プロローグ
ナナの記憶が戻る手がかりが得られればと、祖父の元を訪ねる海里。久々に再会した祖父とは、やはり折り合いがつかない。
祖父は引退を宣言していた筈が、未だ複数の依頼を抱えていた。妖が絡む事件は少ないものの、この町では犬養の力を必要とする人が未だ多くいる。
祖父との駆け引きは気が進まなかっが、そのままでは話が進まない。頼みごとをするために、依頼の一つを肩代わりすることにした海里は従妹と再会し……
彼女はまだ知らない――
他人に理解を求めなくなったのは、いつの頃からだったろうか。
初めこそ、必死に訴えていたような気もするが、今となっては、その熱意を持った理由も記憶の遥か彼方だ。
今日も扉を叩く音がしたが、耳に障るだけ。
こちらの訴えは聞かないというのに、自分の要求だけ呑ませようとするのはいかがなものかと思う。
そもそも私がこんな風になったのも――いや、今更人の所為にすることはやめておこう。それよりも、今は夢中になるべきものがある。そう、全神経を傾けねばこれから起こることに失礼というものだ。
足を進めたその先は路地裏。そこで尻もちをついた姿勢のまま、こちらを見上げる人物がいる。随分と怯えているようだ。歯の根が合わず、カチカチと音が聞こえてくる。
こんなにも怯える人というのは見たことがなかった。しかしその行為は無駄だと、他人事のように眺めた。逃げようと足掻いても、既にそこは袋小路。
目の前の人物が表情を青ざめていく程度の変化だけ確認できた。
勿体つけて牙の調子を気にしてみるが、内心で震えているのはこちらも同じ。待ち時間を愉しむほど酔狂ではない。
思うよりも、行動の方が早い。
ズブリ――と、音を立てて牙が眼前の人物、その胸へ深々と突き刺さっていく様を見送った。
何とも言えないこの感覚に、しばし呆然とする。どうしてこんなことをしてしまったのか?
この行為が人間の道理に反するということは当然のことながら、私は知っている。知っているというのに、何故これほどにも口元が吊り上がっていくのか。
気分が恐ろしく高揚している。
こんな感覚、やはり人にはとても、話せたものではない。