4.■感覚―依頼完了?
「んあ……」
額にひんやりとした感触を覚え、海里は目を開いた。身体の節々に痛みを覚えたが、久しぶりによく眠ったと感じる。
「あ、起きましたか?」
呆けたまま声のする方へと視線を向けると、綺麗な女性と目があった。吐息が顔にかかるくらいの距離に、くすぐったい気持ちになる。
「ああ、夢か……」
海里は瞳をもう一度閉じてみた。
ここ最近、食事は買いだめしておいたスープばかりで、腹はふくれてくれない。空腹のおかげで、熟睡などした覚えはない。更に女性が寝起きを待っているこのシチュエーション――戸惑いを通りこして、もはや現実ではないと思い込んでいた。
かなえのイジメの度が過ぎるのが悪いと、海里は胸中で毒づく。
『依頼は不定期だし、内容のハードさと給料が見合ってないし……最後の依頼っていつだったっけ? 早く新しい依頼が来るといい――』
「――い、いたっ!」
額への衝撃に思わず目を開いた。
「……起きましたか?」
「お、おはようございます」
さわやかな表情で手刀を構える新奈を前に、海里は目を瞬いた。
「お身体は、いかがですか?」
新奈――改め、依頼主が海里を心配そうに見つめていた。
「えーっと、どういう状況でしょうか」
海里は辺りを見回しては、返答をする。ベッドに寝かされていることは理解した。
「事細かに説明をしましょうか」
「……やめておきます」
愉快にほほ笑む依頼主を前に、海里はこれまでのことを思い出しつつあった。おぼろげに、背負われて帰ってきたようなことを覚えている。
女の子におんぶされて帰ってきた様を、詳細に聞かされるなど、残り少ない自信が打ち砕かれかねない。枕元の丸眼鏡を手繰りながら、海里は心内で確信していた。
『それにしても……』
改めて目の前の女性を見つめると、何か違和感を覚える。
「どうしました?」
海里の視線に気づき、にこにこと笑みを返す女性。これまでになくにこやかな笑みだった。
『この人、性格変わってないか?』
もごもごと口を開こうとしてみたものの、それ以上は問わない。それよりも、と海里は状況把握に勤めていた。
依頼主を探して、神社で一波乱あった後、気絶してかなえの屋敷へ運ばれたであろうこともわかった。屋敷に運ばれてから、一度気を取り直した筈だが、女性におんぶされて来たことが恥ずかしく、逃げるように眠った。
依頼人の話を聞きながら、今更ながら思い出す。それとともに、青年は申し訳ないような気持ちが沸いていた。
「なんか、すみませんでした」
海里は気づけば、何とはなしに謝っていた。
「え、何でです?」
「依頼人を危険な目に晒して、挙句ぶっ倒れるなんて……」
任された仕事を達成する前に気絶するとは、魔女の僕失格だ。
「そうだぞ、魔女の僕失格だぞ」
ずずっと音を立てつつ、かなえが割って入った。
何の音?と思えば、丼鉢をかかえている魔女の姿が。ああ、そばでも食っているのか、と海里は納得してみせる。
「心配しすぎて疲れたぞ。看病されてる姿を見てて、楽しいのは最初の一分程度だったわ!」
かなえが心底飽き飽きしたと言い捨てる。
そばを食べながら心配とな!
