺麗だ、と海里は常々思っている。思っているが、ここまでいつもと違う様子だと別の想いが脳裏をよぎる。


『あ、隙だらけ』


「へ――は?」


 寝転んだまま、気づけば両の手がかなえの胸をわし掴みにしていた。


 二十八度目にして、初めて生まれたこの機会。逃す手はない。海里は魔女の大きく開かれた瞳へ、停止信号を全力でぶつけた。


 今ならば、両膝を畳んだ今ならば、不可避の蹴りすら届くまい。


「……人がレッスンしているのにさ」


 手を払いもせず、瞳を一度閉じてはゆっくりと語り出す。


「虚をつこうと、乳揉むやつが、ど、どど、どこにおるるららああああ!!!」


 静けさをぶち割って響くかなえの声。否、ストレートの髪の毛をくねらせるほどの覇気を惜しげもなく放ち、お屋敷の魔女は怒号を響かせた。


「き、きいていない!?」


 自慢の『絶対命令』が利いていないことに驚く他ない。


「レッスンその二。瞳は視覚情報を脳へと伝達する、感覚受容器だ。情報を受け取る器であって、元来は情報を投射する機能はない」


 はしっと、海里は顔の両サイドを、先程まで心地よく額を撫でていた手のひらに収められた。


「ふみょ」


 頬を潰されては、意のままには言葉を発っすることもできない。その彼の眼前に、透明なガラス玉が迫った。


「だが時折、受容すべき情報を発信する側へと変わる瞳があるそうだ」


 かなえの瞳が紫色に怪しく光る。


『あ、あ――あれだけは、イヤだ!!』


 音が出せないため、頭の中で必死に叫んだ。


五月蝿ウルサい。授業料は、この情報を発信できる、私の特異な瞳を受けてもらうことに決めた。しばらくのたうち回り続けろ!」


 その言葉を最後に、海里の認識はこちらの世界から遮断された。


 目を開くこともためらわれる。情報の羅列に支配された、すべてが幾何学模様で表示される世界へと、意識は落ちていく。



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