表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ミミナリ  作者: 三宝すずめ
1話 休間隔
13/88

4.■感覚―ハードワーク

9月6日 表現修正

「ハァ、ハァ……」


 酸素不足に肺が締め付けられる。自分が倒れた時間から考えると、何かが起こっていても不思議ではない。くそ、くそ、と海里は一人毒づいた。


「ああ、くそ!」


 公園まで走り抜けたところで、犬を連れない犬使いは一度足を止める。膝に手をおいては、腰を折る姿勢になって酸素を求めて喘いだ。


「走って、、きた、はいいけど、どこに、、、いるんだよ」


 テーンテテーン。


 いやに愉快な電子音が夕方の公園にこだました。


「ぶあはははっははは!!」


 通話ボタンを押すや否や、相手の盛大な笑い声が海里の耳に届く。


「おま、お前、場所も分からず走りだして、は、走りだして!」


 ヒィーヒィーと、自らの下僕とは異なった理由で魔女は酸欠になりかけていた。


「笑うな……必死だったんだよ」


 耳元まで真っ赤になっているのを海里は自覚する。普段からニヤつく割に、腹の底からはあまり笑わないかなえのツボは理解しかねる。


 呼吸困難に陥る程に滑稽だったのかと分析を始めれば、海里は却って冷静になっていった。


「場所もわからないが、じっとしてらんなかったんだよ。因みに、今は公園にいる」


「うむ。計算通り!」


「……嘘つけよ」


 丸眼鏡の淵を抑えて、海里は大仰に溜め息を吐いていた。


「探してくれるのはありがたいが、あまり左目を開くなよ?」


 かなえは面倒くさがりの癖に、よく無茶をする。そのことを知っている下僕としては、心配の言葉も出ようものだ。


「もう元に戻した。それよりも、周りを見たらお望みのものが見つかるぞ」


 ……多分、と言葉を付け加えることは忘れない。いつもの様子でかなえは少し先を告げる。


「周りったってよ……」


 電話を耳に当てたまま、海里はぐるりと辺りを見回す。


 公園で見られるものなんて、家路へ帰る子どもに、遊具、やたらほえまくる犬の集団くらいしか――


「見つけた」


 電話を切って、海里は歩を進める。犬たちが集まっている階段、その先の神社へと。




「そっちから来てくれるとはな」


 手間が省けた、と男はワラう。その周りでは犬たちがギャンギャンと吠えまくっている。


「当たり前だ、依頼は完遂してナンボだろうが。とりあえず――お前はぶっ飛ばす」


 海里は静かに睨み返す。それを見た男は、やれやれと溜め息を吐いてみせる。


「駄犬が、お前の匂いは気に喰わん」


 男は手袋をはめた両手を勢いよく合わせた。


 パン――


「やばっ!?」


 反射的に飛び退く海里。初戦では不意を打たれたにしろ、ただ蹴られて終わってしまった。同じ失敗は繰り返さないよう、注意深くいたことがよかった。


「この、匂いは……」


 甘い香りが微かにだが伝わり、犬使いは顔をしかめる。結果的に自分の判断は正しかったと思い至る。


 アパートで男と出会った時に嗅いだ甘ったるい香りは、離れていても多分に神経へ障る。頭の中がむずがゆくなり、思考にノイズが入るとでも表現するか。


 頭をぶんぶんと振りながら、海里はその誘惑に耐えた。


「嗅覚を狙ってくるのか」


「ほぅ、ただのバカではないのか」


 なるほどなるほどとつぶやく男――スン、と鼻を鳴らしながらニット帽を深くかぶり直した。


「お前のライターやトランプは、さしずめ意識を狙ってくるってところか」


 二回目の対峙にして、お互いに狙いを言い当ててみせた。


 五分の状況だと言いたいところではあったが、海里は胸中で舌打ちをしていた。ジッポをカチャリと鳴らしながら考える。


『不味いな』


 さっきまで五月蝿いほど吠えていた犬の鳴き声が、ピタリと止んでいた。


 男は両手を開き、ゆっくりと海里へと歩みを進める。その後ろを犬たちが付き従っていた。


 男の身長は高くも低くもない。背丈で比べれば、海里の方が断然高い。恰好はパーカーにジーンズと身体のラインは見えづらいが、横幅があるとも思えない。


 しかし、相手が他人を操作する能力の持ち主である時点で、体格などは関係がなくなるものだ。じりじりと差を詰められながらも、未だ残る五メートル程の距離をどう制するか――海里は一度迷ったように視線を這わせていた。


