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ミミナリ  作者: 三宝すずめ
1話 休間隔
10/88

3.旧感覚―了

「あれ――」


 新奈が自宅の鍵を入れてからニ、三秒。扉はびくともしなかった。


「鍵、間違ってませんか?」


 アパートについてから、怪訝な表情を浮かべる新奈に、海里は視線を送った。


「あ、いや――」


 ギィ――


 言うや否や、扉が開け放たれる。新奈も、緊張を表に浮かべたまま『開いてました』と一言述べては固まっている。


「ちょっと、ごめんよ」


 鍵を回すまでもなく開いた扉に違和感を覚えて、海里は先んじて我が身を突入させる。


「……」


 緊迫したまま身体を突っ込んでみたが、なんということはなかった。ただのアパートの一室が、海里の目の前に広がっていた。


「ほっほーう……」


 唸ってみたが、特に何と変哲のない部屋であることに変わりはない。2DK、別段広いとも狭いとも言えない。二人ぐらしとしては質素というか、むしろそこそこではないかと、海里は思った。


「あ――」


 新奈が走る。部屋に懐かしみでも覚えたか。自分の家に戻ってきたにしては、間の抜けた言葉を発している。


「なんだろう……」


 一日を置いて戻った我が家には違和感があるのか……


 本人にもまだよくわかっていないらしい。ともかく、戻ってきたという感覚が今の彼女に去来しているに違いない。


 海里は玄関に立ったまま、依頼人の姿を見送った。


 新奈はきょろきょろと視線を送りながら自身の落ち着きなく、行ったり来たりとしている。


「あ、お茶くらい入れましょうか」


 そうこうしている内に、新奈が台所に立っていた。お茶を探して台所の棚をあさっている。


「ああ、お構いなく」


 海里はその機先を制して、ダイニングへずかずかと歩を進める。これ以上、水分で腹を膨らませたくはなかった。


 うーん、とうなる新奈を尻目に、海里は海里で部屋の様子を探っていた。


『生活した感じがないな』


 それが海里の第一印象だった。人が暮らせば、嗜好品の跡や生活用具を使った跡など、それなりに色が出るものだ。


 しかしこの部屋にはそれが感じられなかった。であるというのに、この部屋は確かに人が暮らした感じが残っている。


「……うん?」


 海里は首をひねらざるを得ない。愛憎入りまみれて、彼女を殺すまでに至ったのであれば、この部屋はもう少し雑然としていい筈だ。


 そうであるのに、この部屋は人間が暮らした跡だけを残していて、生活の乱雑さが見られない。


 ということはやはり、『彼女は殺されていないのか?』


「……ふぅ」


 認めたくもなかった結論へと導かれつつあるのか、海里はため息をついてみせた。



「――あ」


 観念しようかとしていたところで、新奈が漏らした声を聞いた。


「イヌカイさん、これ……」


 彼女の手の中には、古い日記が納まっている。


 この日記を読めば、少なくとも同居人の足取りが辿れるのではないか。


「ああ、いやいや」


 それは他人のプライベートだ、と自分に言い聞かせていると、海里は背後で妙な気配を感じた。


 ここで尻込んでしまうのは、お屋敷の魔女の僕失格ではないかとも思うが、敢えて人間の尊厳を勝ち取りたいとも思う。


 いままでになく、神妙な顔の彼女。


「イヌカイさん……」


 海里はその様子をしばらく見守っていたが、ぱらぱらと日記をめくっていた、彼女の手がある点でこつ然として止まる。


「お茶なら結構ですよ……と、どうしましたか?」


 そのただならぬ雰囲気に、海里も緊張がうつってしまった様子だ。


「この日記に出てる……」



 その間は何を意味していたか。



「 オトウト、 って誰でしょう ?」



 ごくり、と海里の生唾を呑む音が響いた。



 彼女の目は、海里へと向けられているようで、その実どこも見ていない。



 弟?



 初めての言葉に、海里は困惑する。これまで、新奈は姉の話はすれど、弟の話など――



 ギィ――



 扉が鳴った。


 同時、甘ったるい匂いがフロアに伝わる。そのあまりに強い香りに、意識が奪われそうにもなる。



「――かっ!?」


 香りから逃げようとして喘いだ肺から、空気が強制的に漏れ出た。海里は臨戦態勢を取っていたつもりも、そのモーションは幾分か遅かった。


 身を捻ろうとする間に、半身に衝撃が走る。


「く、そ――!!」


 不意を打たれた。海里は額に、嫌な汗が伝うのを感じていた。


 扉側から不意打ちを受けたので、まだ彼女は無事な筈だ。海里は身体にムチを打って、身を起こす。


 ここで初めて、玄関から現れた人物へと対峙した。


――スン、と鼻を鳴らす音が響く。


「おまえ、」


 言葉を続けたかったが、再び繰り出された蹴りに遮断されてしまう。


「ごっ――」


 無様な音を漏らして、海里はキッチンを転がった。


 その様を、海里がのろのろと立ち上がるのを見送りながら、青年は改めてニット帽を目深に被り直した。


 この後ろには衣さんがいる。海里はそのことを忘れてはいない。


 這いつくばったまま、相手を止めるため、ポケットへと手をやった。



『止まれっ』



 カチャ――


 手をポケットから引き抜くと同時に、またしても男の蹴りが海里の手を打った。


 ジッポが壁にぶつかって、頼りのない音を立てる。


 このままでは、動きが止めらない。


『と、なれば』


 海里は右のポケットから手を引き抜く。


「……!?」


 男は無言で上体を逸らした。


 海里はポケットから引き抜いた、トランプのカードを投げつけていた。


 威力は皆無。だが、この状況でトランプが飛んでくることを想像できるだろうか?


『今度こそ、もらった!』


 海里は胸中で、つぶやいた。


 そう、この一瞬、相手は意識に空白を生じた筈だ。




 ガン――



 全く思いもよらなかった。


 後頭部へ一撃をもらい、海里は膝を折る。



『なんで』


 とすら言えなかった。


 新奈は今振り下ろしたばかりの灰皿を手に、青年へと歩み寄る。


 スン、とどこかで聞いたような音を聴きながら、海里は意識を闇に落とした。


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