「え、いやなんでお前にそんなことを言われなきゃ――」
「私が屋敷の主だ!」
「あ、はい」
海里は大人しく返事をしておいた。
依頼途中で気絶して、雇い主の屋敷に運ばれて、依頼人に看病を受ける。……何も、反論はできない。
「えっと、事件って解決、した?」
いい加減、きちんと状況を把握するために海里は恐る恐る質問をしてみた。何しろ、自分に命令をかけたところから記憶が曖昧なのだ。
「解決、したのでしょうか?」
「解決、したのかな?」
二人揃って疑問符を浮かべている。その様を見て、海里も疑問符を浮かべていた。
「……なんとも、歯切れが悪いな」
これまでの経過の説明が終わり、依頼人が席を外していた。この機に、海里はかなえへと、心中を吐露していた。
部屋のテレビから、報道番組が流れている。
今朝、依頼を受ける頃に流れていたニュースの続報だ。昨日見つかった死体の身元が判明したと、キャスターが原稿を読み上げている。
その名前を見ても今更驚くこともないが、テレビ画面には「衣新奈(二十五)」と表示されている。
では、一体――
「一体、彼女は誰なんだ?」
ふと思ったことを口にする。未だ衣新奈としての記憶が抜けず、本当の名前すら思い出せない依頼人のことを想うと、どうにも落ち着かない。
「彼女は彼女だよ。強いて言うならば、人の影響を受けやすい、純真な人ってことだ」
海里に比べ、かなえは平静だった。何を当たり前のことを聴いているのかと、しれっと言い放つ。
『本人が気にしているかどうか』が問題であることは海里もわかっているつもりだ。
そのつもりだが、何故だか腹が立つ。かなえに抗議をしてやろうと、その身を起こそうと力を込める。
「アイタタタタタタ――――」
颯爽と起き上がるつもりであったが、ベッドへと舞い戻る。
「何を喜んでんだ?」
はぁ、とため息をつきつつ、かなえは含んだ表情を浮かべた。続けて、今回の件はそう単純なものではない、と語りはじめる。
「あの子は、大爺殿――おまえのジイさんを訪ねてこの町に来ていたそうだ」
「は?」
初耳も初耳。海里は思わずかなえを二度見した。
聴いたにも関わらず、その言葉の意味をすぐには理解できない。間の抜けた返事をするだけで精一杯だった。
『じいさんを訪ねてきた。ってことを知っているということは――』
海里が口をぱくぱくとしている姿を見ながら、かなえはニヤニヤと笑ってみせる。
「元来は、こんな形の依頼ではなかったのだろうが。こうなっては、彼女が記憶を戻さねば、何の依頼かはわからないのだがな」
サラリと言ってのけたが、海里から見ればかなえは焦っているようだった。
それもその筈、魔女の屋敷を訪ねる人間は例外なく何事かを嘆いている。
助けを求める人間を捨ておけない程度に、かなえは優しい。
人に『お優しい』という割に、この魔女はお人好しなのだ。
「おい、何て顔をしている」
海里の表情を見て、かなえが抗議する。
「私が優しい、などと思っていたら大間違いだぞ。この事件の首謀者には、キツめにお灸を据えてるからな!」
などと言っては、がっはっは、と笑ってみせた。
「結局、あいつは何だったんだ?」
かなえがいつ、男と接点を持ったのかはこの際おいても、主犯の男については気になる。
異常――否、鋭すぎる感覚が、一連の事件を生んだのではないかと海里は推察していた。
この事件が強すぎる感覚、感情が起こしたエラーだとすれば、海里にとっては他人事ではない。
「んー、ああ、聴きたいのか?」
かなえは気が進まない様子だ。だが、従僕にここまで言われては、何とか説明責任を果たしてやらねばならないとも思う。
話は夕方に遡る。
「あ、が……」
泉矜持は半身を引きずりながら、神社の境内を後にしていた。
自分こそが『他人を操る側』であることを信じて疑いはしない。そもそもこれまで、他人に操られることなどなかった彼に――自分が地べたを這いつくばる姿などは考えられないことであった。
「く、そ、あいつはいつか殺す」
口に溜まった血液と一緒に、矜持は呪詛を吐く。
『恨みを晴らす。それがお前の望みか?』
場に似つかわしくない、愛くるしい声が男の耳に届いた。
「なんだ、お前?」
「なんだと聴かれても困るが、人からはよく『魔女』と呼ばれている」
ニヤリと少女は笑った。
「……あん?」
ただただ戸惑いながら、周囲へと気を配る。半身が酷く痛むが、そんなことを気にしてはいられない。
目が開いていれば、彼は可愛らしい少女の姿を見つけたことだろう。だが、矜持の嗅覚は、この生き物が単なる可愛らしい少女ではないと認識している。
「お前、なかなか面白い感覚をもっているな」
人の形をした何かがささやく。
「……」
どう考えても幼子の声であるのに、身体の震えが止められない。
「嗅覚は人並外れて良い。だが、それよりも瞳の方が規格外だな」
この少女が何を言っているかが、わからない。矜持は見えない目をして、特別だと言われることが何より理解できない。
「しかも本人に自覚はなし。どっかのバカと似たようなケースだな」