「何にしろ、やることは決まってるさ」


 カチャリ――ジッポを取り出しては歩き出す。昼間の公園の時とは異なり、犬たちはその動作には目もくれない。


『バカが』


 男はほくそ笑んだ。アパートのやり取りから、海里が意識を奪いに来ることは明白。それ故、先手を打って犬の思考は既に奪ってある。


 思考能力が低下した状況で、火を見た程度で犬が意識を取り戻すことなど――


「それ」


 呟き、犬使いはジッポを高く放り投げた。


「!?」


 思わず男の視線はその先を辿る。海里から視線を切ったのは、ほんの一秒にも満たない。


「しまっ――」


 だが、身長百八十を越える海里の蹴りが、男の腹に突き刺さるには十分な時間だった。


「くそ、やってしまえ!!」


 咳き込みながら、男は犬たちに命令を下した。海里の立ち位置は先程男が居た位置、つまり犬たちの中心だ。


 思考が鈍った犬は単純に、ただただ真っ直ぐに、海里へと駆け出す。


 ピュィーーーーーーーィン――耳を突く大きな音。


「――ッ!?」


 その場の犬たちのすべてが、先程の男のように空を見上げた。


 身の危険を感じ取った犬たちが異音の元へと意識・・を向けた。その意識の隙を逃さず、海里は『眠れ』と命令する。


 大きな音と火薬の匂いの後に、犬が死んだふりをしたように動かなくなった。


「……ロケット花火、だぁ?」


「ここまで大きい音だと、注目しちまうわな」


 ジッポを拾いながら、海里は肩をすくめてみせる。日頃の彼では取らない人を喰ったような動作も、相手を誘うための布石だ。


 実際に、相対している男は肩を震わせている。


『そうだ、乗ってこい』


 優勢に見える海里だが、胸中はひりついていた。ここで相手が冷静になって距離を取られては、この先に打つ手がなくなる。


 神社を降りて、人が多いところへ出られるなどもってのほかだ。海里は複数の人間相手に『命令』をコントロールできる程の力量は持ち合わせていない。


「ふっざけやがってーーー!!」


 思惑通り、頭に血が上った相手は直線距離で海里へと突っ込んできた。


『後は野郎の目に、停止命令をぶつけるだけ』


 最早ジッポアクション程度では驚くまい。何より、相手は他には目もくれずに一心不乱に海里へと向かっている。


 その姿を見て、丸眼鏡を外して強く睨んだ。


「止まれ」


 裸眼になったことで、より一層本来の自分のまま“視る”ことに意識が集約される。


 視線を介しての命令の入力――突撃と停止の矛盾する命令に、対象は動きを止めざるを得ない。単純に相手の行動を止めるだけならば、意識に空白を作る必要すらない。


 使いどころが難しいが、型にはまればこの上なく効力を発揮する。海里のとっておきだ。相手がいかにニット帽を目深に被っていようと、この距離では流石に視線が交錯する――筈だった。


 全く手応え、否、目応えがない。思わずジッポを手元から取りこぼしていた。


「捕まえた」


 カツン、と金属が地面に落ちる音と、厭に冷静な男の声。


「がっ――」


 身を捻ろうとしたが、間に合わない。口元を掴まれてしまった。


 粉のような物が口腔内に侵入してむせるが、口元を強く握られて咳き込めずに喉を鳴らすだけに留まる。


「俺の目を狙っていたか?」


 男が空いた手でニット帽をずり上げる。


「――っ」


 甘ったるい香りが脳に侵入してくる中、海里は音も出さずに呻いた。これには視線を叩き込みようもない――男の目は両方とも瞑られている。


「目が見えない分、鼻が良くてな」


 スンと鼻を鳴らしては、口元を釣り上げる。相手の策は通じず、己の手は見事に決まった。男はここにきて優位に立ったことを確信していた。


「匂いってやつは何にでもあって、その微妙な変化で位置関係なんかも手に取るようにわかる。表情は見えなくとも、感情が変わる時にも匂いでわかるんだ。お前、切り札が利かなくて落ち込んでんだろ?」


 力を失くし、膝をついた様子を嗅ぎ取り、男は多弁になる。ついには海里から手を放して高らかに演説してみせた。


「ライターを投げた時は何事かと思って、そっちを向いてしまったが、冷静になればなんてことはない。目の見えない俺には、奇をてらいようもなかったな」


 ケヒヒと下卑た笑いが耳にサワる。


『何やってんだ、俺……』


 ようやく自由になり、気管が異物を吐き出そうと必死に咳き込む。相手が手を放したこの機会が――


「あ……」


 海里の視界がぐるりと回る。手を前に出したつもりが、顔から地面へと落下した。


「おお、よく利くよく利く。感覚が遮断されるってどんな気分?」


 愉快でたまらない、と男は手を叩いて笑っている。


「さて、どうしようか。自宅に持ち帰って細切れにしようか。どうしようか埋めようか。ああ、匂いの操作は俺得意だから、腐臭でご近所さんが騒ぐこともないから、安心してくれ」


 男は小躍りでもせんばかりだ。


『どこか、動かないか?』


「匂いが変わった。まだ諦めてなかったの?諦めの悪い男はもてないぜー、なぁ、新奈」


「そうだね矜持キョウジ


 海里は唯一自由に動く目を、男の奥へと向けた。声がした方を見ると、依頼主が男のすぐそばまで歩みよっていることがわかる。


 服装は肌の露出の多い、けばけばしい装いに変わっている。彼女の瞳は依頼を受けた時よりも、それよりも弱々しく見えた。


「見てんじゃねーよ」


 男のつまさきが海里の肩口にめり込んだ。


「……か、か」


 言葉を発しようとしたが、口が上手く動かない。弛緩したように、だらしなく唾液がこぼれ落ちた。


 仰向けに転がされて、歪んだ視界がより一層ぐるぐると回り始める。逆さまになった風景が回りだし、男や依頼主、犬たちやジッポなどを順番に巡らす。


 ジッポを掴もうにも、さっきから指先が全く動かない。脳の命令系統が止まってしまっているようだ。


『ああ、何も浮かばない』


 要らぬことを思い出してしまったと、思うが、海里は思考を放棄しかけていた。結局、食事が摂れていない。勢い込んで来たものの、カロリー不足の脳は命令を手放そうとしている。


 ぐぎゅるるぅ――遂には盛大に腹の虫が鳴る始末。


「だっせーな、オメェ」


 男がケヒヒと嗤っている。


「……ぁ」


 依頼人がふと、こちらを見たような気がした。その瞳は最初に見た時のように弱々しい。


「あー、やっぱこの場でやっちまおう。うん」


 男が懐からウィスキーの瓶を取り出すと、おもむろに叩き割る。簡易ナイフの出来上がりである。


 ピンチだというのに、段々と腹が立ってきた。どうやら認めざるを得ないようだ。


『俺、この人の前では格好つけたいんだな』


 認めると何かが楽になった。


『最初に信じたままやってみろ』


 何度も繰り返すものだから、かなえの言葉が海里の頭を不意によぎる。きょろきょろと落ち着きなく動き回る目が、彼女や何やらこの場にある物を捉える。


 思考は放棄した。というよりも、海里は考えることには向かない。ただ、瞳はこれまで反復したことをなぞるように動き続ける。


「とどめといこう」


 動き回る瞳は、男が真上へ来たことも確認していた。




『俺が信じたもの? 決まっている』


 直上に男が迫ることを見据えて、俺は改めて心で呟く。


 こんな綺麗な眼をした人が悪人な訳がない、と。認めると幾分か楽になった。後は、声にするだけだ。


『この人を困らせるヤツは、俺が――』


「俺が、ぶっ飛ばす!」


 これまで他人には怖くてできなかった、アクションを起こす命令。それを俺は、ジッポに映る自分の瞳に全力で叩き込んだ。


「がっ――」


 男が何か発したか、その音が耳に残った。


 意識のタガを完全に外して、人体構造すら無視して、俺は全力での蹴りを実行していた。


 ブチブチと、筋繊維の切れる音がする。今は身体の感覚がバカになっていることが幸いした。


 蹴りをぶち込んだ感覚すらなかったが、相手が俺の身長よりも高く吹っ飛んだ姿は目で追えた。


 そして、視界が徐々に暗転していく。


 意識が飛ぶ、ほんの一瞬前に、依頼主が心配そうにこちらへ駆け寄る姿が見えた気がした。


 それは俺の願望が起こした幻か?


 自分って思っていたよりもロマンチストなんだな、とどうでもいい感想が浮かんだ。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