いつの間にやら、先ほど矜持が敵対した男へしたように、口元を掴まれていた。
対して力がかけられている訳ではないのに、まるで振りほどけない。それどころか、年端もいかぬ少女に戦慄している。
怖い。今彼の前にいるのは、匂いでは測れない未知の存在だ。
「さて、まずは頑固にこの世界を見ない目を、開いてやろう」
彼の嗅覚は、少女が瞳を自身の瞳へ接触する程に近づける様を知覚していた。
かなえの“左眼”が男の瞳と視線を交錯する。
「こ、これが、色?」
色は見たことない男であったが、概念で知る色という言葉を使わざるを得ない。彼には、かなえの透明な瞳から無骨な金属のようなイメージを読み取っていた。
「ああ、お前にはそんな風に見えたか。視力という点では低いが、情報を掴む受容器としては相当優秀なもんだ」
何もない、濁った灰一色のイメージ情報が、脳へ直接送り込まれていく。
本人すら自覚してなかった、『視え過ぎる世界』へと魔女は足を踏み込み、男の瞼を強制的に、『開いた』。
「あ、あああああああああ!!!!!!」
矜持は必死に、何かを払うように手を振り回していた。
「どうした?幽霊でも見えたか?」
ホロホロ、とかなえは嗤ってその様を見過ごす。
『こ、こんなものは視たくなどない!!』
一人、小さな子どものように喚く。
魔女の瞳、冷たい灰色から離れた後には、おぞましい景色が待っていた。
決して世間が視覚に捉えている世界ではない。判別しようもない程きつい色彩の幾何学模様が、瞳という受容器を通して脳神経へと流れ込む。
「これが先ほど“なんだ?”と問われたものの正体だ。な、問われても困るだろ?」
説明が続けられているが、返事どころではない。
嗅覚では人の形をしているのは確かだ。だが、瞳から流れてくるこのイメージは、理解も許容も出来たものではない。
こんな世界で平然と生活を送っていることに、恐れを抱く。
「おいおい、これしきでへばるなよ。この世界は都合よくできていないが、愛でるには十分な材料があるぞ。だからお前には――」
かなえの言葉を最後まで聴くことはなく、男は気を途絶えさせていた。
「――んあ、説明に時間がかかる。お前好みの話でもないと思うぞ」
「……?」
かなえの言葉から、何らかの含みには気づいていたが、どう拾えばいいのかわからず、海里は黙っていた。
彼は結局、今回の事件の犯人の行く末についてはわからず終いだ。
「と、いうことで」
かなえがテレビのリモコンを操作すると、そこには事件の解決を知らせる速報が灯っていた。
「私から聴くよりも、テレビ見る方が早い」
――女性の死体遺棄について、有力情報を得ている男が逮捕された――
そんな言葉がテロップとして流れている。
「え、ええ――」
海里は途端に虚脱感を味わう。
事件が解決されていなければ、当然モヤモヤとするが。自分の知らない内に全部終わっているというのも釈然としないものだ。海里は腕組みして唸った。
「海里さん、難しい顔してますね?」
海里の悩みもなんのその。名も知れない依頼人が、再び顔を出す。
はいどうぞ、と温かいお茶を差し出す。
「ありがとう」
とりあえず一息かと思ったところで
ぐぎゅるるるう
腹の虫が盛大になった。
「はっはっは、お前は仕方のないやつだのぅ」
再び、ずるずるとそばを食べ始めるかなえ。
「よし、お嬢さん、イヌカイに食事をもってきてやりなさい」
どこの大富豪だか、かなえが手をパンパンと鳴らす。それを聴いて、依頼主は律儀に奥へと姿を消した。
「……えっと」
消えたと思いきや、すぐに煮え切った鍋をもって彼女は現れた。
「今日はありがとうございました。海里さん、しっかり召し上がってください!」
全身がガタガタになって、ろくに動くことも出来ないが、ついにこの時が来た。
「お、おぉ……」
悠に丸二日は固形物を食べていない。はやる気持ちを止めることもせず、海里は鍋のふたを外し、ボリューム満点の鍋へと向かった。
「おいしい!」
久々に食べた素うどんは、泣く程においしかった。
コシのある麺、出汁にからむ麺、あとは何だ?海里はこれ以上の評が出来ずに戸惑う。
すすっても、すすっても、鍋にはうどんの麺のみが納まっていた。
「――ふっざけんなよ!!何で具がない!!!!」
がたーん、とベッドを揺らして怒鳴る。
決して鍋を倒さない辺り、どこかに冷静さは残っているのだろう。
「ああ?揚げは私のために買ってこい。そう言ったよな?」
目の前で、そばに続き、お揚げをモグモグと食べてみせる魔女。
依頼主も、唖然としながらその様を見送りつつ――
「か、海里さん、おち、落ち着いて!?」
否、こればかりは依頼人の言葉とて聴けぬ。
「うむ、甘い。美味なり!!」
お揚げをかみしめて、かなえは満足げに頷いた。
「――もう、俺、この仕事やめる!!」
この、たぬき娘が!!と続いて、ご近所に気にせず海里は声を上げた。
犬養海里(二十三)の苦難は続く。
伏線回収し忘れていたことに後から気づき、修正しました。
エピローグ分だけ、追加します。